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 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。<br /><br /> マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。<br /><br /> デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。<br /><br /><br />帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~<br />(26/08/2000-29/09/2000)<br /><br />テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~<br />(29/08/2000-09/09/2000)<br /><br />マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~<br />(09/09/2000-19/09/2000)<br /><br />中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~<br />(19/09/2000-23/09/2000)<br /><br />軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~<br />(23/09/2000-28/09/2000)<br /><br />世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~<br />(28/09/2000-30/09/2000)<br /><br />フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~<br />(30/09/2000-06/10/2000)<br /><br />謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~<br />(07/10/2000-10/10/2000)<br /><br />古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~<br />(11/10/2000-16/10/2000)<br /><br />遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~<br />(17/10/2000-20/10/2000)<br /><br />【スケジュール】<br />2000年<br />08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊<br />08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊<br />08/28 サンディエゴ泊<br />08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~<br />08/30 ~ラパス泊<br />08/31 ラパス~<br />09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊<br />09/02 グアダラハラ~<br />09/03 ~メキシコシティ泊<br />09/04 メキシコシティ泊<br />09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊<br />09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊<br />09/07 メキシコシティ~<br />09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~<br />09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊<br />09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊<br />09/11 アンティグア泊<br />09/12 アンティグア泊<br />09/13 アンティグア泊<br />09/14 アンティグア泊<br />09/15 アンティグア泊<br />09/16 アンティグア泊<br />09/17 アンティグア~パナハッチェル泊<br />09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊<br />09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊<br />09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊<br />09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊<br />09/22 マナグア泊<br />09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊<br />09/24 サンホセ泊<br />09/25 サンホセ~モンテベルデ泊<br />09/26 モンテベルデ泊<br />09/27 モンテベルデ~サンホセ泊<br />09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊<br />09/29 パナマシティ泊<br />09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊<br />10/01 リマ泊<br />10/02 リマ泊<br />10/03 リマ泊<br />10/04 リマ~イキトス泊<br />10/05 イキトス泊<br />10/06 イキトス~リマ~<br />10/07 ~ナスカ~<br />10/08 ~アレキパ~<br />10/09 ~プーノ泊<br />10/10 プーノ泊<br />10/11 プーノ~クスコ泊<br />10/12 クスコ泊<br />10/13 クスコ泊<br />10/14 クスコ~マチュピチュ泊<br />10/15 マチュピチュ~クスコ泊<br />10/16 クスコ泊<br />10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊<br />10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊<br />10/19 ロサンジェルス~<br />10/20 ~成田空港

【復刻版】ラテンアメリカ縦断日記 7 軍隊なき花と緑と民主主義の楽園 ~Costa Rica編~

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2000/09/23 - 2000/09/28

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Miyatan

Miyatanさん

 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。

 マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。

 デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。


帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~
(26/08/2000-29/09/2000)

テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~
(29/08/2000-09/09/2000)

マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~
(09/09/2000-19/09/2000)

中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~
(19/09/2000-23/09/2000)

軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~
(23/09/2000-28/09/2000)

世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~
(28/09/2000-30/09/2000)

フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~
(30/09/2000-06/10/2000)

謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~
(07/10/2000-10/10/2000)

古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~
(11/10/2000-16/10/2000)

遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~
(17/10/2000-20/10/2000)

【スケジュール】
2000年
08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊
08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊
08/28 サンディエゴ泊
08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~
08/30 ~ラパス泊
08/31 ラパス~
09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊
09/02 グアダラハラ~
09/03 ~メキシコシティ泊
09/04 メキシコシティ泊
09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊
09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊
09/07 メキシコシティ~
09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~
09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊
09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊
09/11 アンティグア泊
09/12 アンティグア泊
09/13 アンティグア泊
09/14 アンティグア泊
09/15 アンティグア泊
09/16 アンティグア泊
09/17 アンティグア~パナハッチェル泊
09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊
09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊
09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊
09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊
09/22 マナグア泊
09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊
09/24 サンホセ泊
09/25 サンホセ~モンテベルデ泊
09/26 モンテベルデ泊
09/27 モンテベルデ~サンホセ泊
09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊
09/29 パナマシティ泊
09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊
10/01 リマ泊
10/02 リマ泊
10/03 リマ泊
10/04 リマ~イキトス泊
10/05 イキトス泊
10/06 イキトス~リマ~
10/07 ~ナスカ~
10/08 ~アレキパ~
10/09 ~プーノ泊
10/10 プーノ泊
10/11 プーノ~クスコ泊
10/12 クスコ泊
10/13 クスコ泊
10/14 クスコ~マチュピチュ泊
10/15 マチュピチュ~クスコ泊
10/16 クスコ泊
10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊
10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊
10/19 ロサンジェルス~
10/20 ~成田空港

