2019/11/16 - 2019/11/16
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mochimochi_kingdomさん
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小学生の時にハマったアニメ「忍者ハットリくん」。2017年にハットリくんのふるさとである伊賀市を旅しました(https://4travel.jp/travelogue/11296707)。で、ハットリくんのライバルはケムマキケムゾウ君。ケムマキケムゾウ君は、ハットリくんが伊賀流に対して甲賀流の忍者。小学生の時は、伊賀が何処で、甲賀が何処?なんて全く気にしていませんでした。しかし、2017年に伊賀を旅した時、甲賀が県境を挟んで隣同士である事を知り、「いつか行ってみよ~」と流していました。そして、時は流れ2019年夏。。。
☆雑誌で「MIHO MUSEUM」の記事を見る。「綺麗だな~。どこにあるんだろう?」
⇒信楽。甲賀市だ!
☆秋からのNHK連続テレビ小説は信楽が舞台の「スカーレット」
⇒信楽。甲賀市だ!
☆新聞で「古くから伝わる洋剣が実は日本の刀工によって造られたことがわかった」という記事。記載されていた写真を見て「恰好いい!どこで見られるの?」
⇒水口。甲賀市だ!
意図せず、身の回りで同時多発的に「甲賀ネタ」が発生。なんだか不思議なきっかけで、晩秋の甲賀エリアを旅してきました。
■日程
◇2019年11月15日(金)
東京→米原→草津→甲賀
・MIHO MUSEUM
・Ogama
・玉桂寺
・信楽陶苑
◆2019年11月16日(土)
・旧東海道水口宿
・甲賀流忍術屋敷
・水口歴史民俗資料館
・火頭古神社
・甲賀温泉 やっぽんぽんの湯
甲賀→草津→米原→東京
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おはようございます。
2019年11月16日(土)晴れ
良い天気なんだけどね。寒い。 -
8:00 エネルギーチャージ(朝ご飯)をして行動開始。
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正面の古城山にある水口岡山城跡を目指す。
水口岡山城
<from 案内板>
1585年(天正13年)豊臣秀吉の家臣、中村一氏により築城される。城は、豊臣政権の地域支配の拠点として東海道を見下ろす要衝の地に築城され、水口城と呼ばれていた。1600年(慶長5年)の関ケ原の合戦の後、当時の城主、長束正家が西軍側に同調したために廃城となり、その後は、徳川政権による直轄支配は始まった。1634年(寛永11年)将軍家の宿館として新たに築かれた水口城には、この城の石垣の石材が転用されたあとされている。 -
途中、近江鉄道水口駅構内を横切る。無人駅だからできる技だね。
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「水口岡山城址登山口」の標識。登り始める。登山って心構えで来てはいないんだけど・・・。
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しかし、容赦なく登山の様相になる。
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曲輪(くるわ)跡
「曲輪」は近世のお城で言うところの「丸」に相当するらしい。なので、ここは「二の丸」「三の丸」と、いったところかな? -
本丸石垣跡
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本丸跡(と、考えられている)
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頂上からは水口の街を一望。
登山をしたからね、しばし休憩。 -
ここからは、旧東海道水口宿を江戸側から京側へ向かって歩きます。
水口宿
東海道50番目の宿場町。室町時代以降、宿駅の機能を有するようになった。 -
東見付(江戸口)跡
見付とは近世城郭の門など、外と接し警備を行った場所。ここが水口宿の東端で「江戸口」となったのは、野須川の河原に沿って通じていた東海道が、山手に付け替えられ宿の東端が整備された1605年(慶長10年)以降。 -
旧水口宿脇本陣
脇本陣→サブ本陣で合っているかな?
19世紀前半の建築と考えられている。現在残るのは一部のみ。元は水口宿一番の大きな町屋だった。 -
高札場跡
「お達し」を公示する掲示板。町の中心の人目のつきやすい、辻・橋詰・出入口等に設置された。
水口宿の特徴は3本に道が分かれる「三筋町」。ここは左へ。 -
で、今度は右。
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問屋場跡
問屋場は、宿駅本来の業務である人馬の引継ぎを手配したところ。宿駅の中核的施設として公用貨客を次の宿まで運ぶ伝馬と人足を用意した。 -
水口宿は古城山(水口岡山城址)の麓に沿って発展。
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旧水口図書館
心斎橋の大丸本館を設計したW.ヴォーリズの作品。
1923年(昭和3年)落成。1970年(昭和45年)まで町立図書館として利用された。2001年(平成13年)国の有形文化財建造物に指定され修復。当時の姿を復元。 -
内部の公開は毎月第2・4日曜日の10:00~16:00のみ。
でも、外観の写真を撮っていたら掃除をしてた方が「中も見ていきなよ!」って声をかけてくれた!
