2020/06/29 - 2020/06/29
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ドクターキムルさん
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横浜市南区六ッ川1にある定光寺は高野山真言宗のお寺で引越山福壽院定光寺という。創建年代等は不詳ながら覺清法印が開山したと伝えられている。本尊は阿彌陀如來立像(木彫)であり、惠心作と伝えられている。
覺清法印が開山したと伝えられている高野山真言宗の他のお寺に、承安元年(1171年)に開創した寶生寺(横浜市南区堀ノ内町1)がある。覺清法印が開山であれば平安朝時代末期にまで創建年代が遡る可能性も高い。
鎌倉時代の寿永元年(1182年)には源頼朝により弘明寺(弘明寺観音)が源将軍家累代の祈願所となったために、弘明寺では檀家を取れなくなって、周辺に同じ宗派の高野山真言宗のお寺が建てられたのだとされている。しかし、開山名からはそれ以前に創建されていた可能性もある。果たして、源氏が途絶えた後、北条政子が建立した高野山真言宗西向山乗蓮寺(井土ヶ谷下町)よりも創建が古いのかどうか?古い可能性は高いだろう。乗蓮寺のある場所は北条政子が井戸を掘らせて水が湧くまでは引越村と呼ばれていた。その「引越」を山号にしているお寺であるから、村名が先なのか、山号から村名が生まれたのかは興味のあるところだ。
なお、六ッ川には江戸時代までの引越村の名を引き継いでいるのは平戸桜木道路の西にある引越坂だけだと思っていたのだが、このように山号にある寺もあることが分かった。なお、住職は檀家の苗字は戸塚の相模国にある名前が多くあり、弘明寺や中里など鎌倉街道沿いの5ヶ村にある苗字はなく、引越坂の位置からしても相模国から武蔵国に引っ越して来た者が多いのではないかと言っていた。
本堂と山門は昭和63年(1988年)に再建された。本堂の屋根には金色の鴟尾(しび)が上がっている。横浜市内では他に高野山真言宗大岡山真光寺(https://4travel.jp/travelogue/11625585)があるが、木造本堂に鴟尾(しび)が上がっている定光寺の方が落ち着きがある。また、山門の欅の柱の太さにも驚いた。永平寺の大工が担当したというが、これほどの木材を集められたことは驚きだ。また、欅の木を組むだけの技術もこの頃まではあったのだ。
境内にはサルスベリ(百日紅)の2本の木と欅の木、それに裏山山頂手前のアカガシが横浜市の名木古木に指定されている。サルスベリ(百日紅)の1本は幹が太く、笠原家(大久保2)(https://4travel.jp/travelogue/11627186/)と同じ程度の樹齢であろうか?また、樹齢600年とされるアカガシは巨木で、昔はうろがあって仏像を安置していたが、今ではウロが閉じてしまっている。
境内に庚申塚があるが、庚申塔の建立年は判読できない。
(表紙写真は定光寺本堂)
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定光寺門前。山門には擬宝珠の飾り瓦が上がる。
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「引越山 定光寺」寺号標石。
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定光寺掲示板。
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定光寺山門。欅の柱が太い。
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定光寺山門の本柱の上に渡している梁はさらに太いく、両脇に長く突き出ている。
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定光寺山門。
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定光寺山門。
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こちらにも枝垂れ桜。
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「南無大師遍照金剛」。
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お地蔵さま。
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百日紅(サルスベリ)。大きな幹だ。
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百日紅(サルスベリ)。うろになっている。しかし、2本とも同じ時期に植えられたのであろう。
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客殿。
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布袋石像。
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庚申塚。
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庚申塔。
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石碑。
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「横浜市地域史跡 根本武夷の墓」。根本武夷の墓は弘明寺裏山にあったが、京浜急行の路線が敷かれた際に定光寺に移された。
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「定光寺本堂客殿新築寄進者芳名」碑。
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霊場巡拝満願記念供養塔。
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句碑。
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欅の木。大した大きさではない。
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鐘楼。
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梵鐘。
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観音像。
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枝垂れ桜。
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「慰霊碑」。
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「戦歿者芳名」碑。
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石碑。
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十三重石塔。
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裏山の大木。
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裏山山頂付近にあるアカガシの巨木。
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アカガシの巨木。
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山門。
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定光寺本堂。
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定光寺本堂に掛かる「引越山」の扁額。
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定光寺本堂に掛かる鐘。
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