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中城城跡を見ました。すごい石垣に感動しました。石垣の積み方も3種類あるようです。時代が重層しているのかな。

沖縄(3.3) 中城城跡をみる。すごい石垣ですね。積み方も3種類ある。時代が重層しているのかな。

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2020/01/16 - 2020/01/16

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nomonomo

nomonomoさん

この旅行記のスケジュール

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中城城跡を見ました。すごい石垣に感動しました。石垣の積み方も3種類あるようです。時代が重層しているのかな。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 中城城跡に来ました。世界遺産です。

    中城城跡に来ました。世界遺産です。

  • 中城城跡 名所・史跡

    発掘調査中。成果が待たれる。偉大な遺跡です。 by nomonomoさん
  • 「カンジャーガマ。鍛冶屋跡。鍛冶を行っていたところと言われているが,城のためか集落のためか定かではない。一説によれば,護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたとも伝えられる。」

    「カンジャーガマ。鍛冶屋跡。鍛冶を行っていたところと言われているが,城のためか集落のためか定かではない。一説によれば,護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたとも伝えられる。」

  • 正門。<br />「西の方角へ向けてたてられた正門(櫓門)。門をはさむように両側に石垣がせり出し,ハンタ道(公道)に向け狭間がつられている。」

    正門。
    「西の方角へ向けてたてられた正門(櫓門)。門をはさむように両側に石垣がせり出し,ハンタ道(公道)に向け狭間がつられている。」

  • もらったパンフレットから写します。

    もらったパンフレットから写します。

  • 「中城城跡には三種類の石積みがあります。」

    「中城城跡には三種類の石積みがあります。」

  • 「中城城跡を含め,沖縄のグスクは本土より古い時代から石積技術が発達していました。その石積みの種類は,大きく分けて,野面(のづら)積み,布積み(豆腐積み),あいかた積み(亀甲乱れ積み)があります。」

    「中城城跡を含め,沖縄のグスクは本土より古い時代から石積技術が発達していました。その石積みの種類は,大きく分けて,野面(のづら)積み,布積み(豆腐積み),あいかた積み(亀甲乱れ積み)があります。」

  • 「野面(のづら)積みは南の郭に見られます。」<br />「布積み(豆腐積み)は一の郭城壁に見られます。」<br />「あいかた積み(亀甲乱れ積み)は三の郭にみられます。」

    「野面(のづら)積みは南の郭に見られます。」
    「布積み(豆腐積み)は一の郭城壁に見られます。」
    「あいかた積み(亀甲乱れ積み)は三の郭にみられます。」

  • 拝所。御當蔵費神(うとうくらひぬかん)。通称:首里遥拝所。

    拝所。御當蔵費神(うとうくらひぬかん)。通称:首里遥拝所。

  • 拝所。雨乞イノ御嶽。

    拝所。雨乞イノ御嶽。

  • 拝所。中森ノ御イベ。通称:着替御嶽(ちげーうたき)。

    拝所。中森ノ御イベ。通称:着替御嶽(ちげーうたき)。

  • 一の郭正殿跡の調査概要<br /><br />現在地は中城グスクの中心にあり、先中城按司(さきなかぐすくあじ)や護佐丸(ごさまる)などの城主が政(まつりごと)を執り行っていたと考えられる場所です。<br />護佐丸滅亡後は、中城の地が琉球国王の世継ぎである中城王子の所領となり、<br />17世紀後半にはこの場所に番所が置かれ、明治期には琉球の日本併合とともに<br />番所は役場と名を改め、<br />1945年4月に沖縄戦で焼失するまで同地は中城の行政の中心地として長い期間使用されていました。<br />この場所に建っていた建物の記録としては、番所役場についての記録が僅かに残っているだけで、<br />それ以前のものについては図面や文献等は残っておらず、どのような建物が建っていたのかは分かっていませんでした。<br />(沖縄のグスクには、本土のお城にあるような天守閣は存在しません。)<br />その謎を解明するため中城村教育委員会では、平成21~24年度の期間(調査は毎年3~4ケ月間実施)<br />に約480㎡の発掘調査を実施しました。<br />調査の結果、石積みで城郭が築かれるより前の13世紀後半から役場のあった近代にかけての建物の礎石や柱穴、各種石組遺構、埋甕など700基程の遺構を検出することができました。<br />しかし、残念ながら基壇築造後に何度か造成が行われた上に、建物も <br />かなりの回数建て替えられたため各遺構が複雑に入り組んでおり、<br />現場では各時期の建物の構造や間取りを明確に把握する事はほとんどできませんでした。<br />今後はこれら遺構から出土した遺物や測量図等を基に各遺構を整理していく予定です。