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  • 9月23日(土)<br /><br /> 中米の楽園コスタリカ。軍隊を持たぬ国コスタリカ。自然豊かな国コスタリカ。今回の旅のメインの国のうちの一つである。入国審査が終わると、今回中米で初めての荷物検査があった。かなり長い時間待たされた。でもバックの口を開けて2~3秒係官が中身をチラッと見て荷物検査は終了。<br /><br /> 一体何のための荷物検査だったのだろうか。コスタリカでは入国時に出国用のチケットを提示しないといけないと聞いていたが、何も聞かれなかった。<br /><br /> バスに乗ると、ジェスが隣の席に座ってきた。彼とお互いのことや今後の旅のことを色々と話した。まだ19歳らしい。もう少し年は上かなと思っていた。大学で航空学を専攻しているらしい。リベリアに着いたので、彼と別れた。<br /><br /> そのまままた意識を失う。気がついたら既にサンホセだった。土砂降りになる。どうしようかと思っていたら、雨はすぐにやんだ。これぞ中米の気候である。先程の彼と一緒に宿を探すことにした。ホテルインペリアルというところに泊まることにした。欧米人バックパッカーばかりである。位置も微妙で、丁度中心部のはずれにあり、この宿より北西にあるコカコーラバスターミナル地区はサンホセの中でも一番危険な地区らしい。二人で一緒に食事を摂った後、しばらく町を散策してみる。恐らく中米では一、二を争う都会であろう。中米というよりも、どことなくヨーロッパ調の町並みで、人通りも多い。ただグァテマラやエルサルバドルのようなどことなく猥雑で混沌としたエネルギーはそれほど感じられず、町の発展も成熟しつつある。そんな感じかもしれない。発展途上国というよりも、かなり先進国に近づきつつある。そのためか、周囲の中米の国よりもやや物価は高い。近代的な建物も、コロニアル調建物も店も多く、かなり過ごしやすい町、そういう印象を受けた。

    9月23日(土)

     中米の楽園コスタリカ。軍隊を持たぬ国コスタリカ。自然豊かな国コスタリカ。今回の旅のメインの国のうちの一つである。入国審査が終わると、今回中米で初めての荷物検査があった。かなり長い時間待たされた。でもバックの口を開けて2~3秒係官が中身をチラッと見て荷物検査は終了。

     一体何のための荷物検査だったのだろうか。コスタリカでは入国時に出国用のチケットを提示しないといけないと聞いていたが、何も聞かれなかった。

     バスに乗ると、ジェスが隣の席に座ってきた。彼とお互いのことや今後の旅のことを色々と話した。まだ19歳らしい。もう少し年は上かなと思っていた。大学で航空学を専攻しているらしい。リベリアに着いたので、彼と別れた。

     そのまままた意識を失う。気がついたら既にサンホセだった。土砂降りになる。どうしようかと思っていたら、雨はすぐにやんだ。これぞ中米の気候である。先程の彼と一緒に宿を探すことにした。ホテルインペリアルというところに泊まることにした。欧米人バックパッカーばかりである。位置も微妙で、丁度中心部のはずれにあり、この宿より北西にあるコカコーラバスターミナル地区はサンホセの中でも一番危険な地区らしい。二人で一緒に食事を摂った後、しばらく町を散策してみる。恐らく中米では一、二を争う都会であろう。中米というよりも、どことなくヨーロッパ調の町並みで、人通りも多い。ただグァテマラやエルサルバドルのようなどことなく猥雑で混沌としたエネルギーはそれほど感じられず、町の発展も成熟しつつある。そんな感じかもしれない。発展途上国というよりも、かなり先進国に近づきつつある。そのためか、周囲の中米の国よりもやや物価は高い。近代的な建物も、コロニアル調建物も店も多く、かなり過ごしやすい町、そういう印象を受けた。

