2014/08/30 - 2014/09/08
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マンボウのお城さん
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イタリア本土(シチリア島を除く)の全世界遺産を4回に分けてレンタカーで周遊しました。
今回の旅行記は、その2回目となります。今回の旅行期間は、往復の国際線を合わせて、10日間です。
訪れた世界遺産は、バチカン市国が1カ所、イタリアが12カ所の合計13世界遺産です。
1つの世界遺産で複数の登録リストがある場合があるため、実際に訪問した世界遺産リストの数は、20か所を越えています。
旅のスケジュールは、以下の通りです。
今回の旅行記の日程は、★印で示しています。
ローマの主要観光スポットを2日間(2日目と8日目になっていますが、2日間連続だともう少し、廻れます)で巡る効率の良いルートだと思いますので、参考にしていただければ幸いです。
01日目 成田→パり→ローマ
02日目 バチカン美術館(システィーナ礼拝堂「最後の審判」)→サン・ピエトロ広場→サン・ピエトロ大聖堂(ミケランジェロのクーポラからの眺望)→サンタンジェロ城→ナヴォーナ広場(「ムーア人の噴水」/ベルニーニ作「4大河の噴水」/「ネプチューンの噴水」→パンテオン→トレヴィの泉→スペイン広場(「バルカッチャの噴水」)
03日目 カゼルタの18世紀の王宮と公園(ディアナとアクタイオンの噴水(パオロ・ペルシコ、ブルネッリ、ピエトロ・ソローリの彫刻)/アフロディテとアドニスの噴水/イルカの噴水/アイオロスの噴水/セレスの噴水/ヴァンヴィテッリの水道橋→ナポリ国立考古博物館
04日目 Castel dell'Ovo(ナポリ)→ヌオーヴォ城(ナポリ)→王宮(ナポリ)→ポンペイ
05日目 アマルフィー海岸→パエストゥム
06日目 マテーラの洞窟住居→アルベロベッロのトゥルッリ→デル・モンテ城
07日目 ヴィッラ・アドリアーナ→ティヴォリのエステ家別荘→タルクイーニア(モンテロッツィのネクロポリ)
08日目 ★チェルヴェーテリ(バンディタッチャのネクロポリ)→ローマ(コロッセオ→コンスタンティヌスの凱旋門→フォロ・ロマーノとパラティーノの丘→真実の口)
09日目 ローマ→フランクフルト→
10日目 成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- エクスペディア
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今日は、朝からイタリア中部ラツィオ州にあるチェルヴェーテリのバンディタッチャ遺跡を観光します。
チェルヴェーテリの遺跡といっても前回、ご紹介したタルクイーニアにあるモンテロッツィのネクロポリ同様、紀元前のお墓(古墳)です。 -
タルクイーニアとは違い、遺跡の入口が荘厳な感じです。
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チェルヴェーテリの市内マップにUNESCOマークがありました♪
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遺跡の入口は、まるでお城のような出で立ちです。
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イタリア中部ラツィオ州にあるチェルヴェーテリは、ローマの中心部から約57Km、高速道路を利用して50分ほどしか離れていません。
実際に、朝一でチェルヴェーテリのバンディタッチャ遺跡を見て、すぐにローマに向かい、ローマ2日目の観光が今回の旅の最終地点となります。 -
チェルヴェーテリのバンディタッチャ遺跡は、前回の旅行記同様、エトルリア人が残した2ヶ所のネクロポリス(チェルヴェーテリのバンディタッチャ遺跡と、タルクイーニア近郊のモンテロッツィ遺跡)の内の1つとなります。
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墓地といっても、エトルリア期の墓には、2つの様式があり、「道なりに一直線に並んで築かれている立方体の墳丘」と「凝灰岩の中に築かれた円形状の墳丘」で、岩を直接刳り抜かれた内部には、玄室、羨道や幾つかの部屋があります。
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日本でいう古墳のようなもので、韓国の慶州歴史地域の大陵苑地区の古墳にも似ていますが、圧倒的に異なるのは、多くの素晴らしいフレスコ画や薄浮彫、生活用具の数々を描いたレリーフが残されていることです。
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また、日本の仁徳天皇陵は、紀元後5世紀頃、韓国の大陵苑地区の古墳は紀元後1世紀頃のものですが、バンディタッチャ遺跡は、紀元前9~3世紀頃に造られた、とても古いお墓です。
チケットオフィスに到着です。これから中に入りま~す。 -
最初に目に飛び込んできたのは、まるで日本や韓国にある古墳のような盛土でした。
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タルクイーニアの古代の墓地は地下に造られ、侵入者に見つかりにくく荒らされにくい構造でしたが、チェルヴェーテリは、まるで都市のように美しく区画化された古代の墓地でした。この写真では少しわかりずらいと思いますが、写真を順にご覧いただくとわかっていただけると思います。
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これだけの規模の建造物を建設するにはどれだけの人や日数が必要だったのか、想像を絶するほどの建造物となっています。
それだけラツィオに暮らすエトルリア人にとって、いかに人の死や墓地そして死後の世界が重要視されていたのかを感じることができます。 -
それぞれの盛土には、このような入口があり、中に入ることができます。
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ところで、エトルリア人とは、イタリア半島中部に栄えた都市国家エルトリアに暮らした先住民族のことで、現在のラツィオ州の中部に生活し、周囲の影響をあまり受けることがなかったようです。
そのため、独自の言語エトルリア語を使用していました。
現在ではエトルリアの文化が古代ローマ文明のルーツになったと考えられており、その歴史的価値は、お墓ながらに相当なものだということでした。古代ローマ遺跡を中心に欧州を巡っている私にとっても、まさにローマ文明の発祥の地となりうる貴重な世界遺産であることがわかりました。 -
最初は、無造作に穴が開いているだけの入口でしたが、説明ボードが登場するお墓は、随分建物らしくなってきました。
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内部は、お墓とは思えないほど、いくつかの部屋が造られていました。
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彼らは非常に優れた建築技術を持っていたため、あの素晴らしいローマの建造物を広範囲に造ったローマ人が、最初にラツィオに訪れた時、エトルリアの高度な建築技術に驚き、模倣するのに苦労したと言われています。まさに、彼らはローマの建造物の師であるかもしれないのです。
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とても地味な世界遺産ではありますが、壁画やレリーフだけでなく、ローマ遺跡に興味がある方にも、実はとても重要な遺跡と言えます。
