2018/06/22 - 2018/06/22
176位(同エリア926件中)
ごまさん
平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載され、久しぶりに訪ねてみたいと思いつつ実現していませんでした。
今回は毛越寺の菖蒲が見たいと思い切って出かけました。
家族旅行で、初めて平泉に訪れたのはまだ私が高校生の時でした。
40数年前にもなります。
2度目の訪問は娘2人が幼稚園入園の年なので、30数年前です。
記憶を辿りながら出かけました。
中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。それは戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意でもありました。
清衡公は長治2年(1105)より中尊寺の造立に着手します。まず東北地方の中心にあたる関山に一基の塔を建て、境内の中央に釈迦・多宝如来の並座する多宝寺を建立し、続いて百余体の釈迦如来を安置した釈迦堂を建立します。この伽藍(がらん)建立は『法華経』の中に説かれる有名な一場面を具体的に表現したものでした。
平泉はおよそ100年近くにわたって繁栄し、みちのくは戦争のない「平泉の世紀」でした。しかし、平氏政権を倒した源義経が、兄頼朝と対立し平泉に落ちのびて間もなく、義経を保護した秀衡公が病死すると、四代泰衡公は頼朝の圧力に耐えかね義経を自害に追い込みます。その泰衡公も頼朝に攻められ、文治5年(1189)奥州藤原氏は滅亡したのです。
鎌倉時代以降、大きな庇護者をうしなった中尊寺は次第に衰退し、建武4年(1337)の火災で惜しいことに多くの堂塔、宝物を焼失しました。しかし国宝建造物第1号の金色堂をはじめ、建築、絵画、書跡、工芸、彫刻、考古、民俗の各分野にわたる文化遺産が現在まで良好に伝えられ、東日本随一の平安仏教美術の宝庫と称されています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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平泉中尊寺へ向かいます。
https://www.chusonji.or.jp/特産品プラザ らら・いわて平泉店 お土産屋・直売所・特産品
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月見坂
この杉並木の坂が長くて、登るのが息切れしてしまいます。
20代の頃に来た時も、つらかった思い出があります。
この坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。参道をのぼり始めると、両脇には江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作り参拝客を迎えます。老杉と山の空気が作り出す荘厳な雰囲気に浸りながら足をすすめると、右手には奥州藤原氏に縁の深い束稲山・北上川・衣川を眺望することができます。そば処義家 グルメ・レストラン
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今回は1人なので、あちこちより道をしてしまいます。
そば処義家 グルメ・レストラン
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お堂に立ち寄りました。
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坂の途中で立ち止まって、来た道を振り返ります。
よくここまで登って来ました。
帰りはこの道を降りていくのね!! -
お堂に立ち寄りました。
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木の根が凄いです。
つまづいたら大変ですよね。
気を付けなければ~ -
弁慶堂に立ち寄りました。
高館義経堂に主君の像があります。
高館は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれています。
https://www.motsuji.or.jp/gikeido/中尊寺 寺・神社・教会
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坂の途中にある展望台から衣川が見えてきます。
過去の記憶だと何もない、広々とした風景でしたがもう40年間ですからね。 -
木造建築を囲む、木立の緑が多いので涼やかです。
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参道をのぼり始めると、両脇には江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作り参拝客を迎えます。老杉と山の空気が作り出す荘厳な雰囲気に浸りながら足をすすめると、右手には奥州藤原氏に縁の深い束稲山・北上川・衣川を眺望することができます。
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地蔵堂
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地蔵堂
地蔵堂 寺・神社・教会
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地蔵堂の入り口
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地蔵堂
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観音堂
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観音堂
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両脇には江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作り参拝客を迎えます。老杉と山の空気が作り出す荘厳な雰囲気に浸りながら足をすすめると、右手には奥州藤原氏に縁の深い束稲山・北上川・衣川を眺望することができます。
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本坊表門
本堂の正面に建つ表門は、薬医門とよばれる形式の門です。
伊達兵部宗勝の屋敷門を移築したものと伝えられていますが、移築のいきさつは定かではありません。
(岩手県指定文化財) -
中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
https://hiraizumi.or.jp/archive/sightseeing/chusonji.html -
中尊寺
〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
TEL:0191-46-2211 FAX:0191-46-2216
中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。 奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は釈迦如来。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。 奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名です。
https://www.chusonji.or.jp/ -
清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。それは戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意でもありました。
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中尊寺本堂
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中尊寺本堂
