2011/09/11 - 2011/09/14
56位(同エリア1561件中)
empenguinさん
- empenguinさんTOP
- 旅行記196冊
- クチコミ31件
- Q&A回答0件
- 306,183アクセス
- フォロワー35人
2011年ですが西安に行った写真が幾分かあるので,載せることにします.北京で仕事を済ませて延長して西安に行き,3泊しました.表題にあるような所へ行きましたが,写真は少ないです.
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
西安中心の鐘塔(Bell Tower)― ボケで済みません.中にも入りました.
3泊したホテルはここから徒歩圏でした.鐘楼 建造物
-
こちらは鼓楼(Drum Tower)― ボケてます.
近くに回民街(ウイグル回教族の食品街)がありました.鼓楼 建造物
-
兵馬俑には西安駅からバスで行きました.
兵馬俑は秦始皇帝陵の東1.5km. 大観光地になっており,内外からの観光客多数.
内部での写真撮影禁止とあったが,皆撮影していた.秦始皇帝陵博物院 (兵馬俑) 史跡・遺跡
-
兵馬俑 隊列の前部
-
秦の始皇帝陵にも行きました(兵馬俑の西1.5kmで無料バスがあります)
-
秦始皇帝陵入口の石碑.
始皇帝陵は1辺500m程あるので,電動カート(有料)に乗り周回しました. -
秦始皇帝陵.
高さは76m(当初は110mだったとのこと)で,日本の大古墳と比較して,それ程巨大とは感じなかった.地下宮殿があり,見えないが地下は広いのだと思う.頂上まで登れるのだが,疲労と時間で省略した.秦の始皇陵 史跡・遺跡
-
西安の青龍寺の空海記念碑.
空海(弘法大師)は804年31歳時に遣唐使留学僧として長安に来て,20年程留まる予定であったようだが,806年に2年で帰国している.この青龍寺で恵果から密教を学んだ.よく2年で密教奥義を習得したものである.日本に帰国し真言宗を開いた.空海は密教だけでなく,書道や灌漑技術も日本に伝えている.
青龍寺は唐末の戦乱で廃寺となっていた.1980年代に復興されたが,やはり日本人以外には興味が薄いようで,寂しい寺であった.青龍寺 寺院・教会
-
青龍寺の近くの西安交通大学 ― 有名大学です.
後ろの立派な学生活動センタには,建設に貢献した江澤民の名前がある. -
西安交通大学の新ビル.
中国政府は大学に投資しており,各大学に立派な建物を建てている.ここでも新高層ビルが建てられていた. -
西安交通大学のすぐ北側には興慶宮公園があり,阿倍仲麻呂記念碑がある.
阿倍仲麻呂は717年,16歳時に遣唐使で長安に来て,科挙にも合格し,要職も歴任し玄宗皇帝に仕えた.日本帰国を許されたが,台風に見舞われ長安に戻らざるを得なかった.結局,770年69歳で逝去まで53年間中国で過ごした.遣唐使は船での海路が大変だったとの話はよくあるが,長安は内陸であり,陸路も大変だったと思う.
記念碑の左側には望郷の詩,右側面には友人だった李白の詩がある.中国人には興味がない人物であり,素通りの人ばかりである.私は近くのベンチに座り,30分ほど1300年昔に思いを巡らした.興慶宮公園 広場・公園
-
興慶宮は唐の玄宗皇帝が政を行い,楊貴妃も一緒だったところ.
これは楊貴妃像.興慶宮公園 広場・公園
-
八路軍西安弁事処記念館にも行きました.
対日抗戦のため1936年西安事変で第二次国共合作が成り,中国共産党の紅軍が国民政府指揮下に編入され,八路軍となった.華北を中心にゲリラ戦で日本軍に対抗した.ここは中国中原の基地および作戦事務所.八路軍は第2次大戦後の中国人民解放軍のルーツであり,今日の中国のルーツでもある.
日本軍は中国でも敗れたのだが,中国軍に敗れた訳ではなく,太平洋戦争で米軍に敗れたとの見解もある.八路軍は抗日戦を果敢に戦ったが,蒋介石の国民党軍は兵力温存を図り,日本軍との戦いは避ける傾向にあった.この戦略が戦後に裏目に出て,戦後の国共内戦で八路軍(人民解放軍)が人民の支持を得ることになり,大陸は1949年に中華人民共和国となったとの見方あり.八路軍西安辦事処紀念館 (ハチログンセイアンベンジショキネンカン) 博物館・美術館・ギャラリー
-
劉少奇,後に鄧小平の住室. 10平米程でベッドと机のみの小部屋.
-
周恩来の住室. 10平米程でベッドと机のみの小部屋.
(毛沢東はこの時期,延安にいて,西安弁事処には足跡はないようである.) -
「実行対日作戦」の標語.
-
1937年7月蒋介石も来て周恩来らと会合.
なお辛亥革命は1911年で,孫文を初代臨時大統領として成立した中華民国は,今日の台湾国民政府のルーツとなっている.それだけでなく孫文は中華人民共和国でも近代革命の先行者,国父として崇められている.孫文(孫中山)の墓陵は南京にあり,20年前に行ったことがあるが,元々丘陵地で土を盛ったものではないが,秦始皇帝陵にも劣らない立派なものである.
十分な写真がありませんでしたが,これでおしまいです.
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
empenguinさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
もっと見る
西安(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
17