2011/08/17 - 2011/08/20
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パンダ番長さん
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北京旅行の1日目。関空から北京までに旅程。
- 旅行の満足度
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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<関西国際空港ターミナルでのひと時>
時刻は11時前である。空港駅の改札を出て、空港ターミナルへの通路を歩くと、その通路には暑さを和らげる為に、ミスト状に水が通路天井付近から噴出されている。然程、暑さには関係ない様に思うが、その場所を通り抜けると、気持ち涼しくなった気分になる。
空港ターミナル内に入ると、入口付近のエレベーターが丁度タイミング良く来ていたので、それに乗り込み、4階の国際線出発階へ上がる。
4階の出発階に上がり、近くの掲示モニターで搭乗便の状況を確認する。今回、北京までの便は中国国際航空のCA928便である。
モニターの表示によると、11時20分から搭乗手続きが開始される事になっている。あと15分程である。そこで、少し早いがこの場所で軽い昼食を取る事にした。
機内食が出るかどうか微妙な時間帯の便なので、昨日、この空港内で軽い昼食として食べるつもりで菓子パンを購入し、持って来た。
近くの自販機で紅茶を購入し、その近くの空いている椅子に座り、持って来た菓子パンを食べる。
それにしても今日の関西空港は人が少ない。この間、6月の普段の土曜日出発でベトナム旅行に行ったが、その時よりも人がかなり少ない。 -
軽い昼食を終え、11時20分過ぎにそのままチェックインカウンターに向かう。
今回の旅行はHISで申し込んだが、HISには他の主要旅行会社の様に団体カウンターがこの国際線出発階にはなく、団体カウンターに寄る必要がない。既にEチケットを貰っているので、そのまま今日の航空会社の中国国際航空のカウンターに向かう。
中国国際航空のカウンターは南側のGエリアにあり、そのGエリアに行くと、既にチェックインが始まっている為にカウンター前には長い列が出来ている。
あまりに長い列が出来ているので、少し列が短くなるまで待つ事も考えたが、見ている内に列が更に長くなっているので、その列に並ぶ事にした。
列に並んで20分程でやっとチェックインの順番が廻ってくる。Eチケットとパスポートを出し、旅行カバンを預ける。今日のフライト時間は短いので、今回は窓側の席をお願いする。
フライト便はCA928便である。貰った搭乗券は39Aとかなり後の席の様である。搭乗ゲートは南ウイングの31番ゲートである。
まだ時間には早いが、そのまま南口から出発ロビー内に入る。手荷物検査所は混雑もなく、直ぐに手荷物をトレイに乗せ、金属探知機を通る。
今回も金属探知機に引っ掛かった。今日しているベルトは金属探知機に引っ掛かる事は判っていたが、ベルトを外すのを忘れていた。係員にベルトを外す様に言われ、もう1度通る様に促される。その際に被っていた帽子を手荷物検査機に通す様に言われる。
やっとの事、パスし、外したものを再び身に付ける。そして階下の通関に移動する。
通関も利用者が少ない為か、3ヶ所でしか行っていないが、それでも列が出来る事がなく、ここでも待つ事なく、通過出来た。時刻は丁度12時である。
