2017/10/26 - 2017/10/26
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mochimochi_kingdomさん
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2017年初夏。人生初の入院&手術を経験。健康な体になるための入院&手術なのに、精神的にはかなりやられました。仕事以外はほとんど家で引きこもり状態。正直、"旅"なんてめんどくさい。でも、そんな自分に納得ができないのも事実。行動を起こさなければ何も変わらない・・・と、意を決して(大袈裟です)1人快気祝い旅に行ってきました。
30年以上前になりますが、小学生の時アニメ『忍者ハットリくん』にメチャクチャはまっていたらしい。で、母が「じゃ、ハットリくんのふるさとに行ってみる?」という事になり、伊賀上野へ家族旅行に行きました。当時の事は何も覚えていませんが、"1人快気祝い旅"には適当な場所かな?と思い(伊賀上野の皆さんに失礼です)、伊賀上野へ行ってきました。
■日程
2017/10/26
東京→名古屋→伊賀上野
伊賀上野散策 <泊:伊賀上野>
2017/10/27
伊賀上野散策
伊賀上野→名古屋→東京
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おはようございます。2017年10月26日(木)晴れ。
のぞみ1号 東京06:00→名古屋07:38
もっと遅い新幹線でも間に合うけど、〇○1号ってのに乗ってみたかった。 -
名古屋からは三重交通の高速バスに乗り換え。
名鉄バスセンター08:45→上野市駅前10:35
ちょっと遅めな始発バス。乗客は10名程。意外とスーツ姿が多い。 -
10:45 上野市駅前に到着。
出発前に東名阪自動車道が車両火災で通行止めに。「迂回して運行するので到着時刻は分からない」とアナウンスされたけど、10分程の延着で済んだ。
ホテルに荷物を預けて散策開始。 -
『上野天満宮』
別名"菅原神社"。 -
主神は菅原道真。なので境内には合格祈願の絵馬が沢山。
でも、お願いすることはいつも通り。"家族の健康"と"旅の安全" -
途中、こんな素敵なバンを発見!
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伊賀上野城を目指す。
台風21号明けの快晴で気温は20℃くらい。日向だと汗ばむ位だけど、上野公園内は樹々がうっそうと茂りひんやり。 -
『伊賀上野城』
現在の建物は1935年(昭和10年)に建てられたもの。 -
『藤堂高虎』
1608年(慶長13年)徳川家康から伊賀・伊勢を拝領。藤堂家は幕末まで国替えがなく、この地を納め続けた。 -
『唐冠形兜(とうかんなりかぶと)』
藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領した兜。
当主の兜だから実用性は関係ないんだろうけど、纓(えい)と呼ばれる横に張り出した部分は片方だけで80センチ。贈ったのが豊臣秀吉だからデザイン重視?
今日はレプリカの展示。本物は愛媛県へ出張中。藤堂高虎は、伊賀・伊勢を治める前は伊予の大名だった。 -
藤堂高虎が築城した伊賀上野城の天守閣は5層構造。しかし、完成直前に暴風雨により倒壊。その後、武家諸法度により新たな築城が禁止されたため、藤堂高虎が考えた伊賀上野城が建てられる事は無かった。
現在の伊賀上野城は3層構造。伊賀上野城のHPでは"復元"と表現しているけど、ちょっと苦しい。ただし、堀や石垣は当時のまま。 -
天守から鈴鹿の峰々と城下街をのぞむ。
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『忍者博物館』
忍者屋敷を現代の忍者(スタッフさん)と一緒に体験する。 -
~武士と忍者の違い~
武士は"戦闘要員"。忍者は"スパイ"。
だから・・・・・ -
武術は敵を倒す"術"だけど、忍術は敵から逃げるor隠れる"術"。
忍術には人を傷つけるような"術"はほとんどなし。あるにはあるけど、それは"逃げるor隠れる"為に、敵へ少しダメージを与える程度。
「とても平和でしょ!」←現代の忍者が強調。 -
平和な忍術を会得するには日々の修行が重要。
食:いつも身軽でいるために素食。臭いのするものは食べない。
香:臭いで気づかれない様にいつも清潔にする。
薬:薬草の知識を身につける。火薬の調合に長けている事。
気:任務を遂行するために、強い気持ちを持つ。
体:長期任務で体力が維持できるように、強い体作りをする。
忍者屋敷の説明や展示内容は盛り沢山で結構満足。忍者ショーはキャンセル。 -
ランチタイム
伊賀牛肉うどん。
三重県だから中京圏だけど、京都・大阪の方が近いから味付けは関西風。
