1990/10/28 - 1990/10/31
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maggieさん
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コロナ騒動で在宅時間が長くなり、パンやお菓子を焼いたり、手作りマスクを縫ったり…
何をやっても限界があります(泣)
そうだ!30年前にタイムスリップしてみよう!
と、30年前に友人3人でヨーロッパを周った旅を、ここに記してみることにしました。
この旅が私の海外旅の原点かな…
※こちらの旅行記はあくまでも30年前の振り返りですので、観光などについての情報は一切ありませんのであしからず…
その地をご存知の方は今との景色の違いを、ご存知ない方も街並みを楽しんでいただけたら嬉しいです。
この回はアテネでの滞在記です。
1990.10.28 ベオグラード→アテネ ◆車中泊
1990.10.29 ◆アテネ泊
1990.10.30 ◆アテネ泊
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★30日目(1990.10.28)
冷え切った体のまま、ブダペスト中央駅を夜中0時過ぎに出発。
朝6時半にベオグラードに到着、電車を降りて驚きました。
**日記より**
この駅はブダペストに勝るとも劣らないほど汚い…
そして何と表現していいのか、言葉が見つからない。
また、出発・到着の電車案内の掲示板が一切ない。その都度、駅員さんに確認の必要がある。
アテネ行の電車は9時半出発と確認。
それまで3時間あるが、「街歩きする」ことなど頭に一切なく、ただひたすら駅舎内で時間が過ぎるのを待ちました。
日本やカナダという、何不自由のない国しか知らない自分たち、ハンガリーでもある程度雰囲気の違いを味わったが、ベオグラードはあまりにも違いすぎてある意味カルチャーショック?を受けました。
(といっても、ベオグラードの駅しか見ていないし、この旅の後半お世話になったYさんの話では、ユーゴスラビアの海岸沿いの辺りは風光明媚な場所でヨーロッパの人たちのバカンス地として大人気、と聞きました。その地が、現在のクロアチア・スピリットなんです。)
さて、ベオグラード駅の駅舎で3時間待っている間に、ソビエト(ロシアではなくソビエト、改めて年月を感じます笑)を旅行中にこちらに立ち寄った日本人の男の子に出会いました。
彼のことを私たちは、「ソビエトの彼」と呼んでいました。モチロン、3人の時だけですが…
いよいよアテネ行の電車に乗車、ソビエトの彼も同じ電車に乗るといっていましたが、乗車の時には既にどこかへ消えていました。今夜は車中泊なので急いでコンパートメントを確保し、「さあ今夜の寝床はキープできた」とばかりにのんびり座っていると、ソビエトの彼が私たちのコンパートメントを見つけ、
「この車両は途中の駅までしか行かない!」と教えてくれ、その上直後に連結されたばかりの車両のクシェット(簡易寝台)を、私たちのためにキープしていてくれたんです。
クシェット代金…US$14(2,081ドラクマ)
**日記より**
ソビエトの彼がいなかったら、私たち、真夜中に途中の駅で降ろされ途方に暮れていただろう。
それにしても感謝!感謝!
神様!仏様!
ホントにありがとう!
そして4名クシェットで、私たち3人とソビエトの彼と一緒にアテネへ向かうことになりました。 -
★31日目(1990.10.29)
《1ドラクマ約0.9円》
ベオグラードを出発して約23時間後の翌朝9時前にアテネに無事到着しました。(ベオグラードとアテネは1時間の時差アリです)
この後ソビエトの彼のことは記憶もなく、また日記にも書かれていないんです(汗)
あんなに感謝してもしきれないほど感謝したはずなのに、我ながら冷たいもんや…
きっと、アテネ駅で別れたのかと。
アテネ駅からバスに乗ってシンタグマ広場のインフォメーションへ。ユースホステルの場所を確認し直接行ってみたが、門が閉まっていて出入りができない。
仕方なく隣にあったスナックバーのようなとこで休憩。約1日ぶりにまともに飲み物を口にした。
その後無事ユースにチェックイン(800ドラクマ/1泊)し、明日乗る予定のエーゲ海1日クルーズとアテネからイタリアへ渡る船のチケットを購入しに行く。そして楽しみにしていた「パルテノン神殿」へ。
それにしても連泊で電車で寝れるなんて、やっぱり若い証拠です。今なんて1泊でも無理でしょう、きっと。
いや、1泊でも嫌や!!
この写真は丘の上からの風景 -
おおーーーー!これがパルテノン神殿ねーーーー!
この目で見てみたかったーーー!
紀元前に作られたものが修復を重ねてるとはいえ、今この時代にも現存し世界中のたくさんの人が見てるなんて、本当に凄いことですよね!
ここではたくさんの日本人ツアー客に出会いました。 -
パルテノン神殿バックに記念撮影です。
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ギリシャ国旗
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これは角度を変えて撮ったのかな?
