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2020年2月19日(水)、今回の旅6日目、クルーズ船では4日目の朝。この日の朝は少しゆっくり。7時半過ぎにメインダイニングへ(下の写真1)。朝食は多く頼み過ぎないように気を付けて、パニーニと目玉焼き、ベーコンにハッシュドブラウンなど(下の写真2)。朝食を食べて、のんびりしている間に8時、今回のクルーズ、3ヶ国目の港に予定通り到着。<br /><br />着いた国は、セントキッツ・ネイビス(Saint Kitts and Nevis)。カリブ海(Caribbean Sea)の北東部、アンティル諸島(Antilles)の小アンティル諸島(Lesser Antilles)北部のリーワード諸島(Leeward Islands)にある国。首都はバセテール(Basseterre)。国の名前は、国を構成する主な2つの島、セントキッツ島(Saint Kitts)とネイビス島(Nevis)の名の組み合わせ。セントキッツ島はセントクリストファー島(Saint Christopher)とも呼ばれるので、セントクリストファー・ネイビス(Saint Christopher and Nevis)とも云う。正式にはセントキッツ・ネイビス連邦(Federation of Saint Kitts and Nevis)もしくはセントクリストファー・ネイビス連邦(Federation of Saint Christopher and Nevis)。両方とも公式名とはややこしい。なお、日本語ではネイビスはネービスとも表記される。<br /><br />セントキッツ島の名は、コロンブス(Cristoforo Colombo)が自分の名前の由来でもある聖クリストフォロス(San Cristobal)から付けたもので、クリストファーと云う名前のニックネームがキッツなので、両方の名が未だに混在している。ただし、一説ではこの名はこの島から60㎞北西にある現在はオランダ領となっているサバ島(Saba)に付けたもので、この島は聖ヤコブ(Saint James)に由来してサンティアゴ島(Sant Yago)と名付けたが、混同されたとも云う。いずれにせよ、17世紀には現在の名前で呼ばれていた。一方ネイビス島の名は、コロンブスらがこの島を発見した時、島の最高峰の頂上が白雲に覆われている様子を見て山頂に雪が積もっていると勘違いしたことから、スペイン語で雪を意味するニエベ(Nieve)と命名され、その英語形でNevisとなった。<br /><br />前の寄港地だったセントマーチン島(Saint Martin)の南南東、約85㎞に位置し、北側に大きいセントキッツ島が、南側に小さいネイビス島があり、2つの島の間にブービー島(Booby Island)と云う直径100mたらずの小さな無人の岩の島もある。国外で一番近い島はセントキッツ島の北北西約25㎞にあるオランダ領のシントユースタティウス島(Sint Eustatius)。ネイビス島の南南東約60㎞にイギリス領のモントセラト島(Montserrat)、東約80㎞に独立国アンティグア・バーブーダ(Antigua and Barbuda)のアンティグア島(Antigua)があり、その少し北に同じ国のバーブーダ島(Barbuda)がある。ざっくり云えば東が大西洋(Atlantic Ocean)で西がカリブ海(Caribbean Sea)。<br /><br />熱帯サバンナ及び熱帯モンスーン気候に分類されるが、年間の平均気温は25度前後と安定している。平均の年間降水量は2400mmとかなり多い。1月から4月は乾季で比較的降水量は少ない。雨季にハリケーンの危険性があることは他のカリブ諸島と変わりない。近年では1989年のハリケーンヒューゴ(Hurricane Hugo)、1998年のハリケーンジョージ(Hurricane Georges)、1999年のハリケーンホセ(Hurricane Jose)及びハリケーンレニー(Hurricane Lenny)で大きな被害を受けている。<br /><br />総国土面積が261平方㎞で(西表島とほぼ同じ)、人口が5万人余りは共に新大陸の独立国の中で一番小さい。この国も奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の子孫がほとんどだが、当初に比べると混血が増えている。公用語は英語で、実際に一番使われている。ほとんどの人がキリスト教で、英国国教会などのプロテスタント(Protestant)が多い。