2019/09/18 - 2019/09/18
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星と旅する 桃李596さん
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9月の飛び石連休を利用して、ずっーと行きたかった
長崎教会巡りを、湯布院で禊をしてから行ってきました。
映画「サイレンス」の舞台を、長崎世界遺産巡りスタンプラリーで巡ります。
大分、長崎旅行でやりたいこと
1.湯布院の日帰り温泉に行く
2.長崎教会スタンプラリーに参加
3.博多でお寿司を食べる
4.五島列島の教会巡り
6.長崎チャンポン食べ比べ
7.長崎のお刺身を堪能する
8.かすてら食べ比べ
9.ハウステンボスを楽しむ
4日目は、長崎先市内を駆け足でまわります。
観光名所の歴史を知ると、「過去の人たちがどんな思いで生きてきたのか」想像しながら、名所を見て、感じて、まわれる、そんな旅になりました。
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ホテル近くのJALホテルで、電車の一日乗車券を購入して
から、観光を始めます。 -
この電鉄、乗り換え乗車券の発行は新中華街でしかありません。
観光通りから、新中華街経由で、蛍茶屋行きに乗り換えて
めがね橋で降りて、めがね橋から観光スタート。 -
駅から案内が出ているので、すぐにめがね橋に到着。
少し離れると、水面に橋が写ってめがねができあがります。 -
近すぎると眼鏡になりませんね、、
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橋の袂にあるハート石も、すぐに発見!
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半年先まで予約ができないカステラ屋さん。
こちらのお店が、10:00開店なんで、9:30過ぎにお店前に行くと、、4組が既に並んでいました。 -
サイズは、2つありました。
大を一つ買って終了。
カステラが重いんで、一旦ホテルに置きに戻りました。
朝から猛暑です。 -
こちらも目をつけていた、老舗のカステラ屋さん。
相場的に一番お高いです。 -
石橋行き大浦天主堂で下車したら、案内が出ているので
すぐに天主堂入り口に到着。
天主堂に向かう坂道の両側には、お店が連なり、カステラの試食をさせてもらえます。 -
大浦天主堂入り口には、信徒発見レリーフがあります。
こちらの教会は、キリスト教解禁後に外国人の為に建てられた教会です。
歴史的価値は
「1985年の3月17日、当時「フランス寺」と呼ばれていた天主堂には、珍しい西洋風の建物を一目見ようと、大勢の見物人が来ていました。その客にまぎれて、浦上の潜伏キリシタンたちもやって来ていました。そして、聖堂内で祈るプティジャン神父に近づき、「ワタシノムネ、アナタトオナジ」、つまり、「私たちもあなたと同じ信仰をもっています」、とささやいて信仰の告白をした後、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねました。プティジャン神父は、日本のキリシタンの子孫を目の前にし、この慰みを神に感謝し、彼らをマリア像の前に導きました。
こうして、プティジャン神父は浦上の「信徒を発見」 -
大浦天主堂には、2つの歴史的出来事に関わりがあるようです。
「一つは、1597年の日本二十六聖人の殉教で、正式には、「日本二十六聖殉教者聖堂」と言い、1862年に二十六人の殉教者たちが聖人に列せられたのを受け、捧げられた教会です。そのため、大浦天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
2つ目は、1865年の「信徒発見」です。大浦天主堂が1864年に建てられ、翌年2月から公開が始まったその約一ヶ月後の3月17日に、浦上の潜伏キリシタン達が信仰の告白をして名のりを挙げました。プティジャン神父は大喜びでフランス、ローマに報告しています。」 -
歴史を知ると感慨深い教会です。
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キリシタン博物館に入って、キリシタンの歴史を学びます。
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潜伏キリシタンの持ち物。
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幕府による、潜伏キリシタンかどうかを確かめる為の道具
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プチジャン神父がルルド参拝時の十字架。
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身元台帳
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大浦天主堂を出て、左側にまわると
グラバー園の入り口が見えます。 -
この階段を上り、少し行くとグラバー園の入り口で
入園すると、歩く歩道に乗って名所に到着です。 -
グラバー園の観光は、旧三菱第2ドックハウスから始まります。