  • 9月24日(日)<br /> OTECという学生割引ありの国際航空券を売る店へ行ってみた。でも閉まっていた。やはり日曜日だからであろうか。中央商店街のシャッターも殆どの店が閉まっている。バーガーキングまで閉まっていた。それでも朝10時を過ぎるとバーガーキングをはじめとするいくつかの店のシャッターは開いた。にもかかわらず半数以上のお店のシャッターは閉まったままである。プリット社のコーヒー農園へ行くツアーを扱っている旅行代理店を探すものの、ほとんどすべての旅行代理店までも閉まっていた。日本では考えられないような光景である。<br /><br /> 仕方がないので本屋に行く。百貨店のようなお店の中に本屋があった。この百貨店一つとっても、この国の生活レベルは先進諸国に引けを取らないだろう。中米五カ国で考えると、この国が一番豊かで生活レベルも高いだろう。そのためか他の四国と比べても物価が一番高い。特に食費は圧倒的に高い。それでも公共交通機関や宿泊費は他の国同様安い。大学の勉強の参考になりそうな本を探そうとしたが、せいぜいどの分類のコーナーにどのような本が並んでいるのかわかる程度である。本のタイトルを見ても、何がなんだかよくわからない。子供が読むような本を結局買って、スペイン語力をつけようとする。でもチラッと見た感じよくわからない。<br /><br /> 観光案内所へ行く。なんともエレディアまで行ってそこからプランテーションって言えば、コーヒー工場にいけそうだ。エレディア行きのバスに乗る。エレディアに着くものの、そこからどうやっていけばいいのかわからない。タクシーに乗る。コスタリカサンホセのタクシーは赤色で、メーター制だ。2~3km程度の道のりをゆく。メーター制なので、ぼったくられないし、実際日本円で100円かからない程度でついた。ツアーは終わっていたけど、試飲をさせてくれた。ここの人は英語が達者である。日本語が話せる女の人がいた。彼女は長崎に何年か住んでいたらしく、帰国子女というやつであろう。中南米に来て始めて日本語が達者な現地人に会った。コーヒー畑にあるコーヒーの実が赤くなる11月~12月頃に収穫して、その果実は取り除いて鶏糞と混ぜて肥料にするそうである。そのコーヒーの中の種、豆というのだろうけれども、水に24時間くらい浸した後で、天日に晒して乾燥させる。この状態では結構長持ちするらしい。これを今度は煎る。煎る時間が長いほど、カフェインの量が減り、品質も変わる。エスプレッソが一番長く煎るそうである。デカフェというのは豆をドイツの業者に送って、ドイツの機械でカフェインを取り除いてコスタリカに送り返すそうである。ドイツの業者が取り除いたカフェインを運用するので、コスタリカからの往復運送費を考えても決して高くはならないそうである。なるほどいい勉強になったと思う。実際にコーヒーを煎る工場の稼動していることが出来なかったのが少し残念だった。日本ではコーヒーの木は栽培していない。殆どが特に中南米からの輸入である。我々の知らないところでこういう事をなされていることを知って、少しだけ賢くなったような気がする一日だった。<br /><br />9月25日(月)<br /> 朝起きてからどうも体調が悪い。少し風邪気味のようだ。やはり高温多湿のニカラグアから冷涼多雨のサンホセに移動して体がなれないからであろうか。基本的に中米は熱帯に属するが、標高の高い都市が多いため、都市によって気候が全然違う。<br /><br /> 朝食を摂る。Gallo Pintoという、黒豆の混ざった黒いご飯である。コスタリカの典型的な食事である。その後昨日閉まっていたOTECに再び行く。社員の人は英語がペラペラである。国際学生証を持っていれば、サンホセ起点の特定の航空会社の運賃が格安で利用できるようである。パナマシティーからリマまでの航空券を購入しようとした。でもなぜかサンホセ~リマ間の方がパナマ~リマ間より安い。パナマに行ってみたいと言ってみると、サンホセ~リマ間のフライトはパナマシティー経由なので、パナマシティーでストップオーバーできるそうである。リマ~クスコ~プーノ~ラ・パス~サン・パウロというコースで、サン・パウロからロサンジェルスに戻るコースを想定していた。でもペルーへは空路で入る場合帰りの航空券を提示しないと入国を拒否されるそうである。ブラジルも同様である。また、サン・パウロ~リマ間のフライトは学割が効かずに、700$近く航空券代がかかるらしい。作戦を練り直さなければならない。ホテルのチェックアウトの時間が近づいていたので、とりあえずチェックアウトを済ませて荷物をフロントに預けてくる。残りの日数を考えても、リマからサン・パウロまでの道のりはかなりハードである。残金も決して豊富なわけではない。今回の旅のハイライトであるブラジルを外すべきかどうかはかなり悩んだ。でも色々と考えた末、ブラジルはあきらめることにした。チケットはサンホセ~リマの往復航空券と、サンホセ~ロサンジェルスの片道航空券を購入することになった。それを日本への帰国日にあわせてつなげた。とりあえず先が見えない旅だっただけに、先が見えて少々ほっとした。<br /><br /> モンテベルデ行きのバス乗り場に行く。やはり噂通りコカ・コーラバスターミナル地区周辺の雰囲気は少し悪そうである。モンテベルデ行きのバスに乗る。昨日買った本を読む。あたりが暗くなってきた。やがてモンテベルデが近づいてきたのであろう。道路が舗装されていなくて、電灯もない。全く宿の手配をしていないだけあってかなり不安である。やがてバスは恐らく終点に着いたのであろう。みんないっせいに降り出した。するとさっきまでの不安はすっ飛んだ。宿の勧誘の人たちが大勢群がって来た。結局バス停の向かいの“Camino Verde”というロッジに泊まることにした。安い割に部屋が綺麗で、オーナーも達者な英語で親切にツアーの相談に乗ってくれる。明日からが楽しみである。今晩は気持ちよく眠れそうだ…。<br />

