2019/09/02 - 2019/09/03
207位(同エリア1164件中)
のまどさん
9月。日本からのフライト料金が下がるのを見計らって母とポーランド・リトアニアを旅行することにしました。前回ポーランドはショパン縁の地を訪ねる目的で行きましたが、今回はなぜか母が興味を示すホロコーストの遺跡巡り。
「内容が濃いわ」と言われ、7日間で4都市を自力で回る旅程はかなりきつかったのですが、母が体の自由が利くうちにと思って強行しました。私の不注意もあってハプニング連続。素人が旅行代理店のまねをするものではありませんね。
初日は無料ウォーキングツアーのユダヤ人地区ツアー。ガイドさんもユダヤ人で3時間歩きながら貴重な話を聞けました。
BGMは『戦場のピアニスト』のモデル、ウワディスラフ・シュピルマンのショパン。映画は良作だと思いましたが、事実は違うのだろうと言う印象を持ちました。後述のドキュメンタリーからも映画では少し変えていることが分かりました。彼がドイツ人将校ホーゼンフェルトの前で弾いたのはノクターンの第20番。
https://www.youtube.com/watch?v=n9oQEa-d5rU
ツアーで訪れた場所は必ずしもシュピルマンと関わりがある訳ではありませんが、当地で奇跡的に生き延びたピアニストを想いながら書きたいと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
9月最初の月曜日。仕事は半日で切り上げ、ブリュッセル空港での昼食。いつもの旅とは違って気を緩められません。でも、スタートはやはりベルギービール、レフで。
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今回は往路と復路で空港が違うので、一番安かったブリュッセル航空。ノイハウスのチョコが離陸前に配られてニコニコ。
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ワルシャワ、ショパン国際空港に到着。私が先に着き、1時間半後に成田からヘルシンキ経由の便で到着する母と合流する予定だったが、遅延との表示。母から留守電に「一度出発しましたが、飛行機がまた戻りました、訳が分かりません。」と。
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1時間半遅れでやっと到着。
私の顔を見るなり「電話したのになんで出なかったのよ」と。「あたしも飛行機乗ってたんだよ」と回答。
機内アナウンスが聞き取れず、同胞だと思って声を掛けられたオーストラリア在住の香港人に「雷を避けるために飛行機が一度ヘルシンキに戻った」と解説してもらったようです。ちなみに同じ頃娘の私はショパン空港で中国人から北京語で同胞かときかれていました。(←エキゾチック母子) -
香港人の旦那さんのポーランド人にどこに泊まるのかときかれて「Apple House」と素直に答えた所、非常に心配されたそうです。
名もないB&B。ワルシャワ中央駅で降り損ねて一駅戻って来てタクシーに乗って見事にぼられました。 -
翌朝。朝食が無料なのはありがたいけど、このサンドウィッチを朝に食べるのはきつかった。
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時間があるのでショパンの心臓が埋葬されている聖十字教会。4年前と変わって心臓がある柱に近づくことができず。ここで母が躍起になっていたのは背負っていたリュックの肩への負担を減らすために左右の肩ベルトに小さなベルトを掛けること。
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ツアーの所要時間は2時間半なのでスタバにてトイレ休憩。日本人が入れるきれいなトイレを予測するのもガイドの重要な役目。集合場所の聖人教会に向かいます。
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今回利用したのはユダヤ人地区巡り無料ウォーキングツアー。のまどが気に入っているシリーズです。Free walking tour Warsawと検索すると複数出てきますが。
https://www.freetour.com
最初の説明はプロジュナ通り。左の建物は改築工事中ですが、ここは戦災を逃れた数少ない通りのようです。 -
次に説明があったのはシナゴーグの前の壁に書かれたイーディッシュ語。イーディッシュ語はディアスポラでヨーロッパに渡ったユダヤ人が話す言葉でドイツ語に近くヘブライ語や東欧言語の語彙が混ざっています。
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書かれているのは汽車の歌の歌詞。ガイドさんの甥が歌い始めたらしいのですが、歌詞の意味を英訳する自信がないと憚っていました。いずれにせよ彼がリアルなガイドであることが分かりました。
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シナゴーグ。異教徒でも中に入れると思いますが、ツアーで見るのは外観のみ。
ユダヤ人がワルシャワにコミュニティを築いたのは中世から。ポーランドの黄金期を築いたカジミェシュ大王の下ではユダヤ人はその経済力から市民権を与えられ、迫害を受けた他の国のユダヤ人が定住するなど、ナチスに侵略されるまでワルシャワはユダヤ人に好意的な街だったようです。 -
ナチスは侵略してすぐに最大のシナゴーグを破壊し、3番目に大きかったこのシナゴーグは軍事拠点として利用されたため唯一破壊されずに済みました。ユダヤ教で禁忌とされる豚が飼われていたと言うのはいかにもナチスらしい侮辱行為です。
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ツアーの途中で、ワルシャワを象徴するような集合住宅と無機質な建物の壁と空き地。旧共産圏を旅行したことのない母にはより衝撃的な光景のようです。
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ワルシャワのゲットー南部の住民は比較的裕福だったようです。シュピルマンが家族と住んでいたアパートはゲットー内にあったため最初は職業活動が自由にできたようですが、1940年に区域が変わり他のユダヤ人とともに強制移住させられました。
ガイドさんの説明によると、当時このアパートには多数の住民がいて、詩人のシンゲルス(ネット検索で見つからず)が訪問者がベルを鳴らして相手を呼び出すのに苦労した様子を書いています。しかし、収容所への移送で徐々に人がいなくなり、いつしかベルを押しても誰も出なくなったと。 -