使用されていたのは
「船が修理などのためにドックに停泊している間、船員たちが宿泊するための施設です。この洋風建築は、1896年(明治29年)に三菱造船所第二船渠の建造にともない、船渠の傍らに建築されました。明治初期の典型的な洋風建築」 -
こちらの二階からは、船の停泊が見えるだけでなく、
庭園の池には鯉が泳いでいました。 -
見晴らしが良く、風が気持ちよいので長居してしまいそう
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旧オルト亭
「オルト商会を設立し、製茶業を営んでいたウィリアム・ジョン・オルトの旧邸。1972年(昭和47年)5月15日、主屋・附属屋・倉庫が国の重要文化財に指定。噴水1基が重要文化財の附(つけたり)指定となっている」 -
旧リンガー亭
「グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸。1966年(昭和41年)6月11日、国の重要文化財に指定。」 -
グラバー氏。奥様は、日本人。
ちなみなの、グラバー亭は、修復中で屋根しか見学できませんでした。
グラバー氏とはどんな人なのか、調べてみると
「安政の開港直後の1859年、グラバーは弱冠21歳で上海を経由して来日。ベテランの外国人商人たちの中にあって茶やその他の産物、武器・艦船などを取り扱う商人として仲間入りをしました。やがて彼は、日本の再建と近代化に、外国人商人としての立場を超越した活躍を見せ始めました。
それには日本の若い志士たちに国際的な目を開かせることが先決だとして、伊藤博文をはじめ数多くの若者の海外勉学の旅を斡旋しています。こうして維新動乱前後に、多くの新時代の日本の指導者が続出したのは彼の努力に負う所が少なくありません。
次にグラバーは、産業立国の大方針を以て、造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業の分野を開拓しました。1865年(慶応元年)わが国の鉄道開通の7年も前に大浦海岸に蒸気機関車を試走させました。また、1868年(明治元年)には小菅町に近代式修舟場を設け、1869年(明治2)には高島炭坑を開設するなど、日本の近代化に大きく貢献」 -
グラバー園出口付近にも、ハートの石を発見。
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大浦天主堂のすぐ近くには、老舗の中華料理屋の四海楼があるので、ランチをしに行ったら、、
月1の休みでしたー -
炎天下、思案橋まで戻り、気になってた
思案橋ラーメン屋さんへ。 -
福山雅治さん行きつけのラーメン屋さん。
こちらのちゃんぽん、庶民的な味で好みかも、、
800円でした。 -
出島観光。
入り口は二つあり、水門は路面電車からすぐですが、
表門だとぐるっと回らないと辿りつけないです。
炎天下だったので、水門から入り表門から出ました。
入り口で入場券を買って、19世紀初頭の江戸時代から幕末開国後、明治へと時代をたどりました。 -
表門には、橋を渡って入ります。
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オランダ商館員の住居や貿易品を保管する蔵、船長、日本人役人の詰所など、沢山の建物が復元されています。
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出島は、4つの時代の遺構や建物が見られるようになっていて、
かつて海に面していた水門、西側ゲートから入ると、19世紀初頭の江戸時代から幕末開国後、明治へと時代をたどることができる。
東側ゲートから入場すると、明治から幕末、江戸へと時代を遡ることができるように再現されています。 -
オランダ商館長(カピタン)の事務所や住居として使用されていた部屋
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オランダ商館長の寝室
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沢山の芸能人が訪れているようです。
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午後3時過ぎですが、かなり暑く長崎駅で降りて
日本二十六聖人殉教地(西坂公園)へレリーフを見に行きました。
「豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘です。
キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれており、二十六聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でもってこの地で処刑されました。
戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、昭和31年、長崎県はこの丘を史跡に指定。殉教の様子が描かれたレリーフが建つ丘」 -
日本におけるキリシタンの歴史を見に、記念館に入ります。
具体的には、
