2019/12/10 - 2019/12/10
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tono202さん
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小春日和の讃岐路
善通寺の後ろに控える五岳の山脈が紅葉しています。
紅葉見学がてらに、出釈迦寺の奧の院の捨身が嶽に行ってみようと思います。
ここは、空海が幼いときに捨身行を行った行場です。
ここで、私も人生を考えて見ます・・・のつもりです。
- 交通手段
- 自家用車
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善通寺の街中から西を見ると五岳の盟主である我拝師山が見えます。
古代からのこの地の甘南備山です。
この地の天孫降臨の山です。
天気もいいし、山も色づいて来たので紅葉見物に行って見る事にしました。 -
やってきたのは我拝師山の麓にある四国霊場出釈迦寺。
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我拝師山の捨身が嶽には空海が真魚と呼ばれた子どもの頃に、捨身行をおこなったと伝えられる行場があり、次のような話が語られています。
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真魚(まお)は我拝師山に登り、「仏は、いずこにおわしますのでしょうか。我は、将来仏道に入って仏の教えを広め、生きとし生ける万物を救いたい。この願いお聞き届けくださるなら、麗しき釈迦如来に会わしたまえ。もし願いがかなわぬなら一命を捨ててこの身を諸仏に供養する」と叫び、周りの人々の制止を振り切って、山の断崖絶壁から谷底に身を投げました。すると、真魚の命をかけての願いが仏に通じ、どこからともなく紫の雲がわきおこって眩いばかりに光り輝く釈迦如来と羽衣をまとった天女が現れ天女に抱きとめられました。
それから後、空海は釈迦如来像を刻んで本尊とし、その中腹に堂宇を建立しました。この山は釈迦出現の霊地であることから、その麓の寺は出釈迦寺(しゅっしゃかじ)と名付けられ、真魚が身を投げたところは捨身が嶽(しゃしんがだけ)と呼ばれました。 -
また、青年期の空海はここで獄像求聞持法の修行も行ったというのです。
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稲作が始まった弥生時代から霊山として崇められた我拝師山は、空海修行の地としても信仰の対象となったようです。
出釈迦寺は、捨身が嶽の遙拝所から発展してお寺になったようです。 -
それでは、靴の紐を結び直して吾も行くなり
修行の山へ -
出釈迦寺からはコンクリート舗装された道が、一直線に上に伸びていきます。
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空海から三百年後に、歌人で真言行者であった西行もこの地を訪れています。
西行は空海の修行場で、自らも行を重ねたようです。
参道には、西行にちなんだ遺跡もあります。 -
急な登りを30分も登ると、天霧山から多度津方面が望めるようになりました。
晩秋の讃岐路です。 -
そして、奧の院が見えてきました。
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奧の院の背後が捨身が嶽の行場になるようです。
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我拝師山と中山の鞍部に立つ山門をくぐると、奧の院はすぐそこです。
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地図で確認すると、善通寺から香色山→筆の山→我拝師山の頂を結んで、登山道が整備されています。これが昔の五岳の行者道(禅定道)だったようです。そして、この道は弥谷寺から七宝山を経て、本山寺や観音寺へと伸びていました。
中世の修験者達は、このルートで辺路修行を重ねていたようです。
それでは、奧の院へ行きましょう。 -
赤い帽子を被った地蔵菩薩様が下界を見守っています。
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近年、参道が整備されて、城郭の上に立つ小天主のようなような趣もします。
あれが鐘楼です。 -
境内の一番上の鐘楼にやって来ました。
古い石造物が、あちらこちらに点在しています。
かなたに見えるのは天霧山です。
山中には弥谷寺があります。
そして、その向こうは瀬戸内海です。 -
西に向かって「石鉄」神がまつられています。
石鉄とは石鎚山のことです。
石鎚の遙拝所として石鎚信仰の場でもあったことがうかがえます。 -
無事到着を感謝して、鐘を突きます。
その鐘の向こうに輝くものが・・・ -
釋迦如來像がいつの間にか鎮座していました。
先ほど見た空海の捨身行の際に、現れた仏が釈迦如来でした。
これだけ神々しい仏が生身の儘で自然の中にあると、なにか違和感も感じます。 -
本堂に御参りします。
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西行の山家集の中の一節が石碑になっています。
ここで、修行中だった時期の山家集には空海の事がよく記されたいます。
空海の聖地で、自分も修行に取り組んで行こうとする気持ちが伝わってきます。
空海の捨身行を追体験しようとしていたように私には思えます。 -
さて、行場に向かいます。
本殿の下を通路をくぐると・・・ -
いよいよ捨身が嶽の入口です。
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鎖の付いた岩場を少し上手振り返ります。
本堂の向こうに鐘楼
そしてその横には・・ -
先ほどの輝く釈迦如来です。
こうして遠くから見ると違和感も消えていきます。
修験者達を見守る仏、
下界の俗世を優しくみまもる仏のように思えてきます。 -
空に近づくにつれて、視界は広がります。
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そして、捨身が嶽に到着
背後の岩場が「廻り岩」のようです。 -
ここが捨身行を行った行場のようです。
捨身の行われた岩を捨身岩といいます。
行場には、どうしても跳ばなければ渡れない大き石があります。
その間を跳ばなければなりません。
飛び損ねると落ちて死にます。これが「捨身」行です。
こういうところの行は一回では済みません。何回でもぐるぐる回るわけです。 -
一段退くところには、4つの石柱で囲まれた壇があります。
ここでは、聖火が燃やし続けられたのでしょう。
ここで昼夜燃やされた聖火は、麓の人々や沖行く船からもよくみえたことでしょう。 -
空海や西行が、ここで死と向き合いながら修行に励んでいた光景をイメージしようと、私も座り込んで瞑想。
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「行道」は神聖なる岩、神聖なる建物、神聖なる本の周りを一日中、何十ぺんも回ります。修行者の徳本上人は、周囲500メートルぐらいの山を三十日回ったという記録があります。歩きながら食べたかもしれません。というのは休んではいけないからです。
円空は伊吹山の平等岩で行道したということを書いています。「行道岩」がなまって現在では「平等岩」と呼ばれるようになっています。江戸時代には、ここで百日と「行道」することが正式の行とされていたようです。
空海もこの山で、虚空蔵求聞持法の修行のための「行道」を行ったのかもしれません。 -
この「捨身が嶽」を乗り越え、廻る行者の姿がかつてはあったのでしょう。
若き空海もその中の一人だったのかも知れません。 -
この壇は、西に落ちて落ちていく夕日を見守りながら護摩を焚くには最高のロケーションです。
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地蔵さま座るその向こうを覗いてみました。
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ここでも「覗き」の行が行われたのかも知れません。
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私には「捨身行」は百年早いようです。
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煩悩まみれの儘に、山を下りる身に
「また来なはれ」
と石仏は声をかけてくださったような・・・ -
空海や西行の境地には一歩も近づけないままに、修行の聖地を後にしました。
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そんな私を狛犬は笑って送ってくれました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 熟年ドラゴンさん 2019/12/13 08:07:19
- tomo202さん、こんにちは。
- ご訪問、ご投票ありがとうございます。
捨身が嶽、行ってみたいです。四国では石鎚と剣には登りましたが、ここと穴禅定も行ってみたいと思っていました。
これからもよろしくお願いします。
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