<br /><br />1624年にセントキッツ島にイギリス人が入植を始めるまでは、他のカリブ諸島と同じで、アラワク族(Arawak)、そしてカリブ族(Caribs)が住み、1493年のコロンブスの発見以降も大きな変化はなかった。1625年にはフランスもセントキッツ島への入植を開始し、島の中部にイギリス人、南部と北部にフランス人が暮らすようになる。1626年には先住民のカリブ族が後にブラディーポイント(Bloody Point)と呼ばれるようになった場所で大虐殺される事件が起こり、その後輸入奴隷を使って砂糖農園が開拓される。1628年にはイギリスがネイビス島への入植を開始、以後時にはスペインも加わり、イギリス、フランスの争いが続き、1782年のイギリスとスペイン・フランスとの間で結ばれた、アメリカ独立戦争の講和条約であるヴェルサイユ条約(Treaty of Versailles)でイギリス領が確定した。<br /><br />19世紀に入り奴隷制度が廃止され、2つの島でも3万人足らずの奴隷が解放された。イギリスのカリブ海地域の植民地の管理体制はいろいろ変わるが、1882年にセントクリストファー・ネイビス・アンギラ植民地(Saint Christopher-Nevis-Anguilla)となり、しばらく安定する。20世紀に入り、1958年にカリブ海地域のイギリス植民地をすべて併せた西インド連邦(West Indies Federation)に組み込まれるがこの連邦は4年で崩壊し、再びセントクリストファー・ネイビス・アンギラ植民地に戻る。1967年に自治権を得るが、アンギラ島が離脱、1980年に正式に分離された。1983年独立。新大陸で一番最近に独立した国となった。1998年にはネイビス島の分離独立を問う住民投票が行われ、独立賛成票が61.83%と過半数は上回ったが、成立に必要な2/3には届かなかった。<br /><br />英連邦王国の一国たる立憲君主制国家で、現在の国王はイギリス女王エリザベス2世(Elizabeth II)で、その代理人として実権のない総督がいる。現行憲法は1983年9月19日の独立に伴い施行されたもの。一院制の議院内閣制で、正式名称は国民議会。定数は14議席で、総督の任命枠3議席、直接選挙枠11議席により構成される。直接選挙枠の選挙制度は小選挙区制である。任期は5年。二大政党制となっている。首相は国民議会より選出され、総督により任命される。現在(20年2月)の首相は2015年から務めているティモシー・ハリス(Timothy Harris)氏。連邦国家であり、ネイビス島には独自の自治政府と議会(一院制、8議席)が設けられている。ネイビス島議会は3議席が総督の任命枠、5議席が直接選挙枠で、選挙制度は中央の議会と同じ小選挙区制である。任期は5年。1997年に歩兵部隊及び沿岸警備隊からなる国防軍を再編し、現在の人員は約300人。<br /><br />外交は親米・英の穏健外交路線。英連邦の一員であり、カリブ共同体(CARICOM)、カリブ諸国連合(ACS)、東カリブ諸国機構(OECS)加盟国。台湾承認国。2018年のGDP成長率は3.0%。主要産業は観光業と衣類、履物などの製造業。主要輸出品は電子機器、機械、飲料、たばこなど。電圧は230Vで、日本のものとはプラグ形状が異なる。<br /><br />通貨はイギリス領アンギラ(Anguilla)と同じ東カリブドル( Eastern Caribbean dollar)で、通貨コードXCD、通貨記号はEC$。1US$が2.7EC$で固定。1EC$が約41円。ただし、観光客はUS$が普通に使えるので、両替の必要はない。国旗は1983年に制定されたもので、緑は国土の肥沃さ、赤は植民地時代の奴隷制から独立・解放への苦闘、黒はアフリカからの伝統、黄色は日光をそれぞれ象徴し、黒地にある2つの星は希望と自由を象徴しているとされるが、元々はセントキッツ島とネイビス島の2つの島から来たとも云われる。<br /><br />セントキッツ島にロバート・L・ブラッドショー国際空港(Robert L. Bradshaw International Airport)があり、アメリカ東海岸、カナダ、プエルトリコ、イギリスやカリブ海諸国とを結んでいる。ネイビス島にもヴァンス・W・アモリー国際空港(Vance W. Amory International Airport)があり、カリブ海諸国との便が就航している。日本と同じ右ハンドル左側通行。