2020/07/10 - 2020/07/10
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ドクターキムルさん
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横浜市西区赤門町2にある東福寺は高野山真言宗のお寺で光明山遍照院東福寺という。寛元元年(1243年)に元心法印(風土記には(玄心法印)が開山となり、後嵯峨院の勅願所として創建したと伝えられている。太田持資入道道灌が中興し、天正19年(1591年)寺領3石の御朱印を拝領し、徳川家康公より寺領を賜り、その折、葵の御紋の使用を許されたという名刹である。周辺に多くの末寺を擁する中本寺格の寺院であった。
もとは大岡川寄りにあったが、盗賊に焼かれて慶長12年(1607年)当地に移転した。
寺運が次第に傾き、明治の初年(1868年)に至つては荒廃を極めた。しかし。明治8年(1875年)には、境内を拡張して規模を改め、学校を附設して、遂によく中興を遂げた。しかし、明治40年(1907年)、火災で伽藍は焼失した。直ちに時の住職・隆應が再建した。その本堂はこの周辺では稀に見る荘厳を呈し、特に朱塗の山門が華麗であつたので、赤門東福寺の名を広く世間に暄伝知らしめるに至った。現在の町名はこの山門に因る。
大正6年(1917年)、浮浪の徒の放火で又々灰燼に帰したが、寺主の盡瘁と、檀信徒の協力とにより再び一大伽藍を再建することが出来た。市中の一偉觀をなしたが、大正12年(1923年)、関東大震火災に被災し、また一山を焦土と化す不幸を重ねた。復興は早く進渉し、大正14年(1925年)、伽藍の落慶を遂げたのである。本尊は聖観音菩薩である。東国八十八ヵ所霊場36番札所、横浜觀音三十三所の2番札所、横浜弘法大師二十一所の5番札所である。
現在の赤門は昭和35年(1960年)に再建されたものである。また、本堂その他は、昭和35年(1960年)頃までに再建を完了したというから、鉄筋コンクリート造の本堂もその手前左側にある閣魔堂、客殿もその頃の再建であろう。
(表紙写真は東福寺本堂)
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東福寺門前の「赤門町二丁目自治会」と「赤門町二老人会」の掲示板。
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東福寺門前。
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「光明山 東福寺」寺号標石。
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「観世音」など。
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東福寺山門。
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東福寺山門の仁王像。
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東福寺山門の仁王像。
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東福寺山門に掛かる「光明山」の扁額。
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東福寺山門。
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水場。
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参拝者休憩所。
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参拝者休憩所。
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参拝者休憩所のトイレ。
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手水鉢。
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龍の手水口。
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庫裡。
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客殿。
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客殿。
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閻魔堂。
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閻魔堂に掛かる「閻魔堂」の扁額。
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閻魔大王。
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陶器の雨水鉢。
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陶器の雨水鉢。
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東福寺本堂。
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東福寺本堂に上がる2組の飾り瓦。
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東福寺本堂に上がる2組の飾り瓦。
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東福寺本堂。
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境内。
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戦死者石塔。
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石碑。
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石碑。
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新戦忠碑。
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萬霊塔と枝垂れ桜。
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萬霊塔。
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追悼碑。「横浜印刻業者震災惨死群霊追福」。
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石碑。
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境内。
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寺の杜。
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本堂と閻魔堂。
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「赤門通り」。
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