搭乗券の搭乗予定時間は13時20分なので、あと1時間半近くある。しかし、買物をするわけでもないので、いつもの様にそのまま南ウイングのシャトル駅へ直行する。
南ウイングのシャトル駅で31番ゲート近くの先端駅行きのシャトルに乗り込む。
シャトルには誰も乗っておらず、私だけである。結局、誰も乗り込んで来ず、私1人を乗せ、シャトルは先端駅へ出発する。 -
先端駅に到着し、シャトルを降り、階下のゲート待合場所に移動する。先端駅付近は誰もおらず、この時間帯にはこの先端駅付近のゲートからの出発便はない様である。
一旦、31番ゲート付近の待合場所に行くが、まだ誰も人がいない。そこで、まず近くの売店でお茶を購入し、再び31番ゲート付近に戻る。その前の待合場所で椅子に座り、ここで待つ事にした。
ゲート前には、まだ搭乗する機体も見えない。
今回の旅行は北京への旅行であるが、北京へは1989年3月下旬に一度観光に行った。
当時は勿論、この関西国際空港はなく、伊丹空港が関西の国際空港として使用されていた。
また、これから向かう北京首都国際空港もなく、当時は北京国際空港と呼ばれた空港であり、1999年に日本のODAで3倍に大改造される前の非常に小さな国際空港であった。
今の北京首都国際空港は勿論、2008年8月の北京オリンピックに合わせ、更に増改築された空港で、主に国際線で使用されているのが第三ターミナルである。
この1989年5月に有名な“天安門事件”が勃発し、その1ヶ月程前であったので、非常に危険な時期に北京に行ったのである。 -
しかし、当時はその様な世界情勢にも疎く、中国国内がその様な状況になっている事などつゆ知らず、旅行に行った。しかし、その旅行中に何度も今から考えれば怖い思いをした。
航空会社も今日と同じ、中国国際航空であったが、当時の日本での呼び名は中国民航、しかし当時の中国はまだまだ発展途上で、勿論この中国国際航空もそうで、当時のCAは国際線であるのに英語さえも判らない(勿論、日本語などは全然通じない)状態であった。
機内で、珈琲などを注文しても無視である。今では考えられない対応であった。
また、伊丹空港での表示では、北京国際空港行きの直行便であるのに、実際は上海空港(現在の虹橋空港)へ行き、そこから国内線にトランジットする便であったりと、非常に当時は中国国内の便も含め、航空便はめちゃくちゃであった様である。
その様な事を思い出しながら、この待合場所で暫く待っていると、1時間前くらいから徐々に搭乗客が集まり始める。しかし、依然ゲート前には機体が来ない。
北京からの折り返しの便なのだろう。まだ、その機体が関西国際空港に到着していないのである。
北京での出発が遅れた可能性が高いと考えられる。
既に機体の到着を待つ空港の作業員がゲート近くで待機をしている。
搭乗予定の30分程前になると、かなり乗客が集まって来た。もう31番ゲート前の待合場所の椅子は満席近くになっている。ゲート前には既に航空会社の係員も待機をしている。
しかし、機体は搭乗予定時間の10分前になっても到着しない。やっと5分前の13時15分頃にゲート前に機体が到着した。
これから乗客が降り、荷物が降ろされる。まだ相当の時間が掛かりそうだ。
もう搭乗時間が遅れるのは当然で、搭乗が開始されるまでにトイレに行っておく事にした。トイレに行き、再び戻って来たが、まだ機体から荷物を降ろしている最中であった。
荷物の搬出が終わり、今度は搭乗する我々の荷物の搬入が開始されている。
待ちかねた乗客が31番ゲート前に長い列を作っている。13時40分頃からやっと搭乗が開始される。私もその列に並び、順番を待つ。
