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 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。<br /><br /> マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。<br /><br /> デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。<br /><br /><br />帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~ <br />(26/08/2000-29/09/2000)<br /><br />テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~ <br />(29/08/2000-09/09/2000)<br /><br />マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~ <br />(09/09/2000-19/09/2000)<br /><br />中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~ <br />(19/09/2000-23/09/2000)<br /><br />軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~ <br />(23/09/2000-28/09/2000)<br /><br />世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~ <br />(28/09/2000-30/09/2000)<br /><br />フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~ <br />(30/09/2000-06/10/2000)<br /><br />謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~ <br />(07/10/2000-10/10/2000)<br /><br />古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~ <br />(11/10/2000-16/10/2000)<br /><br />遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~ <br />(17/10/2000-20/10/2000)<br /><br />【スケジュール】<br />2000年<br />08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊<br />08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊<br />08/28 サンディエゴ泊<br />08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~<br />08/30 ~ラパス泊<br />08/31 ラパス~<br />09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊<br />09/02 グアダラハラ~<br />09/03 ~メキシコシティ泊<br />09/04 メキシコシティ泊<br />09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊<br />09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊<br />09/07 メキシコシティ~<br />09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~<br />09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊<br />09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊<br />09/11 アンティグア泊<br />09/12 アンティグア泊<br />09/13 アンティグア泊<br />09/14 アンティグア泊<br />09/15 アンティグア泊<br />09/16 アンティグア泊<br />09/17 アンティグア~パナハッチェル泊<br />09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊<br />09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊<br />09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊<br />09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊<br />09/22 マナグア泊<br />09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊<br />09/24 サンホセ泊<br />09/25 サンホセ~モンテベルデ泊<br />09/26 モンテベルデ泊<br />09/27 モンテベルデ~サンホセ泊<br />09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊<br />09/29 パナマシティ泊<br />09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊<br />10/01 リマ泊<br />10/02 リマ泊<br />10/03 リマ泊<br />10/04 リマ~イキトス泊<br />10/05 イキトス泊<br />10/06 イキトス~リマ~<br />10/07 ~ナスカ~<br />10/08 ~アレキパ~<br />10/09 ~プーノ泊<br />10/10 プーノ泊<br />10/11 プーノ~クスコ泊<br />10/12 クスコ泊<br />10/13 クスコ泊<br />10/14 クスコ~マチュピチュ泊<br />10/15 マチュピチュ~クスコ泊<br />10/16 クスコ泊<br />10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊<br />10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊<br />10/19 ロサンジェルス~<br />10/20 ~成田空港

【復刻版】ラテンアメリカ縦断日記 6 中米街道只今疾走中 ~Nicaragua編~

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2000/09/21 - 2000/09/23

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Miyatan

Miyatanさん

 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。

 マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。

 デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。


帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~
(26/08/2000-29/09/2000)

テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~
(29/08/2000-09/09/2000)

マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~
(09/09/2000-19/09/2000)

中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~
(19/09/2000-23/09/2000)

軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~
(23/09/2000-28/09/2000)

世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~
(28/09/2000-30/09/2000)

フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~
(30/09/2000-06/10/2000)

謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~
(07/10/2000-10/10/2000)

古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~
(11/10/2000-16/10/2000)

遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~
(17/10/2000-20/10/2000)