おいしゅうございました。 -
『高石垣』
天守閣は昭和の建物だけど、こちらは藤堂高虎が築いたもの。高さが30メートルあり、その高さは日本で一位二位を争うんだとか。 -
『旧小田小学校本館』
明治14年1881年(明治14年)築。現存する小学校としては三重県内最古の建物。 -
開校当時の名前は"啓迪学校"
この地域では、幕末から明治にかけて地震・風水害があり、財政は相当に苦しかった。それでも、この様な学校を作った事に、当時の人々の教育に対する期待の大きさが分かる。 -
玄関上には"学"の文字と龍の彫刻。
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1階は当時の小田小学校の教室を復元。
自分が小学校2年生くらいまでは、木製の机や椅子は現役だった。 -
かわいらしい足踏みオルガン。
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現在残っているのは、薄緑色の部分。教室の他に調理室があり、当時給食が実施されていた。
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2階のバルコニーには当時の色ガラスが残されている。
当時の建築担当者が神戸まで出向いて調達したもの。 -
卒業写真
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当時の学園風景
修学旅行は伊勢神宮。
服装は明治・大正時代は羽織・袴。昭和に入り、学ラン・セーラー服となる。 -
教科書の変遷
意外だったのが、明治初期は教科書の内容も国から指定されることなく自由だったこと。それが、許可→認可→国定と国の管理が強化されていく。 -
墨塗り教科書
本物は初めて見たかも。
墨塗りされた最後の3行は「きずもだんだん傷まなくなりました。この次におあひする時には、戦争のことや支那の子どものお話しをしてあげませう。」 -
上野市は2004年11月1日に周辺の3町2村と合併して伊賀市となる。でも駅の名前は"上野市"のまま。
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『旧崇広堂』
1821年(文政4年)10代藩主藤堂高兌(たかさわ)が、藩校として創設。
表門は朱色に塗られている事から"赤門"。 -
創建当時の『旧崇広堂』
現在残っているのは、手前半分。奥半分には武道場や兵学寮等があったが、1854年(嘉永7年)の大地震(安政の伊賀地震)で大破。再建されることは無かった。現在は伊賀市立崇広中学校が立地。 -
明治末期の『旧崇広堂』
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当時の授業風景
8歳になった領地内に住む藩士の子弟が入学。授業料は藩士の石高に応じて決められていた。なんだか和気あいあいとした雰囲気。 -
講堂
こちらは創建当時のまま。 -
扁額は上杉鷹山の筆
藤堂高兌が莫大な負債を抱え困窮していた米沢藩を立て直した上杉鷹山に感銘(特に人材教育の大切さ)。依頼して書いてもらったもの。 -
講堂内部
こちらで藩士やその子弟たちが勉強していたのかな・・・・・。
当日、ガラス工芸作家の展示会が行われていたため、その作品がド真ん中に展示されています。 -
明治になり、藩校としての役割を終えた後は、小学校・図書館として利用されていた。
1日目・昼の部はここまで。 -
『伊賀上野シティーホテル』
中心部では一番高い建物かも。地方都市らしくお値段の割に部屋が広々。 -
小休止後、夜の部開始。
旧大和街道沿いは古い建物を生かしたレストランやギャラリーが点在。オシャレです。 -
『田楽座わかや』
本日の夕飯はコチラで。 -
一番ベーシック(?)と思われるセットを注文。
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スタッフの方に「田楽をゴハンの上に乗せて召し上がってください」と案内された。豆腐ってゴハンのおかずになるんだね・・・・・。田楽みそが濃厚。絶妙な味加減。
おいしくいただきました。 -
ライトアップされた伊賀上野城
白壁がキレイ。
街中からライトアップされた伊賀上野城が見えたんだけど、なかなか良い撮影スポットがなく、公園まで来ちゃいました。広い園内は自分以外誰もおらず&真っ暗。ちょっと怖かった。 -
飴色の街灯がイイ味出してます。
伊賀上野の史跡を巡る1日目が終了。
【2017年三重県】1人快気祝い旅 伊賀上野1/2 伊賀上野の史跡を巡る編 終了です。
【2017年三重県】1人快気祝い旅 伊賀上野2/2 松尾芭蕉の足跡を巡る編 に続く。
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