2020/01/27 - 2020/01/31
180位(同エリア444件中)
ぽっちさん
戦跡巡り2日目は、日本軍がフィリピン軍・アメリカ軍の捕虜に対して行った、死の行進を中心に巡ってきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
おはようございます。バターン半島、マバラカットの旅2日目の朝でございます。
本日も天候に恵まれ、大変ありがたく思います。
昨日宿泊したホテルにドライバーさんが迎えにきてくださいましたが、昨日とは違う方でした。
契約では二日間同じドライバーで、そのドライバーの方の宿泊費・3000ペソを我々は支払うことになっています。
車の関係で、昨日のドライバーとはチェンジした、というようなことをおっしゃっておられました。
なんやて?ほんとか?てか車の関係ってなんやねん。
旅行会社からは、なんの連絡もきてないんですけど。
このまま誘拐なんぞされたら、シャレになりません。
人を疑うのは良くありませんが、なんせ途上国に来ているので慎重になります。
疑心暗鬼な顔をしていたら、色々書類を持ってきて、頼んだ会社のドライバーさんであるということが判明しました。
ちなみにマニラ到着時に旅行会社に寄って会計、という流れでしたが、もちろん宿泊費3000ペソの支払いはなしです。
旅行会社の代表らしき人にはちゃっかり請求されましたが、我々に支払いの義務はありません。この日のドライバーのおっちゃんに確認したところ、当日マニラからアンヘレスへ来ていたのですから。
そもそもドライバー変更の連絡すら、受けていません。 -
さて、気を取り直して最初の目的地、サマット山へ向かいます。
サマット山周辺は日本軍とフィリピン軍・アメリカ軍の激戦地であり、こちらの十字架は犠牲者の慰霊塔として建立されたそうです。 -
本来は、内部に設置してあるエレベーターで上まで登ることができるのですが、機械の不具合で登ることができませんでした。
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山を少し下ると記念館があり、バターン半島の戦いについて記載してある石板が掲げられていました。
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記念館の中の様子です。
記念館といっても、遺留品などの展示物はありません。 -
次に向かったのは、死の行進の0ポイント地点です。
グーグルマップには位置を示すピンが出てこず、ドライバーさんが地元の方々に所々で聞いて回ってくださり、やっとこさたどり着きました。
大変にありがたく、朝、かなり疑ったことに謝罪会見を開きたい気分です。 -
0ポイント地点からすぐのところに、モニュメントがありました。
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写真の左側の数十メートル先に、先ほどの0ポイント地点があります。
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0ポイント地点からほど近くの、フレンドシップタワーへやってきました。
白い塔の下方には、終戦後の友好関係を願うが如く、日本の梵鐘が設置されていました。 -
0ポイント地点周辺からサマット山周辺へ戻り、次の目的地へ向かいます。
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こちら、次の目的地であるカポット台周辺です。
カポット台は、バターン半島の最激戦地であったと言われているところです。
最激戦地であることを示す看板などは、特にありません。 -
今は民家も建ち、田んぼや樹木で平和な風景ですが、当時は凄惨な地であったことは疑いようがありません。
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当時では考えられないほどの長閑さが、今はあります。
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遠くにサマット山と、十字の慰霊塔を臨むことができます。
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次にやってきたのは、バランガ小学校という学校の敷地内にある、バターン戦争博物館です。
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敷地に入ってみたものの、博物館への案内看板らしきものが見当たらず、職員の方にお聞きしました。
ちょうど付近を歩いていた、3年生くらいの女の子二人組に職員さんが声をかけ、案内してあげなさい、的なことをおっしゃってくださいました。
好奇心のかたまりの視線を送られながら、小学生に博物館までご案内いただきました。
どうもありがとう、とお礼を述べると、アニョハセヨ~きゃっきゃっきゃ、と去って行かれました。
We are Japanese.
まあいいか。
ツアー参加では味わえない、現地の方との交流があるので、個人旅行はやめられません。 -
博物館は2階建てになっており、こちらは2階部分の展示です。
1階には、死の行進を説明する模型や、遺留品、第二次世界大戦のビデオ上映がありまして、撮影は禁止でした。
ここの管理をされている、我々の祖母よりは少し若いくらいのご婦人方に、懇切丁寧に説明をしていただきました。
何か質問はある?と聞かれましたが、何しろ英語の苦手な日本人ですので、
いえ、親切に教えていただき、感謝しております。
と、お礼だけ述べることで精一杯でした。
語学って大事です。 -
2階部分からの風景です。
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戦時中のものであろう建物も、ぽつんと残っていました。
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帰りの道すがら、ちょこんと置いてある博物館への案内看板を発見しました。
写真を撮っていると、アイスキャンディーをペロペロしている、低学年であろう男の子たちから、コンニチハ~コンニチハ~とご挨拶賜りました。
そうなんですそうなんです。We are Japanese.
全力の日本語で、
こんにちは~もう授業おわったの~?なんで学校でアイス食べてるの~
とお返しすると、きゃっきゃっきゃと去って行かれました。
無邪気です。 -
バランガ小学校の皆様、大変ありがとうございました。
-
次にやってきたのは、サンフェルナンドの駅舎跡です。
なんか、本に載っとる写真とちゃうやん? -
ドライバーさんの開いていたスマホのマップには、ここがサンフェルナンド駅と出ていたのですが、ここはセントトマス駅跡でした。
え?そうなん?違うん?
まじか、じゃあちょっと聞いてくるわ!
あ、ちょっとその本かして!
と、ドライバーさんは周辺にいた地元民に、バリバリ日本語表記の戦跡ガイド本を見せながら、どこにあるのか聞いて回ってくださいました。
数人の人が集まってきて、一人のおっちゃんが、
これあっこやん!ほら、そこシュッと曲がってドーンといったら、ピッて曲がったとこやわ。
と教えてくださり、ドライバーさんもシュッと曲がってドーン、ぴっやね、と確認していました。
大丈夫か? -
無事着きました。
ありがとうございます。 -
ここは死の行進、102km地点です。
ここまで瀕死でたどり着いたフィリピン軍・アメリカ軍の方達は、ここから貨車に乗せられ収容所まで運ばれた、ということです。 -
内部は博物館になっており、銅像や、
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当時の紙幣などの、展示物がありました。
-
駅舎跡の裏には、子馬さんがいました。
-
二日間の観光を終え、一路マニラへ向かいます。
ドライバーさんを始め、地元の様々な方の協力があって、安全に全ての場所を訪問することができました。
本当に、ありがたく思います。
バターン半島を巡り、感じたことは、過去に日本軍が作り上げた凄惨な歴史の事実は、もう少し日本でも教育されても良いのではないだろうか、ということでした。
拙い旅行記ですが、お読みいただきありがとうございました。
翌日はコレヒドールの戦いの地、コレヒドール島を巡る旅・旅行記④へ続きます。
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大東亜戦争の戦跡を巡る!東南アジアの旅①
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