<br /><br />2003年の陸上世界選手権男子100mの金メダリスト(10秒07)のキム・コリンズ(Kim Collins)はセントキッツ島の首都バセテール生まれでセントキッツ・ネイビス国籍。ただし、生後3ヶ月からアメリカで育ったらしい。2016年には40歳で100m自己最高の9秒93を記録し、最年長9秒台記録を更新した。オリンピックは1996年のアトランタ(Atlanta)から2016年のリオ(Rio)まで続けて参加しているが、2004年アテネ(Athens)の100mと2008年北京の200mのそれぞれ6位が最高。2021年東京ではどうなるかな?<br /><br />また、ネイビス島は合衆国憲法の草案者で初代財務長官のアレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton)の出身地。彼は1755年にスコットランド貴族の四男だが、ハミルトンが生まれた時はカリブ海の小さな島の一商人だった父親とフランスの改革派教会ユグノー(Huguenot)の子孫と云う母親との間に生まれる。しかし、実家は破産し零落し、孤児となり、兄と共に現在は米領ヴァージン諸島(Virgin Islands of the United States)の一部になっているセントクロイ島(Saint Croix)で働き始める。ここで彼は文才を表わし、1773年に働いていた店の店主や親戚の援助でニューヨーク(New York)の現在のコロンビア大学(Columbia University)に進む。以後、1775年のアメリカ独立戦争(American War of Independence)勃発と共に兵役に着き、ワシントン(George Washington)総司令官の副官も務めた。米国建国の父たちは皆、成功した入植者からの名門富裕層の出であったが、誇るべき家柄も無く内縁関係の両親の間に生まれたハミルトンは例外とも云える存在。米国の10ドル紙幣に描かれている。<br /><br />日本は83年の独立と同時に承認し、85年に外交関係開設。在トリニダードトバゴ大使館が兼轄している。セントキッツ・ネイビスは在台湾大使館が兼轄。首相が合計3回来日している。日本はオーストラリア、カナダに次ぐ援助国であるが、両国間の貿易関係は規模が小さく、交流関係も限られている。在留邦人数は5名程度。JICAからの協力隊派遣は行われていない。小アンティル諸島の島々は全て日本より13時間遅れでサマータイムは採用していない。<br /><br />船が着いたのは、北側にあるセントキッツ島。セントクリストファー島とも呼ばれ、国の中心地となる島。面積は176平方kmで、人口は約4万6,000人。中心地は首都のバセテール。火山島で、深さ227mのクレーターがある標高1,156mのリアムイガ山(Mount Liamuiga)がこの島かつこの国の最高峰。島の最南端の半島にグレートソルト池(Great Salt Pond)と云うこの島最大の湖がある。南側の最狭部3㎞のナローズ海峡(The Narrows)を挟んでネイビス島がある。かつては砂糖製造が主産業で島の2/3はサトウキビ畑に開墾されていた。現在は観光産業が中心。1912年に鉄道が引かれ、現在も観光鉄道として走っている。世界遺産のブリムストーンヒル要塞(Brimstone Hill Fortress)の他、ペトログリフ(Petroglyph)と呼ばれる岩にかつて島に定住していた先住民カリブ族が掘った線刻画も残っている。<br /><br />停泊したのはセントキッツクルーズターミナル(Saint Kitts Cruise Terminal)。首都バセテールの南岸のザンテ港(Port Zante)にある。ザンテ港は19世紀初頭に埋め立てられた場所に造られた。名前はギリシャ神話の登場人物ダルダノス(Dardanos)の子供の名前に由来している。町の中心部まで徒歩5分。クルーズターミナルは同時に3隻のクルーズ船が停泊でき、近年は年間100万人のクルーズ客を受け入れている。60を超す免税店やお土産屋が建ち並んでおり、雑貨も豊富で、リンネ類やハンカチ、テーブルクロスなどもいろいろ揃っている。ジュエリーショップも多く、日本では見られないようなデザインのアクセサリーも売られている。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4238346022902056&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />バセテール観光に続く

