2019/12/01 - 2019/12/18
1146位(同エリア2912件中)
ブヒブヒさん
1998年5月日本からパタヤに定住。
いろいろ楽しかったが飽きてきたので
パタヤとは真逆のチェンラーイに2013年12月に引っ越す。 ↓
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10836373/
しかし2017年に勢いでジョムティンビーチに
コンドミニアムを2部屋も買ってしまう ↓
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11320106/
さらに2018年10月 パタヤの知人が警察に逮捕される事件が発生!
その手伝いやら後始末でチェンラーイとパタヤを毎月、行ったり来たり。
(そのうちこの事件の顛末をアップ・・・するかも)
そんな中でパタヤが、タイ人が、大きく変わっていることを痛感する。
タイ在住20年以上の仲間たちと「昔は良かった」と懐かしんでいる。
ボケが始まっているのでそんな昔のことを忘れないうちにここにメモっておこうと思う。
まだけっこう忙しい身の上なので思いついたら書き足す形式なので
適当に付き合ってくださいませ。
これでも聞きながら ↓ 読んでけれ
https://www.youtube.com/watch?v=F6YGw44uo3k
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- バイク
-
★パタヤは小さな漁村であったがベトナム戦争時に米軍の保養地として開発された。 そのため風俗産業が盛んになる。 終戦後、米軍が去り、代わってヨーロッパからの観光客が増え、観光業・風俗の街として世界的に有名になる。
パタヤは世界情勢を映す鏡のような街である。 昔は上記で述べたようにほどんどが欧米からの観光客であった。 それのため看板も英語やドイツ語で書かれていて、ヨーロッパのビーチにいるような感じだった。 しかしヨーロッパ経済の低迷からか欧米人は少なくなり、代わりに経済的に急成長している中国人やインド人が大挙して押し寄せている。 店の看板のみならず道路標示板に中国語が併記されてきている。 -
★ 昔のパタヤの遊び方
正確には覚えていないが 多分2005年ころくらいまでヨーロッパ諸国からくる観光客は何週間もの長期休暇を取る余裕があった。そのため彼らはオープンバーで一晩中飲み明かし、騒いでいた。 何せヨーロッパとは8~10時間も時差があるのでタイの深夜0時は彼らにとってまだ宵の口。バー街が本格的に盛り上がるのは夜中過ぎなのである。 そして気に入ったバー嬢がいると長期でペイバー(連れ出)して、近隣の観光地や島などに一緒に旅行する、そんな遊び方でした。
しかし最近の客は短期の旅行者ばかり。そのせいか短期決戦型の遊びが中心となり、ゴーゴーバーが乱立し、遊び代が高騰してしまった。
オープンバーで飲んだりバー嬢かまったりしてマッタリ過ごすのがパタヤの正統な遊び方なのである。最近の夜のパタヤは情緒も風情も無くなってしまいましたねぇ。 -
★私が初めてパタヤの地を踏んだのは1988年8月。 31歳の時だった。 インド旅行の後 経由地としてバンコクに降り立ち、インドからの飛行機の中で知り合った日本人たちと訪れた。 わずか2泊の滞在だったがインドをハードに一人旅した後だったのでノンビリとした雰囲気に癒された。
↑ 当時のオイラです。(スキャナー壊れていて写真をデジカメで撮って載せています)。 当時も海水は決して綺麗ではなかった。 -
↑ インスタ映えするので大人気のナ・ジョムテイェンのビーチ。 バンコクナンバーの高級車でいっぱいです。
★ タイ人にとってのパタヤ
昔からパタヤはタイ人の間では有名であった。 しかし欧米人の遊び場ということもあり、タイ人にとっては敷居の高い地域であった。むしろ貧乏なタイ人が働きに行くところという認識だったようです。
首都圏のタイ人が気軽に遊びに行くビーチとしてはパタヤの手前にあるバンセンがメインでした。
