2019/11/08 - 2019/11/08
22位(同エリア45件中)
あおしさん
高知県と言えば、今まで何度も行きましたが、高知桂浜、足摺岬、室戸岬等太平洋沿岸をまわっていました。
そこで、今回は暴れ川として「四国三郎」として有名な吉野川の源流や戦国時代の土佐の武将・長宗我部元親のゆかりの地など、高知県の山間部をまわってみました。
司馬遼太郎さんの小説・長宗我部元親が主役の「夏草の賦(上巻)」と宮脇俊三さんの紀行文・吉野川源流への旅を綴った「ローカル路線バスの終点へ」をスマホに取り込んで出発です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
羽田からJAL便で高知龍馬空港へ到着。
高知県の英雄・坂本龍馬の名前を付けた空港です。
海外ではパリ・ドゴール空港、イタリア・ダヴィンチ空港、NYのJFK空港と人名の空港は少なくないですが、日本では珍しいですね。
空港からはレンタカーでスタート。
宮脇俊三さんは、吉野川の源流まで路線バスを乗り継いていたので、同じくバスで行きたかったのですが、本数減や廃止等もあったので断念。
レンタカ―を借りることにしました。充電器なし、「空弁」なし、サービスはいまひとつ by あおしさん高知空港(高知龍馬空港) 空港
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まずは、空港からほど近い岡豊城跡へ。
戦国時代、土佐の戦国大名だった長宗我部元親の居城です。
元親はこの城を拠点に土佐の小豪族からライバルたちを倒して土佐一国の戦国大名になり、さらに四国統一を果たしましたが、豊臣秀吉に敗北し、土佐一国以外は没収されてしまいました。長宗我部元親の居城跡 by あおしさん岡豊城跡 名所・史跡
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岡豊城跡内には県立歴史民俗資料館があります。
入り口の前には長宗我部元親の像がありました。
入館料は700円。
この手の資料館では高額です。岡豊城跡の中にあります by あおしさん高知県立歴史民俗資料館 美術館・博物館
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館内には長宗我部元親やその子・信親や盛親等長宗我部氏の資料が多く展示されています。
阿波(徳島県)の戦国大名・三好氏を破った中富川の合戦の本陣の復元。
モニターでは合戦の様子等が紹介されていました。 -
資料館には他に坂本龍馬等幕末の志士や近代史の資料も展示されており、1時間以上時間がかかりました。
資料館で元親の「勉強」をした後、岡豊城跡を歩いてみます。 -
城跡を登っていくと、「二の段」と呼ばれるところへ。
いわば「二の丸」に該当する場所でしょう。
兵たちのたまり場として使われていたようです。 -
「二の段」からの展望。
このあたりは平地が多く、兵糧となる米等もよく収穫できたようです。
元親がこの地を居城としたのも米が多く取れ、人も多く集まったからでしょう。 -
さらに登っていくと、「詰」と呼ばれる場所に着きます。
いわば「本丸」にあたる場所で、長宗我部元親やその家族がここにあった屋敷に住んでいたようです。
四国統一を果たした武将にしては、小規模な「本丸」でした。 -
「詰」から少し離れた場所にある「伝厩跡曲輪」。
本城から離れた出城があった場所のようです。
岡豊城跡は、四国第一の武将にしては小規模で、小豪族から戦、戦の連続で城ヲ作るヒマもなかったのでしょう。
豊臣秀吉に降伏後は戦も無くなり、現在の高知県桂浜に居城を造り、移転しました。高知道・南国インターの近くにありました by あおしさん道の駅 南国風良里 道の駅
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さて、岡豊城跡をまわった後は近くの高知道・南国インターから吉野川源流への入り口である大杉へ向かいます。
この大杉には樹齢3000年の杉があります。
樹齢何百年の大樹は全国の神社等で「神木」としてよく見ますが、さすがに3000年前はここだけ。
全国1古い樹木だそうです。樹齢3000年の大樹 by あおしさん杉の大杉 自然・景勝地
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巨大な杉の木で写真に入りきりません。
3000年前と言えば、農耕民族の私たち日本人がまだ稲作も知らない縄文時代。
その古い時代に思いを寄せました。杉の大杉まですぐ近く by あおしさん道の駅 大杉 道の駅
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JR四国・土讃線の大杉駅。
たった1両のデイーセルカーがやってきました。
宮脇さんは昭和62年9月、この駅から、吉野川源流を目指して、路線バスに乗り換えます。大杉駅 駅
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「大杉から田井行の高知県交通のバスに乗る。大杉は吉野川の支流の穴内川に沿う集落だが、短いトンネルを抜けると吉野川の本流が姿を現した」(宮脇俊三さん 「ローカルバスの終点へ 寺川)。
