2020/05/20 - 2020/05/20
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ドクターキムルさん
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横浜市港南区下永谷2に鎮座する下永谷神明社は永禄元年正月(1558年)住民が合議し、 天照皇大御神を守護神と崇め、村の中心に当たる当地にお祀りしたものである。 新編相模風土記には、「神明宮、永谷村の鎮守とす。祭礼十一月十六日村持」とあり、村民の代表が経営する神社である。それは今でも氏子に町内会が加わって祭事を行っている。
文化11年12月(1815年1月10日以降)社殿を改築した。
永野村の村社であり、明治41年(1908年)には村内の小字に散在する 各お宮(長町の八幡社・厳島社、芹が谷の白山社・天神社、八木の白旗社・日月社)を合祀した。
港南区のホームページ(https://www.city.yokohama.lg.jp/konan/shokai/rekishi/sanpodo/fdk-37.html)には「横浜市指定名木古木のモチノキ・イヌシデなどの木立」とあり、社殿が見えないほど鬱蒼とした社叢であったというが、周辺住民側に倒木することがないようにと伐採したのだという。石段の脇にはそこここに切り株が残っている。なお、拝殿横の丸太は昨年の台風で倒木した木立だという。
社殿は鉄筋コンクリート造である。社務所には旧社殿の写真が飾ってある。萱葺き屋根だ。戦後まで単に農村・山村だったこの辺りも住宅開発で急激に団地が出来、萱場などもなくなり、多くの社殿や伽藍が鉄筋コンクリート造りに変わったことを浄念寺住職から聞いた。神明社もその例外ではない。村民で持っていた萱の入会地も今ではその権利を持つ住民がどこに住んでいるのかが分からずに機能しなくなって、萱葺き屋根の葺き替えが出来なくなってしまっている。その結果、鉄筋コンクリート造の社殿に建て替えられた。
(表紙写真は下永谷神明社拝殿)
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「村社 神明社」社号標石。見ての通り、この社号標石は古くからこの場所に建っているために、この50cm角の土地は神明社に使用権がある。
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参道。
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「下永谷町内会」掲示板。小さな公園脇にある。
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平戸永谷川に架かる神明橋。
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神明橋に「平戸永谷川」のプレート。
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手水鉢。
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下永谷神明社の参道。
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石鳥居。
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注連縄飾りは塩ビ製。
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先にも長い石段。
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石灯籠の彫り物。
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石灯籠の彫り物。
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「寛政二庚戌歳」。石碑か庚申塔であろうか。
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石灯籠の彫り物。
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石灯籠の彫り物。
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石段踊り場から見下ろした参道。
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参道石段。
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斜め積の石垣。
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斜め積の石垣。
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木造の建物。
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狛犬(大正3年(1914年)銘)。
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狛犬。
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神楽殿。
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社務所。
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「神明社社務所」。
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「下永谷神明社」掲示板。
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「神明社「大規模整備」奉賛者芳名」。
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下永谷神明社拝殿。
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「下永谷神明社「建物及び境内大規模整備事業」ご奉賛のお願い」看板。
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「下永谷神明社 大規模整備事業 ご奉賛のお願い」看板。
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下永谷神明社拝殿。
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下永谷神明社拝殿。
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下永谷神明社社殿。
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絵馬掛け。
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「神明社「崇敬会」会員募集中」看板と「崇敬会」会員名簿。
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欅の木。
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寄合所。
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「忠魂碑」(昭和27年(1952年)銘)。
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「八幡宮旧跡」(昭和14年(1939年)銘)。
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「西南戦歿軍人之碑」(明治12年(1879年)銘)。
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石祠(安政4年(1857年)銘)。
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下永谷神明社本殿。
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下永谷神明社本殿。
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下永谷神明社拝殿。
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下永谷神明社拝殿。
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参道石段を見下ろす。
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