2020/06/01 - 2020/06/01
122位(同エリア517件中)
杏仁豆腐さん
5月に引き続き、安行散策3回目です。
5月の安行散策☆万葉植物園・密蔵院・安行原の蛇造り・新郷貝塚・峯ヶ岡八幡神社☆2020/05/15
https://4travel.jp/travelogue/11623292
5月の安行散策☆持宝院・西福寺・赤山城跡・赤山山王日枝神社☆2020/05/25
https://4travel.jp/travelogue/11625366
イイナパークに車を停め、歴史自然資料館からスタートしました。
金剛寺訪問は、2012年以来です。
川口 安行 小林もみじ園の紅葉☆興禅院☆金剛寺☆2012/11/25
https://4travel.jp/travelogue/10728745
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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イイナパーク駐車場。広い駐車場です。
停まっている車は数台。 -
イイナパーク川口(赤山歴史自然公園)が正式名称です。
工事中のような道を進みます。 -
子ども向け大型遊具(フワフワドーム)が見えます。
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自然の中にあります。
子供を遊ばせるにはいい場所です。 -
イイナパーク川口の施設案内。
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伊奈半十郎忠治公の像。
文禄元年(1592)~正応二年(1653)
江戸時代前期の関東代官頭(後の関東郡代)。
寛永六年(1629)、武蔵国北足立郡赤山(現・川口市)に陣屋を築き、ここを拠点として見沼溜井(見沼田圃の前身)の造成や利根川と荒川の河川改修事業を実施し、水害を防止するとともに、新田開発を推進しました。 -
川口市立文化財センター分館 歴史自然資料館です。
この日から、見学が再開されました。 -
安行式土器の展示。
「赤山陣屋と伊奈氏」、「安行の植木」、「川口の美しい四季」を中心に紹介しています。 -
赤山陣屋のジオラマ
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イイナパーク川口から源長寺に向かいます。
首都高川口線の下を通過。 -
源長寺です。
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源長寺は、鴻巣勝願寺の惣蓮社円譽不残上人を開山に迎え、関東郡代伊奈半左衛門忠次が居城に近い赤山の地にあった古寺を再興して伊奈家の菩提樹として元和4年(1618)に創建したといいます。
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伊奈氏と源長寺の説明板
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釈尊涅槃像
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水子地蔵
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板碑
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板碑について
板碑とは板石塔婆のことで、板佛・青石塔婆とよばれる。北海道から九州にかけ全国的に広く分布し、特に関東地方に最も多いが、形・材質には地方差がある。 おこりは、鎌倉時代から室町時代にかけて故人の追善供養であったが、後になると逆修供養として生前に死後の極楽往生を願って農民の間に広まる。上部を三角形にし、表面に梵字・名号・仏像などを彫り、下方に戒名・年号・建立者名などを刻む。とくに光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨の文字が目立つ。 本県の秩父・長瀞付近の青石(緑泥片岩)が利用されていることから青石塔婆の名がある。 ここの板碑は寺の境内や隣接の畑地から出土したもので之を調べることで、当時の人々の生活の様子や考え方を知ることができる。 此の中で最も古いものは、元徳二年(1330=鎌倉時代)の刻みがある。 -
庚申塔
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本尊は、阿弥陀如来坐像。
阿弥陀如来とは、無量光如来(無限の光をもつもの)、無量寿如来(無限の寿命をもつもの)とも言われています。また、阿弥陀如来は一切の衆生救済のために王位を捨てて出家し、人々を救い浄土に往生させたいと48の誓願をたて、長い間修行の後、西方極楽浄土の救主となった報身仏と説かれています。
当寺の本尊である阿弥陀如来坐像は、温顔で体躯は丸みを帯び、江戸時代初期の作品と考えられます。様式的には、藤原期に盛行した定朝様式が忠実に表現されています。木造寄木造で、法量は像高88.5cm、肘張り72.0cm、光背高142.0cmを測ります。
像の背面には「聖蓮社囧誉廬含和尚」の朱字銘が記され囧誉廬含は源長寺六世天囧の弟子で、寛文13年(1673)5月5日に僅か21歳の若狭で入寂しています。また、この銘には、彼の菩提を弔うために30両が寄進され、これを基にして本尊と光背が再興されたことが記されています。廬含に関する詳しいことは不明ですが、源長寺を再興した関東郡代伊奈氏の一族であろうと推測されています。 -
法然上人の像
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法然上人二十五霊場
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源長寺の由緒と沿革
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伊奈氏の墓所
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躑躅と伊奈氏の墓所