セントキッツ・ネイビス(Saint Kitts and Nevis)

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2020/02/19 - 2020/02/19

24位(同エリア33件中)

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年2月19日(水)、今回の旅6日目、クルーズ船では4日目の朝。この日の朝は少しゆっくり。7時半過ぎにメインダイニングへ(下の写真1)。朝食は多く頼み過ぎないように気を付けて、パニーニと目玉焼き、ベーコンにハッシュドブラウンなど(下の写真2)。朝食を食べて、のんびりしている間に8時、今回のクルーズ、3ヶ国目の港に予定通り到着。

着いた国は、セントキッツ・ネイビス(Saint Kitts and Nevis)。カリブ海(Caribbean Sea)の北東部、アンティル諸島(Antilles)の小アンティル諸島(Lesser Antilles)北部のリーワード諸島(Leeward Islands)にある国。首都はバセテール(Basseterre)。国の名前は、国を構成する主な2つの島、セントキッツ島(Saint Kitts)とネイビス島(Nevis)の名の組み合わせ。セントキッツ島はセントクリストファー島(Saint Christopher)とも呼ばれるので、セントクリストファー・ネイビス(Saint Christopher and Nevis)とも云う。正式にはセントキッツ・ネイビス連邦(Federation of Saint Kitts and Nevis)もしくはセントクリストファー・ネイビス連邦(Federation of Saint Christopher and Nevis)。両方とも公式名とはややこしい。なお、日本語ではネイビスはネービスとも表記される。

セントキッツ島の名は、コロンブス(Cristoforo Colombo)が自分の名前の由来でもある聖クリストフォロス(San Cristobal)から付けたもので、クリストファーと云う名前のニックネームがキッツなので、両方の名が未だに混在している。ただし、一説ではこの名はこの島から60㎞北西にある現在はオランダ領となっているサバ島(Saba)に付けたもので、この島は聖ヤコブ(Saint James)に由来してサンティアゴ島(Sant Yago)と名付けたが、混同されたとも云う。いずれにせよ、17世紀には現在の名前で呼ばれていた。一方ネイビス島の名は、コロンブスらがこの島を発見した時、島の最高峰の頂上が白雲に覆われている様子を見て山頂に雪が積もっていると勘違いしたことから、スペイン語で雪を意味するニエベ(Nieve)と命名され、その英語形でNevisとなった。

前の寄港地だったセントマーチン島(Saint Martin)の南南東、約85㎞に位置し、北側に大きいセントキッツ島が、南側に小さいネイビス島があり、2つの島の間にブービー島(Booby Island)と云う直径100mたらずの小さな無人の岩の島もある。国外で一番近い島はセントキッツ島の北北西約25㎞にあるオランダ領のシントユースタティウス島(Sint Eustatius)。ネイビス島の南南東約60㎞にイギリス領のモントセラト島(Montserrat)、東約80㎞に独立国アンティグア・バーブーダ(Antigua and Barbuda)のアンティグア島(Antigua)があり、その少し北に同じ国のバーブーダ島(Barbuda)がある。ざっくり云えば東が大西洋(Atlantic Ocean)で西がカリブ海(Caribbean Sea)。

熱帯サバンナ及び熱帯モンスーン気候に分類されるが、年間の平均気温は25度前後と安定している。平均の年間降水量は2400mmとかなり多い。1月から4月は乾季で比較的降水量は少ない。雨季にハリケーンの危険性があることは他のカリブ諸島と変わりない。近年では1989年のハリケーンヒューゴ(Hurricane Hugo)、1998年のハリケーンジョージ(Hurricane Georges)、1999年のハリケーンホセ(Hurricane Jose)及びハリケーンレニー(Hurricane Lenny)で大きな被害を受けている。

総国土面積が261平方㎞で(西表島とほぼ同じ)、人口が5万人余りは共に新大陸の独立国の中で一番小さい。この国も奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の子孫がほとんどだが、当初に比べると混血が増えている。公用語は英語で、実際に一番使われている。ほとんどの人がキリスト教で、英国国教会などのプロテスタント(Protestant)が多い。

