2020/02/23 - 2020/02/23
37位(同エリア126件中)
まりも母さん
春の山野草探しに星野町へ 極小の花、セツブンソウ おまけの星野遺跡
https://4travel.jp/travelogue/11615325
旅行記の続きです。
まだ時間があるのでもう一か所どこかへ??
ここからさほど遠くもなく、以前から再訪を と思っていた
栃木県足尾町へ行ってみる事にします。
産業遺産が数多く残る町「足尾」
急に行くことになり 無計画な訪問になったので、次回への下見のつもりで行ってみる事にしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
-
星野町から足尾へは 県道15号を進む道で約1時間。
とりあえず、まだ見たことにない「足尾銅山観光」を目指します。
林道を進んで行くと チラチラと白い物が舞い始め やがて結構な雪が降って来ました。
積もるような雪ではないだろう・・・と 進みますが
今日は、スタッドレスを履いた自家用車ではなく、修理中の代車。
日光方面が本格的な雪だったら~と一抹の不安も・・・。 -
雪は舞い続けていましたけど、道路が白くなるほどではなくて良かった。
しかし、今日はそもそも風が強いし、激寒い!
ま、なんの下調べも無く来てしまったので、
ベタながら、まず「銅山観光」を見学します。
足尾には 旅行記掲載を始める前に一度来ています。
が、「銅山観光」なんて いかにも観光客向けでつまらなそう・・・とスルーでした。 -
入場券(入坑券大人830円)を買い、
トロッコ電車に乗っての入坑から始まるので、
発車時間まで展示物のある待合室に。
勝手に「つまらなそう」と思っていた銅山観光でしたが、
昨年 弟に「意外と面白かった」と聞いて「じゃ~今度行ったら 入ってみるか」と そんな気にもなっていたのです。 -
5分ほどで、乗車案内が。
トロッコに乗るのも結構楽しいですね。
そうそう、渡良瀬渓谷鉄道のトロッコ電車にもずっと乗りたいと思っていたのです。
しかし…きょうの天気だと寒いよなぁ・・・。 -
待合室にいる間に、雪が激しくなっていました!
ありゃ~河原の石とか白くなってる~。
このまま、もっと降ったらヤバイのでは??
今年は暖冬で また、茨城の自宅の方は県南だから、雪はあまり降りません。
今冬初めてこんな雪を見ましたね。
トロッコ電車出発です。 -
その線路の真ん中に梯子のようなレールが1本見えましたよ。
前に碓氷峠の「アプトの道」あたりに行った時ラックレールを見ていたので、判りました。
この勾配を登る為、ラックレール区間があるのですね。 -
トロッコ電車はそんなに混んでいる訳でもなく、全部で20人位の人が乗車していました。
少し進んだ所に駅がありました。
平成13年(2001)リニューアルされる前はここが始発駅だったそう。
ここで一旦止まり、前の機関車の連結を外します。 -
機関車はそのまま右の線路へ移動です。
機関車は蓄電式のようです。
ここまでの軌道は坂道を下るようになっていました。 -
切り離された客車はここから自走で進みます。
ほどなく、しめ縄のあるトンネル「坑道」へと入って行きます。
周りが暗くなり、坑道感があり、これもなかなかの楽しさ。
が、トロッコ電車はその先ですぐに止まります。
乗車から下車まで機関車の切り離しを入れても10分ほどの時間でしたね。
もっと乗りたかった。
(トロッコ電車と軌道は銅山時代からの施設ではなく、観光用に整備されたものだそうです) -
下車駅を降りると、軌道の先は格子扉で閉じられていました。
スイッチがあって、押すとライトが灯り 先の方まで見えます。でも、光の届かないずっと先まで坑道は続いています。
「この柵内は鉱山施設です。一般の方の立ち入りはお断り」とあります。
近くの解説版によると
>通洞坑道口からは、電車坑道のレールが奥へ6.5㎞続き、途中から様々な所へ坑道が続いています。
