2011/05/01 - 2011/05/05
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パンダ番長さん
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韓国旅行の4日目。ソウルから仁川、江華、韓国と北朝鮮国境付近までの観光。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
<旅行4日目の朝とソウルパレスホテルの朝食>
朝、5時前頃に目が覚めた。まだ早いが少し寒気がして目が覚めたのである。
どうも本格的に熱がついに出た様である。体も少しだるく、関節も少し痛い。
しかし、朦朧とする事もないので、微熱程度だろう。
再度、ベッドのシーツに包まる様に寝るが、寝られない。
その内に冨田君が起きたのか、ベッドから出た。そして洗面所に行った様である。
私は相変わらずシーツに包まり、寝ていたが、冨田君が身支度を始めたので、私も起きて顔を洗う。
最初に目が覚めた頃よりは少し寒気も治まっているが、熱はある様で、体はだるい。
洗面を終え、その事を冨田君に告げる。
食事を取れない程体調が悪い訳でもないので、6時30分過ぎに朝食を取りに冨田君と1階に下りる。
レストラン入口でルームキーを見せると、空いている席に案内される。
案内された席は中庭の見える良い席ではあったが、中庭からの風が今の体には寒く感じた。
ここのホテルもお決まりの西洋式バイキングである。
皿に野菜サラダ、ソーセージ、カリカリベーコンや卵焼、フライドポテトなどを取り、食パンを焼いて食べる。体調が本当に悪いのか、食欲もあまりなく。食パンを2枚食べるのがやっとであった。
そして果物と珈琲を飲んで、最後に持って来た風邪薬を飲む。
この薬で少しでも回復してくれる事を祈るしかない。 -
食事を終え、部屋に戻ってからも出発までの時間は椅子で休息していた。
しかし、体調は正直悪くなる一方である。そして何時の間にか、少し寝てしまっていた。
次に目が覚めると、時刻は7時45頃になっている。もう部屋を出ようと冨田君を促す。
そして7時50分頃にロビーに降りる。趙さんは既にロビーに来て、携帯電話で話をしている。
我々の顔を見て、電話をしながら我々と共にホテルを出る。
今日は昨日までのコミューターではなく、黒のランドクルザータイプの車である。その車に乗り込む。
車に乗ると私は目的地に着くまで寝させて貰う事にした。今日の最初の目的地は仁川大橋展望台である。このホテルからは約1時間かかる予定である。 -
<仁川(インチョン)の新しい観光スポット:仁川大橋展望台>
車が走り出すと寝る体制に入り、薬を飲んだ為か直ぐに寝てしまう。
次に目が覚めたのが、仁川空港がある永宗島に架かる永宗大橋の上である。前方には空港が見えている。
島に渡り、空港へは行かず、この永宗島から更に仁川市郊外の新しい人工島に架かる橋に差し掛かる。この橋が仁川大橋で2009年10月に完成した橋である。
この橋を渡り切ると、新しく出来た人工島で、現在都市化が進む最中で様々な建物が建ち始めているが、まだ建物は疎らである。完成間近の高層マンションなども見える。その人工島の永宗島側の海岸沿いに造られているのが、仁川大橋展望台である。その展望台に到着し、起こされる。橋の途中でまた寝ていたのである。
趙さんが、「お疲れですね?」と言うので、少し熱がある事を告げるが、然程気にしていない様である。こちらは体のだるさが抜けない。
仁川大橋展望台に上がるが、今日は天気も余り良くないのと少しかすんでいるので、永宗島方面はぼんやりとしか見えない。その為、永宗大橋などは全く見えない。残念である。
今日は韓国では祝日でもなく、まだ朝の早い時間帯でもあり、この展望台には誰もいない。
また、この展望台の周りもまだ開発中で、人がいない。それでいて景色も見えないので、非常に寂しい感じである。
体調が悪いので海からの風が体に堪える。
早々に切り上げ、次の目的地に移動する事になった。次は仁川上陸作戦記念館である。 -
<韓国人には忘れられない仁川上陸作戦の記念館:仁川上陸作戦記念館>
この仁川上陸作戦記念館は、朝鮮戦争で守勢であった国連軍が攻勢に転じる事になった朝鮮戦争における重大な転換点の一つであると考えられている仁川上陸作戦を記念して建てられた建物である。
仁川上陸作戦とは朝鮮戦争中の1950年9月15日に、国連軍が韓国ソウル西方約20km付近の仁川へ上陸し、ソウルを奪還した一連の作戦・戦闘の事である。
ダグラス・マッカーサー個人により発案された投機性の高い大規模な作戦を、マッカーサー個人の信念によって実行に移し戦況を一変させた点が特筆される作戦である。