1624年にセントキッツ島にイギリス人が入植を始めるまでは、他のカリブ諸島と同じで、アラワク族(Arawak)、そしてカリブ族(Caribs)が住み、1493年のコロンブスの発見以降も大きな変化はなかった。1625年にはフランスもセントキッツ島への入植を開始し、島の中部にイギリス人、南部と北部にフランス人が暮らすようになる。1626年には先住民のカリブ族が後にブラディーポイント(Bloody Point)と呼ばれるようになった場所で大虐殺される事件が起こり、その後輸入奴隷を使って砂糖農園が開拓される。1628年にはイギリスがネイビス島への入植を開始、以後時にはスペインも加わり、イギリス、フランスの争いが続き、1782年のイギリスとスペイン・フランスとの間で結ばれた、アメリカ独立戦争の講和条約であるヴェルサイユ条約(Treaty of Versailles)でイギリス領が確定した。

19世紀に入り奴隷制度が廃止され、2つの島でも3万人足らずの奴隷が解放された。イギリスのカリブ海地域の植民地の管理体制はいろいろ変わるが、1882年にセントクリストファー・ネイビス・アンギラ植民地(Saint Christopher-Nevis-Anguilla)となり、しばらく安定する。20世紀に入り、1958年にカリブ海地域のイギリス植民地をすべて併せた西インド連邦(West Indies Federation)に組み込まれるがこの連邦は4年で崩壊し、再びセントクリストファー・ネイビス・アンギラ植民地に戻る。1967年に自治権を得るが、アンギラ島が離脱、1980年に正式に分離された。1983年独立。新大陸で一番最近に独立した国となった。1998年にはネイビス島の分離独立を問う住民投票が行われ、独立賛成票が61.83%と過半数は上回ったが、成立に必要な2/3には届かなかった。

英連邦王国の一国たる立憲君主制国家で、現在の国王はイギリス女王エリザベス2世(Elizabeth II)で、その代理人として実権のない総督がいる。現行憲法は1983年9月19日の独立に伴い施行されたもの。一院制の議院内閣制で、正式名称は国民議会。定数は14議席で、総督の任命枠3議席、直接選挙枠11議席により構成される。直接選挙枠の選挙制度は小選挙区制である。任期は5年。二大政党制となっている。首相は国民議会より選出され、総督により任命される。現在(20年2月)の首相は2015年から務めているティモシー・ハリス(Timothy Harris)氏。連邦国家であり、ネイビス島には独自の自治政府と議会(一院制、8議席)が設けられている。ネイビス島議会は3議席が総督の任命枠、5議席が直接選挙枠で、選挙制度は中央の議会と同じ小選挙区制である。任期は5年。1997年に歩兵部隊及び沿岸警備隊からなる国防軍を再編し、現在の人員は約300人。

外交は親米・英の穏健外交路線。英連邦の一員であり、カリブ共同体(CARICOM)、カリブ諸国連合(ACS)、東カリブ諸国機構(OECS)加盟国。台湾承認国。2018年のGDP成長率は3.0%。主要産業は観光業と衣類、履物などの製造業。主要輸出品は電子機器、機械、飲料、たばこなど。電圧は230Vで、日本のものとはプラグ形状が異なる。

通貨はイギリス領アンギラ(Anguilla)と同じ東カリブドル( Eastern Caribbean dollar)で、通貨コードXCD、通貨記号はEC$。1US$が2.7EC$で固定。1EC$が約41円。ただし、観光客はUS$が普通に使えるので、両替の必要はない。国旗は1983年に制定されたもので、緑は国土の肥沃さ、赤は植民地時代の奴隷制から独立・解放への苦闘、黒はアフリカからの伝統、黄色は日光をそれぞれ象徴し、黒地にある2つの星は希望と自由を象徴しているとされるが、元々はセントキッツ島とネイビス島の2つの島から来たとも云われる。

セントキッツ島にロバート・L・ブラッドショー国際空港(Robert L. Bradshaw International Airport)があり、アメリカ東海岸、カナダ、プエルトリコ、イギリスやカリブ海諸国とを結んでいる。ネイビス島にもヴァンス・W・アモリー国際空港(Vance W. Amory International Airport)があり、カリブ海諸国との便が就航している。日本と同じ右ハンドル左側通行。

