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国立歴史民俗博物館(略称:れきはく、歴博)は、千葉県佐倉市にある日本の歴史、民俗学、考古学について総合的に研究・展示する歴史博物館。設置の法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項、並びに第5条。国立の研究機関及び教育機関として大学共同利用機関法人人間文化研究機構が運営し、展示総件数は約9,000件、収蔵資料件数は約22,000件。佐倉城趾の一角にあり、建築物は第24回BCS賞受賞。 <br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />国立歴史民俗博物館 については・・<br />https://www.rekihaku.ac.jp/<br /><br />ハワイ:日本人移民の150年と憧れの島のなりたち<br />開催期間2019年10月29日(火)~ 12月26日(木)<br />国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B <br /><br />日本人移民150年の歴史、交流史からディープなハワイを再発見、再認識します。<br />太平洋戦争の影響を色濃く受けたハワイの社会。その社会を構成したさまざまなルーツを持つ人びとがそれぞれの立場から戦争と向き合った当時の様子を知ると同時に、移民にとって国家とは何か、人びとにとって戦争とは何か、といった根源的で普遍的な問いを見つめ直します。<br /> <br />ポリネシアン・マイグレーションからハワイ王国へ<br />ポリネシア人が、太平洋の中央にあるハワイ諸島にたどり着きました。これが、考古学調査によって明らかになった、ハワイへの最初の移住者とされています。1795年にカメハメハ一世(大王)がハワイ王国を建国、1810年にはハワイ諸島を統一しました。初期のハワイ王国は、国家としての独立を保ちつつも、次第に諸外国の介入も受けるようになっていきます。<br />ここではまず、ハワイのそもそもの成り立ちをたどります。<br /><br />元年者(がんねんもの)の時代<br />1868年6月20日、約150人の日本人が労働者としてハワイに上陸しました。1869年、明治政府は使節を派遣し、帰国のための交渉にあたらせました。翌年、希望者42人が帰国しました。ハワイに残った人びとは、3年間の契約満了ののち帰国したり、アメリカ合衆国本土へ転航したりした人のほか、ハワイで生活し続けることを選んだ人びともいました。<br /><br />「官約移民」のはじまり<br />ハワイのサトウキビ・プランテーションで働くアジア人労働者の主力は、もともと「苦力」と呼ばれる中国人でした。ハワイ王国は、1880年代半ばに新たな労働力として日本人移民の送出を日本政府に要請しました。こうして両政府公認のハワイへの集団労働移民である「官約移民」の送出が1885年に始まりました。ハワイに渡航した人びとは、慣れない環境に戸惑いながらも、プランテーションでの労働に従事しました。ハワイ王国滅亡までに、約3万人が渡航しました。1894年にハワイ共和国が成立した後も、移民送出を担う日本の民間会社を介して「私約移民」としての渡航が続きました。<br /><br />外交史からみる日本とハワイ王国<br />1871年に、日本とハワイは日布修好通商条約を締結し、両国間に正式な国交が樹立されました。その後、1885年から、日本政府公認の集団移民である「官約移民」の渡航が始まります。1894年にハワイ王国はハワイ共和国にとってかわられ、1898年にハワイはアメリカ合衆国に編入されました。以後、日本とハワイの関係は日米関係に大きく規定されることになります。<br /><br />アメリカ合衆国による併合と「自由移民」時代<br />1898年のアメリカ合衆国によるハワイ併合ののち、1900年からアメリカの法律がハワイに適用されることになりました<br />日本人移民をとりまく環境は併合で大きく変わり、それまでの「官約移民」や「私約移民」のような契約移民は、アメリカの法律により非合法となりました。そして、移住者個人の意思によって移住する形をとる「自由移民」時代が始まりました。同じ時期に、日本からハワイへの移住者のみならず、日本人移民の子孫も増え、ハワイには日系人社会が形成されていきます。日本人・日系人の増加はアメリカ本土でもみられ、これがアメリカにおける排日運動の背景にもなりました。<br /><br />コーヒー農園の世界<br />ハワイ島の「コナ」という地名は、日本では、コーヒーの産地、さらには観光地として、比較的よく知られています。そのコナの、ホテルなどが立ち並ぶ地域から少し離れた山の斜面に、コナコーヒーの農園が広がっています。コナでコーヒーの生産が本格化したのは20世紀に入ってからで、当初、その担い手の多くが日本人移民でした。<br />コーヒー農園で労働者として働くケースもあったとはいえ、多くの日本人移民やその子孫たちが、経営者としてコーヒー生産を担ってきました。