2019/03/16 - 2019/03/20
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「東インド会社のほかにも,20世紀初めまでアフリカや南太平洋に会社経営の植民地がいくつかあったが,最後まで残ったのがイギリスの北ボルネオ会社領だ。当時ボルネオ島の北部を支配していたのは,ブルネイやスールー諸島(現在のフィリピン南部)のスルタンだったが,1855年にはアメリカ人がブルネイのスルタンからボルネオ島の北端を租借して,米華商会を設立。中国人労働者を導入して農園を作ろうとしたが,本国からの経済的支援を受けられず,中国人労働者のほとんどが死亡して撤退していた。その後,イギリス人アルフレッド・デントが設立した北ボルネオ会社が,1878年にそれを引き継いで,スルタンから北ボルネオ全体の租借に成功した。こうして北ボルネオは1888年に,サラワク,ブルネイとともに正式なイギリスの保護領となった。
北ボルネオ会社には,イギリス国王から外交を除いたあらゆる統治権が与えられた。」
「北ボルネオ会社は産業振興のために,よく働く中国人を集めようと,中国からの移住希望者や家族の呼び寄せには片道乗船券を無料でプレゼント。こうして農場労働者や商人の多くは中国人が占めるようになったが,日本からの移民も少なくなかった。
明治から大正にかけては,日本から大勢の『からゆきさん』が渡り,山崎朋子の『サンダカン八番娼館』の舞台・サンダカンは,当時の北ボルネオの首都。昭和に入るとタワオ地区を中心に日本人経営の農場が増え,大ゴム園を経営していた久原(くはら)農場は,後に日産コンツェルン(日立製作所や日産自動車など)の中核的な存在になった。」
「太平洋戦争が勃発すると,北ボルネオはサラワク,ブルネイとともに日本軍が占領し,会社の資産は接収された。日本の敗戦で北ボルネオ会社は復活したが,戦争で都市や農園は荒廃し,復興には多額の投資が必要となったため,『これでは採算に合わない』と1946年に会社は統治権をイギリス政府に返上。こうして世界最後の会社経営植民地は幕を閉じた。」
吉田一郎著「国マニア 世界の珍国,奇妙な地域へ!」(ちくま文庫)より
「1881年にイギリス北ボルネオ会社が設立されたのは、駐香港オーストリア領事のオフェルベクとイギリス人商人のデント兄弟が転売目的でボルネオ島北部の権利を買い集めたものの、買い手が見つからなかったために北ボルネオ会社を設立して経済開発を試みたという経緯がある。
オフェルベクらは1878年にサバ西海岸のいくつかの川の支配権をブルネイのスルタンから手に入れたが、名目上の支配者がスルタンからイギリス人に変わっても住民がイギリス人に従うとは限らない。銃などの武器の力を借りて言うことを聞かせようとしても、北ボルネオ会社が支配権を持たない隣の川の流域に逃げられればそれ以上追うことはできない。そのため、北ボルネオ会社は約20年かけてブルネイのスルタンから川を一本一本買い、現在のサバ州の領域を北ボルネオ会社の統治領域として整えていった。
他方,オフェルベクらはスールーのスルタンから1878年にサバを一括して買い取った。このとき契約書に書かれていたのは『パジャック』(pajak)という言葉だった。これをオフェルベグらは『割譲』と解釈したのに対し、スールーのスルタンは『租借』と解釈し、これがフィリピンのサバ領有権問題の起源となった。北ボルネオ会社は『パジャック』の対価としてスールーのスルタンに毎年5000海峡ドルを払う契約を結んだが、これについても、北ボルネオ会社は購入代金の分割払いであると解釈したのに対し、スールーのスルタンは借料を毎年受け取っていると解釈し、両者の解釈は食い違っていた。
1950年代に入ってサバがイギリスからの独立を構想するようになり、サバは単独で独立するのか、近隣のサラワクやブルネイと一緒にボルネオ連合として独立するのか、それとも同じイギリス領だったマラヤ連邦と合併して独立するのかが検討され始めた。それらの案の一つとして、1957年にイギリスから独立したマラヤ連邦とともにマレーシアという新連邦を作ることが提案されると、インドネシアとフィリピンはこの構想に反対した。
スールー王国は、フィリピン諸島の植民地支配者がスペインからアメリカになったときにフィリピンの一部に組み込まれ、フィリピン政府はスールー王国の存在を公式に認めなくなっていた。しかし、フィリピン政府はマレーシア構想に反対する過程で、サバはスールー王国のスルタンの領土であり、スールー王国はフィリピンの一部であり、したがってサバはフィリピンの領土であると主張した。これがフィリピン政府によるサバ領有権の主張となった。」
「スールー王国は15世紀から続いているが、サバをオフェルベクらに『パジャック』したのは第29代スルタンのジャマルル・アラム(統治1862-1881)だった。(中略)第32代スルタンにはその弟のムワリル・ワシト二世が就くことになっていたが、即位直前に亡くなった。この後しばらく、複数の家系から立てられた複数のスルタンが競合する。第二次世界大戦の時期と重なったこともあり、日本軍が認めるスルタン、アメリカ側につくスルタン、サバのスルック人と繋がるスルタンなど、外部世界のそれぞれ異なる勢力と結びついてスルタンを名乗る人物が複数現れた。」