ゲート手前で3人の係員がパスポートと搭乗券を確認し、2ヶ所で搭乗券チェックを行っている。
その為に長い列が出来ていたが、直ぐに順番が来る。 -
<北京首都国際空港へのCA928便>
搭乗券のチェックを受け、機内への通路に入る。機内へ入る手前でまた列が出来ている。
これは機内の通路が1本しかない機体のパターンである。その手前で少し待ち、機内に入る。やはり機内に通路は1本でその両側に3人掛け席が並ぶ、1列6人掛けの機体である。
席番は39Aで席を探し、機内の奥へ奥へと進む。結局、一番奥の席の一つ手前の席であった。
既に通路側に2人の親子連れが座っている。その人達に断わり、奥の窓側の席に着く。
時刻は13時50分である。窓からの日差しが強く、日除けを少し下げる。機内は少し暑く、目一杯冷房を効かせているのか、天井付近から盛んに靄の様な煙が出ている。それでもなかなか機内は涼しくならない。
私が席について5分程で機体がゆっくりと後進を始める。思いの外早く機体が動き出した。少し後進をした後、前進を始め、滑走路脇を進む。
5分程前進を続け、滑走路に出たのか、エンジン音が上がり、そのまま無事に関西国際空港を離陸した。時刻は14時過ぎで、10分遅れの離陸である。機体到着が遅くなったわりには、あまり遅れずに離陸した。
機体が上昇を続け、水平飛行に入るもなかなかシートベルト着用ランプが消えない。その間も少し揺れが大きくなる事が何度かあった。
やっと離陸から30分程してシートベルト着用ランプが消え、機内にアナウンスが中国語、英語、日本語の順番で流れる。このアナウンスで機内食が出る事が判明した。
機内食は牛肉料理と鶏肉料理のどちらかを選べる様である。
まず、CAが飲物を配り始める。時刻は14時40分頃(日本時間)である。私はオレンジジュースを貰う。ここで時計の時間を中国時間に切り替える。
時差が1時間である。今の中国時間は13時40分である。
ここでまた揺れが激しくなり、貰った飲物がこぼれそうになる。こぼれない様に飲物を半分程飲み干す。今度はCAが機内食を配り始める。時刻は14時頃である。
機内食のメニューから鶏肉料理を貰う。出された機内食のメニューは以下の通りである。
<CA928便の機内食:関西国際空港~北京首都国際空港>
①ロールチキン
②煮野菜(さといも/人参/茄子/さやえんどう)
③ご飯
④サラダ(卵サラダ/レタス/カリフラワー/プチトマト)
⑤ロールパン
⑥フルーツ(グレープフルーツ/パイナップル/メロン)
⑦飲物(烏龍茶/珈琲)
あまりお腹も空いていなかった事もあり、食事はそこそこで終え、最後に珈琲を貰う。
この食事の間も少し揺れが酷くなる。食事を終えたのが、14時20分頃である。
ここからする事もなく、少し寝てしまう。そして、機内のアナウンスで目が覚める。
機長のアナウンスの後、日本語で、あと30分程で北京首都国際空港に到着する旨のアナウンスが流れる。時刻は15時20分である。
北京の天気は曇り、気温は28℃との事で、日本よりも気温はかなり低い。
機体が徐々に高度を下げているのか、時折小刻みな揺れが起こる。機体が急激に高度を下げたのか、耳が少し痛くなる。日除けを少し上げると、丁度雲の中である。
暫く、窓から外を眺めていたら、地上の景色が見えて来る。だが、まだ洋上を飛んでいる。
洋上には小さく船舶が見えているが、どの様な船なのかは日差しが強く、洋上の船が光り輝き、形がはっきりしない。それが少し離れるとその見えていた船がコンテナ船である事が判った。
暫く洋上を飛んでいたが、中国大陸の陸地が見えて来る。天津市の辺りであろうか?
