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2020年2月20日(木)、今回の旅7日目、セントルシア(St Lucia)の朝。朝食をゆっくり食べて、9時過ぎにクルーズ船から下船する。この日はほぼ終日ツアーに参加。参加するのはセントルシアトップ10ツアー(Top 10 of St. Lucia)。9時半にこのクルーズターミナルを出発し、島内のポイントを回って3時半に戻ってくる予定。59.99US$。<br /><br />船を降りたところにツアー別の案内が出ていたので、しばし列で待つ(下の写真)。9時半をちょっと過ぎてツアーはようやく出発。出国ゲートを抜けてセントルシアに入国し、バスに乗車する。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4284047588331899&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />バスが最初に向かったのは湾の反対側に広がるカストリーズ(Castries)の町。セントルシア島の北西部、カストリーズ湾(Castries Bay)岸に位置するセントルシアの首都。人口は周辺部含めて7万人で、国の人口の1/3以上が住む。町の名前は1750年までフランスの海軍大臣を務めたカストリー公爵(Charles Eugene Gabriel de La Croix de Castries)に由来しており、1756年に安全な停泊地を意味するカルナジュ(Carenage)から改名された。<br /><br />1650年にフランスにより建設された。当初はクルーズターミナルのあるポワントセラフィン(Point Seraphine)の北側のビギー(Vigie)に町は築かれたのだが、1780年にハリケーンで甚大な被害を受け見捨てられた。1803年から1844年にかけてイギリスが立派な軍港や市街を建設し、港を見下ろすモーンフォーチューン(Morne Fortune)に砦を築き、1844年には4,000人が暮らしていた。<br /><br />19世紀末になるとイギリス海軍にとっては、この町は艦船に燃料の石炭を供給する重要な地になった。第二次大戦中にはドイツ軍のUボートが到着し連合国軍の艦船を2隻沈ませた。1805年と1813年、そして1948年に大火災が起き、とりわけ1948年の火災は最も深刻な被害をもたらしたがその後復興した。イギリス領であったりフランス領であったり、7回も変わっており、ほとんどの地区で英語だけでなくフランス語も通じる。<br /><br />2007年にはクリケット(Cricket)のワールドカップが開催された。また、ジャズフェスティバルが毎年5月に開かれるため、世界中のジャズファンが集まる。7月には伝統楽器スチールパンのリズムに合わせてダンスを踊る大きなカーニバルが開催される。東カリブ諸国機構(OECS)の事実上の本部である事務局所在地。一日あれば徒歩で回りきれるくらい小さく、コロニアル文化を感じられる可愛らしい街。<br /><br />クルーズターミナルを出たバスで湾の北側から東岸沿いに南に下っていくと、5分ほどでカストリーズの中心部に入るが、町の北東の入口にあたるラウンドアバウト(Roundabout)の真ん中に建つのが独立記念碑(Independence monument)。2019年にセントルシアの独立40周年を記念して造られたもの。カリブ海を代表するセントルシアの彫刻家ヴィンセント・ジョセフ・エウドヴィッチ(Vincent Joseph Eudovic)の作品で、セントルシアの民族を構成するカリブ海先住民、アメリカ大陸先住民、アフリカ人、ヨーロッパ人を象徴している。<br /><br />そのすぐ南にカストリーズマーケット(Castries Central Market)。カストリーズ湾のどん付きにある有名な市場で、世界トップ10に入る市場と云われる。クルーズ客が必ず寄るとも云われるが、バスは行きも帰りも止まってもくれないので、行けなかった。果物や野菜などの一般的な食料品の他に、ハンドメイドの彫刻や石鹸、珍しい香辛料や可愛いバスケット・衣料品などが販売されているそうだ。<br /><br />さらに南に進むとあるのが町の中心にあるデレク・ウォルコット広場(Derek Walcott Square)。この町出身のノーベル文学賞受賞詩人デレク・ウォルコットを称える広場。最初はダルム広場&amp;プロムナードスクエア(Place d&#39;Armes and Promenade Square)と名付けられたが、1892年にコロンブス広場(Columbus Square)に改称され、さらに1993年に現在の名前に改称された。<br /><br />広場の東側に建つのが処女降誕聖堂(Cathedral Basilica of the Immaculate Conception)。1894年から99年に掛けて建てられたこの国最大の大聖堂。内部は木で造られていて、素朴な手作り感が魅力。木造の聖人像や優しげな印象のステンドグラスも見どころ。さらに、地元の芸術家ダンスタン・セント・オメール(Dunstan St. Omer)の華やかな壁画で彩られているが、ここも止まってもくれないので見たのは外観のみ。<br /><br />広場の西側の中央図書館(Castries Central Library)はカーネギー財団(Carnegie Foundation)の助成により1924年に建設されたものが1948年に焼失し、1950年に再建されたもの。なかなか立派。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4284056481664343&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />どこにも止まらず、写真撮影用の停車もしてくれないので、とても残念だった。<br /><br /><br />モーンフォーチューンに続く。