    9月24日(日)
     OTECという学生割引ありの国際航空券を売る店へ行ってみた。でも閉まっていた。やはり日曜日だからであろうか。中央商店街のシャッターも殆どの店が閉まっている。バーガーキングまで閉まっていた。それでも朝10時を過ぎるとバーガーキングをはじめとするいくつかの店のシャッターは開いた。にもかかわらず半数以上のお店のシャッターは閉まったままである。プリット社のコーヒー農園へ行くツアーを扱っている旅行代理店を探すものの、ほとんどすべての旅行代理店までも閉まっていた。日本では考えられないような光景である。

     仕方がないので本屋に行く。百貨店のようなお店の中に本屋があった。この百貨店一つとっても、この国の生活レベルは先進諸国に引けを取らないだろう。中米五カ国で考えると、この国が一番豊かで生活レベルも高いだろう。そのためか他の四国と比べても物価が一番高い。特に食費は圧倒的に高い。それでも公共交通機関や宿泊費は他の国同様安い。大学の勉強の参考になりそうな本を探そうとしたが、せいぜいどの分類のコーナーにどのような本が並んでいるのかわかる程度である。本のタイトルを見ても、何がなんだかよくわからない。子供が読むような本を結局買って、スペイン語力をつけようとする。でもチラッと見た感じよくわからない。

     観光案内所へ行く。なんともエレディアまで行ってそこからプランテーションって言えば、コーヒー工場にいけそうだ。エレディア行きのバスに乗る。エレディアに着くものの、そこからどうやっていけばいいのかわからない。タクシーに乗る。コスタリカサンホセのタクシーは赤色で、メーター制だ。2~3km程度の道のりをゆく。メーター制なので、ぼったくられないし、実際日本円で100円かからない程度でついた。ツアーは終わっていたけど、試飲をさせてくれた。ここの人は英語が達者である。日本語が話せる女の人がいた。彼女は長崎に何年か住んでいたらしく、帰国子女というやつであろう。中南米に来て始めて日本語が達者な現地人に会った。コーヒー畑にあるコーヒーの実が赤くなる11月~12月頃に収穫して、その果実は取り除いて鶏糞と混ぜて肥料にするそうである。そのコーヒーの中の種、豆というのだろうけれども、水に24時間くらい浸した後で、天日に晒して乾燥させる。この状態では結構長持ちするらしい。これを今度は煎る。煎る時間が長いほど、カフェインの量が減り、品質も変わる。エスプレッソが一番長く煎るそうである。デカフェというのは豆をドイツの業者に送って、ドイツの機械でカフェインを取り除いてコスタリカに送り返すそうである。ドイツの業者が取り除いたカフェインを運用するので、コスタリカからの往復運送費を考えても決して高くはならないそうである。なるほどいい勉強になったと思う。実際にコーヒーを煎る工場の稼動していることが出来なかったのが少し残念だった。日本ではコーヒーの木は栽培していない。殆どが特に中南米からの輸入である。我々の知らないところでこういう事をなされていることを知って、少しだけ賢くなったような気がする一日だった。

