2020/02/21 - 2020/02/25
53位(同エリア374件中)
ankhさん
34年前に一度、ニューデリー近郊には行ってみたが、広いインドの他の地域は未体験ゾーンだった。その後、西インド(ムンバイを州都とするマハーラシュトラ州の近郊)の石窟寺院の存在を知り、何時かは行ってみたいという願望だけがズ~ッと頭の片隅にあった。
旅行社に申し込んだ昨年の11月の時点では、新型コロナウイルスなど存在しなかったので話題にもならなかったが、ビザを申請する頃になると、中国で猛威を振るい始め、アッという間に世界中に蔓延してしまった。しかし、インドへの渡航は禁止されておらず、入国もOKだったので、今回、思い切って旅立つ事にした。ホンの2週間前に旅をしていた時には思ってもみなかったが、3月3日にインド政府は、入国ビザを持っていても無効とし、日本人の入国を拒否するに至ってしまった事を思うと、大変ラッキーだったと思っている。
インドでは、連日30度を超える日々が続いたが、乾季のベストシーズンの割には、交通渋滞は減らなかったものの、何処に行っても旅行客は少なめで、写真を撮るにしても時間を有効に使え、大変助かった。また病気に感染する事も無く無事帰国できたので、ホッとしている。
今回はそのムンバイ編。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.5
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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2月21日。
朝11時5分発の全日空(NH0829便)の直行便でインドのムンバイへ。
今回は現地4泊5日の強行日程の短時間で西インドを旅する。 -
時差マイナス3時間半。
約10時間50分のフライトで、間もなく目指すムンバイだ! -
人口2200万人の大都市ムンバイはマハーラシュトラ州の州都であり、その街並み。
ほぼ定刻、夕刻6時半頃に到着。
入国の際、日本人を含む外国人は、新型コロナウィルスの影響で体温測定を求められた。 -
空港近くのアラビア海に近い市内のホテルに宿泊。
24時間、ひっきりなしに飛行機の離発着が繰り返されるので騒音が・・・
2月22日。
周辺を散策。朝6時で未だこの暗さ。
3日後の24日。帰国直前にもお世話になる予定。 -
紙たばこの露天商。
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オートリキシャー。
庶民の足だ。 -
8時にいよいよ市内観光に出発。
観光施設が集中する南ムンバイへと向かう途上、こんな街並みも。 -
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空港方面から南部への道もこの有料道路が最近できたので時間的に大幅に短縮された。
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南ムンバイが商業的に発展。
遠くに摩天楼が聳えている。 -
家前は漁師さんの昔ながらの住宅。
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工事中の高層ビル。
よく見ると足場が全て竹製でした。 -
100年以上の歴史があるドービーガード。
観光名所にもなっている洗濯場。
お得意さんは、主にホテルや病院などで、個人のお宅にはちゃんと洗濯機があるそうです。 -
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これだけあるとどれが誰の服なのか?!
