2019/10/17 - 2019/10/19
114位(同エリア256件中)
napaさん
伊豆半島はいくつもの有名な観光地がありますが、今回は人ごみを避けた落ち着いた旅がしたくて、西伊豆中心にジオパークを巡りました。
10/17 新幹線で三島へ、土肥温泉泊
10/18 ジオサイトを訪ねながら海岸線を南下、湯ケ野温泉泊
10/19 河津七滝から柿田川湧水群まで北上、帰宅
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の始まりは三島から、名物のうなぎを食べて道路向かいの三嶋大社を抜けて
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三島は富士山からの伏流水が市内あちこちから湧いています。
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貯水槽もありました。
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ずっと伊豆半島西海岸沿いに車を走らせて、海に突き出た砂嘴の先に真水の湧く池があるという大瀬崎にも行ってみたかったのですが、台風の影響で一部通行止めとなっていました。大瀬明神の神池は伊豆七不思議のひとつであるとともに、唯一伝説上のものではないだけに残念です。
山越えの道への分岐点、古宇にあった水利図、ほとんどの建物が屋号紋で表されています。 -
御浜岬、カモメたちを従えて漁から戻る漁船。
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大瀬崎も御浜岬も海流が運んだ砂が堆積してできた砂嘴で、それぞれに特徴的な植生の樹林となっています。
御浜岬 自然・景勝地
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御浜岬に守られた戸田の漁港、駿河湾越しに富士山が見えるはずなのですが。
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土肥の温泉宿からは清水港とを結ぶフェリーが入港するのが見えました。この航路は県道223号に指定されていて、富士山をかたどった標識も立っていました。
土肥の街にはいくつも民宿があって、夏は海水浴客でにぎわうようですが、季節外れの今はひっそりとしています。民宿や海の家は夏のあいだの稼ぎだけで一年を過ごせるのでしょうか。 -
翌朝、土肥の街を散歩。こども園には園庭をすべて占めるほどの頑丈な鉄骨のやぐらがそびえていました。こんなに大きな津波が来るかもしれないということですね・・・
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龕附天正金鉱、となりには金40t、銀400tも産出したという土肥金山の大きなテーマパークがありますが、あえてこちらへ。受付のおじさんが道案内しながらひとつひとつ丁寧に説明してくれます。
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順路の山側斜面には江戸時代の採掘方法が展示してあります。う~ん、おじさんも展示物も何とも言えない味わいがあります。
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松明の煙が自然に抜けるよう天井を階段状に掘っています。ほかにも換気のための立坑や、人が歩くことでふいごのように空気が入れ替わるいくつもの工夫が見られます。
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当時は三十三間より深く掘り進むと空気がなくなると考えられていたので、最深部に祠を刻み山の神を祀って堀り止めとしました。決して大きくはない遺構ですが、鎚と鏨で人の手で掘るのにどれくらいの年月がかかり、どれくらいの金がとれたのでしょうか。
龕附天正金鉱 名所・史跡
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安楽寺、樹齢1000年の大きな楠が目印です。
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山門右奥にあるまぶ湯、金鉱採掘のため岩盤を掘っていたところ温泉が湧き、土肥温泉の発祥となりました。
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岩窟に一歩、足を踏み入れると息が詰まるような湿って重たい空気が満ちています。たいがいの洞窟は涼しいものですが、ここは暖かく蒸して、とても鉱石を掘り続けることはできなかったでしょう。湯船がありますが、現在は入ることはできません。かわりに湯かけ地蔵に病気治癒を祈願しながらお湯をかけるとご利益があるそうです。
安楽寺 まぶ湯 温泉
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坑道最深部の御神体、境内には子宝祈願の絵馬がたくさん奉納されていました。
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こちらも立派な土肥神社の御神木、幹回り11m、樹齢1,000年
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土肥神社前の住宅、周囲には以前は旅館だったと思われるたたずまいの建物がいくつもありました。時代とともに人々の求める温泉宿が変遷していったのが伺われました。
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城ヶ島までやってきました。伊豆が南の海の海底火山だった頃に堆積した噴出物が、やがて伊豆と本州の衝突によって隆起し、その後浸食を受けて造られた景観。軽石や火山灰からなる礫岩や砂岩を削って、そのまま階段や通路としています。