    9月25日(月)
     朝起きてからどうも体調が悪い。少し風邪気味のようだ。やはり高温多湿のニカラグアから冷涼多雨のサンホセに移動して体がなれないからであろうか。基本的に中米は熱帯に属するが、標高の高い都市が多いため、都市によって気候が全然違う。

     朝食を摂る。Gallo Pintoという、黒豆の混ざった黒いご飯である。コスタリカの典型的な食事である。その後昨日閉まっていたOTECに再び行く。社員の人は英語がペラペラである。国際学生証を持っていれば、サンホセ起点の特定の航空会社の運賃が格安で利用できるようである。パナマシティーからリマまでの航空券を購入しようとした。でもなぜかサンホセ~リマ間の方がパナマ~リマ間より安い。パナマに行ってみたいと言ってみると、サンホセ~リマ間のフライトはパナマシティー経由なので、パナマシティーでストップオーバーできるそうである。リマ~クスコ~プーノ~ラ・パス~サン・パウロというコースで、サン・パウロからロサンジェルスに戻るコースを想定していた。でもペルーへは空路で入る場合帰りの航空券を提示しないと入国を拒否されるそうである。ブラジルも同様である。また、サン・パウロ~リマ間のフライトは学割が効かずに、700$近く航空券代がかかるらしい。作戦を練り直さなければならない。ホテルのチェックアウトの時間が近づいていたので、とりあえずチェックアウトを済ませて荷物をフロントに預けてくる。残りの日数を考えても、リマからサン・パウロまでの道のりはかなりハードである。残金も決して豊富なわけではない。今回の旅のハイライトであるブラジルを外すべきかどうかはかなり悩んだ。でも色々と考えた末、ブラジルはあきらめることにした。チケットはサンホセ~リマの往復航空券と、サンホセ~ロサンジェルスの片道航空券を購入することになった。それを日本への帰国日にあわせてつなげた。とりあえず先が見えない旅だっただけに、先が見えて少々ほっとした。

     モンテベルデ行きのバス乗り場に行く。やはり噂通りコカ・コーラバスターミナル地区周辺の雰囲気は少し悪そうである。モンテベルデ行きのバスに乗る。昨日買った本を読む。あたりが暗くなってきた。やがてモンテベルデが近づいてきたのであろう。道路が舗装されていなくて、電灯もない。全く宿の手配をしていないだけあってかなり不安である。やがてバスは恐らく終点に着いたのであろう。みんないっせいに降り出した。するとさっきまでの不安はすっ飛んだ。宿の勧誘の人たちが大勢群がって来た。結局バス停の向かいの“Camino Verde”というロッジに泊まることにした。安い割に部屋が綺麗で、オーナーも達者な英語で親切にツアーの相談に乗ってくれる。明日からが楽しみである。今晩は気持ちよく眠れそうだ…。

  • 9月26日(火)<br /> サンタエレーナ自然保護区に行くことにした。モンテベルデ自然保護区よりも人が少ないので、動物に会えると勧められたからだ。ツアーは7:30からで、送迎が6:45に来るから6:15に朝食だと言われた。でも実際、朝食は7:00を過ぎていた。送迎はすぐに来たが、案の定ツアーは既に始まってしまっていた。それでもすぐに追いついた。夫婦といった感じの欧米人の男女とガイドの計四人である。ガイドは非常に英語が堪能だったので感心した。行く先々でいろんな葉っぱを見せては解説してくれた。時々鳥のさえずりが聞こえる。鳥が鳴くとガイドも口笛を吹く。コミュニケーションが上手く取れていたかどうかははっきりとはわからなかった。ゆっくりゆっくりとトレイルを歩いた。ここは熱帯雲霧林と呼ばれていて、常に雲に覆われ湿度が高く、着生植物が多い。残念ながら動物に遭うことは出来なかった。<br /><br /> 終わった後しばらく休んでいた。一緒の宿に泊まっていた人たちに会った。彼らはみなオランダ人だそうだ。一緒にガイドツアーに参加した二人もオランダ人だったそうだ。それほど大きな国ではないのに、なぜかオランダ人だらけになってしまった。オランダ語を少しだけ習った。「オーイ」(こんにちは)、「ドゥーイ」(さようなら)、「ダンクウェル」(ありがとう)。さよならはまた、「ドゥイドゥイ」とも言うらしい。ずっと一人で旅していることを話した。すると「こうやって旅しながら地元の人やいろんな人とあって旅しているんだから、決して一人じゃないじゃないか。」といわれた。確かにそうである。いいことを言うものである。一人じゃないんだ…決して…。<br /><br /> 午後からはキャノピーツアーに参加した。樹上に設けられたプラットフォームからロープを滑車でわたり、樹幹を観察するというもので、元々は研究者の移動用の手段として使用されていたらしい。バンジ―ジャンプやロッククライミングで使用されているようなベルトで体をぐるぐる巻きにされる。腰やら股やらをベルトで締められてなんか変な気分である。地元コスタリカ人やアメリカ人やらイスラエル人やら色々な国の人たちが参加していた。ガイドの人がやり方を説明してくれる。彼らもなかなか英語が上手い。とりあえず隣りの木までやってみる。結構恐い。でも風を切るようで気持ちがいいし、それ以上に面白い。足元には鬱蒼として森が辺り一面に広がっている。鳥になった気分である。時には地上から50mくらいの高さをわたる。傾斜によっては猛スピードで空を駆け抜ける。またあまりにも傾斜がなだらかなところでは、途中で勢いがなくなって空中に宙吊り状態になってしまう。スピードとバランスは主に利き腕を後方にやって、ロープを掴んだりして調整する。途中で止まってしまったら自力でわたるしかない。スリル満天だったし、鳥になった気分で森の上を飛ぶことが出来て本当に楽しかった。人はたとえ文明の力によって、機械を用いて空を飛ぶことが出来ても、人間自身は何もなしでは空を飛ぶことは出来ない。人間のかなわぬ夢を叶えたようで、気持ちよかった。<br /><br />

