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2020年2月19日(水)、今回の旅6日目、クルーズ船では4日目の朝9時過ぎ。セントキッツ・ネイビスに上陸して、まずはバセテール(Basseterre)市内を観光する。この町はセントキッツ島(Saint Kitts)の南西部、バセテール湾(Basseterre Bay)岸に位置するセントキッツ・ネイビス(Saint Kitts and Nevis)の首都。<br /><br />人口は約1万5千人。主な産業はかつては砂糖、漁業だったが、現在は観光の中心地となっている。町の名はフランス語の「低地(Basse terre)」に由来しているが、この町は南側以外の3方向を山や丘に囲まれており、風下となる港に船が安全に停泊できることから来ている。<br /><br />1624年、イギリスに続いてこの島にフランスが入植。1627年に島の中央部分がイギリス領、北部と南部がフランス領となった時に、フランスの入植者達が良質な港に適した低地だったこの地にこの町を建設した。その後、1783年に全島がイギリスの植民地となった時に、この町はフランスからイギリスの植民地となった。<br /><br />1867年の地震による洪水や火事により町は壊滅的打撃を受けたが、町は再建された。イギリス植民地時代のジョージ王朝様式(Georgian Architecture)の建造物が多く残っており、イギリス風の街並みだが、バルコニー付きのフランス風の建造物などフランス植民地時代の面影も残っている。<br /><br />また、19世紀後半にハイチ(Haiti)で生まれたビクトリア朝時代(Victorian Era)を面影を彷佛とさせる石造りの1階に木造の2階を有するジンジャーブレッド(Gingerbread)様式の家屋も残る(下の写真)。ほとんどは1867年の大火の後に建てられたもの。東カリブ海で最も古い町の1つ。2003年に日本の政府開発援助(ODA)としてバセテール漁業複合施設(Basseterre Fisheries Complex)が建設された。<br /><br />クルーズ桟橋から埋め立て地であるザンテ港(Port Zante)を通り抜けてダウンタウンに向かうが、港の出入口にあるのが国立博物館(The National Museum of St. Kitts)。ここは埋め立てが始まる前は桟橋への入口だった。博物館となっているのは1894年に財務省ビルとして建設されたイギリス建築の建物。1996年に財務省が移転し、2002年から博物館となり、セントキッツ・ネイビスの歴史や文化が展示されている。中には入ってないが、趣のあるビル。<br /><br />そのすぐ北にある交差点はサーカス(The Circus)と呼ばれ、ロンドン(London)のピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)を模して造られた。中央には、リーワード諸島連盟(Leeward Islands Federation)の一般立法評議会(General Legislative Council)の議長を務めて1881年に亡くなったトーマス・バークレー(Thomas B.H. Berkele)を記念して1883年に建てられたバークレー記念時計塔(Berkeley Memorial Clock Tower)がある。時計塔はスコットランドで製造されたもので、下部には水飲み場が付属している。<br /><br />サーカスの1ブロック東に広がるのが独立広場(Independence Square)。1790年に奴隷市場として建設された広場で、1983年に独立を記念して現在の名前に改称される前はポールモール広場(Pall Mall Square)と呼ばれていた。売られた奴隷たちは広場の南側にあった建物でオークションされた。植民地時代の趣きを残している。公園の東側に建つ2つの塔を持つ教会は処女降誕聖堂(Co-Cathedral of Immaculate Conception)。1928年完成のカトリック大聖堂。1856年に建てられたものを取り壊して建てられたもの。<br /><br />独立広場から北西に少し行ったところにあるのがセントジョージ英国教会(St. George&#39;s Anglican Church)。元々は1670年にフランスのイエズス会により聖母(Our Lady)に捧げる教会として建てられたが、1706年にイギリス軍によって焼失、その後1710年にセントジョージ英国教会として再建された。しかし、その後も火災や地震で被害を受け、最終的には1842年のハリケーンで、修復不能な状態となった。現在の教会が建てられたのは1859年で、1867年の大火で全焼するが復元された。鐘楼が印象的なジョージ王朝様式で、町のシンボル的存在。設置されているパイプオルガンは1872年に設置されたもの。内部のステンドグラスも美しい。<br /><br />この日は10時発のツアーに参加する予定があり、9時半になるので観光を終了し港に戻ったのだが、セントジョージ英国教会から700mほど西に進むとスプリングフィールド墓地(Springfield Cemetery)がある。1854年のコレラでの死亡者を埋葬するために造られた。墓地内の礼拝堂は1862年に造られたもの。後で行こうかと思ってたが、後で乗った車の中から十分に見られたのでそれで満足した。<br /><br />また、墓地から南の海岸沿いまで進むと、慰霊碑(The Cenotaph)がある。ブラフ岬の東側にあり、戦争記念碑(War Memorial)とも云う。第一次大戦、第二次大戦で亡くなられた方を慰霊しており、元々は白かったオベリスクの前にセントキッツ島、ネイビス島(Nevis)、アンギラ島(Anguilla)のそれぞれの石で造られた石棺が置かれている。このオベリスクは元々は1926年に港の東、現在郵便局が建つところに建てられたが1955年に今の場所に移された。ここも車の中から十分に見えたので、歩いては行かなかった。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4238364339566891&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />セントキッツシーニック鉄道のツアーに続く