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中尊寺の中心となる堂塔のひとつで、年間を通じて多くの法要・儀式、そして様々な行事が行われています。現在の本堂は明治42年に再建されたもので、本尊の釈迦如来坐像は丈六仏という一丈六尺の大きな仏様です。初代清衡公が中尊寺造営の折「丈六皆金色の釈迦如来」を中尊寺のご本尊様に安置したことにならい、平成25年、現在の仏様を建立・安置いたしました。本尊の両脇には伝教大師最澄様より灯りつづける「不滅の法灯」が本山延暦寺より分燈・護持されております。
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中尊寺
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中尊寺
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中尊寺
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中尊寺
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中尊寺
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中尊寺
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中尊寺
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中尊寺
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大きな岩をくり抜いた手水。
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中尊寺
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平泉観光は下記で見てください。
https://iwatetabi.jp/special/hiraizumi2016/coursedetail2.php -
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不動堂の池
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不動堂
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峯薬師堂
境内の別峯に建っていましたが、度重なる野火にあい、1689年に現在地に移されました。讃衡蔵(さんこうぞう)に安置されている丈六(じょうろく)の薬師如来(やくしにょらい)はもとはこの堂の本尊でした。堂の向かって右傍に建つ石造の宝塔(ほうとう)は12世紀のもので、重要文化財に指定されています。 -
峯薬師堂
境内の別峯に建っていましたが、度重なる野火にあい、1689年に現在地に移されました。讃衡蔵(さんこうぞう)に安置されている丈六(じょうろく)の薬師如来(やくしにょらい)はもとはこの堂の本尊でした。堂の向かって右傍に建つ石造の宝塔(ほうとう)は12世紀のもので、重要文化財に指定されています。 -
峯薬師堂
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峯薬師堂
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讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。
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金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥檀の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥檀のなかに今も安置されています。
https://play-life.jp/articles/4123 -
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金色堂
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経堂
「中尊寺建立供養願文」によると、当初は「2階瓦葺」でした。建武4年(1337)の火災で上層部を焼失したと伝えられていますが、おそらくは古材をもって再建されたものでしょう。当初のあざやかな彩りや飾りは長い歳月によってすっかり洗い流されていて、金色堂とは対照的な趣があります。
ご本尊騎師文殊菩薩(重文)と三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経(国宝)は宝物館「讃衡蔵」に移され、新たな騎師文殊菩薩が安置されています。(重文)HPより -
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旧覆堂
金色堂を風雪から護るために、正応元年(1288)鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる5間4方の堂で、古い記録には「鞘堂」とも記されています。 -
旧覆堂
「鞘」の字には「大切なものを保護するためにかぶせたり、覆ったりするもの」という意味があるからです。
松尾芭蕉をはじめとする文人墨客、あるいは伊達政宗、明治天皇といった歴史上の人物は、薄暗いこの堂内に入り金色堂を参拝したわけです。
金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在地に移築されました。
近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられ、何度かの増改築を経て、現在の建物は室町時代に建てられたと考えられています。(重文)
HPより -
大長寿院
『吾妻鏡』によれば、二階大堂(大長寿院と号す)の高さは五丈(約15m)、本尊は三丈(約9m)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8m)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれます。1189年(文治5年)、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は、鎌倉に、これを模した永福寺を建て、奥州藤原氏と源義経の霊を弔いました。現在の本堂は、1863年(文久3年)の再建。本尊は胎蔵界大日如来。 -
釈迦堂
1719年の再建で本尊は釈迦三尊(しゃかさんぞん)様です。正月6日には、中尊寺の多くの僧侶達によって正月の法要が営まれています。 -
中尊寺境内の北の奥にあります。
赤い鳥居も能舞台とともに伊達藩主から寄進されたものです。 -
弁財天堂
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弁財天堂
本尊の弁財天十五童子(べんざいてんじゅうごどうじ)は仙台藩主伊達綱村公(だてつなむらこう)の正室仙姫(せんひめ)によって1705年に寄進されたもので、堂は1716年に建立されました。また堂内には千手観音菩薩二十八部衆(せんじゅかんのんにじゅうはちぶしゅう)も安置されています。 -
金色堂
金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥檀の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥檀のなかに今も安置されています。 -
旧鐘楼
康永二年(1343)、金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調の梵鐘。撞座は長い歳月にわたる打鐘により窪み、今この鐘が撞かれることはめったにないことである。銘文には建武四年(1337)、山内の堂塔が火災により焼失した旨を刻し、奥州藤原氏以後の歴史を伝える貴重な資料でもある。径86㎝。 -
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最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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旅行記グループ 大人の休日俱楽部パスで岩手県平泉町に旅しました。
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