2001年頃だったでしょうか? テレビでパタヤのバー街を舞台にしたドラマが放映され、一気に身近な場所と認知されたせいか、この頃からタイ人も気軽に訪れるようになったように思います。
週末ともなるとパタヤ、特にジョムティエンビーチはタイ人客で混雑します。 内陸の地域からバスで来るツアーもあるほどです。
今では年末のカウントダウン、ソンクラーンでの派手な水かけ合戦は一般タイ人にも有名で特別な観光地となっている。 -
★ 値上がり
↑は最近撮ったもので あるオープンバーの求人である。
書いてある内容は『月給4000バーツ』『ドリンクバック40バーツ』
バー嬢はこの基本給と、客から奢ってもらうレディドリンク一杯につき、40バーツが彼女たちにバックされるということである。
もちろんこんなのでは暮らしていけないので、適当に客を取るということになる。
2000年頃は月給1500バーツ、ドリンクバックが20バーツだったと思う。
ペイバー代も1998年は100バーツ、すぐに150バーツ、200バーツに値上がり。 2005年頃から300バーツになって長いことこの相場が固定していた。
ハイシーズンの11月~2月くらいになるとこうした夜遊び代が値上りするのであるが、ローシーズンになっても元の相場に戻らないこともしばしばである。
特にゴーゴーバーの相場の値上がりが激しいのは やはり短期旅行者が増え取り合いになってるからだろうか?
ちなみに20年ほど前の屋台飯の相場は一食20バーツ前後。 今では2倍以上に上がっている。 -
★ 物売り
パタヤのオープンバーに座っていると、色んな物売りがやってくる。 焼き鳥、スルメ、昆虫、ソムタム等々バイクのサイドカーに載せてやってくる。 酒のつまみや小腹が空いた時にはたいそう重宝する。 さらに忙しくて買いに行けないバー嬢たちのために洋服やら下着まで売りに来る。 しかし最近はこの手の物売りが減ったように感じる。 当局への登録制になって何かと規制があるらしい。
昔は居たが今はいなくなってしまったものに子象ビジネスがある。 子象がバーの間を巡り、20バーツのサトウキビやらキュウリをあげるというものだ。 直接手渡せるし触ったり写真も一緒に撮れるのでたいそう人気があったのだが、交通量が増えて事故を引き起こしたり、動物愛護団体からの圧力もあってか、すっかり見なくなってしまった。 象の腹の下をくぐると幸運に恵まれると言われて私もくぐったものである。 パタヤの名物だったのに。。。まぁ、ゾウさんからすれば虐待以外の何物でもないが。。。
子供の物売りもすっかり見なくなってしまった。 就学前位の子供が小さな箱にガムやらタバコを入れて売り歩く。 花売りの子供もいたっけ。 深夜の酒場をそんな子供たちが健気に売り歩く姿は痛々しくてつい買ってしまう。 親が子に売らせる場合もあるが大抵は 悪い奴が組織的に少数民族の子供や国籍の無い近隣国からの難民の子供に働かせているケースだ。 無くなってホッとする一方でなんか寂しい。 -
↑ 私事で恐縮ですが・・・甥っ子(ヨメの妹の子)が警察学校の入学試験に受かり、8月から毎日厳しい訓練を受けています。 来年から実地で三か月の研修を受けた後、4月から正式に警察官として赴任するそうです。 高校時代は高跳びの選手として活躍していた子で身長は184cmあるのですが心優しい子で、我が家の養子候補でもあったので自分のことのように嬉しく思っています。
★ メガネ
昔はタイ人でメガネかけている人はほとんどいなかった。 赤ちゃんは私を見ると泣かれたりしたものである。 メガネをしている人間を見たことがないからである。
パタヤ中心部を歩いているとよく欧米人観光客から道を尋ねられた。 なんでだろうと考えたら、メガネをしている=高学歴者=英語ができるに違いない、といった判断で私に声をかけてくるのだろう。 -
★ 中国
パタヤを走る観光バスを見ていたら 新しめのバスのほとんどが SUN LONG とか KING LONG といった中国のバスだった!
