2020/01/24 - 2020/01/25
17位(同エリア133件中)
かっちんさん
中山道 細久手宿(ほそくてしゅく)は江戸から48番目の宿、岐阜県東部にあります。
東の大湫宿(おおくてしゅく)から西の御嶽宿(みたけしゅく)まで17.7kmと距離が長く、両宿の人馬が難渋したため、細久手宿は仮宿を経て、慶長15年(1610)に正式に宿場町として設置されました。
江戸時代後期の記録では戸数65戸、うち旅籠屋24軒の尾州藩領でした。
現在、細久手宿に残されている宿は大黒屋旅館のみ。
もともとは尾州家が、問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、「尾州家定本陣大黒屋」のはじまりです。
安政5年(1858)大火類焼直後に再建された大黒屋は、軒庇付切妻造の二階建てで、両端に本卯建を上げ、二階が一階に比して目立って低い特徴があり、国の登録有形文化財に指定されています。
明治35年(1902)中央本線が開通したため、中山道の通行量が徐々に減り、旅館の営業をやめていた時期があります。
しかし、戦前から戦後にかけて、近くの日吉町白倉地区で亜炭採掘が盛んになり、昭和20年代後半に料理旅館「大黒屋」として復活し、現在に至っています。
中山道の街道歩きは、春・夏になると一人旅、オーストラリアなど海外からのツアー客などで増え、大黒屋の予約がいっぱいになるそうです。
瑞浪は今でも化石が発見される地層があり、瑞浪駅近くに珍しい「瑞浪鉱物展示館」があります。
また、瑞浪ではグルメ「あんかけかつ丼」が味わえます。
今日は瑞浪駅に昼前に到着し、「あんかけかつ丼」を食べ、「瑞浪鉱物展示館」を見学します。
午後に中山道細久手宿までデマンド交通で移動し、宿場町を散策、大黒屋に泊まります。
大黒屋では、江戸時代の尾州家定本陣だった歴史を感じ、山の幸・川の幸にひと工夫加えた夕食を堪能します。
冬の時期だったので泊まり客はかっちん夫婦だけ。宿の温かいおもてなしをひとり占めします。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・SPinfo地域のきらめき「あんかけかつ丼、加登屋食堂」
・うどんミュージアム、うどん百科事典「香露うどん」
・超高層ビル・都市開発研究所「JR瑞浪駅周辺再開発事業」
・瑞浪市「みずnavi(旅編)」:瑞浪鉱物展示館
・多治見市美濃焼ミュージアム「宿場町のやきもの-中山道の歴史をうつわでたどる-」
・中山道ぎふ17宿歩き旅事務局「中山道細久手宿」資料
・大黒屋旅館のパンフレット
・書籍「建築デザインの解剖図鑑」、エクスナレッジ、2013年6月1日
・神仏ネット「蘇民将来とは|茅の輪/子孫家門符の起源やスサノオ/牛頭天王の伝説を解説」
・瑞浪市日吉町まちづくり推進協議会「日吉町」:亜炭採掘
・ウィキペディア「ビカリア」「瑞浪市立日吉第二小学校」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
瑞浪周辺の案内図(瑞浪駅前)
中山道は木曽川と中央本線に挟まれた山間部を東西に通っており、ここに細久手宿の宿場町がありました。
細久手宿は瑞浪駅(みずなみえき)から11.3km離れており、駅前からコミュニティバスまたはデマンド交通などを利用します。 -
老舗の食堂「加登屋(かどや)」(瑞浪駅前)
瑞浪駅に12時前に到着。瑞浪名物の「あんかけかつ丼」を食べに行きます。
創業は昭和12年(1937)。「あんかけかつ丼」は創業時から登場しています。
現在、ご主人は三代目。名物の味を守り続けています。 -
イチオシ
これが「あんかけかつ丼」(加登屋)
だし汁の中に卵を溶いた「あん」をかけたかつ丼。
かつは柔らかくサクサクし、少し甘みのある味は絶品。
タレントやマスコミが度々取材に来られているようで、サイン色紙が壁一面に貼られています。 -
イチオシ
もう一つの名物「ころうどん」(加登屋)
岐阜県でよく見かける「ころうどん」。コシの強いうどんです。
ころうどんは、濃いめに合わせた汁の香りが良いことから「香露(こうろ)」と呼ばれるようになり、後に「ころ」と省略されて呼ばれるようになりました。
「ころうどん」と「あんかけかつ丼」がセットになった「ころうどん定食」950円を食べました。 -
「ビカリヤ貝」の電話ボックス(瑞浪駅前)
瑞浪は大昔海底だったことがあり、「ビカリヤ貝」の化石が発見されています。
