2020/03/12 - 2020/03/13
58位(同エリア795件中)
あおしさん
3月12日 マルタ最終日。午後のフライトで日本への帰国日です。
午前中はマルタの首都・ヴァレッタへ。
午後の便に乗るために空港に行きましたが、前日マルタ共和国政府から発表されたイタリアとの交通遮断に続き、パリ、ミュウヘン、マドリードなどヨーロッパ各地へのフライトも運休になっていて、マルタ空港は騒然としていました。
幸い私の帰国便であるエミレーツ航空は予定通り運航していたので、ドバイ乗り継ぎで無事日本に帰国することができました。
海外から日本に帰国するとホッとしますが、今回ほど成田空港に到着したときにホッとしたことはありませんでした。
動画(4k)
https://youtu.be/vkR4jzC5QtU
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
マルタ最終日。
今日も雲1つない青空の広がるいい天気です。
さすが年間300日は晴れるマルタ島。
ホテルから5分ほどバスの乗って、スリーマの中心街へ。スリーマビーチ ビーチ
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スリーマの中心街にある港からは対岸のヴァレッタまでフェリーが10分ほどで結んでいます。
このフェリーに乗ってヴァレッタに向かうことにします。スリーマからヴァレッタがおすすめ by あおしさんスリーマ フェリー バス系
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このフェリーは少しずつヴァレッタの町へ近づいてきます。
本当は夕焼け時に、赤く染まるヴァレッタの町を見たかったんですけどね。スリーマとのフェリーが発着しています by あおしさんマルサイムシェット港 海岸・海
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ヴァレッタはマルタ共和国の首都。
中世の街並みが現在でも残っていて、雰囲気がいい町です。
岩の上に造られた町なので、フェリー乗り場から街中を登って行きます。 -
この町は聖ヨハネ騎士団が造りあげた街です。
聖ヨハネ騎士団はかつてはロードス島を本拠としてイスラム勢力と戦っていましたが、1522年、オスマン・トルコのシュレイマン大帝にロードス島を攻められて、ロードス島を退去しました。
その後しばらく難民のように放浪していましたが、神聖ローマ帝国より、毎年の地代として「マルタの鷹」1羽で、この岩しかないと言われたマルタ島を借り受け、ここを本拠とし、イスラム勢力と闘い続けます。
1565年再度シュレイマン大帝が攻め込んできました。
聖ヨハネ騎士団(マルタ島を本拠としてからはマルタ騎士団とも呼ばれます)、騎士団長はジャン・ド・ラ・ヴァレッタ。
彼は1522年のロードス島攻防戦は当時の騎士団長の副官であり、シュレイマンとは43年ぶりの再戦、因縁の対決でした。
40年~ぶりの因縁の対決なんて、古今東西の戦史でも例がありません(真田昌幸→真田幸村と徳川家康のように、片方が息子とかは珍しくないですが)。
マルタ攻防戦は、聖ヨハネ騎士団の騎士のうち6人中5人が戦死するほどの激戦の上、オスマン・トルコを撃退しました。
この勝利を記念し、またキリスト教世界各国からは称賛の嵐で、多額の寄付金も集まったことから、本拠を海に近いここに新しい町を作り、名前は騎士団長ヴァレッタから名付けました。
それ以来の街並みがマルタ共和国の首都となった今でも残っており、町全体が世界遺産になっています。マルタ名物の出窓や坂道が絵になるストリート by あおしさんオールド ミント ストリート 散歩・街歩き
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マルタの家の特徴と言えば「出窓」。
由来はよくわかりませんが、騎士団が弓で敵を攻撃するために、窓をこのように「出窓」のようにしたのでしょう。聖ヨハネ騎士団が造った中世の街並みがそのまま残ります by あおしさんヴァレッタ市街 旧市街・古い町並み
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もともとは建物同じクリーム色だったと思いますが、今では住んでいる人の好みに合わせて赤、青、緑等に塗られています。
ちょうど、おじさんが薄い緑色の塗装をしていました。 -
ヴァレッタの中心通り。
さすがに首都だけあって、多くの店があり、多くの人で賑わっていました。
各店舗も改造、補修はされていますが、中世に建てられた建物を使用しています。ヴァレッタのメインストリート 中世の建物を使ったお店やレストランが並びます by あおしさんリパブリック通り 散歩・街歩き
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マルタ騎士団はフランス、ドイツ、スペイン等のいわば多国籍軍でした。
それぞれ各国ごとに宿舎を建てました。
この建物はスペイン出身の騎士団の宿舎だったもの。
現在は首相官邸として使われています。もとはスペイン騎士団の建物で現在は首相官邸です。 by あおしさんオーベルジュ ドゥ カスティーユ/首相官邸 建造物
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闘う騎士団らしく1回の窓は鉄格子で補強しています。
2階は窓枠やドアは木製でした。
かつてはこの木製の扉を全身甲冑で固めたり、血だらけの騎士たちが出入りしたことでしょう。 -
近くにあるアッパーバラッカガーデン。
ここは騎士団の騎士たちの憩いの場だったところです。
今ではヴァレッタ市民の憩いの公園になっています。ヴァレッタの絶景ポイントです。 by あおしさんアッパーバラッカガーデン 広場・公園
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ここからはとても景色がいいです。
ココから街を見ると、城塞都市であったことがよくわかります。
マルタ騎士団はこの城塞でナポレオンに降伏するまで、多くの敵を撃退し、またガレー船等の軍船でここから出港し、地中海でイスラムの海賊等と闘っていたのです。
ちなみに、聖ヨハネ騎士団は現在はローマに移り、バチカンと同様宗教国家として現在も存続しています(多くの国が国歌として承認していますが、日本は、カトリックと敵対していたユダヤ・イスラエルやアメリカと同様、国家として承認していません)。 -
港の対岸にも城塞が造られて現在も残っています。
