2019/07/06 - 2019/07/15
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いずみっふぃさん
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年に1度恒例のM美との旅行もなん回目かな?
目標は、『ヨーロッパ大陸制覇!』。
だから、ついつい欲が出て、無理なスケジュールになってしまう。
当初9月に予定していたけど、M美の仕事の都合で急遽7月に決行。
旅行には行きたいけど、何処に行く?
ゴールデンウィークに会って飲んだ時には、ポルトガル、スペイン、モロッコが候補地。
この日なら大丈夫、が前提なので必然的に航空券が高くなってしまう。
航空券の購入は5月末。
そこからスケジュール立てて、ホテル予約してとなるのに、
連絡はほとんどLINE。
旅行前に会ったのは、6月中頃に1度だけ。
そして、羽田空港で待ち合わせ。
どんな旅になるのでしょうか。
7/ 6 羽田(00:10) → フランクフルト(05:20)
フランクフルト(09:25) → セビリア(12:15) (セビリア泊)
7/ 7 セビリア → マラガ (マラガ泊)
7/ 8 ジブラルタル (マラガ泊)
*7/ 9 マラガ → コルドバ
ツアーに参加
~ アンダルシアの人気都市とアルハンブラ宮殿
スペイン・アンダルシア周遊2日間 ~
10:50 コルドバ(メスキータ、ユダヤ人街、花の小径)
↓
17:00 グラナダ (グラナダ泊)
7/10 AM中 グラナダ(アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ庭園)
↓
13:15 ミハス(サンセバスチャン通り、展望台)
↓
17:00 ロンダ(ヌエボ橋、旧市街)
↓
20:30 セビリア(セビリア泊)
7/11 セビリア → リスボン (リスボン泊)
7/12 ツアー参加
~アゲタの傘祭りとオドビス、ナザレ、コインブラ、コスタノヴァ~
7:50 レスタウラドーレス広場 集合
↓
9:15 オドビス(旧市街、ポルタ・ダ・ヴィラ)
↓
10:30 ナザレ(シティオ地区の展望台、プライヤ地区)
↓
13:00 コインブラ(旧大学、旧カテドラル、コインブラ大学、昼食)
↓
16:00 アゲタ(カラフルな「傘の空」散策)
↓
18:00 コスタノヴァ(カラフルなコテージの街)
↓
20:00 ポルト着(ポルト泊)
7/13 ポルト観光(ポルト泊)
7/14 ポルト(12:05) → フランクフルト(15:45)
フランクフルト(18:10) → 羽田(12:15(15日))
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
今回の旅行は、ちょっと勿体無い旅程になっています。
当初は、マラガ→ジブラルタル(日帰り)マラガ泊→セビリアとしたかったのですが、
マラガまでの飛行機が見つからない。
6日(深夜)、もしくは7日出発と決めていたので、しょうがない。
renfe
MARAGA(09:00) → CORDOBA(09:57) -
朝9時前のマラガの駅構内は、開いているお店も少ないので人もまばらです。
-
今日、明日の2日間はツアーに参加。
個人で移動するには時間が足りなかったので割高感と自由を我慢しました。
アンダルシアの人気都市とアルハンブラ宮殿 スペイン・アンダルシア周遊2日間
7/9 10:50 コルドバ市内観光
メスキータ、ユダヤ人街、花の小路
昼食
14:00 グラナダへ移動 (167km/3h)
17:00 ホテル着
7/10 午前 アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ庭園
11:00 ミハスへ (172km/2.15h)
13:15 ミハス
サンセバスチャン通り、展望台
各自で昼食
15:15 ロンダへ (85km/1.45h)
17:00 ロンダ
ヌエボ橋、世界最古の闘牛場、旧市街
18:00 セビリアへ (119km/2h)
20:30 ホテル着
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車内撮影してなかったみたい。
シートはゆったり、足元もゆったり、網棚は透明で忘れ物防止になっているのかな。
ただ、スーツケース置場は少ない。 -
コルドバ駅、プラットホーム。