仁川展望台から仁川上陸作戦記念館までは、15分程で到着した。
小高い丘の中腹にある仁川上陸作戦記念館は急な斜面を利用して建てられている。
車は正面から左手の道を上がり、この記念館の駐車場に入る。
ここで車を降り、そこから記念館の正面に歩いて行く。
入口前の広場には、当時使われた上陸艇(水陸両用戦車)や高射砲などが屋外に展示されている。その横には記念碑なども見える。
また、今は特別展示で、この屋外に朝鮮戦争で北朝鮮軍の捕虜になった人達の過酷な捕虜生活や拷問などの回想絵などが展示されている。その生々しい絵を見ると戦争の惨さが良く判る。
入口に行くと、ここは入場料が要らない様である。そのまま記念館の館内に入る。
まず、館内に入ると直ぐ右手にダグラス・マッカーサーの等身大のパネル写真が置かれ、ここで記念撮影が出来る様になっている。我々も早々にここで記念撮影を行う。 -
館内は朝鮮戦争に関わる記念物や武器などが展示されている。特にマッカーサーについての展示が多い。
やはり、この記念館の名前になっている仁川上陸作戦がマッカーサー個人で発案・実行された作戦で、それが大成功を収め、国連軍(韓国軍)反抗のきっかけになった韓国の人にとっては忘れられない作戦なのである。
しかし、我々日本人にとってマッカーサーと聞くと、また違う感情を抱く。我々の世代は戦争を知らず、マッカーサーも過去の人で近代史の勉強の中の一人物でしかないが、日本人でも第二次世界大戦の戦争を経験した人達にとっては連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の総司令官として日本占領に当った人である。
日本は戦争に負けた国として占領されたのである。
また、国の象徴である当時の昭和天皇と会見を行なう際に、わざわざ昭和天皇を呼び付け、出迎えもしなかった逸話など、余り良い印象はない。
そのマッカーサーが英雄として祭り上げられている事にやはり違和感がある。
記念館の中を進むとその印象が更に強くなる。韓国にとってマッカーサーはやはり英雄なのである。
貴重なものとしては当時マッカーサーが愛用していた帽子やサングラス、またもう一つの特徴的な所持品であるコーンパイプなどが展示されている。
また、朝鮮戦争時に使用された武器類なども多く展示されている。まだ、朝鮮戦争は第二次世界大戦から然程年月が経っていないので、武器などは第二次世界大戦時に米軍が使用した物とほぼ同じである。 -
私が中学生の時に、第二次世界大戦の米軍とドイツ軍のプラモデルやジオラマが流行り、私もいま目にしている武器類のプラモデルも作っていた。その点では懐かしさもある。
展示を見終え、感じた事は、まず日本ではこの様な記念館は今後も出来ないであろうと言う事である。
記念館を出ると趙さんがこの記念館の女性館員と何やら話し込んでいる。その間、我々は上陸艇などの屋外展示を再度見学する。趙さんが話を終えるのを待つ事になった。
女性館員と趙さんとの話が終わり、駐車場に戻る。趙さんは女性館員と何を話していたのか?
私は少し疲れて来たので再度、席で横になる。やはり熱があるせいか、少し歩くと疲れる。
次はこの仁川にある中華街に行く。中華街までは少しある様である。
少し寝る事が出来るか?そう思ううちに寝てしまっていた。 -
<仁川の中華街と仁川開港場(日本租借地跡)>
中華街について起こされる。急な坂道の途中に車が停車している。ここで降りるのである。
ここも山の中腹である。まだ、坂道の先に階段が続いている。その先に像が見えている。この階段を上り始める。
階段を上り、その像に近づくと、孔子像である。これは中華街らしい。まだ建てられて間もない様である。
丁度、階段が終わる少し手前に建てられている。階段の上り切った所もまた坂道になっている。
その坂道の下っている方向の壁には三国志演戯の有名な場面が描いた絵が続いている。
そこを下るのかと思ったが、趙さんが更に坂道を上り始める。 -
この坂道の先は公園になっている。ここは自由公園と呼ばれているらしい。
坂道を歩いていると高校生くらいの女の子達が郊外学習か修学旅行かで来ているのか先生らしき人と集団で我々と同じ様に坂道を上っている。
坂道を上り切ると、モニュメントが立っている場所に出る。そこから更に少し下ると、展望台のある広場に出た。その先には花壇などが綺麗な公園が見えている。
展望台の広場には先程の女子高生の他に、小さな幼稚園児くらいの子供がたくさん来ている。
我々はその広場を横切り、公園内に入る。その公園の奥には、また像が立っている。その像の前まで行く。
像の人物はマッカーサーである。像の前まで行かなくても、まあ誰の像かは想像出来たが?