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海面に近い下部ほど重たい大きな石の層、上に行くほど粒子が細かくなっているのがわかります。また後方の蛇島には海底に積もった火山灰の層が固まらないうちに土砂が流れ込んで白い蛇がうねるような紋様となった荷重痕が見えます。
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うつくしい縞状の地層と
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入り組んだ地形。何人もの人が思い思いの場所で水彩画を描いていました。
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天窓洞、奥行き147mもあるという不思議な自然の造形です。青空であれば海の色や差し込む陽光がうつくしいことでしょう。
堂ケ島天窓洞 自然・景勝地
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洞窟めぐりの遊覧船もありますが、どんより曇り空、先へ進むことにしました。
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1880年、明治13年竣工の伊豆最古の小学校校舎、岩科学校
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欄間には入江長八の鏝絵、千羽鶴
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教育勅語の納められた奉安庫、言葉としては知っていましたが初めて見ました。
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中をのぞいてみたい昔の教科書。
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なまこ壁や瓦屋根にバルコニー、和洋見事に調和しています。総工費は現在の貨幣価値に換算して2億円、その4割以上を地域住民の寄付で賄ったといわれています。
岩科学校のある松崎町は北海道・十勝開拓の祖と呼ばれる依田勉三の出身地です。山が海に迫り、耕作に適した平地がほとんどないこの地域から、岩科学校の建設された年代と前後して北海道の原野に入植して晩成社を興し、畜産、バター製造など当時としては先進的な事業に次々に取り組みました。そのほとんどは北海道の過酷な自然の前に失敗に終わったのですが、未来のために行動する姿勢に共通点を感じました。重要文化財 岩科学校 名所・史跡
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室岩洞、江戸時代から昭和29年まで伊豆石を切り出していた石丁場跡
室岩洞 名所・史跡
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海底に降り積もった火山灰や軽石からなる伊豆軟石と溶岩などからなる伊豆堅石があり、耐火性が強く加工しやすい軟石は石蔵などに、堅牢な堅石は江戸城の城壁などに利用されました。伊豆半島各地で切り出されていましたが、ここは軟石の産地でした。
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古代神殿のような、地下迷宮のような採掘跡
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地下水のたまった一画も。
石材を決まった寸法で採掘した跡がきれいな紋様となっています。天井付近では横方向に切り出していき、その後下方向に掘り下げていく方法で採石した様子がわかります。 -
石材を運び出していた出口の上には滴る雨水を横に流すための雨どいとして斜めに溝が刻まれています。
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船積み湾に続く細い道、この先は崖といってもいいような急傾斜となって海に落ち込んでいます。伊豆石は小さな入り江まで滑り落して船積みしていたそうです。
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雲見までやってきました。
雲見烏帽子山 自然・景勝地
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海から絶壁が立ち上がる標高162mの烏帽子山は海底火山だった頃のマグマの通り道が冷えて固まったものです。その頂上にある雲見浅間神社への参道、長い石段を登ります。
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石段の脇のホトトギスの花
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振り返ると転げ落ちそうな急傾斜、この先は完全に山道です。
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雲見浅間神社本殿、よくこんな急峻な岩山の上まで資材を運び上げ、社を建立したものです。本殿横の大岩の上が展望台になっています。
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南には千貫門、ここからでは海蝕洞は見えませんが、浅間神社の門ともされているそうです。
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北は天気が良ければ富士山まで見えるそうですが。
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雲見の集落を見守る浅間神社からの絶景
つづく・・・
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