「上であげた自称スルタンたちはいずれもフィリピンで生まれ育っているが、サバ州で生まれ育った自称スルタンもいた。2011年2月、モハマド・アクジャンという人物がスールーの第33代スルタンに即位したと発表し、マレーシア政府にとって重大問題となった。マレーシアでは、イギリスの直轄植民地だったサバ州などの四つの州を除く各州にスルタンがいる。スルタンは世襲で、各州のイスラム教の擁護者であり、マレーシアの国王はスルタンの互選で選ばれる。マレーシア国外でスールーのスルタンを名乗る人物が複数いてもマレーシアとしてはとくに問題ないが、マレーシア国民がマレーシア国内でスルタンを名乗ることは国体への重大な挑戦であり、マレーシア政府としては看過できないことだった。そのためマレーシア政府はモハマド・アクジャンを逮捕し、モハマド・アクジャンは後にスルタン即位を否定した。」
山本博之「『スールー王国軍』兵士侵入事件」(『地域研究』第14巻1号(地域研究コンソーシアム『地域研究』編集委員会編))より
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エアアジア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
コタキナバルに着き,昼食はバナナリーフカレーの店に入った。
普段ならミールスを食べるところだが(サンバル,ダルや米飯は食べ放題であることが多い), -
今日は,魚頭カリーと侈(おご)ってみた。
メニューには「時価(Seasonal Price)」と書いてある。尋ねてみると,60MYRだという。(1MYR=約28円) -
高いだけあって,相当大きな魚を使っている。見た目のとおりとても辛い。
すべての骨をしゃぶり尽くすのにかなりの時間を要し,腹一杯になった。
副菜を注文しなくてよかった。 -
飲み物も,普段は注文することのないホーリック(Horlicks,好立克)にしてみた。
マレーシア以外でも,インド人や香港人が好む健康飲料。巨大製薬会社GSK(グラクソスミスクライン)社の製品だったりする。 -
さて,明朝のフライトは06:45発である。
コタキナバルの空港バスの情報はネット上で正確に調べることができるが,それから分かることは,明朝のフライトに間に合うバスは出ていないということだ。困った。 -
一応空港へ行って確認してみるが,
-
やはり空港バス以外の選択肢はタクシーになってしまうようだ。
仕方がないので,バスで市内へ戻る。 -
マレーシア最後の食事は,「ボルネオの肉骨茶」で飾ることにする。
前に来たときは「新記」で食べたので,今回は「佑記」へ。 -
この店は,肉の部位ごとに注文ができる方式だ。
1)猪肚=ガツ(胃) 2)猪肝=レバー 3)猪腸=ヒモ(小腸)
4)猪腰=マメ(腎臓) 5)油菜=青菜炒め
6)豆腐卜=厚揚げ 油條=揚げパン 香茶=中国茶
7)肉丸=肉団子 8)三層肉=三枚肉(バラブロック)
9)排骨=スペアリブ 10)猪脚=豚足 11)猪尾=テール(しっぽ)
12)冬菇=シイタケ
品数は多いが,ホルモンの割合が高い。マレー半島側の肉骨茶(部位別注文方式)の店なら,「五花」「半肥痩」「大骨」といった赤身肉系の部位や「軟骨」などもメニューにのっているような気がする。 -
三層肉と,
-
猪尾を注文した。
-
豆卜(厚揚げ)も,どんなのを出しているのか食べてみた。
-
飯は,白飯と油飯がある。
三層肉と猪尾が入った碗のほかに,肉骨茶のスープだけが入った碗がひとつずつ付いてくる。
さらにスープを追加(加湯)する場合は有料になるようだ。 -
佑記の肉骨茶は,煮込みがあっさりしている。そのせいか,具材とスープに一体感が乏しい。
砂鍋でぐつぐつ煮立てて出してもらうほうが,個人的には好きかも。
スープには特徴的な苦みがある。薬膳っぽくて身体に良さそうだ。 -
肉骨茶の店だから,客は華人と中国人ばかりなのだが,
-
この店のフロアではブミプトラ系の従業員がたくさん働いている。
珍しい光景だ。彼らはキリスト教徒(カダザンドゥスン)なのかも知れない。 -
宿に戻って,レセプションの娘に「明朝4時にタクシーを呼んでほしい」と頼むと,「早朝でもタクシーはたくさんいるから,そこらへんですぐに拾えるよ。ふふん」と請け合う。
本当かな。半信半疑。 -
翌朝早く,フリーの朝食を食べ,部屋の鍵をポストに落として宿を出る。
ところが,周辺をいくら探してもタクシーなんか一台もいない。見つからない。 -
センターポイントを一周してみたが見つからない。
さらに繁華街を歩き回りながら,空港バスの終点があるムルデカ公園まで行ってみた。ここにもいない。
飛行機のチェックイン締切り時刻が迫ってくる。
そこからさらに歩き,やっと「High Street Inn」というホテルの横にあるタクシースタンドに,2台のタクシーが客待ちしているのを見つけた。
(Google座標:5.984034,116.076031付近) -
タクシーに乗ったのは05:30を回っていて,空港に着いたのは05:50頃だった。料金35MYR。(1MYR=約28円)
今日乗る香港行きエアアジアは06:45発。それでも何とか乗機することができた。
コタキナバルから深夜早朝のフライトを利用する人はご用心。
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