2018/06/22 - 2018/06/22
149位(同エリア929件中)
ごまさん
この旅行記スケジュールを元に
この旅行記はもう2年前の物ですが、投稿できないままでした。
コロナウイルスの影響で、岩手県は現在も訪れる事が難しいので思い出の中の平泉です。
平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。
久しぶりに平泉へ行きたくなりました。
今回は私1人旅です。
平泉は車いすで見て歩くのには、大変な場所が多いので主人は留守番です。
主人は元気だった頃に、既に3度平泉に旅行しています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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もう2年前の旅行記です。
那須塩原駅から出て、仙台で乗り換えます。
時間があるので待合室で待ちます。 -
仙台駅のホームから。
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いつも主人と2人で出かけ時は指定席なので、トイレに近い席を取ります。
1人で自由席に座るのは久しぶりです。
私だけならどこの席でも、座れますから楽です。 -
一関駅に着きました。
新幹線で来るのは初めてです。
家族旅行は車出来ましたからね。
これから東北線に乗り換えて、平泉駅まで向かいます。 -
一関駅に着きました。
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一関駅に着きました。
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これから東北線に乗り換えて、平泉駅まで向かいます。
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電車の中はがらがらでした。
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東北本線の駅、平泉駅前です。
平泉観光の中心地であり駅からは各種バス(イオン前沢方面の路線バス・平泉町巡回バスるんるん等。最寄のバス停まで所要約10分)、タクシー、レンタサイクルなどが有ります。 -
毛越寺ではあやめまつりが始まったばかりのようです。
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バスの時間を待つより、歩いても近いので毛越寺まで歩きました。
http://hiraizumi.or.jp/archive/sightseeing/motsuji.html -
40数年ぶりの毛越寺です。ここは山門です。
この山門は、元は一ノ関藩田村家藩邸の中門で、大正11年に寄進されました。
https://www.motsuji.or.jp/ -
こちらで手を清めます。
https://motsuji.or.jp/event/ -
昔の記憶だともっと大きな池だったような気がしました。
入り口を入って間もなく鐘つき堂があったような気もしましたが、昔は車で来たので入った場所がちがうのでしょうね。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/137787 -
本堂です。
毛越寺一山の根本道場であるこの本堂は、平安様式の建物で、平成元年に建立されました。本尊は薬師如来で、平安時代の作です。本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊守護の四天王が安置されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%B6%8A%E5%AF%BA -
大泉が池です。
浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園で、
毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、枯山水風の築山といった石組みや、池に水を引き入れる遣水など、自然の景観が表されています。日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。 -
本堂です。
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池の周りを歩くのも気持ち良さそうです。
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本堂です。
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本堂です。
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本堂です。
本尊は薬師如来で、平安時代の作です。本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊守護の四天王が安置されています。HPより -
築山です。
大泉ヶ池の南西の隅、南大門の西寄りに築山があります。池水面より約4メートルほどの高さがあり。水際から山頂近くまで大小各種の石を立て、岩山の姿を造り出しています。深い淵に臨む断崖の景観を思わせ、『作庭記』に記されている「枯山水の様」の実例と考えられています。 -
蓮の花でしょうか?