全部の坑道をつなぎ合わせると「総延長は約1200㎞」にもなり、これは東京から九州博多までの距離に相当します。 -
行き止まりの場所から、トロッコ電車が入ってきた入り口方面。
右のプラットホームの脇から坑道内の見学コースが始まります。
木や岩が見えるトンネル内。水が滴り、かなり湿っぽい。
気温はいつも低めなのかもしれないが、今日は外も寒いので 差が判らない。 -
見学用の坑道に入ります。
こちらは、トロッコ電車の入ってきた坑道より天井が低く狭いです。
舗装はされていますが、床には水たまりもあります。 -
坑道の脇には、こうした人形などが展示され、鉱山で働く人々や採掘の様子などが時代ごとに見られます。
江戸時代の手掘り坑夫の人形など。
動いたり、音や話し声が流れたりもします。
足尾銅山の始まりは江戸時代 慶安元年(1648)には江戸幕府の御用銅山になったそうです。 -
明治・大正時代の様子
明治10年(1877)古河市兵衛が経営者となり 新しい有望鉱脈の発見・開発 水力発電による電化が行われ
大正時代には削岩機などの近代化も図られます。
明治20年代には国内全産銅の40%を産出していた、日本一の銅山とも説明がありました。
しかし、同時に公害問題を起こし、地域に大きな被害を及ぼしていたのもこの時期です。 -
昭和 時代は進み 発破による更なる合理化が。
発破のスイッチを押そうとする方の人形。
無表情なのが怖すぎる・・・。 -
壁にあるスイッチを押すと発破爆発のプチ体験が。
明かりが消え、破裂音が聞こえた後、数秒後に爆風らしき風も感じるようになっております。 -
坑道の突き当りには 山の神が祀られているお社。赤い鳥居も見えます。
この先、覗いてみたら、水がタプタプに溜まってました。
鉱山における山の神とは 安全と繁栄を祈願するもので、
やはり、危険を伴う仕事だから大切にされたのでしょうね。 -
山の神の手前を左に折れまっすぐ進むと坑道内歩きは終了です。
-
その先は、「銅資料館」へ直結。
ここからは、屋内展示室となります。 -
暗い坑道歩きから、突然明るい場所に来た感じ。
手前には紹介ビデオの見られる部屋もありました。 -
足尾銅山のジオラマ模型。
後で、本山の製錬所跡は見に行くつもりです。
かつての製錬所はこんな風に建物が並んでいたのだな・・・と眺めます。 -
製錬の過程が示されています。
この過程で 排煙、有毒ガス、排水に含まれる鉱毒が周辺の環境を痛めつけてしまった訳ですね。
この銅資料館は、鉱山の産業に関する紹介と展示で、足尾鉱毒事件についての展示はありませんでした。 -
通路を抜けて屋外に。
「さく岩機体験コーナー」なるものが。
ハンドルを持つと、すごい振動が来るのかと思ったら・・・音だけだった・・・。
壊れているのか?全然体験にならんじゃないか~。 -
かつて使われていたであろう、鉱石を運ぶ 鉱車も展示されていました。
が、めちゃ雪降ってて、見ているどころじゃないって~~。 -
15分間隔で運行されているトロッコがちょうど通洞抗に入って行くところでした。
通洞抗は国指定史跡となっています。 -
帰りはトロッコ電車に乗れません。
徒歩で戻ります。
途中「鋳銭座」という 別の建物があったので入ってみます。
ここでは、足尾で産出した銅を使って作られた寛永通宝(足字銭)の製造工程が人形を使って紹介されていました。
製造に関わる人が不正をしないように、かなり厳しい監視とチェックが行われていたようですね。 -
古銭には興味が無いので、ざっくりの見学です。
-
表に出ます。
雪で良く見えないが、古そうな建物だな、銅山の施設だったものかな?と写真に撮りました。
新梨子油力発電所跡 大正5年(1916)
重油を燃料とする発電所で 非常用電力供給設備としてできたもの
昭和29年(1954)廃止 -
銅山観光を見終え、駐車場前の足尾市民センターにあった観光案内所で
足尾銅山近代化産業遺構MAPと足尾観光ガイドマップをもらいました。
そして、マップもチェックしつつ
本山製錬所跡 国指定史跡