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そろそろ陽が落ちてきました。
かなり長い時間、この空間で古代ギリシャの時を楽しんでいました。 -
この日の夜は久しぶりの外食。贅沢できるのはホントに限られているので、思い切りタベルナでの食事を楽しみました。(夕食代:910ドラクマ)
どこにあるお店か、また店名も日記になく覚えていませんが、地下にある洞窟のような素敵なお店だったのは覚えています。
お料理の写真はありませんが、↓こんな物を食べたようです。が、この説明が正しいかどうかはわかりません…笑
**日記より**
ムサカ(なすのミンチ挟み)とスブラギ(牛の串焼き)、そして柿の葉にミンチをくるんでクリームソースをかけたような物を食べた。めちゃくちゃ美味しかった~~~!もう大満足!!
でしょうね、毎日殆どパンと水ですから(笑) -
お店前で撮った写真のような気がしますが…
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★32日目(1990.10.30)
この日は1日エーゲ海クルーズを楽しみました。(クルーズ代金:3500ドラクマ)
**日記より**
朝7時過ぎユースを出発、バスに乗ろうとバス停に行ったが通勤時間と雨が重なった為か、どのバスも満員で停まってくれない。20分ほど待ったがバスに乗れないので、歩いてシンタグマ広場へ向かう。が、歩いても歩いても広場に出ない、必死に早歩き、が徐々にダッシュに変わり朝からホントにハードなトレーニングのよう(笑)
7時50分に広場のバス停に到着したが、クルーズ船乗車の為のバスが見当たらない。チケット売り場のおじさんに尋ねると、道路の反対側がバス停とのこと。
なんとかギリセーフでバスに乗車できた。
若い時でよかった!今ならこんなに朝からダッシュなんて不可です… -
クルーズ船に乗車した時には昨晩からの雨もすっかり上がり快晴。
陽射しが強く、肌がじりじりと焼けて行くのがわかる感じです。
デッキの上で絵ハガキを書いたり、ウトウトしたり、オーストラリアから来ているご夫婦とお喋りしたり、3人で思い思いの時間を過ごしました。もちろん、エーゲ海の風を受けながら。
そしてまるで向こうから、ジュディオングの歌声が聞こえてきそうです♫ -
船では貴重な体験をさせてもらうこともできました。
なんと、船長室で舵を取らせてもらったのです。異国の地から来た若い娘3人が珍しかったのか、立派な口ひげの船長さん(?)が声をかけて下さったのです。今思うと、そんなことしていいの?とか思いますが、あの頃は色んなことが自由だったんでしょうか?それともお国柄? -
陽が射す海面がキラキラ眩しい
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デッキで記念撮影
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島が見えてきました
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カモメが頭上をにぎやかに飛んでいます
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イドラ島(Hydra)
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この島で下船します。
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透き通った水がきれい
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あちこちにロバがたくさん
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あんなテラス席で食事したら美味しいやろなーーー♪
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イドラ島は島全体に家がびっしりと建っていて、道が狭く人がギリギリ行きかえるくらいなので、島内は車やバイクなどは一切禁止されています。
ですが、坂道も多くその上石畳なので人の移動(観光)や、荷物の運搬のためにたくさんのロバがいるそうです。 -
こんな路地も階段です。
この頃にはすでに裏路地大好きだったようです。 -
いい感じ
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たくさんの荷物が乗った船。
星条旗とメープルフラッグ、そしてギリシャ国旗が付いてます。この船で旅してるのかな? -
またまた裏路地歩きです♡
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路地裏歩き
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日陰で休むロバと日向ぼっこの猫が対照的。
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白壁が満開のブーゲンビリアで華やか
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右はお土産屋さんのようです
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新聞を読むオジサマがとっても素敵でした☆
のんびりした雰囲気のイドラ島がとても気に入りました。
人もあたたかくてgood☆ -
1日クルーズで3島巡ったようですが、イドラ島が一番良かったと書いてありました。他の島の名前が書かれてなくて、どの島に行ったのかは不明です。
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船の前でこんな市が出ています。
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1日かけての島めぐり。
旅を始めて約1か月、疲れが癒されました。 -
残念ながら乗船した船の写真がありません…
**日記より**
帰りの船での3人の会話。
「あんなロケーションでプロポーズされたら、相手が誰でも有無を言わず、OKするよね」
■えっ!?誰でもいいん?まあ、そんなこともなくフツーに結婚した結末(今)を、当然ですがその時は3人とも知りません…
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねもさん 2020/05/24 20:31:47
- 旅は続く
- maggieさん
そりゃ30年前に東洋からの3人娘は、超・珍しく、超チャーミングだったと思いますよ。
しかも連日の夜行列車(+パンと水だけ?)!? よくこんな強行軍に3人の意見は一致したものだと感心します。
ソビエトの彼も今も旅を続けているのでしょうか? この旅行記を見て連絡してきたりして(笑)
- maggieさん からの返信 2020/05/25 13:52:01
- RE: 旅は続く
- ねもさん
早々のコメントありがとうございます♪
そうですね、チャーミングだったかはわかりませんが超珍しかったでしょうね。
この旅行の間、日本人女子のパッカーには会いませんでしたから。
ほんと今思えば凄い強行軍ですよね〜〜〜、今でも友人とは「よく周ったよね…」と話します(笑)
ソビエトの彼、どうしているんでしょうね(笑)
maggie
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