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かつての城塞には現在は町が造られて、バスやフェリーでヴァレッタの町と結んでいます。
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さて、10時になったので、ヴァレッタの一番のみどころ、聖ヨハネ大聖堂へ。
聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の守護聖人、聖ヨハネを由来する聖堂で、マルタ攻防戦のあと、5年かけて1578年に建てられました。
外観は質実剛健の騎士団らしく地味ですが・・・外見は地味、内部はキンキラキンで豪華絢爛 by あおしさん聖ヨハネ大聖堂 寺院・教会
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内部は、黄金の装飾の「キンキラキン」でした。
とても美しいですが、一方では質実剛健の騎士団には合わないような。 -
祭壇も豪華絢爛です。
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祭壇にはイエス・キリストに洗礼を行う聖ヨハネの像がありました。
ヨハネの洗礼により、大工の息子でしかなかったイエス・キリストは宗教心に目覚め、彼の公生涯が始まりました。
もっともわずか2年後、イエス・キリストはローマ帝国により磔にされてしまいます。 -
天井画は、聖ヨハネの生涯が描かれています。
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祭壇を正面にして、横にある礼拝堂は、騎士団を構成した8ケ国の騎士団ごとに、8つありました。
こちらも豪華絢爛で、美しい宗教画が展示されていました。 -
小礼拝堂には、カラヴァッジオ作『洗礼者ヨハネの斬首』が展示されています。
聖ヨハネはユダヤ王国の王妃を批判したため、王妃の娘サロメの要望により、斬首されます。
宗教画で好んで用いられるモチーフで、少女とお盆の上にのせられたヨハネの首の組み合わせはよく見られますが、このようにリアルに斬首されるシーンは珍しい。聖ヨハネ大聖堂の脇の部屋に絵画などが数店展示されていました by あおしさん聖ヨハネ大聖堂美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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聖ヨハネ大聖堂と騎士団長の館の間、ちょうどヴァレッタの町の中心にある広場。
多くの人が集まってて、いかにもヨーロッパ的な光景です。ヴァレッタの中心にある広場 by あおしさんパレス広場 広場・公園
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聖ヨハネ大聖堂の裏手にある聖ヨハネ騎士団長の館。
いわば聖ヨハネ騎士団の「ホワイト・ハウス」で、現在はマルタ共和国大統領官邸として使われています。
聖ヨハネ大聖堂と並ぶヴァレッタでは必見の場所なんですが、現在補修中とかで内部に入れず、資料館だけが開館とのこと。
残念、騎士団長の館の美しい建物内部が見たかったのですが。補修中なのか入館できましせんでした by あおしさん騎士団長の宮殿(ステイトルーム) 城・宮殿
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資料館には歴代騎士団長をはじめ、当時の騎士団の甲冑や鎧などが展示されていました。
聖ヨハネ騎士団はローマ教皇直轄の騎士団。
日本でいえば、徳川将軍直轄の旗本の精鋭みたいな存在で、騎士団長はヨーロッパ諸国の王たちと同格でした。 -
当時の聖ヨハネ騎士団を再現。
聖ヨハネ騎士団は騎士は300騎ほどでしたが、騎士1人あたり10人ほどの雑兵がつきます。
それでも総兵力は3000人程度。
この少ないながらも、少数精鋭で800年近くイスラム勢力と闘い続けたのでした。
ちなみに最近では、ローマ教皇と聖ヨハネ騎士団長が「コンドームの配布」を巡って争っているなんてニュースがありました。
なんともはや、先人の騎士たちが嘆きそう・・・ -
ヴァレッタの町の模型。
ちょうど岬のような場所だったようです。ヴァレッタの町の入り口 by あおしさんシティ ゲート 史跡・遺跡
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昼過ぎにヴァレッタのバスターミナルから「Ⅹ4」のバスに乗ってマルタ空港行へ。
このバスは途中のバス停で、運転手がいなくなり、別の運転手が交代したり、その交代した運転手が「X4」から「X2」に変えたり(つまり行先が変わってしまう)、車内は騒然。
あわてて運転手が「空港に行きます!空港に行きます!」。
なんともハラハラさせてくれました。メイン バス ターミナル 駅
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空港について、フライトの時刻を見たところ、アメリカのトランプ大統領が「イギリスを除くヨーロッパからの入国禁止」を発表したからか、イギリス以外のパリ、マドリッド、フランクフルト、ミュウヘン等のヨーロッパ各都市行のフライトが軒並み急きょ運休になっていて、目が点。
幸い私が乗る14時55分のドバイ行のエミレーツ航空は定時に出発とあり、ホッと一安心。
えらいぞ!エミレーツ!マルタ国際空港 (MLA) 空港
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マルタ島のフラッグ・キャリアのマルタ航空便も軒並み運休のようで、カウンターに利用者が長い行列を作るなど騒然としていました。
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ドバイ行のエミレーツ航空の飛行機は無事出発してくれました。
しかし、お客の少ないこと。
10席に1人くらいしか乗っていません。
途中キプロス島に立ち寄り、そこでは消毒作業が行われました。
ドバイにて、成田空港行のフライトに乗り継ぎ。
こちらは7~8割の搭乗者がいました。
おそらく風雲急を告げてきたので、各地から急きょ日本に帰国する人が多かったのでしょう。
成田空港に着いたときは、今回ほどホッとしたことはありませんでした。ドバイ国際空港 (DXB) 空港
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