【スケジュール】
2000年
08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊
08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊
08/28 サンディエゴ泊
08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~
08/30 ~ラパス泊
08/31 ラパス~
09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊
09/02 グアダラハラ~
09/03 ~メキシコシティ泊
09/04 メキシコシティ泊
09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊
09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊
09/07 メキシコシティ~
09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~
09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊
09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊
09/11 アンティグア泊
09/12 アンティグア泊
09/13 アンティグア泊
09/14 アンティグア泊
09/15 アンティグア泊
09/16 アンティグア泊
09/17 アンティグア~パナハッチェル泊
09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊
09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊
09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊
09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊
09/22 マナグア泊
09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊
09/24 サンホセ泊
09/25 サンホセ~モンテベルデ泊
09/26 モンテベルデ泊
09/27 モンテベルデ~サンホセ泊
09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊
09/29 パナマシティ泊
09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊
10/01 リマ泊
10/02 リマ泊
10/03 リマ泊
10/04 リマ~イキトス泊
10/05 イキトス泊
10/06 イキトス~リマ~
10/07 ~ナスカ~
10/08 ~アレキパ~
10/09 ~プーノ泊
10/10 プーノ泊
10/11 プーノ~クスコ泊
10/12 クスコ泊
10/13 クスコ泊
10/14 クスコ~マチュピチュ泊
10/15 マチュピチュ~クスコ泊
10/16 クスコ泊
10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊
10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊
10/19 ロサンジェルス~
10/20 ~成田空港

  • 9月21日(木)<br /> 国境を出発したおんぼろバスは、ひたすら悪路を走っていく。道路はそこらじゅうに穴ぼこだらけで、もう揺れること、揺れること。おまけに低地なので非常に蒸し暑い。かなり辛かった。なぜか乗客には太っちょのおばさんが多かった。何でこんなに太っているのだろうか。おばさんの八割方は、どう見ても僕よりも体重が重そうだ。男の人も顔負けである。道行くおばさんもかなり太っている。おまけに暑いので、タンクトップ姿も多く、その腕は力士並に太いので、なんか不気味だった。時々馬に乗ったカウボーイのような人が闊歩している。見渡す限りの草原と林。たまにある店とトタン屋根の家。この国は文明から遠ざかっているのだろうか。ひたすらどうしようもない悪路だったが、チナンデガを過ぎると道は急によくなった。本当に交通量は少ないし、近代的な建物はほぼ皆無である。それでもバスは疾走。途中マナグア湖が見えた。やがてマナグアに到着。本当に一国の首都なの?という感じ。マルサ・ケサダ地区にある、メサという安宿に泊まることに。部屋はこの上なく汚く、虫が入り込んでくる。それでも日本人他色々な国の人と触れ合えたし、何よりも雰囲気が家庭的で居心地がいい。でもお湯も出なければ、トイレも水洗じゃなければ、洗濯機もない。宿のおばさんの一言「ニカラグアは貧乏だから…。」 これ以上何もいえなかった…。<br /> <br /> <br />9月22日(金)<br /> 昨日着いたのが遅かったので、少しこの国の様子も見てみたいので、明日コスタリカに向かうことにする。それにグラナダで馬車を見てみたいし。<br /> <br /> でもとりあえずまず最初に、明日のバスの予約を取りに、TICABUSのオフィスへと行く。ついでに宿もTICABUSのオフィスの上にあるホテルに移動。さらにランドリーサービスも頼む。<br /> <br /> まずは手元に残ったレンピーラ(ホンデュラスの通貨)を両替できる場所を探す。実は昨日の国境越えのときに、サイクルリクシャーの自分の席の隣りに座り込んで、カンビオカンビオあまりにうるさい奴がいたので、基本的にうるさくてしつこい奴は嫌いなので、無視しつづけたら、両替の機会を逸してしまったのである。今まで旅してきた国々でも大体US$と隣りの国の通貨は両替できたので、今回も大丈夫だろうと思って銀行を探しに行く。まず宿があるマルサ・ケサダ地区の東側にある銀行に行くもののあっさりと断られる。仕方がなく、銀行が集まるプラザでエスパーニャ地区を目指して2km近い道のりを歩き始める。低地ニカラグアのこと、今回旅してきた中で一番蒸し暑くて辛い。Multi Cambioというところでも、名前の割に断られる。そこである銀行でここならできるといった教えてくれた住所を頼りに、そこまで連れて行ってくれるというおじさんを偶然発見したので、その銀行まで連れて行ってもらう。結構遠かった。でもそこでも駄目。かなり泣きたくなる。ひたすら途方に暮れる。でもそれ以上に、銀行員の冷たい態度にかなり腹を立てる。所持金が殆どなかったので、セントロに戻るバスを探す。セントロかと確認してバスに乗る。ぐるぐる回ってどこだかわからないところで降ろされる。本当に泣きそうになる。乗ったバスの運転手に行き先を告げると、とにかく乗れという。途中ここで乗り換えろという。乗り換えて指示されたバスに乗って、やっとセントロに戻ってこれた。やはりTCを両替しよう。そう思って、町中を歩く。しかし何軒聞いても、TCは両替できない。5kmくらい歩いて、プラザでエスパーニャのマルチカンビオでやっと両替が出来た。ときは既に夕方四時。今日一日って一体なんだったのであろうか。結局レンピーラは両替できなかったし。本当に今回の旅の中で最悪の一日だった。かなり凹む。<br /> <br /> メトロセントロというところまで歩いていった。果てしなく前近代的なニカラグアだったが、ここだけはかなり近代的で、国を間違えたかと思うくらいに立派だった。アメリカにあるような感じだった。<br /> <br /> TICABUSターミナルに戻ると、一人の日本人男性に会った。話を聞くとこれからホンデュラスに向かうところらしい。レンピーラとの両替を打診すると快く引き受けてくれた。彼は去年一年間かけて南米南部の国々を旅したらしく、他にもインドネシアやパプアニューギニアなどを旅していて、その話でずっと盛り上がった。気づいたら夜11時。楽しかった。彼との出会いで、今日一日のもやもやが吹っ飛んだようだ。<br /> <br /> <br />9月23日(土)<br /> 殆ど眠れなかった。それでもバスターミナル付属のホテルだったので、出発は楽だった。乗り場で一人の男の人から挨拶される。非常に濃い顔をしているのでずっと現地人だと思っていたが、実を言うと日本人だった。そして手続きをしている人の中に、金髪で頭にバンダナを巻いた見慣れた人を見かけた。アンティグアのスペイン語学校で一緒だったカナダ人のジェスである。彼は火曜日に学校の授業を終了して、途中の国は飛ばしてここに来たようである。彼はコスタリカに向かうのだが、サンホセまではいかずに途中のリベリアで降りて、そこからローカルバスを乗りついて、プラヤ・タマリンドというところに行くらしい。<br /> <br /> バスはマナグアの町を出発。マナグア市の幹線道路は整備されているが、町としてはやはりどこか閑散としている印象を受けた。朝早くて殆ど寝ていなかったので、殆ど爆睡する。何かの放送で目が覚める。どうやら国境地帯に差し掛かったようである。ニカラグア…恐らく中米で一番発展から取り残された国、そういう印象を受けた。そしてまた新しい旅の扉をノックする…。<br /><br />★エルサルバドル、ホンデュラス、ニカラグア、この三国に関しては写真が一枚もありません。治安が不安定で怖くて街中でカメラ出せませんでした。代わりに現地通貨の写真です。