「ザビエルによる日本でのキリスト教布教から、弾圧の時代、そしてその中での二十六聖人の殉教、潜伏キリシタンの祈りから明治時代の信仰の復活までの歴史が、「聖フランシスコ・ザビエル書簡」(1546年)や天正遣欧少年使節のひとりで、この西坂で殉教した中浦ジュリアンの書簡、踏み絵と同型のもので信者たちが守り抜いた《ピエタ》(県指定文化財、16c)、潜伏キリシタンの密かな祈りの対象であった《雪のサンタ・マリア》などの貴重な資料をつうじて紹介されています。」 -
入ると、宣教師ザビエルがお出迎え。
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2階から見た館内。
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キリスト教禁の御触
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キリシタン大名高山右近
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2階には、カトリック美術家長谷川路可(1897~1967)氏による「長崎への道」のフレスコ画。
「1597年にキリシタン弾圧で処刑された日本二十六聖人が、京都で捕らえられ、市中引き回しにあった後、歩いて長崎まで連れられ、西坂で処刑されるまでの様子が描かれている。 -
三段に分かれて描いかれています。
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他にも二十六聖人殉教画
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見たかった細川ガラシャ 様の絵画
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スコセッシ監督サイン入り、映画「サイレンス」の脚本。
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二十六聖人のひとりで、メキシコ人フランシスコ会修道士聖フィリッポ・デ・ヘススに捧げられた教会。
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駅から小高い丘の上にある平和公園。
エスカレーターで上がることができます。
丘に到着すると、目の前に平和の泉が見えます。
これができた歴史的背景
「原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて、めい福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて浄財を募り建設された円形の泉」
原爆犠牲者少女の手記に、胸が痛みます。
「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」が刻まれています。 -
長崎の鐘。
建立された主旨は、
「原爆投下後、33回忌を迎えるにあたり、動員学徒、女子挺身隊、徴用工、一般市民の原爆殉難者の冥福を祈り、あのようなむごい原子爆弾が、再びこの地球で炸裂しないためにも、この鐘を鳴らし続けて恒久平和の確立を世界の人々に訴えるため」に遺族、被爆者、およそ21,000世帯の拠出金により建立された。 -
平和祈念像。
高さ9.7メートル、重さ30トン。
長崎出身の彫刻家北村西望氏が
「神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る」という主旨で制作されました。 -
平和公園から、徒歩15分はかかる浦上天主堂。
中には入れませんでした。
歴史は
弾圧に苦しんだ浦上信徒が築いた教会で、1945年、原爆により建物は破壊され、アンジェラスの鐘も鐘楼とともに崩れ落ちました。
現在の建物は1959年に鉄筋コンクリートで再建されて、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元。 -
思案橋。
江戸初期、この橋の付近に元吉原の遊郭があり、この橋で行こうかやめようかと思案したところから呼ばれたらしいが、今は 繁華街になっています。 -
人気居酒屋、多ら福 亜砂さんを予約してました。
お店の写真は、撮り忘れてしまいました。
1人用お刺身、8種類のお魚が盛られています。
長崎のお刺身は、コリコリして甘く、美味しい。
これで、1300円 -
次にオコゼの唐揚げ。全て食べられますが、この夜は胃もたれしました。
おと、おにぎりを食べて終了。 -
多ら福と同じ並びにある、果物を仕入れ販売するお店。
中では、季節の旬フルーツを使ったゼリーやケーキ
を買えたり、飲食できます。 -
シャインマスカットが入ったゼリー、432円。
シャインマスカットに、ゼラチンが入っただけの味。
アレンジなしで、ガッカリ! -
一旦、ホテルに戻り、お風呂の準備をして長崎駅へ。
長崎駅前、「ふくの湯」湯行きのバスがやって来ます。
コインロッカー前で待っていると、バスがやって来るそうです。 -
稲作山の夜景が見える温泉。ふくの湯行きバス。
ふくの湯発駅前行き最終バスは、22時です。 -
温泉に入りながら夜景を楽しめます。
炭酸湯、電気湯、漢方サウナ、塩サウナが楽しめます。
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