セントルシア カストリーズ(Castries, St. Lucia)

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2020/02/20 - 2020/02/20

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旅行記グループ セントルシア

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年2月20日(木)、今回の旅7日目、セントルシア(St Lucia)の朝。朝食をゆっくり食べて、9時過ぎにクルーズ船から下船する。この日はほぼ終日ツアーに参加。参加するのはセントルシアトップ10ツアー(Top 10 of St. Lucia)。9時半にこのクルーズターミナルを出発し、島内のポイントを回って3時半に戻ってくる予定。59.99US$。

船を降りたところにツアー別の案内が出ていたので、しばし列で待つ(下の写真)。9時半をちょっと過ぎてツアーはようやく出発。出国ゲートを抜けてセントルシアに入国し、バスに乗車する。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4284047588331899&type=1&l=223fe1adec

バスが最初に向かったのは湾の反対側に広がるカストリーズ(Castries)の町。セントルシア島の北西部、カストリーズ湾(Castries Bay)岸に位置するセントルシアの首都。人口は周辺部含めて7万人で、国の人口の1/3以上が住む。町の名前は1750年までフランスの海軍大臣を務めたカストリー公爵(Charles Eugene Gabriel de La Croix de Castries)に由来しており、1756年に安全な停泊地を意味するカルナジュ(Carenage)から改名された。

1650年にフランスにより建設された。当初はクルーズターミナルのあるポワントセラフィン(Point Seraphine)の北側のビギー(Vigie)に町は築かれたのだが、1780年にハリケーンで甚大な被害を受け見捨てられた。1803年から1844年にかけてイギリスが立派な軍港や市街を建設し、港を見下ろすモーンフォーチューン(Morne Fortune)に砦を築き、1844年には4,000人が暮らしていた。

19世紀末になるとイギリス海軍にとっては、この町は艦船に燃料の石炭を供給する重要な地になった。第二次大戦中にはドイツ軍のUボートが到着し連合国軍の艦船を2隻沈ませた。1805年と1813年、そして1948年に大火災が起き、とりわけ1948年の火災は最も深刻な被害をもたらしたがその後復興した。イギリス領であったりフランス領であったり、7回も変わっており、ほとんどの地区で英語だけでなくフランス語も通じる。

2007年にはクリケット(Cricket)のワールドカップが開催された。また、ジャズフェスティバルが毎年5月に開かれるため、世界中のジャズファンが集まる。7月には伝統楽器スチールパンのリズムに合わせてダンスを踊る大きなカーニバルが開催される。東カリブ諸国機構(OECS)の事実上の本部である事務局所在地。一日あれば徒歩で回りきれるくらい小さく、コロニアル文化を感じられる可愛らしい街。

クルーズターミナルを出たバスで湾の北側から東岸沿いに南に下っていくと、5分ほどでカストリーズの中心部に入るが、町の北東の入口にあたるラウンドアバウト(Roundabout)の真ん中に建つのが独立記念碑(Independence monument)。2019年にセントルシアの独立40周年を記念して造られたもの。カリブ海を代表するセントルシアの彫刻家ヴィンセント・ジョセフ・エウドヴィッチ(Vincent Joseph Eudovic)の作品で、セントルシアの民族を構成するカリブ海先住民、アメリカ大陸先住民、アフリカ人、ヨーロッパ人を象徴している。

そのすぐ南にカストリーズマーケット(Castries Central Market)。カストリーズ湾のどん付きにある有名な市場で、世界トップ10に入る市場と云われる。クルーズ客が必ず寄るとも云われるが、バスは行きも帰りも止まってもくれないので、行けなかった。果物や野菜などの一般的な食料品の他に、ハンドメイドの彫刻や石鹸、珍しい香辛料や可愛いバスケット・衣料品などが販売されているそうだ。

さらに南に進むとあるのが町の中心にあるデレク・ウォルコット広場(Derek Walcott Square)。この町出身のノーベル文学賞受賞詩人デレク・ウォルコットを称える広場。最初はダルム広場&プロムナードスクエア(Place d'Armes and Promenade Square)と名付けられたが、1892年にコロンブス広場(Columbus Square)に改称され、さらに1993年に現在の名前に改称された。

広場の東側に建つのが処女降誕聖堂(Cathedral Basilica of the Immaculate Conception)。1894年から99年に掛けて建てられたこの国最大の大聖堂。内部は木で造られていて、素朴な手作り感が魅力。木造の聖人像や優しげな印象のステンドグラスも見どころ。さらに、地元の芸術家ダンスタン・セント・オメール(Dunstan St. Omer)の華やかな壁画で彩られているが、ここも止まってもくれないので見たのは外観のみ。

広場の西側の中央図書館(Castries Central Library)はカーネギー財団(Carnegie Foundation)の助成により1924年に建設されたものが1948年に焼失し、1950年に再建されたもの。なかなか立派。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4284056481664343&type=1&l=223fe1adec

どこにも止まらず、写真撮影用の停車もしてくれないので、とても残念だった。


モーンフォーチューンに続く。

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