植物に疎いので、間違っていたらごめんなさい。 -
大泉が池が見えます。
爽やかで気持ち良い風が吹いているので、散策も楽しそうです。
https://www.motsuji.or.jp/keidai/ -
あやめまつりが始まったばかりなので、咲いている花が少ないです。
花菖蒲園です。
6月中旬から7月中旬まで、300種3万株の花菖蒲が咲きます。毛越寺のあやめは、昭和28年(1953年)に平泉町民の発案で開山堂前に植えたことがきっかけで、翌年には東京・明治神宮から100種100株を譲り受けます。その後、少しずつ種類も株も増やし続け、今では毛越寺あやめまつりとして一般公開しています。HPより -
あやめが綺麗に咲き始めています。
https://iwatetabi.jp/event/detail/03402/107.html -
大泉が池が見えます。
庭園の中心は、四季の美しさを映す大泉が池です。池は東西約180メートル、南北約90メートルあり、作庭当初の姿を伝えています。池のほぼ中央部に東西約70メートル、南北約30メートル、勾玉状の中島があります。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれています。昔は南大門前から中島南まで17間の反橋、金堂側から中島北まで10間の斜橋がかかっていたと古記録に記されています。橋の四隅に据えられた橋挟石や南の反橋の橋杭は残存しています。また直径27センチの大面取の橋杭は二本だけ抜き取られて、宝物館に陳列されています。これは橋の遺構としては、わが国最古のものとされます。HPより -
開山堂です。
毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる堂です。大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。HPより -
お香が焚いてあります。
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開山堂です。
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開山堂です。
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菖蒲園です。
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菖蒲園です。
6月中旬から7月中旬まで、300種3万株の花菖蒲が咲きます。毛越寺のあやめは、昭和28年(1953年)に平泉町民の発案で開山堂前に植えたことがきっかけで、翌年には東京・明治神宮から100種100株を譲り受けます。その後、少しずつ種類も株も増やし続け、今では毛越寺あやめまつりとして一般公開しています。期間中は延年の舞公演や、子ども写生会、邦楽演奏会なども開催されます。 -
イチオシ
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菖蒲園です。
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菖蒲園です。
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菖蒲園です。
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菖蒲園です。
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菖蒲園です。
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菖蒲園です。
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菖蒲園です。
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【嘉祥寺跡】
金堂円隆寺の西に、杉並木に囲まれてほぼ円隆寺と同規模の土壇があります。巨大な礎石が完存するこの建築跡は、古来嘉祥寺跡として言い伝えられてきました。嘉祥寺は『吾妻鏡』にある嘉勝寺に相当します。この堂跡は金堂円隆寺とほとんど同規模の上に、同規模同形式の廊が付属することからみて、金堂なみに高い地位であったことがわかります。慈覚大師創設とする寺伝はともかく、少なくとも基衡の円隆寺建立以前から嘉祥寺が存在していたといわれる所以です。HPより -
毛越寺の景観
http://hiraizumi.or.jp/archive/sightseeing/motsuji.html -
毛越寺の景観
浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園で、
毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、枯山水風の築山といった石組みや、池に水を引き入れる遣水など、自然の景観が表されています。 -
【金堂円隆寺跡】
基衡が万宝を尽くして建立した勅願寺で、本尊は雲慶作の丈六の薬師如来でした。毛越寺の中心伽藍で、東西に翼廊が出て南に折れ、東廊先端には鐘楼(しゅろう)が、西廊先端には経楼(きょうろう)が附属していました。基壇は石造り壇上積です。経楼は、経文を納める建物です。金堂西廊の南端、鐘楼(しゅろう)と対称の位置にありました。HPより -
毛越寺の景観
浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園で、
毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。
大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、枯山水風の築山といった石組みや、池に水を引き入れる遣水など、自然の景観が表されています。HPより -
【遣水】
池の東北側にある遣水は、池に水を引き入れるためと造られたものです。 -
【遣水】
池の東北側にある遣水は、池に水を引き入れるためと造られたものです。「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいものです。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催され、周囲の樹木とあいまって平安の雅な情景が作り出されます。HPより -
【経楼跡】
経楼は、経文を納める建物です。金堂西廊の南端、鐘楼(しゅろう)と対称の位置にありました。HPより -
浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園で、
毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。 -
毛越寺の景観
浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園で、
毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、枯山水風の築山といった石組みや、池に水を引き入れる遣水など、自然の景観が表されています。
日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、