10:00 人は少なかったですね。 -
コルドバ駅。
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駅前は、こんな感じ。
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ツアーバスを降りた先には、ローマ橋やメスキータが見えます。
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メスキータとは、スペイン語のモスクを意味します。
でも一般的には固有名詞として『コルドバの聖マリア大聖堂』(Catedral de Santa María de Córdoba)を指す場合が多いようです。
世界遺産にも登録されているメスキータ、楽しみ・楽しみ。
ローマ時代から栄えていたコルドバ、ジブラルタル海峡を渡って侵攻してきた
イスラム教徒によって征服されてからは、益々繁栄して来たようです。
大きなモスクが必要だと考え、モスク建設を開始したのは785年のこと。
小規模だったモスクは、イスラム教徒の増加により3回の拡張工事の結果、10世紀末には2.5万人を収容できる巨大モスクになっていました。
しかし13世紀のレコンキスタによってカスティーリャ王国がイスラム教徒からコルドバを奪還すると、巨大モスクはカトリックの教会堂に転用されるようになり、モスクの内部に作られた礼拝堂で日曜日にはキリスト教徒が礼拝をし、金曜日にはイスラム教徒が集団礼拝をするというように共存の時代がしばらく続くのです。
16世紀にはスペイン王カルロス1世が、モスクの中に教会堂を建設したことで、1つの空間に2大宗教の礼拝堂が混在するという、類稀なモスクへと変貌していったようです。 -
Molino de San Antonio
製粉所
小さな造船所 -
グアダルキビル川が流れている。
ローマ橋は1世紀の初頭にはすでにコルドバに存在していたそうです。
イベリア半島の南側からコルドバに入るための唯一の手段がローマ橋でした。 -
カラオラの塔
コルドバ旧市街の防衛施設として14世紀に建てられ、現在は博物館
メスキータのミニチュアなんかも展示されているようで、ミニチュアならではの
世界観で楽しめるかも。 -
現在のローマ橋の形は1572年に出来上がったもので、長さは331メートル、16個のアーチ型の土台に支えられています。
アーチ型の土台はもともと17個あったんだって。
古代ローマ時代に築かれた「ローマ橋」は、グアダルキビル川にかかる橋で
全長247m、幅9m。各地にダムができるまでは、今よりもずっと水量が豊富だった
ため、橋脚は洪水時の激流に耐えられるよう、石組みで流線形になっています。 -
カラオラの塔
素通りとは残念です。 -
ローマ橋のラファエル像の奥に見える鐘楼にもラファエル像が見られます。
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ローマ橋の真ん中には1651年に建てられたサン・ラファエルの像があって、地元の人がろうそくの火を灯しています。サン・ラファエルはキリスト教の中で大天使とされているうちの一人だそう。
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サン・ラファエル像の向かいにある石碑?
これは何?
コルドバの守護聖人はサン・ラファエルであると言われたいますが、そうではなく、ローマ時代のクリスチャンであるアシスクロとビクトリアの兄弟であり、コルドバ
最初の殉教者。
メスキータ内部には二人を描いたものがあるようです。 -
この川には豊富な水が流れています。
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プエンテ門 Puerta del Puente
堂々たる門は、かつて街を囲んでいたアラブの城壁の一部
「プエンテ」はスペイン語で橋を意味します。 -
スペイン語で橋を意味する「プエンテ」。ローマ橋を渡るとすぐに見えてきます。その堂々たる門は、かつて街を囲んでいたアラブの城壁の一部でした。
1571年にルネサンス様式で再建されましたが、未完成で工事が中止。その後、1928年に記念門として再建されました。 -
このモニュメントは、聖ラファエロ勝利記念碑。
この塔は18世紀のフランスの彫刻家により建てられたものです。 -
西壁?東壁?どっち?
