2008/06/25 - 2008/06/27
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chiaki-kさん
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礼文島は日本最北(*)にある有人島。利尻山のような高い山は無いが、海抜0mから200種類以上の高山植物が植生しており、別名”花の浮島”として有名。
表紙の写真はレブンウスユキソウの群生地から見た島の西側風景。エゾカンゾウやウドの花が咲く谷の麓に元治漁港が見える。
(*) 北方領土を除いて
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
6/25
「花れぶん」の部屋から眺めた礼文島・香深の町と香深港。中央のビルが「花れぶん」の姉妹ホテルである「礼文ホテル」。 -
今日、歩くのは、初心者向けの礼文林道コース。目指すはレブンウスユキソウの群生地。
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8:00 旅行のハイライトとも言える礼文島ハイキングのはじまり。中央でこちらを向いている女性が現地ガイドさん。礼文島では”花ガイド”と呼んでいる。なお、礼文林道は一般車通行可能だが、「車両の乗り入れは自粛願います」との看板あり。
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花ガイドさんが説明するのはレブンシオガマ。歩き始めて5分も経っていない。
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島内、至る所に咲いている。
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これも至る所に自生しているオオカサモチ。
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ハクサンチドリ
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ミヤマオダマキ
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ミヤマキンバイ
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クルマバソウ
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次第に林道の周囲に樹木が無くなってきた。
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この大きなササはチシマザサというそうだ。明治時代に樹木が伐採されたこともあり、島全体を覆っている。
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チシマフウロ
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センダイハギ
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後ろを振り返るとこんな感じ。
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レブンウスユキソウの群生地が近くなった。
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礼文島の稜線に出る。前方に小山が見えるが、そこがレブンウスユキソウの群生地。
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日本海側の眺めが素晴らしい。
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このように島の西側は樹木がほとんど無く、一面チシマザサに覆われている。理由は人口が増えた影響による山火事の発生や伐採により無くなってしまったらしい。
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元治漁港をUP。島の産業は漁業と観光。
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いよいよレブンウスユキソウの群生地に入る。向こうに見える小屋はトイレ兼レンジャー小屋。
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これはつぼみ。
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レブンウスユキソウの花期は7月と8月。
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アルプスの高原に咲くエーデルワイスと同じ仲間。
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レブンウスユキソウは銀白色の毛を持つ苞葉中に黄色の頭花があり、白く光る花弁のように見えるものが葉(苞葉)で、雨や露にあたると水滴が浮かび、しっとりと濡れて光る気品の香る花。
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群生するレブンウスユキソウ。ちなみに礼文町の町花。
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レンジャー(自然監視員)小屋が一般トイレとなっており、長蛇の列に。なお、手前のRAV4は監視員さんの車。
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花ガイドさんとお別れして再びバスに乗り、目指したのは最北限のスコトン岬。
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スコトン岬。岬の先にある島はトド島という名の無人島。オオカサモチが群生。
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最北限が近づく。手前右下に見える建物は最北限の宿「民宿スコトン岬」。
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最北端では無い理由は、詳しい測量により宗谷岬の方が僅かに北に位置することと、北方領土である択捉島のカモイワッカ岬の方がさらに北に位置していることが判明した為で、それ以降スコトン岬は「最北限」を名乗るようになった。
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「民宿スコトン岬」。よくぞこんな場所に建ててくれました。トリップアドバイザーによると、アザラシの見れる宿「民宿スコトン岬」は、礼文町で4番目に人気の宿泊施設だそうだ。
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スコトン岬を後にバスで10分ほど移動した先は、澄海岬(すかいみさき)。
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中島みゆきさんが歌うDr.コトー診療所の主題歌「銀の龍の背に乗って」のPVのロケ地としても知られる。ちなみに「Dr.コトー診療所」は礼文島とは真逆の沖縄県・与那国島で撮影されたTVドラマだが、南国を思わせる風景が良かったのだろう。
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立ち位置はこの辺だったはずだが、ここで撮影した「銀の龍の背に乗って」のPVは、現在YouTube内では見つからない。国立公園内は、やはりまずいのかも。
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岬の先は、このような奇岩が連なっている。
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澄海岬に行く途中に「レブンアツモリソウ」の群生地があるのだが、残念ながら今年の鑑賞は終了。柵から先は立ち入り禁止となっていた。1994年に「特定国内稀少野生動植物種」(いわゆる絶滅危惧種)に指定されており厳重に保護されている。
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再び香深港に戻り、14:20発の利尻島行きのフェリーに乗り込む。写真は香深港より眺めた利尻島と迎えにきたハートランドフェリー30便。
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礼文島よさらば~
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利尻島が近づくにつれて、それまで無彩色だった島が緑色を帯びてきた。
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利尻町沓形(くつがた)港に上陸しから、最初に停車したのは島の南側にある仙法師御崎公園自然水族館。南側から見た利尻山に感激!
