2017/11/25 - 2017/11/25
64位(同エリア75件中)
ちふゆさん
2017年11月25日(土)の夕方4時。遅くなったがモンテビデオ(Montevideo)観光スタート。まずは旧市街(Ciudad Vieja)へ歩く。ホテルのすぐ北のウルグアイ通り(Ave. Uruguay)を西に650mほど行くと、フロリダ通り(Florida)との交差点になるが、この独立広場(Plaza Indepencia)を南北に貫くフロリダ通りが旧市街と新市街の境。フロリダ通りから西には植民地時代の石畳の町並みを今に伝える旧市街が広がる。
ウルグアイ通りもここで名前を変え、5月25日(25 de Mayo)通りとなる。5月25日はアルゼンチンの五月革命記念日(Dia de la Revolucion de Mayo)で、ウルグアイでもこの革命を契機にスペインへの独立戦争が始まった(1816年にブラジルからポルトガル軍が侵攻し、ブラジルに占領される結果に終わったが)。この通りになると両脇の建物がどんどん渋くなる。下の写真は1907年に建てられたビルで、1階はラスミシオネス(Las Misiones)と云うレストラン。
その少し先のロマンティコ博物館(Museo Romantico)もしくはアントニオ・モンテロの家(Casa de Antonio Montero)は、1831年に商人のアントニオ・モンテロ(Antonio Montero)によって建てられた邸宅で、大理石宮殿(Palacio del Marmol)とも呼ばれ、独立当時の最も裕福なものの一つ。1962年から博物館として公開され、肖像画を中心とした歴史的な絵画や植民地時代の家具などを展示している。まだ4時20分だったので、開いてたと思うが入ってない。
その先のザバラ(Zabala)通りを北に曲がるとラバジェハの家(Casa de Lavalleja)。これはもっと古く1783年に建てられた商人の邸宅。1830年に当時のウルグアイ東部州(Estado Oriental del Uruguay)の暫定知事であったラバジェハ将軍(Juan Antonio Lavalleja)が購入し、亡くなるまで住んでいた。ラバジェハ将軍は1825年にブラジルからの独立を宣言した反乱軍のリーダー。1941年に彼の子孫から国に譲渡され、42年から博物館として公開されている。植民地時代から残る数少ない家の一つ。ここも09年から行われた修復作業は終わり、公開されていたと思うが入ってない。
ザバラ通りを抜けて、5月25日通りの1本北のセリート(Cerrito)通りに出ると、北側にウルグアイ銀行(Banco de la Republica Oriental del Uruguay)の本店ビル。1938年に建てられたもので、国家遺産になっている。正面の支柱は立派。銀行の1ブロック先の左手(南西角)にはサン・フランシスコ教会(Parroquia San Francisco de Asis)。1840年に設立された教会で、現在の建物は1870年に完成したもの。さらに2ブロック西に歩き、ペレス・カステラーノ通り(Calle Perez Castellano)を北に折れる。なかなか雰囲気のある歩行者専用道で、18世紀後半から19世紀の司祭で政治家であったホセ・マヌエル・ペレス・カステラーノ(Jose Manuel Perez Castellano)の名前から名付けられている。
ペレス・カステラーノ通りの北の突き当りにあるのがプエルト市場(Mercado del Puerto)。1868年にオープンした市場だが、現在は市場としては使われてない。中にはたくさんの焼肉(Asado)レストランが入るレストラン街になっている。ウルグアイではパリージャ(Parrilla)と云う網焼きがメジャーで、パリジャーダ(Parrillada)と云う内臓や肉の塩焼き盛り合わせが有名。もちろんシーフードも食べられる。流しのミュージシャンがテーブルを回り、また土曜日の昼時にはストリートミュージシャンのパフォーマンスもあると云うことで、出発した時の予定では、ここで昼食の予定だったのだが、もう5時だもんな。ああ、フライトキャンセル・・・ 市場の周りにはアンティークや土産物などを売る店や露店も多く出ていた。
市場の北側はモンテビデオ港(Puerto de Montevideo)。南西に向けて開いた馬蹄型のモンテビデオ湾(Bahia de Montevideo)の南の入口、内側に位置するこの港がモンテビデオ発展の元となった。外海の影響を受けにくい湾内に面した自然の良港で、この港があったからこそ町が発展したと云える。この日の朝に行ったブエノスアイレス(Buenos Aires)のプエルトマデロ(Puerto Madero)の港からのフェリーは高速直通便なら2時間余りでここに着く。ただ、私が乗って来た飛行機と比べるとお値段は変わらないか、下手すると高いみたいだ。現在の港は1909年に開港。残念ながら港の中は全然見られない。市場の前には高さ18mのタワーを持つ6階建ての立派な白いビルがあるが、税関事務所(Direccion Nacional de Aduanas)で1931年に竣工したもの。
5時15分頃、港の前で折り返し、今度は旧市街を南に進む。ほぼ長方形の旧市街地の真ん中から少し西寄りにあるのがサバラ広場(Plaza Zabala)。碁盤目状にレイアウトされた市街地の中で、この公園だけがなぜか斜めに区画されている。公園の中央に立つのは1726年にこの町の基礎を拓いたスペイン人のザバラ(Bruno Mauricio de Zabala)の像で、公園の名前にもなっている。1890年に像が設置され、公園が開かれた。
サバラ広場のすぐ東にはリベラの家(Casa de Fructuoso Rivera)。1830年に独立後初の大統領となったフルクトゥオソ・リベラ(Fructuoso Rivera)が1834年から15年間暮らしていたのでこう呼ばれる。1810年に建てられたもので、1940年に国のものとなり42年から博物館として公開されている。ここも6時までは開いてたと思うが、入ってない。どこも外から見ただけで、これもフライトキャンセルのせい・・・
リベラの家を過ぎて東に2ブロックで憲法広場(Plaza Constitucion)。旧市街地の中心となる広場で、噴水は1871年に造られたもの(表紙の写真中央)。1812年のスペイン最初の成文憲法成立に敬意を表して名付けられたが、周りに立つマトリス教会(Iglesia Matriz)からマトリス広場(Plaza Matriz)とも呼ばれる。マトリス教会は正式にはメトロポリタン大聖堂(Catedral Metropolitana de Montevideo)。1740年に建立された市内最古の教会に起源し、1804年に現在のスペイン風の新古典様式の建物が建てられた。教会の反対側、東側に建つのは植民地時代の市議会(Cabild)で、1804年から12年に掛けて建てられたもの。独立後は外務省など政府のビルとして使われたが、1958年から歴史博物館(Museo y Archivo Historico Cabildo de Montevideo)として公開されている。5時半だったのでまだ開いてたと思うが、これも中には入ってない。
旧市街観光の最後は憲法広場の少し南東にあるソリス劇場(Teatro Solis)。ウルグアイ最古の劇場で、最初の演劇が開演されたのは1856年の独立記念日である8月25日、ブエノスアイレスのコロン劇場(Teatro Colon)着工の1889年(完成1908年)より遥かに古い歴史を持つ。2004年に先進の技術を施しリニューアルオープンした。現在ではオペラやコンサートなどさまざまなイベントが催されている。内部はガイドツアーで見学可能で、英語ガイドもあるらしいが当然見てない。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150305281706151&type=1&l=8a89379cb0
旧市街観光終了、新市街に続く。
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