高さが10mもあり、その壁には内部の二重アーチの円柱やミフラーブなどを象ったビザンチン様式のモザイク装飾が再現されています。 -
中央扉の上は赤と茶色の放射状縞模様を有する馬蹄形アーチです。
その上は同様なアーチが半周期ずらして4個重ねられた連続交差アーチです。
その左右は多弁(多葉)馬蹄形アーチです。
その下の白い幾何学模様は大理石の透かし彫りです。 -
175mx135mの外壁にぐるっと囲まれたメスキータ。
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ギターを弾いているおじさん。
義父は50年近く前にスペインにギターの修行?に2、3年行ったらしいけど、
1970年代って時代に子供2人と奥さんを日本に置いて行くなんて、すごいよ。
86歳の今でもギターを背負って、月2回ほど教えに行っている元気なじーさんです。 -
さあ、この扉の向こうはどうなっているのでしょうか。
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始めは小さなモスクでしたが、後のカリフ、アブデルラフマーン3世がミナレットの建設を命じ、モスクはどんどん立派になっていきます。
ミナレット(英語、アラビア語ではメッザア)とは「アザーン」という礼拝の呼びかけを行うために作られたモスクに付随する塔の事。
昔は礼拝時間の度に人が塔に登り、大きな美しい声で呼びかけを行っていましたが、
現在は塔に拡声器が取り付けられ、呼びかけはモスクの中からマイクで行っているようです。
塔の上部には鐘が取り付けられ、尖塔にはの守護聖人ラファエルの像があります。
これは16世紀になり取付けられた物なので、モスクの時代には四角柱の部分まで(約40m)だったと想像しておいて下さい。
モスク時代の指導者アブド・アッラフマーン3世の時代に建設されたミナレットは、低層建築の多いコルドバの市街地ではひときわ目をひきます。ミナレットの内部にある203段のらせん階段を登れば上部のバルコニーに上がることができます。 -
塔の上部には複数の鐘が設置され、尖塔の先にはコルドバの守護聖人ラファエルの像が据えられています。
ミナレットとは呼んでいますが、高さ54mの塔のうち、モスクの時代のものは40mの高さの四角柱までで、その上に付け足された14mの円柱部分がレコンキスタ以降に付け足された鐘楼(キリスト教会)になっています。 -
中庭は19列におよぶ柱廊の礼拝空間を残して、屋根付きの回廊て囲まれています。
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壁の模様は何を表しているのでしょうか。
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聖アムブロシオ(San Ambrosio)礼拝堂です。
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円柱の森(Bosque de columnas)
メスキータといったら、赤と白からなる2層アーチが見所ですよね。
柱はローマ時代や西ゴート時代のものを再利用していいますが、高い天井を支えるには細くて短かったようです。2層アーチの構造は、赤レンガと白石を円弧状に交互に並べた馬蹄形アーチを造り、その上に角柱を載せてこれらを半円アーチで結んだ造りとなっています。 -
19個中15個はメスキータがキリスト教の教会になったときふさがれました。
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壁で塞がれたアーチ。
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赤いレンガと白石が交互に配置された、2層の馬蹄型アーチ。
2層アーチにしたのは、重量の分散のためのようです。
モデルとなったのは、メリダにあるローマ時代の水道橋とか。 -
美しいアーチがずらりと並ぶ姿は、まさにメスキータを象徴する光景ですね!このアーチがあるエリアは、785年にアブド・アッラフマーン1世によって最初に建設された部分になります。
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円柱の森
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建設費用を抑える為に、各地から集められたローマ神殿の大理石柱などを再利用しているので、台座部分、柱頭部分のデザインや色がにはバラつきがあります。
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身廊の天井。屋根のトラス(三角形を基本とした骨組みの構造体)の下部に色を塗り、その上に金箔細工で作った模様だそうです。
眩いとは、いきませんね。 -
この扉を開けたら光が差し込む?
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円柱の森
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光があり、赤いレンガが色あせていない円柱の森。
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キリスト教の天井とイスラム教の天井。
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円柱の森の奥の格子の中には、キリスト教。
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イスラム教建築のアーチとキリスト教建築のヴォールト、まさに二宗教の融合。
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壁ひとつ取っても。。。です。
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イスラム教徒への改宗者が増え、961年アルハカーム2世により大規模な増築が行われました。最初の建設から150年以上経っていたにも関わらず、初期の雰囲気を崩す事がないように工夫され、増築されました。ただし、既に神殿の柱を使う事はなく、台座もなくなっており、同じサイズに造られた柱を使っています。
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建物や装飾を保護するためにあえて薄暗くしてあるメスキータと違って、明かり取りの窓が多く設けられたカテドラルのスペースには豊富な自然光が差し込んでいて、同じ建物の中とは思えないくらい明るい雰囲気です
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アーチ上部は東方三博士とか。
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ここは、イスラムとキリストの融合のわかりやすい場所、ビジャビシオサ礼拝堂。
キリストの十字架が掲げられた礼拝堂の周囲は、イスラムの2層アーチに囲まれています。 -
円柱の森
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この教会の墓碑はすごいです
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メスキータ見る価値、大いにあります。
やはり、自身の目で見てほしい。 -
円柱の森
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そしてミフラーブを強調する目的で造られたのが、このマスクラと呼ばれる空間です。金と青で美しく装飾された八角形のドーム型天井は非常に高さがあり、窓から光が差し込む設計になっています。アップしてみると、草花の装飾やコーランが細かくびっしりと刻まれています。
