2019/04/21 - 2019/04/28
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khwaamsukさん
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この旅行記のスケジュール
2019/04/21
この旅行記スケジュールを元に
2019.4.24
ラオス滞在3日目。
ジャール平原ツアーに参加。
なぜ草原一帯にに巨大な石壺が無数に存在するのか?
このミステリアスな遺跡に圧倒されました。
<行程>
4/21(日) 千歳⇒⇒⇒⇒⇒⇒バンコク
4/22(月) バンコク⇒⇒ルアンパバーン
4/23(火) ルアンパバーン→→→シェンクワーン
◎4/24(水) シェンクワーン…ジャール平原→(ビエンチャンへ)
4/25(木) ビエンチャン
4/26(金) ビエンチャン→ノンカーイ
4/27(土) ノンカーイ→ウドンターニ⇒?⇒バンコク
4/28(日) バンコク⇒⇒⇒⇒⇒⇒千歳
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- エクスペディア
PR
-
8:15
ジャール平原ツアーは9時から。
ツアー会社の近くの食堂で朝食をとる。
鶏肉のカオパット(焼飯) 20,000kip
ついでにビエンチャン行のバスのチケットを予約。
出発はこの日の夜。夜行バスです。
バス代 150,000kip -
今回のツアーは車をチャーター。
まずはツーリストインフォメーションで
入場料20,000kipを払います。 -
簡単ではありますが、
ジャール平原についてお勉強ができます。 -
ここで目を引いたのはこちら。
昨日の散策の時にも見かけた、
ベトナム戦争時、投下された爆弾の残骸。
アメリカ軍が北ベトナムへの補給路を断つ名目で
ラオスにも大量のクラスター爆弾を投下した。
その数は2億6000万発(!)にも及ぶという。
今もその不発弾がラオス国内に残り、
ラオスの人々に被害にもたらしている。
その被害が最も多いのが、シェンクワーンなのだ。
これから向かうジャール平原も爆撃されている。
見学できるのは不発弾が取り除かれた場所だ。
こうした負の歴史を頭の片隅に残しておかないといけない…
そう思わされてしまう。 -
インフォメーションから車から20分ほどで、
ジャール平原に到着。
石壺があるエリアは
シェーンクワンに無数にありますが、
比較的規模の大きいサイト1~3を回るのが、
ジャール平原のツアーでは一般的。
まずは広さ、壺の数ともに最大のサイト1から。
ここにはビジターセンターもあります。ジャール平原 草原・平原
-
石壺がある丘まで車で移動。
-
といっても、ほんの1,2分の移動でした…
-
車を降り、見学前に注意書きの看板。
平原にはベトナム戦争時投下された不発弾が
今なお地中に埋まっていて、
撤去処理されていない場所は立入禁止なのだ。 -
一歩間違えば死に直結するかも…
そんな恐怖を若干感じながら見学開始。
いきなり無数の石壺がお出迎え。ジャール平原 草原・平原
-
サイト1の石壺の数は300以上。
まずはその数に圧倒される。 -
石壺は大きさはさまざま。
最大のもので高さ、直径ともに3メートル以上にもなるとか、 -
石壺の用途については諸説ありますが、
フランスや日本の学者の調査で、
死者の埋葬や食物の貯蔵庫だったというのが
一般的な結論になっているようです。
ラオスでは神様の酒壺だったという伝説も…
こっちのほうが神秘的で面白い。 -
小高くなった場所から石壺の連なりを眺める。
石壺という歴史的な遺物がなければ変哲もない平原。 -
石壺の中。空っぽ。
発見された当時もほとんどが空だったが、
いくつかには人骨や装飾品が入っていたそう。
それが石壺死者埋葬説の裏付けに。 -
蓋付きの石壺もあります。
貯蔵用だったというのも頷けます。 -
空爆のクレーターも点在。
ベトナム戦争の負の側面だ。 -
一通り見て回り、小さな洞穴を発見。
日を遮るものがなく、炎天下の中を歩かされる
というのが、この手の遺跡巡りのあるあるであり、
そんな時にこのような場所はオアシスなのだ。 -
地元の大学生が我々観光客にアンケートをしていました。
ジャール平原の観光に関する内容で、
英語で記述式でしたが、喜んでお受けしました。 -
11:00
サイト2,3へ向かう前に、
かつてのシェーンクワンの中心地だった
ムアンクーンへ立ち寄りました。
ジャール平原のツアーに
ここが組み込まれていることが多いようです。 -
ムアンクーンもベトナム戦争の被害を受けました。
その象徴がこのワット・ピアワット。
1968年にアメリカ軍の爆撃を受け、
寺院は柱や壁一部を残し破壊され。
中の仏像が残された状態になっています。
入場料 10,000kip -
女神像。
破壊後、床と一緒に作り直されたのでしょうか。 -
高台に聳える仏塔、タート・フン。
ここから街並みが一望できます。
入場料 10,000kip -
建てられたのが500年前。
無造作に生えた雑草が、
長い月日の経過を感じさせてくれる。 -
近くのレストランで昼食。
Fried Noodle 15,000kip
コーラ 15,000kip -
13:00
サイト2の見学開始。
左手の階段を通って林の中へ。 -
ジャングルの中の石壺たち。
サイト2の石壺は背丈が高い壺が多いそうです。 -
石壺の数は100個弱。
-
石壺の密集地帯を抜けると草原に出ました。
ここからの眺めなかなか良かった。 -
最後にサイト3。
サイト2から車で5分ほど。
サイト2から3の間にトレッキングコースもあるようです。
入場料 10,000kip -
田園風景の中を歩く。
サイト1,2は入ってすぐに
石壺があるエリアになるのだが、
サイト3は5分ほど歩いても壺一つ見えやしない。
本当にサイト3に辿りつけるか不安になる。 -
MACの目印があれば、
そこは不発弾処理が終わったという事。
これを目印に歩く。 -
10分弱ほど歩いて、石壺の密集地帯に到着。
-
四方を金網で囲まれた敷地内に
150個近い石壺が所狭しと並んでいる感じ。
なんとなく墓地のような雰囲気の場所でした。 -
15:00
ポーンサワン市内に戻る。
両替を兼ねて町中を散策。
ラオスのスマホはファーウェイが席巻。
しかし、次の訪問地ビエンチャンで
さらに中国の進出っぷりを見せつけられるのだった。 -
17:30
この日の夜行バスでビエンチャンに行くので、
宿に戻り、荷造りをしていたところ、
突然のスコール。しかも雹(ひょう)…。
スコールだから暫くすれば止むと思ってはいたが、
雨でバスが動かない、なんてことにならないかと、
ちょっとばかし不安になる。 -
30分後、雨は止んだ。ほっ…。
チャックアウトし、
今朝バスの予約をしたツアー会社へ。
宿代 250,000kip -
バスの出発時間まで待機。
その間に朝食をとった食堂で再び焼飯。
鶏肉のカオパット(焼飯) 20,000kip -
19:40
ビエンチャン行のバス発着するバスターミナルへ。
夜行バスはなかなか豪華で、
横になれるベッドがあるのは非常に有難いのだが、
1台を2人でシェアという奇天烈なシステム。
僕の相方は運悪く男性のの体大きめの西洋人でした…
仕方ないと気を取り直し、ビエンチャンへ向け出発。
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