2020/05/25 - 2020/05/25
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ドクターキムルさん
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横浜市港南区笹下5にある東福寺は浄土真宗本願寺派のお寺で杉本山三月院(さんげついん)東福寺という。
天禄3年(972年)天台宗の僧護妙法印が比叡山より行基作の「薬師像」を背負い、当地に来て「妙法寺一乗寺」を創建した。
永歴元年(1160年)7月、10世の僧・明道のときに、落雷により本堂が焼失したが、本堂再建が叶わぬまま長寛2年(1164年)に明道が逝去した。村民は小堂を建て本尊薬師如来を安置した。
文治5年(1189年)に僧・密厳が、衰退を歎き堂傍に草庵を結ぶ。
密厳の弟子・密弁が親鸞の法弟となり、名を海弁と改め、浄土真宗に改宗し、それより海弁が当寺の開基になった。杉本という地名に居住した北見掃部(きたみかもん)が中興開基で、山号はその居住地に由来する。寺名は法名「春光院東福寿元居士」より東福寺とした。また、親鸞が東国布教のとき、3ヶ月逗留したため院号を三月院とする。
慶長の頃第14世海順の代、塔頭憶念寺を建立したが、いつの頃か廃絶しかかり、憶念寺の本尊阿弥陀仏如来を東福寺の本尊とし、古の薬師如来は笹松塚の堂内に移した。
大正12年(1923年)の関東大震災で本堂が倒壊した。大正11年(1922年)に建てられた書院と庫裡は無事であった。平屋建てで屋根が軽かったので倒壊しなかったのだろう。書院はその当時のままの亜鉛葺のトタン屋根である。トタン屋根の伽藍は鎌倉市内などでは見掛けるが、やはり見すぼらしいものだ。
昔から、山の頂上付近(https://4travel.jp/travelogue/11625219)まで民家(https://4travel.jp/travelogue/11625342)があり、お寺もあったので驚いた。本堂裏には墓が一列あるが、崖の先からは見晴らしが効く。
(表紙写真は東福寺本堂)
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「雑色町内会掲示板」。
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東福寺門前。
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「浄土真宗 本願寺派 杉本山 三月院 東福寺」寺号標石。
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「浄土真宗 東福寺掲示板」。
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東福寺山門に上がる飾り瓦。
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東福寺山門に上がる飾り瓦。
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東福寺山門に掛かる「杉本山」の扁額。
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「定例法座」。
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「横浜市指定有形文化財 絹本着色光明本尊図」。
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境内参道。
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庚申塔と歌碑。
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庚申塔(寛文3年(1663年)銘)。「寛文三年 卯二月廿一日」。これほど古い庚申塔なのに風化していない。
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歌碑(明治15年(1881年)銘)。「 極楽に 生れむ ことの うれしさに 南無阿弥陀仏 となえこそすれ 顕彰庵 釈海隆」。
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十三重石塔。
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親鸞上人像。
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親鸞上人像。
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「宗祖親鸞上人」碑(昭和54年(1979年)銘)。
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「お寺のお越しの方へ」。
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境内参道。
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東福寺接待所。
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「記念植樹「碑(平成2年(1990年)銘)。
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仏陀足。
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「横浜市指定有形文化財(絵画) 絹本着色光明本尊図 一幅」。
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書院。大正11年(1922年)に建てられた。屋根は亜鉛葺のトタン屋根である。
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庫裡。大正11年(1922年)に建てられた庫裡は最近になって再建されたようだ。
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花塚。
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「花塚の記」(昭和40年(1965年)銘)。
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「花塚」碑。
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石仏(天保4年(1833年)銘)。「天保四巳年…」。
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鐘楼。
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梵鐘。
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鐘楼の基盤には鐘の音がよく反響するように甕(かめ)が埋めこんである。
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「親鸞聖人御幼少像」。法然上人の幼少像(勢至丸像)は良く見掛けるが、親鸞上人の幼少像は初めてだ。
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「名木古木指定 スタジイ 横浜市」。
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住職の墓。
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歴代住職の碑。
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「やすらぎ」堂。
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東福寺本堂。昭和38年(1963年)に再建。
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東福寺本堂に掛かる「東福寺」の扁額。
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東福寺本堂に上がる浪の飾り瓦。
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東福寺本堂に上がる浪の飾り瓦。
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