    9月21日(木)
     国境を出発したおんぼろバスは、ひたすら悪路を走っていく。道路はそこらじゅうに穴ぼこだらけで、もう揺れること、揺れること。おまけに低地なので非常に蒸し暑い。かなり辛かった。なぜか乗客には太っちょのおばさんが多かった。何でこんなに太っているのだろうか。おばさんの八割方は、どう見ても僕よりも体重が重そうだ。男の人も顔負けである。道行くおばさんもかなり太っている。おまけに暑いので、タンクトップ姿も多く、その腕は力士並に太いので、なんか不気味だった。時々馬に乗ったカウボーイのような人が闊歩している。見渡す限りの草原と林。たまにある店とトタン屋根の家。この国は文明から遠ざかっているのだろうか。ひたすらどうしようもない悪路だったが、チナンデガを過ぎると道は急によくなった。本当に交通量は少ないし、近代的な建物はほぼ皆無である。それでもバスは疾走。途中マナグア湖が見えた。やがてマナグアに到着。本当に一国の首都なの?という感じ。マルサ・ケサダ地区にある、メサという安宿に泊まることに。部屋はこの上なく汚く、虫が入り込んでくる。それでも日本人他色々な国の人と触れ合えたし、何よりも雰囲気が家庭的で居心地がいい。でもお湯も出なければ、トイレも水洗じゃなければ、洗濯機もない。宿のおばさんの一言「ニカラグアは貧乏だから…。」 これ以上何もいえなかった…。