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アップで撮るとその険しさがわかる。ちなみに利尻山への登山ルートは沓形コース、一般的な鴛泊(おしどまり)コース、そして鬼脇(おにわき)コースと3本あり、南側から登る鬼脇コースが一番厳しいそうだ。
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利尻バフンウニをつつくかもめ。
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これが本当の利尻昆布。ちなみに留萌から稚内にかけての日本海沿岸で採れる昆布はみな利尻昆布という名称になるんだそうだ。ちなみにこの利尻島あたりで採れるウニは利尻昆布を食べて成長したので味が良いとか。
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もう一度利尻富士を目に焼き付ける。
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バスで10分ほど移動した場所はオタトマリ沼。
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UPすると、確かに南(左)側の尾根の方が険しいのが解る。
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姫沼という場所から一枚。利尻富士の形が変わってきたね。
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UPすると解るが、こちらからアタックした方がガレ場が少なそう。なお、北側の沢には雪が残っている。
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17:30、鴛泊港より稚内港行きのフェリーの船上より撮影。この辺から見る利尻富士が一番綺麗な形だね。なお、高架の橋が見えるが、これは自転車道橋。
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遠ざかるにつれ再び無彩色に変わって行く利尻島。
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稚内港到着は19:30、今夜の宿舎は2カ所に分かれて宿泊だったが我々は「富士門」というペンション。稚内は泊まるところが少ないのでと添乗員さんは説明していたが、どう考えてもコストダウンとしか思えない民宿だった。(翌日撮影)
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6/26
8:00 ペンション富士門さんを出発。 -
もう一軒の宿で残りの皆さんをピックアップ。こっちの方が良さげ。
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バスは稚内の町の後ろにある丘に登って行く。
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稚内港が良く見えた。
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稚内の高台、稚内公園にある「氷雪の門」。樺太(今のサハリン)で亡くなった同胞の霊を慰める目的で建てられた。
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樺太犬訓練記念碑。ちなみに第1次南極観測隊についていったタローやジローをはじめとする樺太犬はここで訓練を受けたとのこと。
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稚内港にある北防波堤ドーム。ハマナスを入れてパチリ。
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このさら地が5月まで旧フェリーターミナルの立っていた場所。向こう側に新ターミナルが見える。
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バスは宗谷岬を目指して国道238号線を北上する。途中に樺太が島であることを確認した江戸時代の冒険家、「間宮林蔵渡樺(とかば)の地」の碑がある。死を決意しての出航だったので墓石を建てていったとのことだが、バスの窓からはどれがその墓石なのか判別できなかった。
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また来てしまった「最北端の地」。「最北端の碑」を横からみるとこんな感じ。
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間宮林蔵の像。ここで間宮林蔵についてスタディ。
1799年、幕府の下役人であった間宮林蔵は、国後役所(当時の範囲は国後島、択捉島、ウルップ島)に派遣され同地に来ていた伊能忠敬に測量技術を学び1803年、西蝦夷地を測量し、ウルップ島までの地図を作製した。
1808年、幕府の命により松田伝十郎に従って樺太を探索することとなり、樺太南端でアイヌの従者を雇い、松田は西岸から、林蔵は東岸から樺太の探索を進めた。林蔵は途中から樺太を横断して、西海岸を北上、北樺太のノテトで松田と合流した。松田と共に北樺太西岸ラッカに至り、樺太が島であるという推測を得てそこに「大日本国国境」の標柱を建てる。