車を走らせると吉野川が沿ってきます。
河口の徳島市から相当上流に来ていますが、それでも大河。
さすがは「四国三郎」です。 -
「蛇行する吉野川の右岸に沿って県道を20分ほど走ると、本山の町に入る。戦国時代に城が築られ、藩政時代には官道の宿駅として栄えたところで、吉野川中流の中心である。終点の田井までは、あと10分ばかりだが、今日は本山で泊まる」
本山は戦国時代、長宗我部氏の一番のライバルだった本山氏の居城・本山城があったところ。
元親の祖父は本山氏との争いで落命し、元親の父・国親は「本山を滅ぼすことが私への供養と思え」と遺言を残し、元親がついに本山氏を滅ぼしました。 -
本山城跡の場所がわからなかったので、観光案内所に行ったのですが、案内所のおねえさんは「本山城?なんですかそれ?」。
2人目のおねえさんもかわらず、ようやく3人目のおばさんが「ここからすぐですよ」と教えてくれました。
本山の町をつくった本山一族ですが、地元の人にも忘れ去られているようです。
整備されていない山道を30分ほど登って行きます。 -
本山城の天守跡。
山城なので、さほど大きな規模ではありませんでした。
ただ、ここからは本山の街並みが一望できました。 -
本山町では対岸の帰全山公園の方がメインの観光地として売り出しているようです。
ここは江戸時代、山内家の家老であり、基礎をつくった野中兼山の屋敷跡の公園です。
野中兼山は江戸時代、この一帯の領主でもありました。野中兼山ゆかりの公園 by あおしさん帰全山公園 公園・植物園
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「7時26分発のバスで、まず田井へ向かう・きのう乗った大杉からのバスである。田井は土佐町の交通上の中心集落であるが、本山町とは吉野川の南岸に開けたわずかな平地でつながっている。
10分で田井のバスターミナルに着く。
各方面へのバスが数台停まってる。高知行の大型バスが10人ぐらいの客を乗せ、オレが主役だという顔をしている」
田井のバスターミナルで、このあたり一帯のバスを運行している嶺北観光自動車の本社も兼ねています。
宮脇さんの紀行分のとおり、高知行の大きなバスが目立っていました。
ここから各方面へのマイクロバスが発車していきました。土佐町の道の駅 早明浦ダムからは離れていました by あおしさん道の駅 土佐さめうら 道の駅
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「本山への県道を少し戻って左折すると、眼前に巨大な早明浦ダムがたちはだかった」
早明浦ダムは四国の「水がめ」として有名なダムです。
このダムの水が少なくなると、四国、特に香川、徳島は水不足になりニュースでもよく報道されます。早明浦ダムによる早明浦湖は広い広い湖でした by あおしさん早明浦ダム 名所・史跡
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早明浦ダムによる早明浦湖。
貯水量は日本第4位、西日本では1位の巨大なダム湖です。
道路はダム沿いを延々と走ります。宮脇さんはバスで、私はレンタカーで。
「行けども行けども緑色の水をたたえたダム湖が続く、何しろ日本第4位の貯水量だから延々と続く」 -
ダム湖沿いの道路はセンターラインのない細い道路です。
車がすれ違いするのもやっと。
集落も無くなり、日も落ちて、真っ暗の中の細い道路を1時間以上走ります。早明浦湖を渡る立派な橋 by あおしさん上吉野川橋 名所・史跡
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真っ暗な貧弱な道をずっと走るとやがて明るい場所に出ます。
日本で一番小さな村として有名な大川村の中心部に着きます。
人口はたった400人、最近では村議会議員の成り手がいない、村議会の廃止も検討、というニュースが全国に流れて、有名になりました。
今日はこの大川村で宿泊。
役場の隣にある食堂を兼ねた旅館「筒井」という旅館です。 -
大川村の特産・黒牛のお肉。
小さな旅館に宿泊者は私ともう1人のおじさん。
さらに外人の女性が食堂に夕食を取りに入ってきました。
この女性は5キロ先の小中学生の宿泊施設に講師だそうで、真っ暗な道を5キロも歩いてきたそうです。
夕食のために往復10キロ!
宿のおじさんやおばあさんと大川村の話をいろいろ聞きました。
40年ほど前には鉱山があり、人口は4000人、商店、酒屋、劇場等もあってとても賑やかだったけど、鉱山が閉山し、そして市街地もダムに沈んでしまい、ほとんどの人々が出ていってしまい、今はたった400人になったしまったとのことでした。大川村村民祭 祭り・イベント
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旅行記グループ 長宗我部元親ゆかりの地と「四国三郎」の源流を訪ねて
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