    9月22日(金)
     昨日着いたのが遅かったので、少しこの国の様子も見てみたいので、明日コスタリカに向かうことにする。それにグラナダで馬車を見てみたいし。

     でもとりあえずまず最初に、明日のバスの予約を取りに、TICABUSのオフィスへと行く。ついでに宿もTICABUSのオフィスの上にあるホテルに移動。さらにランドリーサービスも頼む。

     まずは手元に残ったレンピーラ(ホンデュラスの通貨)を両替できる場所を探す。実は昨日の国境越えのときに、サイクルリクシャーの自分の席の隣りに座り込んで、カンビオカンビオあまりにうるさい奴がいたので、基本的にうるさくてしつこい奴は嫌いなので、無視しつづけたら、両替の機会を逸してしまったのである。今まで旅してきた国々でも大体US$と隣りの国の通貨は両替できたので、今回も大丈夫だろうと思って銀行を探しに行く。まず宿があるマルサ・ケサダ地区の東側にある銀行に行くもののあっさりと断られる。仕方がなく、銀行が集まるプラザでエスパーニャ地区を目指して2km近い道のりを歩き始める。低地ニカラグアのこと、今回旅してきた中で一番蒸し暑くて辛い。Multi Cambioというところでも、名前の割に断られる。そこである銀行でここならできるといった教えてくれた住所を頼りに、そこまで連れて行ってくれるというおじさんを偶然発見したので、その銀行まで連れて行ってもらう。結構遠かった。でもそこでも駄目。かなり泣きたくなる。ひたすら途方に暮れる。でもそれ以上に、銀行員の冷たい態度にかなり腹を立てる。所持金が殆どなかったので、セントロに戻るバスを探す。セントロかと確認してバスに乗る。ぐるぐる回ってどこだかわからないところで降ろされる。本当に泣きそうになる。乗ったバスの運転手に行き先を告げると、とにかく乗れという。途中ここで乗り換えろという。乗り換えて指示されたバスに乗って、やっとセントロに戻ってこれた。やはりTCを両替しよう。そう思って、町中を歩く。しかし何軒聞いても、TCは両替できない。5kmくらい歩いて、プラザでエスパーニャのマルチカンビオでやっと両替が出来た。ときは既に夕方四時。今日一日って一体なんだったのであろうか。結局レンピーラは両替できなかったし。本当に今回の旅の中で最悪の一日だった。かなり凹む。

     メトロセントロというところまで歩いていった。果てしなく前近代的なニカラグアだったが、ここだけはかなり近代的で、国を間違えたかと思うくらいに立派だった。アメリカにあるような感じだった。

     TICABUSターミナルに戻ると、一人の日本人男性に会った。話を聞くとこれからホンデュラスに向かうところらしい。レンピーラとの両替を打診すると快く引き受けてくれた。彼は去年一年間かけて南米南部の国々を旅したらしく、他にもインドネシアやパプアニューギニアなどを旅していて、その話でずっと盛り上がった。気づいたら夜11時。楽しかった。彼との出会いで、今日一日のもやもやが吹っ飛んだようだ。


    9月23日(土)
     殆ど眠れなかった。それでもバスターミナル付属のホテルだったので、出発は楽だった。乗り場で一人の男の人から挨拶される。非常に濃い顔をしているのでずっと現地人だと思っていたが、実を言うと日本人だった。そして手続きをしている人の中に、金髪で頭にバンダナを巻いた見慣れた人を見かけた。アンティグアのスペイン語学校で一緒だったカナダ人のジェスである。彼は火曜日に学校の授業を終了して、途中の国は飛ばしてここに来たようである。彼はコスタリカに向かうのだが、サンホセまではいかずに途中のリベリアで降りて、そこからローカルバスを乗りついて、プラヤ・タマリンドというところに行くらしい。