昔はタイの大型バスと言ったら VOLVO、SCANIA、 MERCEDESだった。 中型バスは UD とか HINO、MITSUBISHI だったのだが、今では古い車両でしか見かけなくなってしまった。
ジョムティエンビーチのコンドミニアムも中国人が買い漁っているらしい。中国政府が元の流出を恐れて海外送金を規制しているのだが、タイのコンドミニアムなら規制限度額以下で買えるので投機目的で買うのである。
今でこそ日本食ブーム、ニッポンブームだが今後どうなることやら。。。 -
★ ソイ6
今でこそソイ6は華やかで賑やかな通りであるが、2000年くらいまでは
どの店もドアを閉めて営業していた。 たいてい年増の女がドアの前に立っていて通行人に店の中を見て行けと声をかける。 暗くて怪しさ満載の通りであった。 私はここは絶対ぼったくりバー街だと思って避けていたほどである。 -
★ 電話
今では中学生でもスマホを持つタイ社会ではあるが・・・
昔 タイでの電話普及率は低かった。 どの農村にも一軒はある何でも屋に黒電話が一台ある程度であった。 そんな農村の人と連絡を取る方法は・・・こちらからその何でも屋に電話する。 「何々村ですか? その村の〇×さんと話したいのですが? 私 △◎です。。。」 するとその何でも屋の人が村内を走って〇×さんのところへ行き、「△◎さんから電話だよ~」と知らせる。 その電話を受ける場合は手数料を何でも屋に払い、無事 △◎さんは〇×さんと話せる。 しかし〇×さんがその電話を拒否すると△◎さんは長いこと待たされた挙句 連絡が取れず、高い電話代がかかる。 そんな不便な電話事情であった。
一応 携帯電話はあったが、バカでかいトランシーバーのような物や車載電話しかなく、駐在員のような特別な人しか利用していなかった。
1999年、NOKIAが小型の携帯電話を販売し、電話通信会社も携帯電話サービスを始めた。 私も23000バーツも出してNOKIAの携帯電話を購入。 ワイシャツの胸ポケットにどうにか入るくらいの厚みのあるもので白黒の小さな液晶画面だった。 一般庶民にとっては高級品であり、憧れのガジェットだったのである。 こいつを持ってるだけで自慢だった。 バスなんか乗ると、用もないのにわざとらしく大声で携帯電話で話す人が続出。 タイ人は見栄っ張りである。
もちろんバーなんか行ってもモテる! 使わせてとオネダリされたものである。
2000年に入ると主に海外の携帯電話会社各社が安くファッショナブルなものが販売され、タイでも普及してくる。 バー嬢の買って買ってぇオネダリNO.1であった。 -
↑ 暑い日は沐浴に限るわい♪ お利口なワンコ
★ 犬
今でもタイには野良犬が多く、狂犬病の被害も少なくない。 田舎の村なんか行くと村道に村民から残飯をもらっている犬どもがそこここにいる。 しかし昔に比べ都市部ではそんな犬たちが大幅に減った。交通量が増えて淘汰された、あるいは住民が排除した結果だろう。
昔 まだ40代でリタイアメントビザが取れないので毎回ビザランを行っていた。 よく利用したのはアランヤプラテートからカンボジア。 パタヤからバイクでの280キロほどの道中 肉塊と化した犬の骸を多く見かけた。 多いときは10個くらいあったと思う。 ちょうどモータリゼーションの発展時期で交通量が劇的に増えた結果 こんな悲劇が巻き起こされた時期だった。
特に年に二回ほどの発情期ともなると犬どもが活発に移動するのでこうした事故が頻発した。 私も二回も轢いてしまい一時トラウマになったほどだ。
タイの仏教的動物愛護の精神は素晴らしいがより深く考えれば現状は犬も人間も不幸にしていると思うのであるが。。。 -
★ タイ在住外国人
昔に比べビザ要件が厳しくなってきている。 昔は観光ビザで90日間いた後、イミグレに申告すれば再度観光ビザを出してくれたし、その後もいったん国外へ出れば陸路であっても何回もノービザで30日間 タイに滞在できた。 オーバーステイも今は一日500バーツであったが、昔は100バーツだった。