弾痕の残るゲットー最古の壁。ポーランド人にとっては忘れたい記憶のため、取り壊しを望む声が多かった中、折衷案として壁は保存され、その上にビルが建てられているというのはなんとも奇妙。アパートもこの壁もメンテされているようには見えず、今後の保存状態が懸念されます。
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更に歩いて白い建物の前の石のベンチに一同腰掛けます。説明があったのはゲットーのユダヤ人理事長を務めたチェルニアコフについて。ドイツ語が堪能であったためにナチスから指名された当時、住民の食料は十分でなく、1日1度すするほどのスープしか配給できなかった。人口が増えたゲットーは衛生状態が非常に悪く、病気も蔓延していた。
環境改善を求めてもナチスに通るはずがなく、苦悩に満ちた日々を送っていた。そこへトレブリンカ絶滅収容所に移送する住民を1日に6000人選んでリストを作るよう理事会に命令が出されます。チェルニアコフは孤児院の子どもを対象から外すように抗議したものの拒否されたことで絶望し、拳銃で頭を打って自殺しました。
ユダヤ人の中には彼を裏切り者とする見方もありますが、簡単には言えないと思います。 -
少し歩いてゲットーの壁の跡。
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イチオシ
ゲットーの地図。
シュピルマンは家族と生き別れになってからワルシャワの街を彷徨いました。仕事仲間や友人を訪ねて隠れ家を探し、住民に見つかり通報される前に逃げたり、ナチスの捜索を間一髪で逃れたりなど、3年にも渡ってろくな食べ物やきれいな水にもありつけずに常に死と恐怖を感じながら生き延びました。 -
ここにはかつて橋が架かっていて道路を挟んで離れたゲットー地区を渡していました。ここを渡る度にユダヤ人は自由だった頃に住んでいた街を見ながらもはやそこに行けない囚われの身を歎き悲しんだようです。
戦場のピアニストでシュピルマンが本を道端で売った帰りに踏み切りのような交差点で延々と待たされ、その間にナチスの兵士が待っている人を踊らせたりいやがらせをするシーンを思い出しました。 -
この建物は確か20年代に建てられて以来そのまま生き延びた歴史証人のようです。恐らく今ここに住めるのは富裕層に限られると思います。
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この無機質なビルはかつて裁判所でした。ゲットー内の住民も裁判を起こす権利を持っていましたが、あってないようなものでナチスの都合に良いようにしか判決が下されません。「悪法は良法を駆逐する」という意の言葉をガイドさんが口にしました。
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ゲットーの北側にやって来ました。北側はロシア系など比較的貧しいユダヤ人が住んでいて1943年にゲットー蜂起が起きました。ドイツ兵の犠牲者が150人以下であったのに対して、ユダヤ人の犠牲者は13000人。
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負け戦であることは分かっていても人間の尊厳、人生の意味を証明するために立ち上がったユダヤ人。1か月の戦いで建物のほとんどが破壊され、瓦礫を埋め立てたため現在でも北側の土地は南側と比べてやや高くなっているそうです。
壁の絵は破壊された最大のシナゴーグ。 -
ツアー最後はユダヤ人博物館の前の1943年蜂起の記念碑にて。裏面はトレブリンカに強制収容された犠牲者を追悼しています。スピルバーグの『シンドラーのリスト』に丸裸にされた男女が走るシーンが描かれていますが、それはトレブリンカの天国への道と称されています。
シュピルマンも家族とともに列車でその地に連行されるはずでした。しかし、乗り込む寸前にかつて自分の演奏を聞いたユダヤ人警察に制止さられ、一人その場から脱出します。彼の家族で生還した者はいません。
シュピルマンはビデオで家族と引き離された地に二度と足を運んだことはないと言っています。このビデオ、英語の字幕は所々??という感じですが、「生き残ったことを後悔してきたが、生きることが私の運命だった」という言葉になんとも考えさせられます。
https://www.youtube.com/watch?v=AOv36KgX4_Y -
イチオシ
同じ記念碑の表面。「裏と表は表現が違います。みなさん、どのように解釈しますか」というガイドさんの問いに私は裏面は死者の悔いと悲しみ、表面は生きて闘った者たちの怒りと叫びを表すと答えたいと思います。
シュピルマンを助けたドイツ将校ホーゼンフェルトはソ連軍に連行されてその収容所で生涯を閉じました。敬虔なカトリック教徒だった彼はワルシャワ駐在中にナチスに疑問を呈し、多くのポーランド人やユダヤ人を助けました。収容所からドイツにいる妻を通じてワルシャワで助けたポーランド人やユダヤ人に解放を呼びかけましたが、ソ連は無罪の訴えを退けホーゼンフェルトは1952年に脳卒中で他界しました。
善意はその時の政治によって報われないことがあります。 -
旧市街行きのバスがなかなか来なかったので、歩きました。3時間近く歩いた上に更に1キロほど歩いたため、母に文句を言われました。当然です。
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昼食は前回同様ホノラトカ。ショパンのレストランとして日本のガイドブックにも載っているようです。
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ランチ定食。なぜかサービスでグレープフルーツジュースが付いてきた。スープも確か無料でジャガイモのパンケーキとポークの煮込み。
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足早に旧市街を歩きます。前回ブログでも書いたポーランドの子ども兵の記念碑。
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旧市街の広場。灰色の雲が残念。
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B&Bから駅までタクシーを使うべきだった。電車を逃してたのでカフェでお茶をして、漸くクラクフ行きの電車に乗ります。
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食堂車でピエロギを食べました。ピエロギは外れがないのが幸い。クラクフでも試練が待っています。
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