    一の郭正殿跡の調査概要

    現在地は中城グスクの中心にあり、先中城按司(さきなかぐすくあじ)や護佐丸(ごさまる)などの城主が政(まつりごと)を執り行っていたと考えられる場所です。
    護佐丸滅亡後は、中城の地が琉球国王の世継ぎである中城王子の所領となり、
    17世紀後半にはこの場所に番所が置かれ、明治期には琉球の日本併合とともに
    番所は役場と名を改め、
    1945年4月に沖縄戦で焼失するまで同地は中城の行政の中心地として長い期間使用されていました。
    この場所に建っていた建物の記録としては、番所役場についての記録が僅かに残っているだけで、
    それ以前のものについては図面や文献等は残っておらず、どのような建物が建っていたのかは分かっていませんでした。
    (沖縄のグスクには、本土のお城にあるような天守閣は存在しません。)
    その謎を解明するため中城村教育委員会では、平成21~24年度の期間(調査は毎年3~4ケ月間実施)
    に約480㎡の発掘調査を実施しました。
    調査の結果、石積みで城郭が築かれるより前の13世紀後半から役場のあった近代にかけての建物の礎石や柱穴、各種石組遺構、埋甕など700基程の遺構を検出することができました。
    しかし、残念ながら基壇築造後に何度か造成が行われた上に、建物も
    かなりの回数建て替えられたため各遺構が複雑に入り組んでおり、
    現場では各時期の建物の構造や間取りを明確に把握する事はほとんどできませんでした。
    今後はこれら遺構から出土した遺物や測量図等を基に各遺構を整理していく予定です。

  • 拝所。シライ富ノ御イベ。

    拝所。シライ富ノ御イベ。

  • 大井戸(うふがー)。番所井戸。

    大井戸(うふがー)。番所井戸。

  • 三の郭(さんのかく)。新城(みいぐすく)。<br />「三の郭は新城(ミーグスク)とも呼ばれ,石積み技法の最も進んだあいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれている。」

    三の郭(さんのかく)。新城(みいぐすく)。
    「三の郭は新城(ミーグスク)とも呼ばれ,石積み技法の最も進んだあいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれている。」

  • 裏門。<br />「東に向かって建てられた裏門。ペリー探検隊一行がエジプト式と評した精巧なアーチがひときわ美しい。」

    裏門。
    「東に向かって建てられた裏門。ペリー探検隊一行がエジプト式と評した精巧なアーチがひときわ美しい。」

  • 中城城跡は、かつて、貿易が行われていた屋宜(やぎ)の港から2kmほど離れた標高約160Omの丘陵上にあります。<br />中城村の西北から北中城村の南側このびていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、<br />300余もあるとされる沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られています。<br />石垣の上に立つと、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)を望み、勝連半島、知念半島、<br />さらには周囲の洋上の島々まで見渡たせる眺望のすばらしいところです。<br /><br />城は、連郭式の山城で、六つの郭(くるわ)で構成され  ています。<br />城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、自然の岩石と地形的条件を生かした美しい曲線で構成されています。<br />その築城技術の高さは、芸術的と言われ、歴史的にも高い評価を受けています。                                 <br /><br />中城城跡は、14世紀後半頃迄先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世代にわたり、<br />西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ、<br />1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸(ごさまる)によって、北の郭、三の郭が増築され、<br />現在見られるグスクの形が完成したようです。<br /><br />中城城跡は、1972年5月15日(日本復帰の日)に、国の史跡に指定されました。<br />指定面積は110,473m2(約33,400坪)で、その内14,473m2(約4,300坪)が城郭の面積です。<br /><br />2000年12月2日には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つとして世界遺産にも登録されました。

    中城城跡は、かつて、貿易が行われていた屋宜(やぎ)の港から2kmほど離れた標高約160Omの丘陵上にあります。
    中城村の西北から北中城村の南側このびていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、
    300余もあるとされる沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られています。
    石垣の上に立つと、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)を望み、勝連半島、知念半島、
    さらには周囲の洋上の島々まで見渡たせる眺望のすばらしいところです。

    城は、連郭式の山城で、六つの郭(くるわ)で構成され ています。
    城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、自然の岩石と地形的条件を生かした美しい曲線で構成されています。
    その築城技術の高さは、芸術的と言われ、歴史的にも高い評価を受けています。

    中城城跡は、14世紀後半頃迄先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世代にわたり、
    西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ、
    1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸(ごさまる)によって、北の郭、三の郭が増築され、
    現在見られるグスクの形が完成したようです。

    中城城跡は、1972年5月15日(日本復帰の日)に、国の史跡に指定されました。
    指定面積は110,473m2(約33,400坪)で、その内14,473m2(約4,300坪)が城郭の面積です。

    2000年12月2日には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つとして世界遺産にも登録されました。

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