では、お言葉に甘えて。。。 -
<from パンフレット(抜粋)>
ヴォーリズは特定の様式にこだわらず、使い手の立場を大切にするところに力を注いだ。簡素でありながら、清潔感にあふれ、しかも高い実用性を備えていることに特徴があります。旧水口図書館は住宅のような小規模な建物ですが、シンプルな中に玄関やバルコニー、塔屋上のランタンなどに「知の館」にふさわしいデザインがみられます。 -
竣工式 1928年(昭和3年)10月25日
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大正時代の図書館内部の様子
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昭和30年末の古城山
ハゲ山状態。理由は水口町役場を新築するために伐採したから。ちょっと乱暴じゃない? -
前回の東京オリンピックの聖火リレーの様子
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この建物は、水口出身の実業家 井上好三郎がヴォーリズに設計を依頼。町へ寄付した。当時の経済人は社会貢献にも一生懸命だったんだね。
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期待していなかった内部の見学もできて大満足。
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石橋
(ちょっと分かりにくいけど、真ん中の小さな橋)
江戸時代初期はここが水口宿の京都側の入口「京口」だった。水口はこの石橋を境にして、水口岡山城の城下街として整備された以東(奥側)と、寛永年間以降、水口城の築城に伴って発展した以西(手前側)に分かれる。
ここから、江戸・日本橋へ約445キロ、京・三条大橋へ約50キロ。 -
水口曳山まつり
水口神社の春祭りで、江戸時代の享保年間(1716年~1735年)に発展した祭礼。町ごとに大きな曳山があり、祭りでは曳山に灯篭が飾り付けられ、祭りばやしが鳴り、水口神社へゆっくりと渡行する。
現在16基の曳山があり、この様な「曳山蔵」で保管されている。 -
曳山蔵の扉には町ごとの曳山のスペックがイラストで紹介されている。
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扉が開いている曳山蔵があった。
例えば大原町の曳山は、幅:2.93m、全長:3.93m、高:5.23m、車径:1.32m、という大きさ。 -
水口城天王口跡
この場所に水口城の東端にあたる「天王口御門」があった。もともと直進していた東海道も、水口城の拡張に伴って、ここで直角に曲がり(右手)水口城の北側を迂回した。 -
力石
東海道に面した曲がり角に伝わる大石(写真だと小さいけど)。江戸時代から有名で浮世絵師国芳が錦絵の題材にもしている。東海道は右からこの角を左手に進む。 -
百間長屋跡
東海道沿いには下級武士達が隣り合って住んでいた。東海道に面した側には出入口はない。これは敵が攻めてきたときに城内と藩邸を守る防御壁としての役割をもっていた。 -
高い所にある小さな窓を「与力窓」と言い、買い物などはこの窓から首を出して東海道を行き来する物売りに紐につけたザルなどにお金を入れ、その金額に見合う品をザルにいれてもらって、それを引き上げる方法で買い物をしていた。
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一里塚跡
一里塚は、街道の両側に一里(約4キロ)ごとに置かれた。日本橋を起点に整備された一里塚は水口宿では3か所あった。 -
西見附(京口)跡
水口宿の西の端。「京口」と呼ばれる。木戸や番屋が置かれ宿場の防犯施設になっていた。これで、旧東海道水口宿の東端(江戸口)から西端(京口)まで歩いた。石橋より東側のエリアの方が古く落ち着いた雰囲気だったかな。 -
水口城跡
1634年(寛永11年)徳川三代将軍家光が上洛に先立ち、道中となる水口に京都二条城を模した宿館を築かせた。これが水口城。その後は、幕府が任命した城番が管理する番城となったが、1682年(天和2年)には加藤明友が入封し水口藩が成立。水口城はその居城となり明治維新に至る。明治維新後は本丸を除いて撤去された。堀には注水抗はないが、水が枯れることがない事から別名「碧水城」と呼ばれる。1972年(昭和47年)滋賀県の史跡に指定された。 -
水口歴史民俗資料館
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江戸時代後期の水口宿の様子。右が「江戸口」左が「京口」。三筋に分かれた道の真ん中を歩いてきた。
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水口レイピア
江戸時代初期(17世紀前半)に作られたとされる、国内に現存する唯一のレイピア(洋剣)。加藤嘉明(水口藩の祖とされている)が豊臣秀吉より拝領したと伝えられているが、来歴にまつわる文献等が存在しないため詳細は不明とされていた。
刃渡り:76.2センチ、柄の長さ:16.8センチ、総重量:約890g -
しかし、2013年に甲賀市教育委員会が研究チームを発足して研究をはじめる。