コーヒー生産の担い手は多様化しつつありますが、今日でも多くの日系人が、この地のコーヒー生産を支えています。 <br /><br />街のなかの日本人・日系人<br />サトウキビ・プランテーションでの契約労働を満了したあと、ハワイ定住を選んだ日本人は、1890年頃から次第にホノルル市をはじめとする都市部に移り住むようになりました。そうしたなか、ダウンタウンの西側のアアラ地区に、日本人街が発展していきます。また、ダウンタウンの東側のカカアコ、マッカリー、モイリリ地区などには、キャンプ(貸家・貸ルーム、英語ではテネメント)を核として、日本人の集住地も形成されていきました。<br />1930年頃になるとレストランやベーカリーのほか、靴、宝石、家具といった店も見られるようになりました。 <br /><br />移民社会ハワイの形成と変容<br />アメリカ合衆国による併合を機に、人びとの入国はアメリカの移民政策の影響下に置かれ、1920年代半ばには東アジアからハワイへの移住は禁止されることになります。しかし、このことは東アジアとハワイの関係の断絶をもたらしたわけではありませんでした。世界情勢の変化や、さまざまな人びとが寄り集まって暮らすハワイ独自の社会的条件にも規定されながら、人びとの関係性は築かれていきました。 <br /><br />太平洋戦争とハワイ<br />1941年12月7日(現地時間)の真珠湾攻撃により、日本とアメリカ合衆国は戦争状態に入りました。19世紀末からのアジアにおける日本帝国の勢力拡大は、ハワイにおける民族間関係や、アメリカにおけるハワイ諸島の軍事的位置付けに影響をもたらしました。また真珠湾攻撃は、ハワイにおける民族間の亀裂を顕在化させました。<br />攻撃直後からハワイは戒厳下に置かれ、軍政による様ざまな制約が人びとの生活に及びました。人びとは、政治的・社会的な環境の変化のなかで、それぞれが自らの立場がどのように変わるのか、あるいは自らの立場をどのように変えていけるのかを考えました。日本人・日系人は、その一部が拘束・抑留されつつも、アメリカ人として戦時を生きることを求められました。彼らは動員と排除の両義性の下で迷いや決断、あきらめを感じつつ、アイデンティティや文化について問いながら、戦争の時代を生きることになります。ここでは、日本人・日系人の存在を軸にしながらも、太平洋戦争が人びとの日常にどのように影を落としたのかを考えます。 <br /><br />戦後の民主化から立州まで<br />太平洋戦争が終結すると、ハワイには再び大きな変化が訪れました。<br />最も大きな変化は、Democratic Revolutionと呼ばれる、ハワイの中心的な政治勢力の共和党から民主党への移行でした。背景には、プランテーションを経営する財閥の支配力が低下したことや、戦争中に抑制されていた労働運動の活発化などがあり、ハワイ全体の社会変化とも連動していました。 <br />さらに、1959年にハワイは準州から州に昇格しました。これは、「立州(Statehood)」と呼ばれ、州になることにどのようなメリットがあるのかという議論よりも、むしろこれを実現しようとする機運の大きな盛り上がりが目立ちました。この「立州」には、ハワイ在住の日系人への肯定的な評価の定着、冷戦という時代背景との関わりなど、戦後という時代におけるハワイの立ち位置を考える上で重要な論点がいくつも関わっています。<br /><br /> 「常夏の楽園」、あこがれのハワイ<br />1964年に、日本からの海外渡航が自由化されました。「トリスを飲んでハワイに行こう」というテレビCMや、クイズ番組の商品として宣伝されながら、「あこがれのハワイ」のイメージが広がります。もっとも、この当時のハワイ旅行はまさしく「あこがれ」であり、1週間程度の旅行でおよそ35万円の費用がかかっていました。大卒初任給が約2万円、同年に開業した東海道新幹線の東京&#8212;大阪間2等片道が2480円だったことを考えると、まさに「あこがれ」でした。<br />もっとも、この渡航自由化を機にハワイに行こうと考えたのは観光客ばかりではありません。ハワイ移住者の母村からのハワイ訪問も行われるようになり、それまで以上に相互の交流が行いやすくなりました。円高ドル安、航空運賃の低下、そしてバブル期を通じた海外旅行の大衆化を経ながら、いまの日本でもハワイは、特別な意味と歴史をもった場所であり続けています。 <br /><br />エピローグ ハワイ歴史のたび<br />ハワイには、その歴史を示す建物や記念碑、そして大小さまざまな施設があります。日本人移民の歴史はもとより、ハワイ王国・準州時代の歴史、そしてさまざまなエスニックグループがハワイに移住していることを示すものが散在しています。ハワイ島はこれまでにも津波に襲われており、そのことを伝える記念碑や博物館もあります。<br />ここでは、そうしたさまざまな場所を紹介しながら、もう一度、ハワイの歴史をたどり直してみたいと思います。<br />https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/index.html より引用<br />