翌年、林蔵は、現地でアイヌの従者を雇い、再度樺太西岸を北上し、第一回の探索で到達した地よりも更に北にある北樺太西岸ナニオーまで到達し、樺太が半島ではなく島である事を確認した。
なお、林蔵が右手に提げている筒は、当時の測量器械。 -
残念ながら、今年も樺太は見えなかった。
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すぐ近くにある「流氷館」という店。冬の名物「流氷」が屋内展示してある。なお、入場は無料。
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これが流氷館の内部、動物は剥製。温度は-10℃。外が気温が5℃なので、さほど寒さは感じなかったが、獣臭ですごかった。
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ただでは申し訳ないので日本最北端到達証明書を購入、100円也。
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再び来た道を引き返す。宗谷湾の向こうには、また利尻富士が見えて来た。
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稚内空港を左に見てR40へ。
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幌延町にある豊富温泉(とよとみおんせん)で昼食。写真はふれあいセンターだが、他の旅館は半分くらい閉鎖されていた。かつては最北の温泉として繁栄したが、今では稚内や利尻島にも温泉が出来たので静かな温泉地になってしまっている。
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幌延町からオロロンラインへ向かう途中、風力発電所と利尻富士のツーショット。
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遠別(えんべつ)の手前から天売島(てうりとう)、焼尻島(やぎしりとう)が見えてきた。
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羽幌町(はぼろちょう)の入り口あたりに置いてあるオロロン鳥(ウミガラス)の模型。この鳥も絶滅危惧種に指定されている。
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昨年も寄ったが、小平(おびら)にある旧花田家番屋で休憩。
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見納めの利尻島。ここから利尻島が見えるのは珍しいそうだ。
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18:00、札幌到着。今夜の宿はすすきの近くにある「ブルーウェーブイン札幌」という普通のビジネスホテル。夕食はフリーとなっていたので徒歩で10分ほどにある「けやき」へ。チャーシューは売り切れてしまったのでネギミソラーメンを注文するが、行列の出来る店だけあっておいしかった。
写真はお馴染み、すすきの交差点。今日はニッカおじさんだね。 -
6/27
やっとネット環境のあるホテルに泊まれたので、さっそく掲示板などに経過報告を書き込む。 -
最終日、唯一の観光は小樽のみ。小樽運河の橋の上は世界各国の観光客で賑わっていた。
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おなじみ小樽運河。
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フリータイムが1時間30分あったので、片道10分ほど歩いて旧日銀小樽支店へ赴く。今は金融資料館として使用されている(入場無料)。小樽の街の歴史の展示や、当時の大金庫などが残されており、1億円の札束を持ち上げることが出来る。(もちろんダミー)
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小樽観光後、バスは札幌へ引き返し新千歳空港へ向かうが、北広島・恵庭の間で事故があり、一時全面通行止めとなる。写真は車が1台も走っていない道央自動車道。急遽、国道経由で千歳へ向かうが、なんとか昼食と出発時間には間には合った。
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13:40、JAC2855便は新千歳空港をテイクオフ。写真は新潟県弥彦山上空を飛行中に撮影したもの。中央が信濃川分水路、左が弥彦山、右が寺泊である。
15:30、予定より20分ほど遅れてボンバルディアQ400は松本空港に着陸する。松本平の上を1回転して高度を下げたがパイロットの話では周囲を高い山に囲まれているため、離着陸の難しい空港だとのこと。
これで「2008年 利尻・礼文島 旅行記 2」は終了です。本日も最後まで古い旅行記をご覧いただき、ありがとうございます。
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