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こちらはミフラーブと言い、イスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示すくぼみです。馬蹄型アーチには金色のビザンチン・モザイクが施されており、周囲にはコーランの一節も刻まれています。
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モスクに絶対に必要なミフラーブとは、メッカの方向(キブラ)を示す場所。
全世界のイスラム教徒は現在のサウジアラビアのメッカにあるカアバ神殿の方向に向かい、1日5回の礼拝をしています。 -
イスラム教、奥が深い。
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こちらの天井の金箔細工はちょっと明るいようです。
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床の墓にはスカル。
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ミフラーブの隣にあるサンタテレサ礼拝堂は聖具室(宝物室)として利用されており、中央には金と銀の豪華な聖体顕示台が展示されています。
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AURELIO TENOの作品。
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壁の装飾はミナレットでしょうか。
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金の十字架が施されている扉。
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聖テレサ礼拝堂の東にある聖クレメンテ博物館(Museo San Clemente)。
10世紀の拡張時における石工職人のサイン(Firmas de los canteros)。 -
よく見ると赤い部分はタイルではなく、色を塗っています。
経費削減のようです。 -
これは何のシンボルでしょうか。
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はぁ、すごいよ。
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メスキータの成り立ち
古代 ローマ 時代から属州として栄えていたコルドバ。
5世紀には西ゴート族に、6世紀には東ローマ帝国の支配を受けていました。
そんなコルドバに、ターレック将軍率いる7000名のイスラム軍がアフリカ大陸からジブラルタル海峡を渡り、コルドバに侵攻してきたのは711年の事でした。
イスラム軍の目的は土地を奪う事ではなく、イスラム教の布教でした。
あっという間にイスラム化が進んだコルドバに大きなモスクが必要だと考えたカリフ((アブデルラフマーン一世)は、西ゴート時代の「聖ビセンテ教会」があった場所を買い取り、785年にモスク建設をスタートさせています。 -
18世紀の祈祷書
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マヨール礼拝堂のドーム天井
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13世紀にキリスト教徒のレコンキスタ(国土回復運動)によってカスティージャ王国がコルドバを再征服すると、コルドバの巨大モスクはカトリック教会の教会堂に転用されます。最終的には16世紀、スペイン王カルロス5世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世)の治世にモスク中央部にゴシック様式とルネサンス様式の折衷の教会堂が建設され、イスラム教とキリスト教の2つの宗教が同居する唯一無二の、世にも珍しい建築が成立しました。メスキータは大きく分けて、『鐘楼』と『オレンジの中庭』(かつてのみそぎの中庭)、そして無数の柱が森のように広がる祈りの場である『礼拝の間』の3つの部分から構成されています。
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1236年、再びキリスト教国になったコルドバ。
ここで活躍していたイスラム学者たちは、トレドに集められ、厚遇され、様々な知識がキリスト教世界へと広まっていくのです。
当初はイスラム教徒もこの地を追われる事もなく、モスクの内部に礼拝堂が作られ、日曜日にはキリスト教徒が礼拝をし、金曜日にはイスラム教徒が集団礼拝をするというように共存していましたが、君主が変わると事情も変わってきました。
特に、カトリック両王と呼ばれたイザベル女王とフェルナンド王の時代になるとユダヤ人は追放され、イスラム教徒は改宗を迫られ、迫害を逃れて多くの人がアフリカ大陸へと逃げ渡りました。
そして、16世紀、メスキータを取り壊して、大聖堂を建立するという計画が持ち上がったのです。
メスキータの歴史的価値、芸術的価値が分かっていたコルドバ市民は取り壊しに猛反対しましたが、当時のスペイン王カルロス1世(神聖ローマ帝国ではカルロス5世)は建築許可を与えます。 -
聖歌隊席です。
マホガニー製の椅子席がコの字型に並んでいます。 -
レリーフは上段がキリストの生涯、下段は地元コルドバの殉教者たちを
表しています。 -
聖歌隊席の天井。
華麗なレリーフにより、豪華さが際立っています。 -
大聖堂建立の為に、もともと1056本あった二重アーチの円柱は850本までに減らされ、大きな祭壇や、パイプオルガンを備えた礼拝堂などが作られました。
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足元には墓碑が現れます。
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主祭壇に吊るされた奉納ランプ。
銀製で、直径182cm、重さ約200kg
大聖堂建立の為に、もともと1056本あった二重アーチの円柱は850本までに減らされ、大きな祭壇や、パイプオルガンを備えた絢爛豪華な礼拝堂などが作られました。
モスク時代には19の身廊全てに入り口があり、中庭で身体を清めた人たちがスムーズに中に入れるようになっていましたが、これらの入り口もほとんど塞がれてしまいました。 -
円柱の森
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円柱の森
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メスキータは外観、建物の中もイスラムの建築様式が残された造りです。
けど、真ん中だけゴシック様式のれっきとしたキリスト教の大聖堂となっていて、
不思議です。
イスラム教の建物の中に、キリスト教カトリックの大聖堂があるというのが、コルドバのメスキータが歴史的・宗教的に注目されている要因のひとつです。 -
大聖堂建立の後にカルロス5世が言った言葉
Habéis destruido lo que era único en el mundo, y habéis puesto en su lugar lo que se puede ver en todas partes. En todas las ciudades importantes hay bellas catedrales, pero solo Córdoba tiene una Mezquita tan singular.