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所々、盛土だけのようなお墓が並んでいます。
バンディタッチャ遺跡と名付けられた墓地は、総面積400へクタールととても広く、墓の数はなんと1200にも及びます。 -
タルクイーニアにあるモンテロッツィ遺跡同様、保存状態が良いことから出土品も多く、これらはかつてのラツィオに暮らしたエトルリア人たちによって、紀元前9世紀のヴィッラノヴァ文化期から、紀元前3世紀の後期エトルリア時代にわたり造られた墓であることが分かっています。
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出土品の大部分は、ここにはなく、現在、ローマの国立エトルリア博物館(Museo Nazionale Etrusco)とチェルヴェーテリの国立考古学博物館(Museo Nazionale Archeologico)に展示されています。
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歩くにしたがって、だんだんお墓の規模と構造が複雑になってきました。
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いくつもの墓が小さな丘を覆う構造になっているのが特徴です。
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自然の丘を最大限に利用した構造になっています。
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規模が大きくなると、道から直接入ることができなくなり、見学用に設置された階段がアプローチとなります。
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内部は、いくつかの部屋にわかれており、大きさは変わるものの、構造は大きく変わりません。
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タルクイーニア同様、地下へのアプローチもあります。
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内部は、タルクイーニアより、複雑な構造になっています。
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内部は、すべて岩をくり抜いて造られているため、これだけのものを造るためにどれだけの時間を要したのか?と当時のことを想像してしまいます。
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どれも構造は同じなため、だんだん飽きてきたところ・・・
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非常に規模の大きな地下への入口を発見しました。
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他の入口に比べて規模も大きく、地下へのアプローチも長いため、相当な深さに掘られていることがわかります。
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チェルヴェーテリは、タルクイーニアと比較すると、外観が素晴らしく、内部の部屋も多く残されてはいますが、壁画はほとんどなかったのですが、こんなに素晴らしいフレスコ画や薄浮彫といった壁画より立体感のあるレリーフがいくつか残されています。
ここは、写真のとおり、様々なレリーフが彫られており、色も完全に残っていました。 -
どちらも一部ですが、この部屋のように観光客にもいくつか素晴らしいレリーフの残る部屋が公開されていますので、ぜひチェルヴェーテリのバンディタッチャ遺跡と合わせて2つの世界遺産をまとめてご覧になることを強くおススメします。
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紀元前に造られたものとは思えないほど、完成度の高い作品です。
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タルクイーニアと比較すると数は、圧倒的に少ないながら、立体感のあるレリーフは、また違った感動を与えてくれます。
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最後になるにつれ、規模も大きく、構造も複雑なお墓が数多く造られています。
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「道なりに一直線に並んで築かれている立方体の墳丘」とご説明したとおり、ここは乱立したビル群のようにお墓が並んでいます。
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最後に登場したのが、より大きなお墓でした。
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内部は、死後まるでそこで長い間暮らせるかのような部屋が造られていました。
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棺を置くところなのか寝室なのか、最後までわかりませんでした。
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部屋にまるで生きているかのような人形が設置されていたのには正直、驚かされました。ギョギョギョ!
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天井は低いものの、十分暮らせるほどの部屋数がありました。
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ただ、ここが何のために造られたのか?最後までわからなかったので、少々気持ち悪い感覚が残ったことも確かです。
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この規模になると、お墓というより、長屋風の家にしか見えなくなってきました。
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先述のとおり、ここは4ヘクタールの広さがあるため、全部で4.7ヘクタールある後楽園とほぼ同じ広さに、1200ものお墓が並んでいることになります。
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内部の構造は、ほぼ同じなのですが、立方体のものや、これらの円錐形のものなど外観の異なるお墓が所狭しと造られているだけに、タルクイーニアよりも不気味な気がしました。
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ここもまた、相当深く掘られていましたが、先ほどのような芸術的なレリーフは見られませんでした。
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入れるお墓は、ほぼ全部行きましたが、やはり最後まで、レリーフの残されたお墓は現れず、ほぼ同じ内部構造でした。
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広場を抜けると休憩所がありましたので、歩き疲れた方は、ここで休憩することができます。
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では、ローマに戻ることにします。
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