に来ました。
昭和48年(1973)2月閉山
平成元年(1989)までは輸入鉱石を製錬していましたが、今は、完全に操業を停止した廃墟です。 -
前回来たのは2006年 もうずいぶん前です。その時と印象が違うな、と思ったら
2010年以降解体された建物もあるようです。
帰宅後 昔の写真をチェックすると、全く同じ場所を撮ってはいなかったものの、昔の写真にはもっとたくさんの建物が映っていました。 -
もっと建物が多かった2006年当時の方が、迫力を感じましたが
今も、繁栄とその裏の黒歴史を思うと とても考えさせられる景色なのでありました。 -
三つ並んだ硫酸タンク(表紙画像のもの)やこの大きな煙突は残されています。
製錬所大煙突 大正8年(1919)高さ50m -
戻って、橋を渡り、製錬所入口
2006年に来たときは、操業終了後でも車が止まっていたりと人の気配がありました。
今は、入り口も閉ざされ、ひっそりしています。 -
所々壁面材が取れた建屋。
汚れ具合が良い廃墟感を出しています。
産業遺産として外観を見る事はOKです。 -
入り口脇にある
古河橋 明治23年(1890)国指定重要文化財
ドイツ ハートコート社製 -
構造体は鋼製ですが、渡る部分は木製なのですね。
木部は傷んでいるようでした。 -
鉄道の橋梁も見えます。足尾本山駅の手前部分
わたらせ渓谷鉄道の前身 国鉄足尾線で貨物専用でした。
平成元年(1989)足尾線廃線
平成10年(1998)に間藤~足尾本山駅間鉄道免許失効となった部分です。 -
もらったマップを見て、少し行けそうな産業遺産を見て回る事にします。
道路脇に置かれた大きな鉄製のパイプは
間藤水力発電所跡 明治23年(1890)建設された水力発電所の一部
明治10年に古河市兵衛が経営に乗り出してから 最初に作られた水力発電所です。
現在は、道路脇にこの鉄管の一部と煉瓦造の基礎が周辺にわずかに残っているだけです。 -
道路の反対側、渡良瀬川が見える場所に「間藤水力発電所跡展望台」があります。
その展望台に かつての水力発電所の写真が展示されています。
日本最初期の水力発電所であった 間藤水力発電所。
明治39年(1906)には細尾第一発電所が運転開始すると発電所としての運転は終了したようです。 -
そして川の反対側のかつての写真も。
そこには旧本山小学校がありました。
校舎などはもう失われています。
展望台からは確認できませんでしたが、木造の講堂だけは、残っているそうです。 -
川の中を覗くと、発電所の建物の一部らしき煉瓦の建造物が残されていました。
他にも煉瓦の壁のようなものも。 -
時間も夕方になってきたので、そろそろ見学も終わりです。
実は、足尾で一番見たかった建物は「古河掛水倶楽部」でした。
しかし、この建物見学は冬季 行われていなく、この日はまだ閉館期間でした。
また、見られる時に来てみようと思います。
残念ですが、外からチラッとでも見られるだけでも・・・と
近くまで来てみました。
同じ古河の敷地内にある「掛水赤煉瓦倉庫」フェンス越しに眺めました。 -
門扉は閉ざされています。
4月以降 通常なら土日祝日に見学できるはずですが・・・。 -
門の脇には これもちょっと古そうな建物。
電話資料館 だそうです。 -
電話資料館の入り口方面
今日は、予定外にやって来てしまった「足尾」
銅山観光は、弟の言う通り、思ったより面白く、興味深い所も色々ありました。
自分・・・考えてみると、日立鉱山や三池炭鉱、端島(軍艦島)と、鉱山関係の産業遺産や遺構見学がかなり好きです。
足尾銅山の歴史は、華やかなものから黒歴史まで興味が湧きますし
ついでに日光の発電の歴史も 調べてみたいと思っています。
再訪であったにも関わらず、中途半端な訪問になってしまったので、
次回は、もっと下調べしてから もっと掘り下げる足尾訪問をしたいと思います。
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