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立地は駅前でもあり直ぐ裏には高層ビルがあって、東京で言えば新宿の駅前で行っているようなもの。
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ドービーガードの前には駅が。
次々と通勤客を載せているのだが、窓ではなくドアが解放されたまま走行している。 -
近郊の電車はドアを開放したまま走行するそう。
営業開始からこのほうほうなので、地元の人々は何の違和感もないのだとか。 -
駅前の路上でもヒンドゥー教にとっては、牛は最も敬う動物。
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暫く走るとまたアラビア海に出る。
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チャトラパティ・シブァジー・ターミナス駅(旧ヴィクトリア・ターミナス駅)。
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駅前に建つ市庁舎も立派だ。
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赤色のバスは国営。
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彼女が持っているのは、魔除け。
車に付けることで事故除けにするのだとか。 -
弧を描く様に続くマリンドライブ。
夜間は街灯の灯りだけでも綺麗だそうだ。 -
マニバワン。
インド独立の父、マハトマ・ガンジーがムンバイ滞在中に使っていた個人宅が今はガンジー博物館になっている。 -
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図書室。
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変遷をたどってきたインド国旗。
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ガンジーが暗殺された証拠品など、
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彼の葬送を伝える新聞。
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インド人にも人気のあるイスラム教徒、ハジ・アリのお墓。
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一旦、ここで市内観光を終え、国内便にてアウランガバードへ向かう為、チャトラパティ・シヴァージー空港へ。
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エア・インディア442便でアウランガバードへ向かった、
24日に再びムンバイに戻り市内観光を続行予定。 -
2月25日。
24日夜にアウランガバードから戻り、翌日、いよいよ最終日で、残りの市内観光とエレファンタ島へ渡ってのエレファンタ石窟寺院の観光をする予定。
朝、ホテル近くの海岸まで行くと、皆さんジョギングやウオーキングをされていた。 -
遠浅の海岸だが、泳ぐ人は多くないらしい。
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海岸で夜を過ごした人々。
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地引網での漁もしていました。
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8時に観光をスタートし、また有料道路を使って、再びムンバイ市内の南へ。
市内を走る今では珍しくなった2階建てバス。 -
インド門に到着。門の向こうは海。
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英国王ジョージ5世夫婦の来印を祈念して1911年に建立。
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インド門の記念碑。
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17世紀の英雄チャトラパティ・シヴァージーの像。
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近代の哲学者ヴィヴェーカーナンダーの像。
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タージ・マハル・ホテルの旧館と新館。
19世紀末資本家のターターが建てた世界有数のホテルだが、2008年11月にイスラム原理主義の同時多発テロにより襲撃され他数の犠牲者を出してしまった。 -
インド門の近くにある艀。
この船でエレファンタ島へ。所要1時間15分。 -
海上から眺めたインド門とタージ・マハル・ホテル。
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カモメもやって来た。
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近くで石油を試掘しているそうです。
でも、殆どは産油国からの輸入に頼っているとの事。 -
エレファンタ島が見えてきました。
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遊園地にあるようなこんな可愛いミニトレインにも乗車。
乗車時間は僅か数分でした。 -
お土産屋さんの前を通って。
起用に頭上にものを載せて運搬中。 -
サトウキビを絞ってフレッシュジュースの出来上がり。
この後、階段を上る事、約15分で目指すエレファンタ石窟寺院だ。 -
先ほど着いた艀。
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インド人と外人の入場料の違いは歴然。
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1987年、世界遺産に登録されたエレファンタ石窟に到着。
6~8世紀にシヴァ神を祀って造られたが、ポルトガル人により破壊されたという。 -
ここにもお猿さん。
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第1窟の前にある巨大な象の石像の跡。
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第1窟にはヒンドゥー教の素晴らしい彫刻が多数ある。
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中は高さ6m。広さ40㎡の中に20本の列柱で支えられている。
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この部屋の中にリンガが設置。
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ヒンドゥー教で最も大切とされる「リンガ」。
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中央にはシヴァの三面上半身象。
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奥から入り口を臨む。
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帰路も同じ航路でムンバイ市内へ。
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こんな客船を見ると、あの「ダイヤモンド・プリンセス号」を思い出してしまう。
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その後、歴史のあるムンバイ大学。
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その付近では香辛料も路上に並べての販売。
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チャトラパティ・シヴァージー・マハラージ・ブァッツ・サングラハヤ博物館。
(旧プリンス・オブ・ウェールズ博物館) -
今は、警察本部として使用されている。
これにて、西インドの旅の行程を全て終了。 -
渋滞に悩まされつつもムンバイのチャトラパティ・シバージー国際空港へ。
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全日空NH0830便にて成田への直行便。
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20時発の予定が管制官からの許可がおりず30分遅れたが、到着は、翌26日の朝7時に定刻で帰国できた。
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