セントキッツ・ネイビス バセテール(Basseterre, Saint Kitts and Nevis)

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2020/02/19 - 2020/02/19

33位(同エリア33件中)

旅行記グループ セントキッツ

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年2月19日(水)、今回の旅6日目、クルーズ船では4日目の朝9時過ぎ。セントキッツ・ネイビスに上陸して、まずはバセテール(Basseterre)市内を観光する。この町はセントキッツ島(Saint Kitts)の南西部、バセテール湾(Basseterre Bay)岸に位置するセントキッツ・ネイビス(Saint Kitts and Nevis)の首都。

人口は約1万5千人。主な産業はかつては砂糖、漁業だったが、現在は観光の中心地となっている。町の名はフランス語の「低地(Basse terre)」に由来しているが、この町は南側以外の3方向を山や丘に囲まれており、風下となる港に船が安全に停泊できることから来ている。

1624年、イギリスに続いてこの島にフランスが入植。1627年に島の中央部分がイギリス領、北部と南部がフランス領となった時に、フランスの入植者達が良質な港に適した低地だったこの地にこの町を建設した。その後、1783年に全島がイギリスの植民地となった時に、この町はフランスからイギリスの植民地となった。

1867年の地震による洪水や火事により町は壊滅的打撃を受けたが、町は再建された。イギリス植民地時代のジョージ王朝様式(Georgian Architecture)の建造物が多く残っており、イギリス風の街並みだが、バルコニー付きのフランス風の建造物などフランス植民地時代の面影も残っている。

また、19世紀後半にハイチ(Haiti)で生まれたビクトリア朝時代(Victorian Era)を面影を彷佛とさせる石造りの1階に木造の2階を有するジンジャーブレッド(Gingerbread)様式の家屋も残る(下の写真)。ほとんどは1867年の大火の後に建てられたもの。東カリブ海で最も古い町の1つ。2003年に日本の政府開発援助(ODA)としてバセテール漁業複合施設(Basseterre Fisheries Complex)が建設された。

クルーズ桟橋から埋め立て地であるザンテ港(Port Zante)を通り抜けてダウンタウンに向かうが、港の出入口にあるのが国立博物館(The National Museum of St. Kitts)。ここは埋め立てが始まる前は桟橋への入口だった。博物館となっているのは1894年に財務省ビルとして建設されたイギリス建築の建物。1996年に財務省が移転し、2002年から博物館となり、セントキッツ・ネイビスの歴史や文化が展示されている。中には入ってないが、趣のあるビル。

そのすぐ北にある交差点はサーカス(The Circus)と呼ばれ、ロンドン(London)のピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)を模して造られた。中央には、リーワード諸島連盟(Leeward Islands Federation)の一般立法評議会(General Legislative Council)の議長を務めて1881年に亡くなったトーマス・バークレー(Thomas B.H. Berkele)を記念して1883年に建てられたバークレー記念時計塔(Berkeley Memorial Clock Tower)がある。時計塔はスコットランドで製造されたもので、下部には水飲み場が付属している。

サーカスの1ブロック東に広がるのが独立広場(Independence Square)。1790年に奴隷市場として建設された広場で、1983年に独立を記念して現在の名前に改称される前はポールモール広場(Pall Mall Square)と呼ばれていた。売られた奴隷たちは広場の南側にあった建物でオークションされた。植民地時代の趣きを残している。公園の東側に建つ2つの塔を持つ教会は処女降誕聖堂(Co-Cathedral of Immaculate Conception)。1928年完成のカトリック大聖堂。1856年に建てられたものを取り壊して建てられたもの。

独立広場から北西に少し行ったところにあるのがセントジョージ英国教会(St. George's Anglican Church)。元々は1670年にフランスのイエズス会により聖母(Our Lady)に捧げる教会として建てられたが、1706年にイギリス軍によって焼失、その後1710年にセントジョージ英国教会として再建された。しかし、その後も火災や地震で被害を受け、最終的には1842年のハリケーンで、修復不能な状態となった。現在の教会が建てられたのは1859年で、1867年の大火で全焼するが復元された。鐘楼が印象的なジョージ王朝様式で、町のシンボル的存在。設置されているパイプオルガンは1872年に設置されたもの。内部のステンドグラスも美しい。

この日は10時発のツアーに参加する予定があり、9時半になるので観光を終了し港に戻ったのだが、セントジョージ英国教会から700mほど西に進むとスプリングフィールド墓地(Springfield Cemetery)がある。1854年のコレラでの死亡者を埋葬するために造られた。墓地内の礼拝堂は1862年に造られたもの。後で行こうかと思ってたが、後で乗った車の中から十分に見られたのでそれで満足した。

また、墓地から南の海岸沿いまで進むと、慰霊碑(The Cenotaph)がある。ブラフ岬の東側にあり、戦争記念碑(War Memorial)とも云う。第一次大戦、第二次大戦で亡くなられた方を慰霊しており、元々は白かったオベリスクの前にセントキッツ島、ネイビス島(Nevis)、アンギラ島(Anguilla)のそれぞれの石で造られた石棺が置かれている。このオベリスクは元々は1926年に港の東、現在郵便局が建つところに建てられたが1955年に今の場所に移された。ここも車の中から十分に見えたので、歩いては行かなかった。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4238364339566891&type=1&l=223fe1adec


セントキッツシーニック鉄道のツアーに続く

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