リタイアメントビザも40万バーツの銀行預金でNON-Oが取れた。
タイはビザ要件が他国に比べ緩かったので危ない外国人が多くいた。 不労就労はもちろん、金が無くて裏商売をやっている外国人も多かった。 パタヤに嵌まってしまい金が尽きてもそのまま居座り、詐欺やら闇ガイドやる日本人も多かった。
バーなんかで知り合った日本人から投資話を持ち掛けられたり、ちょっと小金貸してなんて言われたこともある。 ともかく昔は破天荒な人物が多かった気がする。
ビザ要件が厳しくなってそうした輩は少なくなり、夜の街の治安も良くなった。 -
★ コンビニ
昔はショッピングセンターとかデパートで、店員に質問しても知らないと素っ気なくされたり、面倒くさそうな対応をされたものである。 個人商店では商店主はキチンと対応してくれるが雇われの従業員はやる気がない感じだった。
これは役所や公共施設の窓口でも同じだった。
日本式接客のコンビニが広まってくると店員の接客態度の重要性が分かってきたのか、タイでも店員教育が浸透してきた。さすがに日本のような接客対応はできないが、以前のような嫌な思いをしないで済むようになってきた。 -
※ これ以降の記事は18禁です。
★ レディボーイ
タイではLGBTに対する偏見は日本よりずっと少ない。
彼ら彼女たちも包み隠さず堂々と日常生活を送っている。
今では大きなバービアにはこうした人が必ず一人や二人はいて活躍しているが、昔(2000年前後?)のパタヤで働くこうした人たちは少なかったと思う。 というか表立っていなかったのか(私は詳しくない)
欧米人にとって昔のパタヤは女遊びの街である以上に男を買える街として有名だったのである。 彼らの遊び場は今のボーイズタウンとか〇〇ホテルの裏道などに集中していた。 ドンタンビーチも出会いの場であった。 そこでは女装していない普通の格好の男子が多かった。
それがだんだん女装した俗に言うオカマさんが増えてきて、一般のバービアにもメジャーデビューしてきた・・・そんな流れになっている。
↑写真の緑の服の彼女、フランス語ペラペラで売れっ子でした。 -
↑ 写真と以下の記事は関係ありません。
2004年の写真。キャッシャーやっているのがうちのヨメです。
(ー△ー;)エッ、マジ?!!! ..・ヾ(。 ̄□ ̄)ツ ギャァ!!
★ パタヤへ出稼ぎ
昔のバー嬢はたいてい地方の貧しい農家の出身であった。 子供ができたけど男が逃げてしまい金に困っている、農業だけでは食っていけない・・・そんなのが典型的なパタヤに出稼ぎに来る理由である。
とくにイサーン地方はコメの二期作ができないので借り入れが終わった乾季は仕事がないのである。 ちょうどその時期 パタヤはハイシーズン。 んでパタヤに出稼ぎに来るのである。
彼女たちはカバンに最小限の荷物詰めてバスでくる。 たいていは同じ村出身の先輩(パタヤで働いている)を頼って来るのである。 パタヤでこの商売が初めてという子は格好が地味で、ババパン履いていたり、モォーイ(意味は https://4travel.jp/travelogue/11363096 を参照)がボウボウだったり。。。
今のタイは昔と違い二次産業、三次産業がメインになり学歴が無くてもけっこう働き口がある。 とはいえ、工場やお店の売り子の安い給料では食うには十分だが贅沢ができない。 それに単調な仕事に飽きた! んで夢と一発逆転狙ってパタヤを目指す・・・そんな子が増えてきた。
パタヤ・ドリーム : 金持ち外国人に気に入られて結婚、海外生活 or
贅沢な暮らし。 -
↑の写真は以下の記事と関係ありません。
★ 〇〇〇声 ★ 平仮名三文字
※ かなり遠回しな表現します。大人対応で。。。
タイ在住30年以上の先輩二人と話していてそれまで疑問に思っていた昔のことがハッキリしましたので書きます。