2003年の陸上世界選手権男子100mの金メダリスト(10秒07)のキム・コリンズ(Kim Collins)はセントキッツ島の首都バセテール生まれでセントキッツ・ネイビス国籍。ただし、生後3ヶ月からアメリカで育ったらしい。2016年には40歳で100m自己最高の9秒93を記録し、最年長9秒台記録を更新した。オリンピックは1996年のアトランタ(Atlanta)から2016年のリオ(Rio)まで続けて参加しているが、2004年アテネ(Athens)の100mと2008年北京の200mのそれぞれ6位が最高。2021年東京ではどうなるかな?

また、ネイビス島は合衆国憲法の草案者で初代財務長官のアレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton)の出身地。彼は1755年にスコットランド貴族の四男だが、ハミルトンが生まれた時はカリブ海の小さな島の一商人だった父親とフランスの改革派教会ユグノー(Huguenot)の子孫と云う母親との間に生まれる。しかし、実家は破産し零落し、孤児となり、兄と共に現在は米領ヴァージン諸島(Virgin Islands of the United States)の一部になっているセントクロイ島(Saint Croix)で働き始める。ここで彼は文才を表わし、1773年に働いていた店の店主や親戚の援助でニューヨーク(New York)の現在のコロンビア大学(Columbia University)に進む。以後、1775年のアメリカ独立戦争(American War of Independence)勃発と共に兵役に着き、ワシントン(George Washington)総司令官の副官も務めた。米国建国の父たちは皆、成功した入植者からの名門富裕層の出であったが、誇るべき家柄も無く内縁関係の両親の間に生まれたハミルトンは例外とも云える存在。米国の10ドル紙幣に描かれている。

日本は83年の独立と同時に承認し、85年に外交関係開設。在トリニダードトバゴ大使館が兼轄している。セントキッツ・ネイビスは在台湾大使館が兼轄。首相が合計3回来日している。日本はオーストラリア、カナダに次ぐ援助国であるが、両国間の貿易関係は規模が小さく、交流関係も限られている。在留邦人数は5名程度。JICAからの協力隊派遣は行われていない。小アンティル諸島の島々は全て日本より13時間遅れでサマータイムは採用していない。

船が着いたのは、北側にあるセントキッツ島。セントクリストファー島とも呼ばれ、国の中心地となる島。面積は176平方kmで、人口は約4万6,000人。中心地は首都のバセテール。火山島で、深さ227mのクレーターがある標高1,156mのリアムイガ山(Mount Liamuiga)がこの島かつこの国の最高峰。島の最南端の半島にグレートソルト池(Great Salt Pond)と云うこの島最大の湖がある。南側の最狭部3㎞のナローズ海峡(The Narrows)を挟んでネイビス島がある。かつては砂糖製造が主産業で島の2/3はサトウキビ畑に開墾されていた。現在は観光産業が中心。1912年に鉄道が引かれ、現在も観光鉄道として走っている。世界遺産のブリムストーンヒル要塞(Brimstone Hill Fortress)の他、ペトログリフ(Petroglyph)と呼ばれる岩にかつて島に定住していた先住民カリブ族が掘った線刻画も残っている。

停泊したのはセントキッツクルーズターミナル(Saint Kitts Cruise Terminal)。首都バセテールの南岸のザンテ港(Port Zante)にある。ザンテ港は19世紀初頭に埋め立てられた場所に造られた。名前はギリシャ神話の登場人物ダルダノス(Dardanos)の子供の名前に由来している。町の中心部まで徒歩5分。クルーズターミナルは同時に3隻のクルーズ船が停泊でき、近年は年間100万人のクルーズ客を受け入れている。60を超す免税店やお土産屋が建ち並んでおり、雑貨も豊富で、リンネ類やハンカチ、テーブルクロスなどもいろいろ揃っている。ジュエリーショップも多く、日本では見られないようなデザインのアクセサリーも売られている。
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バセテール観光に続く

  • 写真1 朝食時のメインダイニング

    写真1 朝食時のメインダイニング

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    写真2 朝食

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