モニュメントは巨大過ぎますが、でも実物は長さ10cmほどあります。 -
「陶片の塔」(瑞浪駅前)
瑞浪のある東濃地区は美濃焼の生産が盛んなところ。
四角い陶片を積み上げ、「窯の煙突」のようにしています。 -
「窯の煙突が並ぶ瑞浪」(瑞浪駅地下通路)
瑞浪駅南口から北側へ向かう地下自由通路の壁面に、瑞浪の焼物の町が描かれています。
今はガス窯に変わっているので、煙突の並ぶ風景が見られなくなってきました。 -
「SLの到着する瑞浪駅」(瑞浪地下通路)
のどかな瑞浪の風景ですね。 -
瑞浪駅北口広場
ロータリーの模様は菊の紋章かな? -
瑞浪鉱物展示館「カルール」(瑞浪駅北側)
瑞浪駅ホームから「瑞浪鉱物展示館」を見つけたので見学に来ました。
本業は鉱物・宝石等を販売しています。
鉱物展示館は別棟に鉱物3,500点、宝石裸石4,000点を展示し、入場無料です。 -
「蛍石」(鉱物展示館)
岐阜県平岩鉱山で採れたもの。 -
「珪化木」(鉱物展示館)
アリゾナ産。 -
年輪のような「セラフィナイト」(鉱物展示館)
ロシア産の「クリノクロアー」。 -
化石「ビカリア」(鉱物展示館)
瑞浪市で採れたもの。
新生代第三紀に繁栄し、現在は絶滅しています。 -
「瑞浪駅前」バス停
細久手宿へ行くコミュニティバスは、瑞浪駅前から平日15:35発と16:00発の2本運行。
その他の時間帯はデマンド交通「いこCar(いこかあ~)」が、平日10:00、11:40、14:00に出発するので、前日17:00までに電話で予約します(運賃は500円)。
これから14:00発の「いこCar(いこかあ~)」に乗ります。 -
瑞浪コミュニティバス「日吉線」路線図
「いこCar(いこかあ~)」はコミュニティバスと同じ経路を走り、途中日吉地区を通ります。
日吉は戦前、戦後に亜炭が採掘され賑わった集落です。 -
中山道「細久手宿」に到着
「細久手宿」の長さは東西に3町45間(約408m)。江戸時代後期の天保14年(1843)の記録では戸数65戸、うち旅籠屋24軒で尾州藩領でした。
街道沿いには、本陣跡、大黒屋旅館、庚申堂、日吉・愛宕神社、木曽御嶽の眺められる茶屋ヶ根等があります。 -
今晩の宿「大黒屋」
今晩は一軒宿の「大黒屋」に泊まります。
細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になり、他領主との合い宿を嫌った尾州家が、問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、「尾州家定本陣大黒屋」のはじまりです。
安政5年(1858)大火類焼直後に再建された家は、軒庇付切妻造の二階建てで、両端に本卯建を上げ、二階が一階に比して目立って低い特徴があります。
チェックインは15時以降なので、宿に荷物を置かせてもらい「細久手宿」の散策に出かけます。 -
イチオシ
昭和レトロなタバコ屋さん(細久手宿)
宿の向かいにある細久手公民館前で、宿場町の概要を解説した案内板を読み、にわか勉強。
ここから東に向けて歩くと、最初に商店があります。
ボーダーの「TOBACCO」表記と、腰がタイル貼りでなく、全体が木製であることから、戦前の造りと思われます。
木枠の窓を開けると、看板娘がいたのかなあ・・・ -
ドライヤーマークの理容店(細久手宿)
茶色のドライヤーマークは、全国理容環境衛生同業組合連合会の組合員の証。 -
宿場を見下ろす「庚申堂」(細久手宿)
弘法様と呼ばれた庚申堂が、宿場の東北の鬼門、宿場を見下ろす小高い丘に建っています。
お堂は細久手で最も古い建物で、享和2年(1802)に再建されたものです。
堂内には薬師如来、如意輪観音、弘法様、庚申様が祀られています。
境内には観世音、如意輪観音、地蔵菩薩、笠塔婆、役行者等があり、当時の人たちの信仰の厚さが偲ばれます。 -
日吉第二小学校跡(細久手宿)
明治6年(1873)細久手村に浩々学校が開校。
その後、日吉第二小学校となり、昭和58年(1983)日吉第一小学校と統合し廃校になりました。
現在跡地は、ガラス再資源化タイル・ブロックを製造する「クリスタルクレイ株式会社日吉工場」になっています。 -
馬頭観音(細久手宿)
元治元年(1864)建の馬道観音が集落の外れに祀られています。 -
処刑場跡(細久手宿)
昔、妻の浮気に腹を立てた夫が妻と浮気相手を殺した罪により、ここで処刑されたという話が残っています。 -