800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。HPより -
毛越寺の景観
https://oniwa.garden/motsu-ji-temple-garden-%E6%AF%9B%E8%B6%8A%E5%AF%BA%E5%BA%AD%E5%9C%92/ -
鐘楼跡】
金堂東廊の南端に連なる建物で、雨落溝が土壇をめぐり、その水は池に注ぐように造られています。 -
鐘楼跡
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【常行堂】
現常行堂は、享保17年(1732)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建されました。堂は宝形造りで須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)がまつられています。摩多羅神は修法と堂の守護神であり、地元では古くから作物の神様として信仰されています。奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度御開帳されます。祭礼の正月20日は、古式の修法と法楽としての延年の舞が奉納されます。HPより -
鐘楼
40数年前はこの鐘を鳴らす事が出来ました。
現在は駄目なようですね。 -
鐘楼
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【常行堂・法華堂跡】
法華堂跡と伝えられる土壇の西方、40尺内外さきに、方五間茅葺方形造の常行堂が南に面してあります。この建物は享保年間に建築されたものですが、創建以来同じ位置にあるものと考えられてきましたが、発掘調査によって常行堂跡が現行の常行堂の位置とは違うことが明らかになりました。今、常行堂跡と呼ばれる遺跡は、法華堂跡土壇の南方約30尺にある土壇です。発掘調査時には大変に保存状態が悪く、残存している礎石もありませんでした。法華堂跡と伝えられる遺跡は寺域の東北隅部にあって、南北約五十尺、東西約50尺の広さの方形土壇です。土壇には23個もの残存礎石があり、周辺の玉石敷面より1.5尺ほど高かったと思われます。発掘調査により、法華堂と常行堂はそれらを結ぶ渡廊とともに、一体として計画され建築され、ある時期まで並存したと考えられています。HPより -
毛越寺の景観
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毛越寺の景観
庭園の中心は、四季の美しさを映す大泉が池です。池は東西約180メートル、南北約90メートルあり、作庭当初の姿を伝えています。池のほぼ中央部に東西約70メートル、南北約30メートル、勾玉状の中島があります。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれています。昔は南大門前から中島南まで17間の反橋、金堂側から中島北まで10間の斜橋がかかっていたと古記録に記されています。 HPより -
毛越寺の景観
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毛越寺の景観
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観自在王院跡
https://www.town.hiraizumi.iwate.jp/heritage/asset/kanji.html
国の特別史跡に指定されている観自在王院跡は、二代基衡の妻室が建立したと言われます。観自在王院は阿弥陀堂のことで、大阿弥陀堂と小阿弥陀堂がありました。大阿弥陀堂には阿弥陀如来、観音、勢至菩薩の三尊を安置し、堂内の四壁には洛陽の名所地を描き、仏壇は銀、高欄は磨金で出来ていたと言います。いかにも女性の持仏堂らしい華麗な造りであったことがうかがわれます。発掘調査によると、観自在王院跡の全容は四囲東西約120メートル、南北約240メートルで南北に長い長方形。南門を入って北には今も残る「舞鶴が池」。池は東西、南北ともに約九十メートルでほぼ正方形です。池の中央南寄りには中島があり、池西岸に荒磯風の石組。その北側には巨大な川石の石組があり、ここから滝のように水が流れていました。このように舞鶴が池は平安時代の『作庭記』の作法通りに作られていたと言われています。規模こそ小さいながらも、平安時代第1級の浄土庭園であったことがしのばれます。
観自在王院は天正元年(1573)の兵火で焼亡。現在の建物は享保年間に大阿弥陀堂跡に再建されたものです。舞鶴が池を中心とした浄土庭園の遺構はほぼ完全な形で保存され、今は史跡公園として整備されています。HPより -
https://oniwa.garden/kanjizaio-in-garden-%E8%A6%B3%E8%87%AA%E5%9C%A8%E7%8E%8B%E9%99%A2%E8%B7%A1%E5%BA%AD%E5%9C%92/
観自在王院跡は奥州藤原氏二代基衡の妻が造営した寺院の遺跡です。
大小二棟の阿弥陀堂跡の前面に舞鶴池を中心にした浄土庭園が広がり、境内の背後には金鶏山が位置しています。
世界遺産委員会は、観自在王院跡が毛越寺・無量光院跡とともに
「現世における仏国土(浄土)の象徴的な表現として造営された」資産であると高く評価しています。HPより -
観自在王院跡
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観自在王院跡
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観自在王院跡
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熊野三社
https://hotokami.jp/area/iwate/Htrtr/Htrtrtr/Dzssp/147015/
嘉保年中、奥州藤原三代藤原清衡将軍が平泉鎮護の神として五方鎮守総社を建立された際、當熊野社を平泉北方鎮守の神として熊野社を建立し、五間四面の宮造りの社殿で紀伊国より熊野権現の分身を本宮より御分霊賜り守護神として木像を安置しまた、末社に、子守社、勝手社を祀りしも元亀二年野火にて焼失し、後に末社を合祀し熊野三社と社名を改めました。焼失の際、蔵王権現木造(鎌倉時代の作)の一部(首)を以って面に改め残って居リ、當社の宝物として祀られて居ります。
明治二十四年仮宮を改築造営致して参りましたが老朽化の為、平成二十二年九月に社殿を造営し境内整備をし完成致しました。HPより -
住 所:〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立92
電 話:0191-46-2720
毛越寺、中尊寺から徒歩10分
http://www.nishi-iwai.org/ubusuna/n/n008.htm -
「平泉文化遺産センター」
http://hiraizumi.or.jp/archive/sightseeing/bunka.html
世界遺産に登録された資産を含めた“平泉の文化遺産”の魅力を、パネルや映像などでわかりやすく紹介しているガイダンス施設です。
次は中尊寺へと続きます。
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旅行記グループ 大人の休日俱楽部パスで岩手県平泉町に旅しました。
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