     バスはマナグアの町を出発。マナグア市の幹線道路は整備されているが、町としてはやはりどこか閑散としている印象を受けた。朝早くて殆ど寝ていなかったので、殆ど爆睡する。何かの放送で目が覚める。どうやら国境地帯に差し掛かったようである。ニカラグア…恐らく中米で一番発展から取り残された国、そういう印象を受けた。そしてまた新しい旅の扉をノックする…。

    ★エルサルバドル、ホンデュラス、ニカラグア、この三国に関しては写真が一枚もありません。治安が不安定で怖くて街中でカメラ出せませんでした。代わりに現地通貨の写真です。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • 唐辛子婆さん 2021/12/18 00:03:09
    ニカラグアはいいところでした
    MIyatanさん

    1年暮らして毎日散歩して楽しく過ごせました。
    写真も撮れなかったのは残念でしたね。これでも見てやってくださいまし。
    https://4travel.jp/travelogue/10425201

    唐辛子婆

    Miyatan

    Miyatanさん からの返信 2021/12/20 00:58:23
    RE: ニカラグアはいいところでした
    唐辛子婆さま、はじめまして、こんばんは。

    ご丁寧にありがとうございます。中米の特に三ヵ国は物々しい雰囲気にビビってしまい、街中でカメラ出せませんでした。当時はデジカメなんてなかったです。今考えると勿体なかったなーと思っています。

    旅行記拝見いたしました。20年以上前の事なので記憶もあやふやですが、確かあんな感じだった気はします。一年間も暮らされていたんですか? すごいですね。

    これからもどうかよろしくお願いいたします。

    Miyatan

  • salsaladyさん 2020/05/29 09:54:33
    記憶の旅~が流行るコロナ自粛編~
    ☆ミレニアムの記憶を辿る素晴らしき力!ですが写真はありませんでしたか?

    ☆そうですね。当時シンガポール駐在中でしたが、デジカメは、まだ普及してなかった?

    ☆毎日二階建てバスでローカルの旅(夫が仕事中)を彷徨ってましたが、何処へ行っても金太郎飴道に同じコンドミニアムー市場ー騒々しい人たち。。。と一週間で飽きました。写真は即日(一時間?)仕上げのスピード時代でしたが、まだフィルムだった?

    ☆南米となるともっとのんびりしてたのでしょうね!メキシコ“カンクン”は如何でしたか?

    Miyatan

    Miyatanさん からの返信 2020/05/29 20:59:27
    RE: 記憶の旅?が流行るコロナ自粛編?
    salsaladyさん、こんばんは^^

    残念ながら写真撮っていないんですよ。なんかすごい怖そうな雰囲気で、カメラを出すことすら憚れたのですが、今考えると写真撮っておけばよかったなという感じです。

    デジカメは、、、まだ普及していなかったころだと思います。この時点でデジカメを持っていた人がいた記憶がありません。ちなみに、APSという特殊なフィルムを使っていました。通常の写真よりも少し横長だったのですが、残念ながらあまり普及しませんでした。多分富士フィルムだったと思います。

    ユカタン半島並びにカンクンは通りませんでした。

    確かにこういう時期なので、昔の写真を使った旅行記を作成しているトラベラーさん多いですね。ただ私の場合、この文章自体が20年前にリアルタイムに書いたものです。毎日夜に、大学ノートに殴り書きしたものを、帰国してから打ち込んで、別の自作のホームページ(ジオシティーズ)に掲載していました。ジオシティーズのホームページが閉鎖してしまったので、その文章を利用して、当時の写真をデジカメで撮影しています。

    ゆくゆくは他の旅行記も作成したいと思っているのですが、いつの日になるのかなと言う所です。

    Miyatan

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