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源長寺を後にし、慈林薬師宝厳院に向かいます。
途中に案内板がありました。 -
慈林神社
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道路から少し上った所。誰もいなく静かです。
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慈林薬師宝厳院に来ました。
石段を上ると仁王門があります。 -
仁王門の外向きには金剛力士像。
仁王像は元禄五年(1692)、江戸馬喰町の佛師市衛門の作。その後、文政九年(1826)、明治五九年(1984)の3回修理を施したそうです。 -
金剛力士像。
宝厳院仁王門は川口市指定文化財です。 -
草履や靴が下がっていました。
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仁王門の境内側には風神雷神像。
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風神雷神像。ケヤキの一刀彫のようです。
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立派な山門です。
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山門の向こうに薬師堂が見えます。
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仁王門仁王像修復記念碑
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鐘楼
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弘法大師像
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水子地蔵
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慈林薬師堂です。
2006年に建て直しています。 -
地蔵堂
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慈林薬師宝厳院から金剛寺に向かいます。
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安行慈林の交差点を通過。
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金剛寺に到着。
茅葺きの山門。 -
山門は約400年前に構築されたもの。桃山様式を取り入れた四足門で、市内最古の棟門です。この門は川口市指定文化財です。
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見事な山門。
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茅葺が引き付けます。
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川口市指定有形文化財建造物
【金剛寺山門】
平成13年3月21日指定
この山門は、木鼻(きばな)の絵様、形式、手法などから江戸時代初期の建立と考えられます。門柱の前後に控柱を2本ずつ、左右あわせて4本立てた典型的な一間一戸の「四脚門(よつあしもん)」です。屋根は切妻造りの茅葺、基壇上の自然玉石に円柱を配し、控柱は方柱、斗きょうは簡略化されていますが、反りのある化粧垂木(たるき)、絵様付で実肘木(さねひじき)、木鼻等の渦(うず)文は古式のもので、天井は鏡天井です。棟飾りは九条の棟押えと側面2本ずつの押えで、地域的な特色が見られます。
山門の桁行は3.030m(10尺)、梁間は3.333m(11尺)、棟高は6.666m(22尺)、面積10.09㎡(3.056坪)を測ります。また、元は組もの部分が朱色、他は黒色の彩色が施されていたことから「金剛寺の黒門」と呼ばれていました。
大正12年(1923)に発生した関東大震災の後、垂木を2本取替える修理を行い、その後、本堂の修理の際に左右の袖を取り外して現在の姿になっています。 -
金剛寺は曹洞宗の寺で、明応5年(1496)に中田安斉入道安行が開基したと伝えられ、寺名も安行が金剛経を信奉していたことに由来している。
この寺は、かつては僧侶修行道場の格式を持っていたが、現在では「お灸の寺」として広く知られている。
ここの墓地には、「安行苗木開発の祖」として知られている吉田権之丞の墓がある。小松石で作られた舟形の墓石で、棹石の高さ67.5Cm、幅32Cmで中央に観音立像が肉彫され、向かって左側に「元禄16癸未年7月朔日」右側に法名の「蔭清禅定門」と刻まれている。
吉田権之丞の人となりについては、文献等の資料がないのではっきりしないが、言い伝えによると、権之丞は、若いときから草花や盆栽に興味を持ち、珍しい草木を集めてこの地に栽培したところ、土質・風土が適合し、その生育がよかったので、これらの苗木の育成に当たったという。権之丞の子孫である吉田家は、現在も安行地域で植木業を営んでいる。 -
本堂
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鐘楼
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鐘楼の横は藤棚。立派な藤棚です。
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旧本堂鬼瓦
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お地蔵さん
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イイナパーク川口に戻りました。
隣が川口PA。首都高速を利用しなくても中に入れます。
野菜など購入して、帰宅しました。
今日も暑くなり、汗びっしょりの散策でした。
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