中国大陸の上空に入ると、地上には高速道路であろうか、真直ぐに延びる道が見えている。
機体が徐々に高度を下げている。段々地上が近づき、地上の様子がはっきりと見えて来る。
街中に差し掛かったかと思うと急に衝撃が走り、無事に北京首都国際空港に着陸した。 -
<北京首都国際空港での時間>
時刻は16時丁度くらいである。
機体はゆっくりと空港内を移動し、ターミナルには近づかず、ターミナルとターミナルの間を抜け、同じ中国国際航空の機体が数機待機をしているエリアに入り、そこで停止する。
停止してから程なく、乗客が機体を降り始める。時刻は16時10分頃である。私の席は最後尾に近いところで、本当に最後に機内を出る事になってしまった。
機体からタラップを降りると、その前にシャトルバスが待機している。私がそのシャトルバスに最後に乗り込み、出発する。 -
シャトルバスが空港ターミナルに向かい、走り始め、少し離れた国際線のターミナルの1階入口に移動する。そこまで少し時間を要した。
シャトルバスを降り、入口近くからエスカレーターで2階に上がり、まずは検疫のエリアを通過する。ここは赤外線センサーで体温を検査されるくらいである。特に止められる事もなく、全ての乗客が抜けて行く。その先には通関がある。
この通関はすべてのゲートを使用しているが、それでも長い列が出来ている。
まずは、出入国カードを書かなければならない。寝ていた為か、機内で出入国カードを受け取る事が出来なかった。
カードが置かれたテーブルへ行き、カードを見るとここには入国カードしか置いていないので、入国カードに必要事項を記入する。そして、どの列に並ぼうか悩んでいるとみるみる列が延びる。
丁度、到着便が多い時間帯の様である。列の1つに並んで判ったが、その列から幾つかのゲートに振り分けられているので、意外に早く列が進む。
15分くらいで、順番が来て通関を通過する。そして、ここからこの北京首都国際空港はシャトルに乗り込み、少し離れた国内線のターミナルに移動する。
通関を過ぎると長い通路があり、その左手に横長の中国絵画が展示されている。この展示は来る度に変っている気がする。その前を過ぎ、その先のエスカレーターで階下のシャトル駅に下りる。
丁度、シャトルが到着する寸前で、ホームに下りた時にシャトルが到着した。そのシャトルの前方車両に乗り込む。そのシャトルに数分で乗り、国内線ターミナルに到着する。
到着したホームから手荷物受取所に移動する。その途中で手荷物が出て来るコンベアの番号を確認し、そのコンベアに向かう。
通関に少し時間を要していた為か、既に手荷物が一部出て来ている。
すると直ぐに自分の荷物を見つけ、コンベアから取り上げる。そして近くの椅子で、この旅行のHISの目印となるタグを付ける。
ここで、HISで貰った現地ガイドとの待合せ場所を旅行資料で確認を行う。指定されている出口はB出口である。3つある出口の中央の出口である。
その出口に向かう。税関に申告するものがないので、そのまま出口を出る。
さすがに北京に来る人が多い為か、出口前にはものすごい人集りが出来ている。旅行資料を基にHISの現地ガイドとの集合場所を再度確認し、出口から通路を抜ける。
集合場所は丁度、通路を抜けた場所にある様に表示されている。しかし、その場所にも多くの人が居て、どの人がHISの現地ガイドの人なのかが最初判らなかった。
その1人の人に声を掛けるとその人は阪急交通社(トラピックス)の現地ガイドの人であった。HISの現地ガイドの人はその人の後に居た男性であった。
その人にタグを見せ、名前を告げる。その人にちょっとその場所で待つ様に言われる。今日のメンバーは20人くらいいる様である。私の他にも何人かがもう待っていた。
それから10分程で全員が集合した。時刻は17時前である。 -
<北京首都国際空港から北京市街への移動>
全員で空港内を移動し、ムービングウォークで階下に移動し、空港ターミナルを出て、空港前の道路脇で止まる。ここで少し待つ様に現地ガイドに言われる。
その前には多くのバスが既に停車している。ここが丁度、団体客のバス乗り場の様になっている。