佐倉-5 国立歴博a ハワイ:日本人移民-150年-企画展 ☆先史/古代常設展リニューアル

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2019/10/30 - 2019/10/30

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マキタン2

マキタン2さん

国立歴史民俗博物館(略称:れきはく、歴博)は、千葉県佐倉市にある日本の歴史、民俗学、考古学について総合的に研究・展示する歴史博物館。設置の法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項、並びに第5条。国立の研究機関及び教育機関として大学共同利用機関法人人間文化研究機構が運営し、展示総件数は約9,000件、収蔵資料件数は約22,000件。佐倉城趾の一角にあり、建築物は第24回BCS賞受賞。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

国立歴史民俗博物館 については・・
https://www.rekihaku.ac.jp/

ハワイ:日本人移民の150年と憧れの島のなりたち
開催期間2019年10月29日(火)~ 12月26日(木)
国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B

日本人移民150年の歴史、交流史からディープなハワイを再発見、再認識します。
太平洋戦争の影響を色濃く受けたハワイの社会。その社会を構成したさまざまなルーツを持つ人びとがそれぞれの立場から戦争と向き合った当時の様子を知ると同時に、移民にとって国家とは何か、人びとにとって戦争とは何か、といった根源的で普遍的な問いを見つめ直します。

ポリネシアン・マイグレーションからハワイ王国へ
ポリネシア人が、太平洋の中央にあるハワイ諸島にたどり着きました。これが、考古学調査によって明らかになった、ハワイへの最初の移住者とされています。1795年にカメハメハ一世(大王)がハワイ王国を建国、1810年にはハワイ諸島を統一しました。初期のハワイ王国は、国家としての独立を保ちつつも、次第に諸外国の介入も受けるようになっていきます。
ここではまず、ハワイのそもそもの成り立ちをたどります。

元年者(がんねんもの)の時代
1868年6月20日、約150人の日本人が労働者としてハワイに上陸しました。1869年、明治政府は使節を派遣し、帰国のための交渉にあたらせました。翌年、希望者42人が帰国しました。ハワイに残った人びとは、3年間の契約満了ののち帰国したり、アメリカ合衆国本土へ転航したりした人のほか、ハワイで生活し続けることを選んだ人びともいました。

「官約移民」のはじまり
ハワイのサトウキビ・プランテーションで働くアジア人労働者の主力は、もともと「苦力」と呼ばれる中国人でした。ハワイ王国は、1880年代半ばに新たな労働力として日本人移民の送出を日本政府に要請しました。こうして両政府公認のハワイへの集団労働移民である「官約移民」の送出が1885年に始まりました。ハワイに渡航した人びとは、慣れない環境に戸惑いながらも、プランテーションでの労働に従事しました。ハワイ王国滅亡までに、約3万人が渡航しました。1894年にハワイ共和国が成立した後も、移民送出を担う日本の民間会社を介して「私約移民」としての渡航が続きました。

外交史からみる日本とハワイ王国
1871年に、日本とハワイは日布修好通商条約を締結し、両国間に正式な国交が樹立されました。その後、1885年から、日本政府公認の集団移民である「官約移民」の渡航が始まります。1894年にハワイ王国はハワイ共和国にとってかわられ、1898年にハワイはアメリカ合衆国に編入されました。以後、日本とハワイの関係は日米関係に大きく規定されることになります。

アメリカ合衆国による併合と「自由移民」時代
1898年のアメリカ合衆国によるハワイ併合ののち、1900年からアメリカの法律がハワイに適用されることになりました
日本人移民をとりまく環境は併合で大きく変わり、それまでの「官約移民」や「私約移民」のような契約移民は、アメリカの法律により非合法となりました。そして、移住者個人の意思によって移住する形をとる「自由移民」時代が始まりました。同じ時期に、日本からハワイへの移住者のみならず、日本人移民の子孫も増え、ハワイには日系人社会が形成されていきます。日本人・日系人の増加はアメリカ本土でもみられ、これがアメリカにおける排日運動の背景にもなりました。

コーヒー農園の世界
ハワイ島の「コナ」という地名は、日本では、コーヒーの産地、さらには観光地として、比較的よく知られています。そのコナの、ホテルなどが立ち並ぶ地域から少し離れた山の斜面に、コナコーヒーの農園が広がっています。コナでコーヒーの生産が本格化したのは20世紀に入ってからで、当初、その担い手の多くが日本人移民でした。
コーヒー農園で労働者として働くケースもあったとはいえ、多くの日本人移民やその子孫たちが、経営者としてコーヒー生産を担ってきました。コーヒー生産の担い手は多様化しつつありますが、今日でも多くの日系人が、この地のコーヒー生産を支えています。