-Carlos V
どこにでもあるような建物(大聖堂)のために、この世で唯一のもの(モスク)を壊してしまった。 -
モスクとして最後であり、最大規模の拡張を行ったのは、987年、アルマンソールによるものでした。
前述のミヒラーブの前方にはグアダルキビール川が広がり、これ以上前方へは拡張できないのでバランスは崩れますが、横への大増築になりました。 -
鎖でつながれて何を祈るのでしょうか。
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鉄格子の向こうって気になります。
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大きなメスキータの中には『これは何?』と思うものが沢山あります。
で、これは何? -
どこかの国の撮影があったようで、ここは見ることが出来ません。
何があったんだろう? -
元々のモスクでは礼拝堂と中庭は礼拝をする場所として一体化しており、礼拝堂に入りきれない信者は中庭で礼拝をしました。そのため中庭と礼拝堂をつなぐ19のアーチは全てオープンになっており、礼拝堂の中の導師の声が中庭まで響き渡るように設計されていました。イスラムの礼拝は跪いて行い場所を取るため、そのような構造をしていたわけです。
これに対し、キリスト教の礼拝は椅子に座って行われ場所を取りません。このため礼拝は大聖堂内部のみで行われるようになり、アーチのほとんどは壁で塞がれてしまいます。
そして、かって礼拝の場所だった中庭は礼拝のために敷き詰められていた石を引き剥がし、オレンジの木を植えた庭に変えられました。
中庭にはイスラム教徒が身を清める水盤もありましたが、それは噴水に変えられます。
オレンジ・コートと呼ばれる中庭には、糸杉とオレンジの木が植えられています。
この前庭は、かつてイスラム教徒がお祈りの前に身を清める、浄めの庭でもありました。 -
壁の板は、8~10世紀にかけて天井板として使われたものですが、傷みが激しくなったため、天井板は現在のものに取り換えられています。
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メスキータともお別れです。
世界三大宗教といえば、キリスト教、イスラム教、そして仏教。
ヨーロッパ旅行の魅力はキリスト教と思っていたのに、イスラム教の奥深さを知り、
ますますヨーロッパへの魅力が増し増しです。 -
次の旅程は、花の小径とユダヤ人街。
5月の『パティオ祭り』ってどんなだったんだろう。 -
パティオ祭りの時は、ここも花で飾られていたのでしょうか。
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路地の花々に会えました。
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白い壁に青いポットに入った花達。
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細い路地の奥には、メスキータのミナレットが見えます。
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扉の上にもポットに入った花達がいます。
お水をあげたら、水が滴り落ちないのかなぁ。 -
花と一緒にバッグが下がっていました。
何で??? -
5月のパティオ祭りの時期だったら、この細い路地も人通が多かったんでしょうね。
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コルドバの人々は、お花が大好きなんですね。
1921年にパティオの美しさを競うコンクールが始まり、毎年5月にパティオ祭りが開催されるようになりました。
パティオ祭りは、2012年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されています。 -
ここにもミナレットが顔を出しています。
これは、メスキータは三方をユダヤ人街が囲んでいるからです。 -
アルファベットのタイルで表札つくちゃおうかな。
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ミナレットのラファエルが見えています。
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PATIOの看板があります。
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犬の落し物注意!があります。
なんとも言えない可愛さです。 -
白壁に低層の街並みは、どこを向いてもフォトジェニックです。
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壁には荊の冠のキリストのタイルがひっそりとありました。
ここは、ユダヤ人街。
キリストはユダヤの王だからかな。 -
お土産屋さんもあり、賑やかな一角なはずですが、お昼時間は人通りが少ないようです。
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HARIBOのマスコットキャラが居ました。
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ツアーには昼食が付いています。
こちらのレストランで頂きました。 -
まずは、ガスパチョ。
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オックステールのシチュー。
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デザート。
無難な名物料理が頂けました。 -
イベリコ豚のパッケージ車。
食べたかったなぁ。 -
コルドバともお別れです。
次は、グラナダです。
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