少しして、その駐車エリアに観光バスが到着する。
このバスがこれからの北京観光でお世話になるバスの様である。時刻は17時10分頃である。
荷物を預け、バスに乗り込む。なるべく後から席に着く様に言われ、後から2列目の席に座る。
全員が乗り込み、荷物がバスに積み込まれ、バスが空港から北京市街に向け、出発する。
時刻は17時15分過ぎである。
ここでまず、ガイドの男性が自己紹介を行う。今日から4日間のガイドを担当してくれるのは、パク(白)さんである。
パクさんは朝鮮族の人であると言う。独特の日本語の発音を行い、少し聞き辛いところもあるが、まあ日本語は上手な方である。
そのパクさんによると、北京首都国際空港から北京市街までは1時間程掛かる様である。
高速を使い、北京市街に向かうが丁度、渋滞の時間帯で、高速も市街地も渋滞している可能性が高い為にこれくらいの時間が掛かると言う。 -
空港を出て少し走ると右手に高い鉄柵の塀で囲まれた一画が現れる。すると直ぐにその鉄柵沿いに門が見えて来る。その門には衛兵らしき人が門の両脇に立っている。
政府の施設か何かか?と考えていると、パクさんが、「右手に見える門の奥の建物は北京空港の建物ですが、国賓など重要人物専用の通関所です。オバマ大統領が来た時もこの門から出たのです。」と説明してくれる。
なるほど、厳重な警護がされているのはその為である。
その門の前でバスは左に方向を変え、その後直ぐに高速道路に入る。すると言われていた様に片側4車線もある高速道路が既に渋滞をしている。
パクさんが、この時間を利用して、簡単な北京の説明と中国旅行での注意事項の説明を始める。
まず北京市についての説明が始まる。
北京市はほぼ日本の四国と同じ面積の大きさの市で、人工は約2000万人である。
北京の歴史は日本の方々も良くご存知の通り、春秋戦国時代には燕と言う国の都で、その後漢時代には北平、そして、モンゴル王朝の元の都、大都として栄える。
更に明の時代に都が南京に移るが、明の時代に再び北京と改名し、都となる。その後、清時代にも都とされたが、蒋介石の国民党軍が占領した際に北平と名前を変えたが、中華人民共和国の成立とともに再び北京に改称する。
最近では車が非常に増え、現在北京市の車の登録台数は600万台を超えたと言う。
そして、ここで続けて中国での注意事項を説明される。
パクさんが説明を行った注意事項は纏めると以下の4つである。
①中国では最近観光客、特に日本人を狙ったスリが多いので、観光地ではスリに注意する事。
②中国では水道水は飲めません。水や氷などには充分注意する事。
③露店などで買物を行う際にお釣で貰うお金に偽札が混じっている場合があるので注意する事。
④中国では車が右側通行(日本と逆)で、人優先より車優先の様なところがあり、車に注意する事(日本とは逆でまず左を見る事)。
この様な話がパクさんからある間もバスは渋滞する高速道路をゆっくりとしか進まない。
高速道路の両側には大きな街路樹が見えているが、パクさんによると白樺の木々であると言う。
確かに緯度的には、日本の青森辺りになるので、この様な木々が多いのも判る。
高速のジャンクションの様なところを幾つか過ぎると段々渋滞が緩和され、少し走り出す様になり、市街地に入って来た。そして、市街地に入り、高速道路を下りると、再び市街地の渋滞に巻き込まれる。 -
しかし、22年前の1989年に来た時とは、本当に市街の様子が一変している。当たり前と言えば、当たり前の事ではあるが、当時の北京の様子を知っているので驚きである。
私がかすかに覚えている北京の市街の様子は当時高い建物はあったが、その合間には日干し煉瓦の家々が密集していたが、今はその様な煉瓦造りの家々も見えず、モダンなビルが道路沿いに並んでいる。
また、道路も当時は自転車専用路線や馬車などが通る道なども造られていたが、今はその様な道も見えない。
また、当時は至るところにトローリーバスが走っていたが、今は普通のバスが走っている。
暫く、市街の大通りを進んでいたが、バスが右に曲がり、小さな通りに入る。すると少し渋滞が緩和される。その道を少し走り、再び大きな通りに出る。 -