柄と刀身が、西洋では見られない鉄砲鍛冶の技術を応用したねじ構造で結合されていること。刀身の断面がミルフィーユ状の層になっていて「折り返し鍛錬」と呼ばれる日本刀と同様の製法で製造されていることが確認できた。こうした結果から、日本の刀工らが西洋のレイピアを模して作った写しだと考えられている。 -
水口教会会堂
1930年(昭和5年)W.ヴォーリズの近江ミッション(現在の近江兄弟社)によって建てられた。設計はヴォーリズ設計事務所。 -
旧水口図書館と違い、建てられた時から教会として現在も現役なのがすばらしい。礼拝堂には畳敷きの和室もあるとのこと。シンプルな外観は古い城下町に溶け込んでいて素敵。
これにて、旧東海道水口宿の散策は終了。 -
ランチ
目星をつけていた食堂は休みだった。休みをチェックし忘れるとは・・・。で、ホテルの近くでお好み焼き。おいしくいただきました。ごちそうさま。
レンタカーで水口エリアから甲賀エリアへ移動。 -
甲賀流忍者屋敷~甲賀望月氏本家旧宅~
江戸元禄年間(1688年から1704年)に建立された本物の忍者屋敷。 -
甲賀忍者集団・甲賀五十三家のなかでも有数の一族だった望月家。伝説の忍者、猿飛佐助はこの望月家の忍者だった。
写真は現代の末裔たち(とはいえ、写真は1983年(昭和58年)の撮影)。 -
どんでん返し
伊賀流と同じく、忍者の基本は敵を必要以上に傷つけず、逃げる事。
端を押すと戸が回って抜けることができる。しかし、追手は同じ部分を押しても戸は回らない。戸を回すには反対側の端を押さなければならない。「同じことをしたのになぜ回らない?」という人間の心理を利用したからくり。 -
抜け道
追手が混乱している隙に逃げる抜け道(穴)。 -
薬と甲賀忍者
江戸時代に入り、平和な時代になると忍者の役割は諜報活動が中心となる。全国をまわりながら不穏な動向や様々な情報を江戸の徳川幕府に報告していたと伝えられている。そのような中で甲賀忍者は、主に山伏、薬の行商人に身なりを変えて全国をまわっていた。そのなごりもあり、多くの薬を作る道具が残っている。 -
見張り窓
2階の見張り窓からは外部の様子や玄関の出入りを監視できるように見張り窓が複数作られていた。外部からは見張り窓の存在や内部が見えにくい仕組みになっている。 -
しのび窓(左)
一見、普通の窓のように見えるが、引手が無く押しても開かない。窓の隙間に紙のような薄い物(当時は生け花の葉や懐紙)を入れ、「ころろ」と呼ばれる鍵のようなものが開錠され窓が開く仕組み。
引き戸地下通路(右)
引き戸を開けると床下に隠された地下通路があらわれる。他の部屋ともつながった地下通路を使い、自らの命を守っていた。 -
中二階部屋
かくし梯子を使って上がるようになっている。梯子を引き上げると孤立した空間になる。追手から逃げるために使われた。天井は1.1m~1.5mと低い。これは、敵が刀を容易に振り回せない様にするため。忍者は刀身が短い忍者刀を使用して戦いを有利にしていた。 -
見張り窓
中二階からこんな視点で屋敷内を監視していたのかな? -
本物は説得力が違う。甲賀流は伊賀流よりも一族の結束を重視していたので(と、感じている)、このように遺産を継承し易かったのかな?伊賀の忍者屋敷に比べると地味目ですが、充分に楽しめました。
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火頭古神社
地元の情報を集めているなかで「穴場紅葉スポット」として紹介されていた神社。 -
穴場と紹介されていたけど、自分以外誰もいません。
静かな境内。鮮やかな紅葉を独占。贅沢だな~。 -
常駐の神職はおらず、近所の方が交代で管理されているとの事。
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本殿は国の重要文化財に指定されている。
お願いする事はいつも同じ。
家族の健康と旅が安全に続けられますように。 -
最後にもう一度紅葉を堪能。綺麗だね。
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甲賀温泉やっぽんぽんの湯
最後にサッパリして帰ろう。
泉質はナトリウム一炭酸水素塩冷鉱泉。温度は低め。だからのんびりと浸かれる。 -
気持ちよくって1時間30分も居てしまった。甲賀の端っこでアクセスが不便だけど、相当にお薦め。
さぁ、東京へ帰ります。 -
週末ということもあり、意外と渋滞。ちょっとドキドキした。レンタカーを返却。晩御飯は駅の周りにピンっとくるお店がなくてマックで済ます。
草津駅⇒米原駅 18:53→19:26 東海道線
米原駅⇒東京駅 19:57→22:10 ひかり534号 -
実は、通過する新幹線を身近で見たのは初めてかも。なんか迫力あるね。ちょっと感動。
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新幹線車内で気が変わって品川駅で総武快速に乗り換え。
家までもう少し。 -
華やかな文化と歴史。
やはり京都に近いエリアは積み重ねられた文化と歴史が違う。現在も新しい物と古い物が軽やかに調和して存在。意図せず、身の回りで同時多発的に発生した「甲賀ネタ」から始まった今回の旅。お腹いっぱいになりました。ごちそうさま。
【2019年滋賀】始まりはケムマキケムゾウ君。甲賀へ行ってきた。完結。
ありがとうございました。
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