御嶽山(細久手宿)
細久手宿の入口に旅人が休憩する茶屋があった「茶屋ヶ根」。
ここから遠くに真っ白な「御嶽山」を見ることができます。 -
妙見大菩薩(細久手宿)
「茶屋ヶ根」付近から、中山道と並行している森林の道を西へ向かいます。
細久手で一番高い場所に「妙見大菩薩」の碑が建っています。
妙見菩薩は北極星を神格化したもので、その名の通り「妙なる見」で事の善悪や心理を見通すと言われています。 -
日吉愛宕神社(細久手宿)
宿場の西の霊場となる位置に文禄4年(1595)日吉神社と愛宕神社が祀られました。 -
茶色の混じる狛犬(日吉愛宕神社)
大正12年建立の狛犬。 -
九万九千日観音(細久手宿)
岩屋の中に祀られている観音様は、1回お参りすると九万九千日分のご利益があると信じられ、昔は大勢の人が線香を持ってお参りしたため、すすで中が真っ黒になったほどです。
本尊は馬頭観音。
ここは細久手宿の西の入口です。 -
細久手宿絵図(細久手宿)
文化10年(1813)頃の中山道沿いに並ぶ細久手宿の様子。
大黒屋さん前身、尾州家本陣問屋場があります。 -
国枝家の墓(細久手宿)
国枝与左衛門は細久手を開いた人。
ここには与左衛門から孫兵衛までの4つの墓が建てられています。 -
二股の杉(国枝家の墓)
墓の周辺には二股の杉が3組ほど、墓を囲むように生えています。
杉の遺伝ですかね? -
和宮の井戸(細久手宿)
皇女和宮が文久元年(1861)徳川家へ降嫁のとき、当宿で休憩。そのとき使用された井戸で、今も清水が湧き出ています。
井戸は美容の水として親しまれています。 -
日吉屋(細久手宿)
格子戸と卯建の残る昔の商家です。
かつての宿場の様子を物語る貴重な家屋です。 -
魔除けかな?(日吉屋)
-
里山の風景(細久手宿)
土蔵の建つ里山です。 -
本陣跡(細久手宿)
-
イチオシ
中山道に残る大黒屋(細久手宿)
宿場町を一周し戻ってきました。
大黒屋の建物は登録有形文化財に指定されています。 -
玄関の外灯としめ飾り(大黒屋)
旅籠を思わせる現代版の外灯。
蘇民将来子孫也(そみんしょうらいしそんのけもん)のしめ飾りは、「蘇民将来の子孫なので、厄災を降りかからないようにしてください」という意味です。 -
重厚な玄関門(大黒屋)
街道に面している問屋役酒井吉右衛門宅を尾州家定本陣にしたため、前庭がなく、玄関に分厚いに門を付けています。 -
上段の間(大黒屋)
式台から見た「上段の間」。
本陣に準じた格式になっています。 -
箱階段(上段の間)
二階へ上がる箱階段。 -
奥座敷の床の間(上段の間)
掛け軸は狩野探信の「義経八艘飛びの絵」。 -
付書院(奥座敷)
付書院(つけしょいん)の上方に昼と夜を表す雲形板があります。 -
階段と天井(二階から)
階段を歩くとミシミシという音がします。
いい感じの壁の汚れとミシミシ音が歴史を感じます。 -
二階客室
街道に面した部屋です。
二階の奥座敷は改装中でした。 -
イチオシ
障子腰板(客室)
朝顔の絵が描かれています。 -
部屋を取り囲む吹抜(二階)
二階から下を見ています。
廊下がぐるりと巡らされています。 -
大きな蜂の巣(二階)
70年前に割れたガラス窓から蜂が出入りして作った巣が今も天井からぶら下がっています。 -
イチオシ
夕食の突き出し(奥座敷)
今回の泊まりはかっちん夫婦だけ。
ジャズの音楽が流れる奥座敷で夕食が始まります。
銀杏、カボチャなど野菜を使った突き出し。 -
小皿(夕食)
ユリ根、イカの田楽味噌和え、和え物など。 -
アマゴの塩焼き(夕食)
-
茶碗蒸し(夕食)
中に湯葉、豆腐などが入っています。 -
野菜の天ぷら(夕食)
海苔で巻いた天ぷらの中身は何でしょう?
モチモチの食感と山芋みたいな味。
実は蓮根の擦りおろしを天ぷらにしたもので美味。 -
鯉の甘露煮(夕食)
骨に気を付けながら、ほど良い甘さの身。美味です。 -
ご飯と汁(夕食)
-
デザート(夕食)
夕食は山の幸、川の幸の食材を使い、どれもひと工夫された料理に感激しました。 -
翌日の朝食(奥座敷)
手作りの日本食です。
細久手宿は宿場町の面影があまり残っていませんが、大黒屋に泊まり江戸時代の建物に歴史を感じ、美味しい料理を味わうことができました。
翌日は街道歩きではなく、日本原子力研究開発機構の超深地層見学会に参加します。
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