この通りには、トローリーバス用の架線が道路の上に張り巡らされている。まだトローリーバスは使用されている様である。
また、この通りには古い塀に囲まれた古い家屋が見えている。
所謂、胡同(フートン)で、四合院の古い家屋が見えるが、1989年に来た時の家屋とは違い、綺麗に整備された家屋が並んでいる。 -
この地域の通り沿いには小さな軽食堂風の店が並んでいる。
この様な北京の街並みを眺めていたら、バスは道を曲がり、道路脇に大きな建物が見えて来た。
その建物は北京大学第一病院と書かれている。この周辺の建物はすべて北京大学医学部の付属病院の施設の様である。
その前を過ぎ、また道を曲がり、小路に入り、少し行くと道端でバスが停車する。この小路の反対側にあるレストランが今日の夕食場所の様だ。
時刻は18時10分過ぎである。渋滞があったけれど、意外に早く到着した。バスを降り、小路を車に気をつけながら渡る。 -
<北京市街の“衆家長”での広東料理の夕食>
今日の夕食場所は、“衆家長”と言う店である。旅行日程表によると今日の夕食は広東料理である。
店に入ると、入口付近には魚介類の水槽が並んでいる。その場所を抜け、店内奥に入る。
店内は非常に広く、夕食の時間帯の為か、円卓テーブルも殆どが客で埋まっている。空いている円卓テーブル3つに分かれて、我々が座る事になった。
私は一人なので、パクさんの指示を待つ事にした。
パクさんが、人数を確認し、各人に座る円卓テーブルを指示する。私は一番店の中央に近い円卓テーブルに座る様に指示される。その席には既に3人の家族が座っている。その人達の隣に座る。
席に着くと、その3人家族のお父さんから声を掛けられる。その方達は昼頃に北京に到着し、既に王府井や胡同などを観光し、ここに来たそうだ。私が我々は夕方到着し、空港からここに直行した事を説明する。
その後、パクさんが飲物の注文を聞いて廻る。お茶は出るとの事で、私は飲物を注文しなかった。 -
そして、注文された人の飲物が来て、最初の料理が出て来た。最初に出て来た料理はカリフラワーを炒めものである。その後次々に円卓のテーブルに料理が並ぶ。
出て来た料理は以下の様な内容である。
<8月17日(水)夕食 広東料理:衆家長>
①カリフラワーの塩炒め
②きゅうりと鶏肉、木耳のオイスターソース炒め
③苦瓜と卵の塩炒め
④ピーマンと豚肉のオイスターソース炒め
⑤キャベツの塩炒め
⑥瓜の塩炒め
⑦茄子のオイスターソース炒め
⑧野菜スープ
⑨卵チャーハン風ご飯
⑩鶏肉のうま煮
⑪デザート(すいか)
円卓テーブルには8人が座っているが、この8人で食べるにしてもさすがに量が多い。
毎回、中国を旅行すると出て来る料理の量だけは少ないと思う事がない。 -
案の定、どの料理も大量に残ってしまう。
味はお世辞にも上手いと言えるものはない。広東料理と言う事でもう少し美味しい料理を期待したが、期待はずれであった。
最後のデザートのすいかを食べ、お茶を飲み、食事を終える。時刻は18時50分頃である。
他の円卓テーブルの人達も食事を終え、みんなで店を出る。 -
<宿泊ホテル:鴻坤国際大酒店への移動とホテルでの時間>
パクさんの指示で、店前のバスに乗り込む。その前にパクさんにこのツアーでのオプショナルについて尋ねる。すると雑技とカンフーショーなどがあると言う。明日の途中で希望を聞くとの事なので、その時に話を聞く事にし、バスに乗り込む。
全員がバスに乗り込み、走り始めたら、パクさんがこれからの予定と明日の予定を話し始める。
これからまず日航新世紀ホテルに行き、それからもうひとつの鴻坤国際大酒店に向かうと言う。
私が宿泊するホテルは鴻坤国際大酒店なので後のホテルである。
また、明日の集合時間は私の宿泊する鴻坤国際大酒店が7時、そして日航新世紀ホテルが7時半となる。観光が盛り沢山である為に出発も早い。
ここから日航新世紀ホテルまでは30分程だそうだ。夕暮れの北京の街中をバスは走る。その内、日が暮れ、外が暗くなる。
19時15分過ぎに日航新世紀ホテルにバスが到着し、半分くらいのツアー客がパクさんと共にバスを降りる。パクさんがバスを降りる際に、少し待ってくれる様に言い残す。