    9月26日(火)
     サンタエレーナ自然保護区に行くことにした。モンテベルデ自然保護区よりも人が少ないので、動物に会えると勧められたからだ。ツアーは7:30からで、送迎が6:45に来るから6:15に朝食だと言われた。でも実際、朝食は7:00を過ぎていた。送迎はすぐに来たが、案の定ツアーは既に始まってしまっていた。それでもすぐに追いついた。夫婦といった感じの欧米人の男女とガイドの計四人である。ガイドは非常に英語が堪能だったので感心した。行く先々でいろんな葉っぱを見せては解説してくれた。時々鳥のさえずりが聞こえる。鳥が鳴くとガイドも口笛を吹く。コミュニケーションが上手く取れていたかどうかははっきりとはわからなかった。ゆっくりゆっくりとトレイルを歩いた。ここは熱帯雲霧林と呼ばれていて、常に雲に覆われ湿度が高く、着生植物が多い。残念ながら動物に遭うことは出来なかった。

     終わった後しばらく休んでいた。一緒の宿に泊まっていた人たちに会った。彼らはみなオランダ人だそうだ。一緒にガイドツアーに参加した二人もオランダ人だったそうだ。それほど大きな国ではないのに、なぜかオランダ人だらけになってしまった。オランダ語を少しだけ習った。「オーイ」(こんにちは)、「ドゥーイ」(さようなら)、「ダンクウェル」(ありがとう)。さよならはまた、「ドゥイドゥイ」とも言うらしい。ずっと一人で旅していることを話した。すると「こうやって旅しながら地元の人やいろんな人とあって旅しているんだから、決して一人じゃないじゃないか。」といわれた。確かにそうである。いいことを言うものである。一人じゃないんだ…決して…。

     午後からはキャノピーツアーに参加した。樹上に設けられたプラットフォームからロープを滑車でわたり、樹幹を観察するというもので、元々は研究者の移動用の手段として使用されていたらしい。バンジ―ジャンプやロッククライミングで使用されているようなベルトで体をぐるぐる巻きにされる。腰やら股やらをベルトで締められてなんか変な気分である。地元コスタリカ人やアメリカ人やらイスラエル人やら色々な国の人たちが参加していた。ガイドの人がやり方を説明してくれる。彼らもなかなか英語が上手い。とりあえず隣りの木までやってみる。結構恐い。でも風を切るようで気持ちがいいし、それ以上に面白い。足元には鬱蒼として森が辺り一面に広がっている。鳥になった気分である。時には地上から50mくらいの高さをわたる。傾斜によっては猛スピードで空を駆け抜ける。またあまりにも傾斜がなだらかなところでは、途中で勢いがなくなって空中に宙吊り状態になってしまう。スピードとバランスは主に利き腕を後方にやって、ロープを掴んだりして調整する。途中で止まってしまったら自力でわたるしかない。スリル満天だったし、鳥になった気分で森の上を飛ぶことが出来て本当に楽しかった。人はたとえ文明の力によって、機械を用いて空を飛ぶことが出来ても、人間自身は何もなしでは空を飛ぶことは出来ない。人間のかなわぬ夢を叶えたようで、気持ちよかった。

