2020/01/15 - 2020/01/15
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miharashiさん
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年明けに友人から連絡があり、小金井公園にある江戸東京たてもの園にもう一人の友人に誘われたから一緒に行かないかと誘われ、幸い暇な日だったので、行くことにした。当日は友人が車を出してくれ、小雨の降る中、出かけた。途中武蔵小金井の駅で、千葉市から来る友人をピックアップ。駅の北にある小金井公園へ向かった。公園中央入り口には駐車場はなく、5分ほど東に走ったところにある別の公園口を入ったところにあった(1時間300円)。天気予報では昼近くに晴れるということだったが、まだしとしとと雨が降る中、案内表示に従ってたてもの園へ急いだ。友人の友人によると今日は月唯一の65才以上は無料の日だという。公園内を6,7分歩いたところあるビジターセンター(旧光華殿)内のチケット売り場へ。年齢を証明するものを持たなかった私は生年月日を言ってフリーのチケットを受け取ることができた。これから行かれる方は年齢を証明するものを持参したほうがいいと思います。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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江戸東京たてもの園は、江戸から昭和初期まで建てられた東京の歴史的な建物を移築して、保存・展示する野外博物館。東京都小金井市の都立小金井公園内に設置されている。電車で行く場合は、JR中央線武蔵小金井駅、または西部新宿線花小金井駅からバスで5分のところにある。今回は幸い友人が車を出してくれたので、楽に来れた。
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チケット売り場でパンフレットとフリーのチケットを受け取り、まずは建物内の特設展示場へ。今日は建築家の堀口捨巳さんの設計図などが展示されていた。まったく知識がなかったので後で調べてみると、耐震力学が重視されていた当時の東大建築学科への反動と、ヨーロッパの新しい建築運動への憧憬から、東大同期生らと従来の様式建築を否定する分離派建築会を結成。後に日本の数寄屋造りの中に美を見出し、伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図った人であることを知った。(Wikipediaより)
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建物は東ゾーン、センターゾーン、西ゾーンとに分けられて配置されていたので、西ゾーンから見て周ることにした。最初に訪れたのが、三井財閥の三井八郎右衛門邸。
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昭和27年に港区西麻布に建てられたもの。
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二階の廊下には不釣合いなシャンデリア。これは別の建物から持ってきたものらしい。
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一階の客間と食堂部分は明治30年に京都に建てられ、戦後港区に移築されたという。
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襖絵がりっぱだ。
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友人二人がなかなかもどってこなかったので、聞いたら、蔵に案内されていたとか(写真右)。蔵は明治7年に建築されたものに復元したものだそうだ。
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次に西ゾーンの外れに建つ農家の綱島家へ。
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小雨が降る寒い日なのに、戸が開けっ放しなので、暖炉で暖をとっていた。
暖炉際にはおもちで作った飾りが飾られていた。 -
土間にはお台所。
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炊事場。
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立派な梁。
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寒いので早々にお暇。係りの人は大変だ。他に農家がいくつか建っていたが外から眺めるだけにとどめた。
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つぎに訪れたのは小出邸。これは特設展示場で扱われていた堀口捨巳さんの設計で大正14年に文京区に建てられたもの。オランダで流行していたデザインと日本の伝統的なつくりを合わせた造りになっているという。屋根の造りが斬新だ。
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子出邸の向かい側には洋風建築のデ・ラランデ邸。明治43年に3階建てに増築されたもの。持ち主は何回か変わっているという。外から眺めるのとどめる。
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旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)。尾張藩主徳川光友の正室千代姫が母を供養するために建立したものだそうだ。東京都指定有形文化財に指定されている。
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センターゾーンに建っていたのが、高橋是清邸。港区赤坂から移築されたもの。明治35年築。
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友人たちが一階でガイドさんにつかまっていた間一人で2階へ。広々とした和室が連なっていた。写真を撮影して早々に一階へ下りてトイレ休憩をして待っていたら、長い間玄関で待たされた。後で友人から1936年の2,26事件で是清が殺害されたのが2階の寝室だという説明を聞いていて遅くなったことを聞いて、ぞっとした。写真のいづれかの間が殺戮現場だと思われる。
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西ゾーンに移動。時刻は12時45分で、雨もやみ青空が見えてきた。
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丸二商店、昭和初期に建てられた荒物屋。建物の全面を小さな銅板を組み合わせて覆っている。
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筆が並んでいた武居三省堂。明治初期に創業の文具店。
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奥に銅板で覆われた建物が植村邸。昭和2年築。手前が大和屋本店で乾物屋。港区白金台に昭和3年に建てられたもの。
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万徳旅館。青梅街道沿いに江戸末期から明治初期に建てられたもの。内部は昭和25年当時の様子に復元。2階の一画がレストランになっている。
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明治初期に文京区に建てられた町屋。内部は大正期の仕立て屋を再現。中には入らず外から撮影しただけ。
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最後に訪れたのが立派な作りの銭湯。子宝湯。昭和4年足立区千住元町に建てられたもの。
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まずは女湯?
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入浴料金が大人15円。安いのか高いのかわからない。最後の説明に婦人髪洗料とあったので、こちらが女湯かな。
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ペンキ絵の説明。
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こちらの男湯?には定番の富士山の絵。
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脱衣所。
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男女湯の境。
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女湯脱衣所。昔入っていたことがあるので、めずらしいというよりなつかしかった。
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子宝湯の左隣が鍵屋(かぎや)という居酒屋。安政3年(1856年)に建てられたとつたえられているそうです。震災や戦災をもまぬがれたのは凄いと思った。
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鍵屋の内部。昭和45年頃の姿に復元されたもの。
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子宝湯からみた小寺醤油店
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子宝湯から見た万徳旅館。この建物の一階が休憩所。1時すぎているのその2階でうどんを食べることに。
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笹もちを3人で一個ずつシェア。3個で310円。おいしいおもちだった。
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素うどんだったが、うどんがもちもちしていておいしかった。寒かったので温かいもので大正解。千葉から来た友人は久しぶりのだったので、話がはずみ、長居してしまった。
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食べ終わって外にでるとすっかり青空が広がっていた。
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ヴィジターセンター前にはりっぱな桜が並んでいたので、春に来てみたいと思った。
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駐車場横の梅林を見ると、早いもので一輪開花していた。
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拡大して。
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青空をバックに。数日後には見ごろを迎えそうな勢いだ。ゆっくり見学していたので駐車料金は3時間を越えていた。ここは桜の季節に訪れたいところだった。
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