10分くらい経ってパクさんがバスに戻り、再びバスが動き出し、鴻坤国際大酒店を目指す。
夜の北京の街は意外にネオンも少なく、時折派手なネオンの建物が現れると、殆どがホテルである。私の宿泊するホテルは、北京西駅近くのホテルである。
また、バスは日航新世紀ホテルから30分くらい走り、少しネオンの多い一角に来る。その中で、一際ネオンの派手な建物が北京での宿泊ホテルである鴻坤国際大酒店であった。
その前にバスが到着し、ホテル玄関の入ろうとするとその前にゲートがある。そのゲート前で暫くそのゲートが開くのを待つ。ゲートが開き、ホテル玄関にやっと到着する。
時刻は19時50分過ぎである。その間、我々はフロント前で少し待つ事になる。
このホテルは1階から何階かまでは吹抜けになっており、2階、3階にはレストランなども入っている様だ。そのレストランの一つが全聚徳と言う北京ダックで有名な店で、このツアーでも明日の夕食予定の店である。
しかし、この全聚徳は北京市街に何店舗かある様で、その一つの店がここにもあるのだ。
ホテル内に入ると広いロビーでその奥にフロントが見える。そのフロント前でパクさんが各人のパスポートを集め、パクさんがチェックインを行う。
チェックインを終え、我々のところに戻って来たパクさんが、各人にルームキーを手渡す。
しかし、ルームキーだけで、パスポートを返してくれないので、私が「パスポートは?」と聞くと、「パスポートは今ホテル側がコピーを行っています。」と言う事で、再びここで暫く待つ事になる。少し経ってパクさんが、再びパスポートを取りにフロントに行き、パスポートが返される。
そして、明日のモーニングコールの時間を6時15分と決められ、みんなに告げられる。
また、明日朝の朝食の場所と朝食場所の開く時間を6時20分と確認し、ここでパクさんと別れる。
各人部屋に移動する。私はその前にパクさんに近くにコンビニなどがないかを聞くと、ホテル近くにコンビニがないが、このフロント裏に小さなコンビニの様な店があると言う。その店はかなり遅くまで開いていると言う事なので、そこで買物をする事にした。
部屋に行く前に、先に店に立寄り、部屋で飲む飲物としてジャスミン茶を購入し、エレベーターで9階に上がる。部屋は9階の902号である。
9階まで上がり、エレベーターホールに出ると、その左右に扉がある。このホテルはエレベーターホールと各部屋の廊下は扉で遮られている。
面白い事に部屋は奇数番号の部屋と偶数番号の部屋がそのエレベーターホールを境に分かれている。
エレベーターを降り、左手が偶数部屋で、その扉を開け、廊下に出て、部屋を探す。
部屋は一番奥の突き当たりの部屋であった。ルームキーで扉を開け、部屋に入る。
部屋は非常に広く、部屋の一番奥にベッドがあり、入口付近にはミニバーなどが置かれた棚もある。
毎回思うが、一人で使うには勿体無い。
早速、旅行カバンを開け、部屋着を取り出し、着替える。そして、少しゆったりと寛いだ後、風呂に入る。お湯や排水などを確認し、シャワーで体、髪を洗い、簡単に出る。
テレビを点け、髪が乾くのを待つ。テレビは中国番組しか映らない。BS放送などは映らない。
時刻は21時過ぎである。まだ寝る時間には早いので、明日の準備を行う。
このホテルには最終日まで連泊する事になるので、明日からの観光は出来るだけ身軽な格好で行きたい。リュックに入っている物でも要らないものは出し、必要最小限にする。
また、お金なども必要以上に持ち歩かない様にする。今回の旅行は極力土産物も買わない様にしようと考えているが、どうも見ると買いたくなってしまう。極力我慢しよう!
明日の準備も終え、今日の日程をメモ帳に纏める。時刻は22時を過ぎている。日本時間で言うと23時なので少し眠たくなって来た。そこで少し時間は早いがベッドに潜り込み、旅行ガイドブックを読んでいると何時の間にか寝てしまった。
今回(1日目)はここまで! 明日は北京周辺観光1日目。
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