  • 9月27日(水)<br /> 今朝はのんびりした朝である。バタフライガーデンに行って、時間が余ったらコーヒー工場を見学しよう、そう思った。バタフライガーデンまで2kmくらい。だから簡単に歩いていけると言われた。ところがバタフライガーデンまでの道は、かなりの坂道だらけだった。高々2km程度の道のりが非常に長く感じられたし、本当に道が正しいのかどうか不安にもなったりした。それでも観光用地図を片手に、標識を頼りにしつつも何とかたどり着いた。待合室の端のほうに、アーミーアントがかなりの数いて少し恐かった。アーミーアントは相当危険らしく、そう言えば日本のTVでも取り上げられていた気がした。ガイドツアーが始まるまで展示室で待つように言われた。しばらくするとツアーが始まった。結局マンツーマンになった。展示室には蝶以外にもいろいろな昆虫が展示されていた。まずはヘラクレスオオカブトムシを見せてくれた。噂には聞いていたが、相当力も強いらしい。次に見せてくれたのがアズマビートルという、逆にすごく小さいカブトムシの一種。なんとも喘息に効くらしく、コスタリカの人にはこれを飼って治療している人もいるらしい。ガイドさんも一匹丸々飲み込んでいた。食べてみるかといわれたが、少し気持ちが悪くて辞めた。次にゴキブリを見せてくれる。日本のゴキブリとは違って、ばい菌は運ばないそうである。でもやっぱり気持ちが悪い。どうも平気で手掴みするガイドの気が知れない。その他色々な昆虫について解説してくれたが、どうも昆虫だけは昔からの大の苦手が直らないらしい。

    9月27日(水)
     今朝はのんびりした朝である。バタフライガーデンに行って、時間が余ったらコーヒー工場を見学しよう、そう思った。バタフライガーデンまで2kmくらい。だから簡単に歩いていけると言われた。ところがバタフライガーデンまでの道は、かなりの坂道だらけだった。高々2km程度の道のりが非常に長く感じられたし、本当に道が正しいのかどうか不安にもなったりした。それでも観光用地図を片手に、標識を頼りにしつつも何とかたどり着いた。待合室の端のほうに、アーミーアントがかなりの数いて少し恐かった。アーミーアントは相当危険らしく、そう言えば日本のTVでも取り上げられていた気がした。ガイドツアーが始まるまで展示室で待つように言われた。しばらくするとツアーが始まった。結局マンツーマンになった。展示室には蝶以外にもいろいろな昆虫が展示されていた。まずはヘラクレスオオカブトムシを見せてくれた。噂には聞いていたが、相当力も強いらしい。次に見せてくれたのがアズマビートルという、逆にすごく小さいカブトムシの一種。なんとも喘息に効くらしく、コスタリカの人にはこれを飼って治療している人もいるらしい。ガイドさんも一匹丸々飲み込んでいた。食べてみるかといわれたが、少し気持ちが悪くて辞めた。次にゴキブリを見せてくれる。日本のゴキブリとは違って、ばい菌は運ばないそうである。でもやっぱり気持ちが悪い。どうも平気で手掴みするガイドの気が知れない。その他色々な昆虫について解説してくれたが、どうも昆虫だけは昔からの大の苦手が直らないらしい。

  •  バタフライガーデンに案内してくれた。色々な蝶が辺り一帯を飛び回る。はじめのうちは縦横無尽に飛び回る蝶が近くにかすめるたびに戸惑ったが、じきになれてきた。羽が透明な蝶やら梟の目のような羽を持つ蝶、黒とオレンジの羽で毒を持つ蝶などいろんな種類の蝶がいた。確かに色が派手な蝶や動植物ほど毒をもっている傾向があるそうである。でも極めつけはやはりモルフォ蝶。羽を閉じると非常に地味だが、羽を広げるとその美しい青色にはただめを見張るばかりである。写真をとろうとするものの高い場所をものすごいスピードで飛び回ったり、木の陰にすぐに隠れるのでなかなか上手く写真が取れない。<br /><br /> やがてモンテベルデを後にする。カミノ・ベルデのオーナーは本当にいい人で、フレンドリーに色々と相談に乗ってくれた。コスタリカの人は親切で、英語が上手い人が非常に多かった。そんなコスタリカを明日去る。いい思い出を残して…。<br />