昔のタイ人女性はあの時の〇〇〇声が吐きながらではなく、息を吸いながら「△ーイ、△ーイ」と発する。 その理由は・・・昔の田舎の家は高床式の家に親子二代とか親兄弟と暮らしていた。 壁があっても薄い板とか、カーテンがあるだけ。 夫婦の営みも丸聞こえ。 んで、聞こえないよう声を押し殺して事をいたすわけで。。。その結果 そんな〇〇〇声になったのではないかという推測です。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- YAMAさん 2019/12/04 21:36:31
- 昔は良かった・・・
- ブヒブヒさん 様
こんばんは、お元気そうで何よりです。
老いるというのは残酷なもので、私も今の年齢になり、体の、あちら
こちらが悲鳴をあげる様になってしまいました。
おかげでタイへ行く機会が減ってしまい、今年は仕事で2回行っただ
けです。 と、言いながら来月も仕事で行きます。
ブヒブヒさんは、田舎でおとなしく?生活されているのかと思ってお
りましたが、かなり活動的な生活なのが以前のブログを拝見して、分
かりました、私もオートバイが好きです。
ブヒブヒさんが初めてパタヤに行かれた頃って、バスターミナルがビ
ーチロードの今ホリデイ・インが建つ辺りに在った頃ですよね。
花売りの子供や、下着やぬいぐるみ売りのバイクも、象も見なくなり
ましたね~、餃子共和国人民で溢れて無い頃のタイが懐かしいです。
では・・・
YAMA
- ブヒブヒさん からの返信 2019/12/16 01:28:40
- Re: 昔は良かった・・・あれれれ!?
- YAMAさん、お久しぶりです。
返信遅れてしまい申し訳ございません。
↓の trat bald さんへの返信と同じ時にYAMAさんへの返信を書いたはずなのですが・・・表示されてませんね。 私のミスのようです。。スイマセン<m(__)m>
私も持病は無いもののすっかり老化してしまい隠居老人寸前です。
>>初めてパタヤに行かれた頃って、バスターミナルがビ
ーチロードの今ホリデイ・インが建つ辺りに在った頃ですよね。
そうです! 目の前に海があるのに潮の香がしないので驚いたのを覚えています。
今 タイ政府は路上の露店や屋台を締め出してきていますね。 メーサイの国境前の屋台もすっかりなくなって活気が感じられません。 これもまぁ、時代の流れなんでしょうね。 懐かしさ、寂しさからこんな記事書いてます。
寒いチェンライで凍えている ブヒブヒより
-
- trat baldさん 2019/12/04 07:58:32
- 初タイは2006年だったけど、、、、、
- 懐かしさ一杯!バンコクでもメルセデス製の緑色超ボロバスが跳梁跋扈してたし夜遊び価格も今では考えられない金額でしたよね。
夜のお店のお姉ちゃんをガイドにタイ中を遊びまくった結果、慢心した僕が単独行で辿り着いたトラートで見事撃沈!現在に至ってしまったんだなぁ、、、、、
Ps.表題写真の(当時はフィッリピン=ネグロス島に半移住してた)雰囲気はセブ辺りのビーチリゾートを彷彿とさせますね、&今のトラートの田舎ビーチがこのまんま(^o^)
- ブヒブヒさん からの返信 2019/12/04 17:20:15
- Re: 初タイは2006年だったけど、、、、、
- 早速の書き込み ありがとうございます。
私はそれまで旅行した国々の中からタイ、フィリピン、ベトナム、、オーストラリアのどこかに移住しようと考えていました。 結局タイを選んだのですが、もし他の国に移住してたらどうなってたろうなんて妄想して楽しんでいます。
ジョムティエンビーチの緩さが移住したころのパタヤと似ているので気に入っています。
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