街のなかの日本人・日系人
サトウキビ・プランテーションでの契約労働を満了したあと、ハワイ定住を選んだ日本人は、1890年頃から次第にホノルル市をはじめとする都市部に移り住むようになりました。そうしたなか、ダウンタウンの西側のアアラ地区に、日本人街が発展していきます。また、ダウンタウンの東側のカカアコ、マッカリー、モイリリ地区などには、キャンプ(貸家・貸ルーム、英語ではテネメント)を核として、日本人の集住地も形成されていきました。
1930年頃になるとレストランやベーカリーのほか、靴、宝石、家具といった店も見られるようになりました。

移民社会ハワイの形成と変容
アメリカ合衆国による併合を機に、人びとの入国はアメリカの移民政策の影響下に置かれ、1920年代半ばには東アジアからハワイへの移住は禁止されることになります。しかし、このことは東アジアとハワイの関係の断絶をもたらしたわけではありませんでした。世界情勢の変化や、さまざまな人びとが寄り集まって暮らすハワイ独自の社会的条件にも規定されながら、人びとの関係性は築かれていきました。

太平洋戦争とハワイ
1941年12月7日(現地時間)の真珠湾攻撃により、日本とアメリカ合衆国は戦争状態に入りました。19世紀末からのアジアにおける日本帝国の勢力拡大は、ハワイにおける民族間関係や、アメリカにおけるハワイ諸島の軍事的位置付けに影響をもたらしました。また真珠湾攻撃は、ハワイにおける民族間の亀裂を顕在化させました。
攻撃直後からハワイは戒厳下に置かれ、軍政による様ざまな制約が人びとの生活に及びました。人びとは、政治的・社会的な環境の変化のなかで、それぞれが自らの立場がどのように変わるのか、あるいは自らの立場をどのように変えていけるのかを考えました。日本人・日系人は、その一部が拘束・抑留されつつも、アメリカ人として戦時を生きることを求められました。彼らは動員と排除の両義性の下で迷いや決断、あきらめを感じつつ、アイデンティティや文化について問いながら、戦争の時代を生きることになります。ここでは、日本人・日系人の存在を軸にしながらも、太平洋戦争が人びとの日常にどのように影を落としたのかを考えます。

戦後の民主化から立州まで
太平洋戦争が終結すると、ハワイには再び大きな変化が訪れました。
最も大きな変化は、Democratic Revolutionと呼ばれる、ハワイの中心的な政治勢力の共和党から民主党への移行でした。背景には、プランテーションを経営する財閥の支配力が低下したことや、戦争中に抑制されていた労働運動の活発化などがあり、ハワイ全体の社会変化とも連動していました。
さらに、1959年にハワイは準州から州に昇格しました。これは、「立州(Statehood)」と呼ばれ、州になることにどのようなメリットがあるのかという議論よりも、むしろこれを実現しようとする機運の大きな盛り上がりが目立ちました。この「立州」には、ハワイ在住の日系人への肯定的な評価の定着、冷戦という時代背景との関わりなど、戦後という時代におけるハワイの立ち位置を考える上で重要な論点がいくつも関わっています。

「常夏の楽園」、あこがれのハワイ
1964年に、日本からの海外渡航が自由化されました。「トリスを飲んでハワイに行こう」というテレビCMや、クイズ番組の商品として宣伝されながら、「あこがれのハワイ」のイメージが広がります。もっとも、この当時のハワイ旅行はまさしく「あこがれ」であり、1週間程度の旅行でおよそ35万円の費用がかかっていました。大卒初任給が約2万円、同年に開業した東海道新幹線の東京—大阪間2等片道が2480円だったことを考えると、まさに「あこがれ」でした。
もっとも、この渡航自由化を機にハワイに行こうと考えたのは観光客ばかりではありません。ハワイ移住者の母村からのハワイ訪問も行われるようになり、それまで以上に相互の交流が行いやすくなりました。円高ドル安、航空運賃の低下、そしてバブル期を通じた海外旅行の大衆化を経ながら、いまの日本でもハワイは、特別な意味と歴史をもった場所であり続けています。

エピローグ ハワイ歴史のたび
ハワイには、その歴史を示す建物や記念碑、そして大小さまざまな施設があります。日本人移民の歴史はもとより、ハワイ王国・準州時代の歴史、そしてさまざまなエスニックグループがハワイに移住していることを示すものが散在しています。ハワイ島はこれまでにも津波に襲われており、そのことを伝える記念碑や博物館もあります。
ここでは、そうしたさまざまな場所を紹介しながら、もう一度、ハワイの歴史をたどり直してみたいと思います。
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/index.html より引用

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄
旅行の手配内容
個別手配
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