     バタフライガーデンに案内してくれた。色々な蝶が辺り一帯を飛び回る。はじめのうちは縦横無尽に飛び回る蝶が近くにかすめるたびに戸惑ったが、じきになれてきた。羽が透明な蝶やら梟の目のような羽を持つ蝶、黒とオレンジの羽で毒を持つ蝶などいろんな種類の蝶がいた。確かに色が派手な蝶や動植物ほど毒をもっている傾向があるそうである。でも極めつけはやはりモルフォ蝶。羽を閉じると非常に地味だが、羽を広げるとその美しい青色にはただめを見張るばかりである。写真をとろうとするものの高い場所をものすごいスピードで飛び回ったり、木の陰にすぐに隠れるのでなかなか上手く写真が取れない。

     やがてモンテベルデを後にする。カミノ・ベルデのオーナーは本当にいい人で、フレンドリーに色々と相談に乗ってくれた。コスタリカの人は親切で、英語が上手い人が非常に多かった。そんなコスタリカを明日去る。いい思い出を残して…。

  • 9月28日(木)<br /><br /> この間と同じサンホセのGran Imperial Hotelに泊まった。五分ほど歩いたところにある空港経由アラフエラ行きのバスに乗り込む。空港まで途中から、パン・アメリカハイウェイを疾走する。反対側の車線は大渋滞である。やはり何処の国でも朝の通勤ラッシュはあるらしい。空港に着いて、コパ航空のカウンターで手続きを済ませる。パナマへのツーリストカードもこの場で購入。5$かかった。コパ航空はどうやらパナマの航空会社らしい。乗って始めて知った。かなりの小型の飛行機である。サンホセのサンファンマリア空港も、中米の拠点とはいえかなりこじんまりとした印象を受けた。やがて飛行機は離陸。空から見たコスタリカは、緑の森やコーヒー畑に囲まれた、非常に美しい国である。こうしてロサンジェルスから始まった一ヶ月のアメリカ大陸陸路の旅は、ここサン・ホセで終止符を打ち、緑の楽園コスタリカを去り、また新たな旅路へと向かう…。<br /><br />

    9月28日(木)

     この間と同じサンホセのGran Imperial Hotelに泊まった。五分ほど歩いたところにある空港経由アラフエラ行きのバスに乗り込む。空港まで途中から、パン・アメリカハイウェイを疾走する。反対側の車線は大渋滞である。やはり何処の国でも朝の通勤ラッシュはあるらしい。空港に着いて、コパ航空のカウンターで手続きを済ませる。パナマへのツーリストカードもこの場で購入。5$かかった。コパ航空はどうやらパナマの航空会社らしい。乗って始めて知った。かなりの小型の飛行機である。サンホセのサンファンマリア空港も、中米の拠点とはいえかなりこじんまりとした印象を受けた。やがて飛行機は離陸。空から見たコスタリカは、緑の森やコーヒー畑に囲まれた、非常に美しい国である。こうしてロサンジェルスから始まった一ヶ月のアメリカ大陸陸路の旅は、ここサン・ホセで終止符を打ち、緑の楽園コスタリカを去り、また新たな旅路へと向かう…。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • pacorinさん 2020/10/16 11:26:51
    キャノピーツアー
    Miyatanさん、こんにちは

    キャノピーツアー、めちゃくちゃ楽しそうですね♪木々の間をジップラインで移動するようなイメージでしょうか?
    いつ海外に行けるようになるか謎ですが、ひっそりやりたいことリストに加えておきます。

    pacorin

    Miyatan

    Miyatanさん からの返信 2020/10/16 23:00:11
    RE: キャノピーツアー
    pacorinさん、こんばんは。

    キャノピーツアー、まさにそんな感じです。木々の間というよりは木々の上空ですね。ジップライン、とも言いますね。

    いつか意外に旅できるか、、、MAX10年と読んでいます。そこまでかかって欲しくないですが、政府は海外からの受け入れには積極的ですが、海外渡航に関してはあまり積極的には思えません。まあ、国内にお金を落とすわけでないから、当然と言えば当然かもしれません。

    日本の感染者はまだ抑えている方だと思います。あまりニュースにはなっていませんが、世界の累積感染者数の増え方はかなりです。もうちょっとで100人に一人は累積感染者になる勢いです。

    Miyatan

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