その横にはここにも記念碑があり、また日本で言う忠魂碑の様なものも見える。 -
その像の前から引き返し、坂道を降りる。そして再び孔子像前まで戻り、そこから三国志演戯の絵が並ぶ壁が続く坂道を下り始める。かなり急な坂道である。中華街はこの急な坂の多い中腹に広がっている様である。
その坂道の途中で、その坂道に交差する路地道に入る。その道は古い石畳の道である。
特にその路地に店が多い訳でもない。その路地道もゆっくりと下っていて、かなり下まで下りて来た。
この辺りは中華街と言う雰囲気はない。
そしてまた坂を上り始め、突き当たりの建物前で立ち止まる。そしてその建物が区庁である。日本でいう区役所である。そして趙さんがそこに掲示されているある数字を指差す。
「あの数字は何を表しているか判りますか?」と質問して来る。2つの一桁の数字が掲示されている。
何か判らないと言うと、「今日乗れない自動車の末尾のナンバーを掲示しているんです。」と言う。
2005年のワールドカップサッカーの際に交通渋滞を避ける為に日により、運転を自粛するナンバーが決められているのである。それが今も続けられている。掲示されている数字は車の末尾のナンバーの数字である。その数字を末尾に持つナンバーの車は、今日は運転を自粛する事になっているが、実際は罰金などの規制がないので、それ程守られていない。
再び坂を下り始める。本当にどこに行くかはよく判らない。
何か趙さんもよく判らず歩いている感じである。その内に車の運転手を遭遇する。
そして趙さんが何か聞いている。やはり行こうとしている場所がよく判らなかった様である。その運転手に教えられ、また歩き出す。 -
運転手さんと遭遇した路地を1区画程行くと、やっと趙さんが行こうとしていた場所に到着した様である。
先程、自由公園でも見かけた女子高生の集団もいる。
ここは仁川の昔の日本租界地で、仁川最初の街が出来た開港場である。ここには古い建物が多く残っているのである。特に当時の銀行などの建物がたくさん残っている。
特に有名な建物は博物館になっている。そのひとつが、趙さんが探していた仁川開港場近代文物館である。ここに入るのである。
ここは日本租借地当時の歴史的な文物が展示されている。特に興味を引いたのは、当時の郵便配達員の格好である。
日本でも同じ様な格好だったのであろうか。
また、当時の町並みを奥行きのある絵で造られたコーナーがあり、そこが記念撮影場所になっている。女子高生も代わる代わる数人で写真を撮っていた。
我々もその女子高生の撮影が終了するのを待ち、記念撮影を行う。
2人並んで、趙さんに撮って貰う。
その後、建物の一番奥の部屋に行くとその部屋の扉が非常に重厚な扉である。また、その扉の壁を見ると、少し今までの部屋とは違う。よく観察すると金庫の様、いや!ここは大きな金庫である。その中には当時の硬貨など貴重な資料が展示されていた。
ここから入口の部屋に戻り、この建物を出る。
ここで初めて入口上にある朝鮮銀行の文字を見つける。この建物は日本租借地の時代は旧日本第一銀行で後に朝鮮銀行になった建物である。先程の金庫の部屋もこれで頷ける。
その後、この通りを進むと、同じ様な石造りの建物や洋館風の建物が偶に現れる。全てが見学出来る様にはなっていないが、どの建物も現役の様で、何かしらに使用されている。
途中、洋館風の建物の扉が開いていたので、中を覗くと会社のオフィスになっていた。
その通りをまた1区画程歩くと、交差する通りを挟み、また石造りの建物が見えて来る。
ここも何かの博物館になっている様で先程の女子高生がまたその前で屯している。 -
その建物は仁川開港場近代建築物博物館である。ここも元は銀行で、旧日本第十八銀行である。
入口で日本語のパンフレットを取り、暗い通路を中に進む。すると大きな部屋に出る。
その下は透明なアクリル板の床の下にこの辺りの航空写真が大きく引き延ばされて床一面を覆っている。
そして、そのアクリル板の上のところどころに、その場所の説明が書かれている。また、パネルがその上に立ち、当時の有名な建物の紹介をしている。
また、部屋の奥の大部分をこの町のジオラマ模型が占め、当時の町並みの様子を再現している。
そのジオラマ模型には列車も走っている。趙さんによれば、韓国で初めて列車が走ったのは、この仁川であるという。当時はソウル近くまで開通していたそうだ。日本の租借地内を走っていた事からこれも日本の技術によるものかも知れない。
それらを見学し、この建物を出る。出口付近でまた女子高生が屯している。何かと思ったらミネラル水が無料で飲める様に設置してある。
また、出口を出たところは丁度、隣の建物との間に休憩所が造られている。そこに置かれた椅子でまた女子高生が休憩を取っている。
我々はその女子高生の間を抜け、再び通りに戻る。そしてその通りを更に一区画程行ったところで反転し、再び近代建築博物館まで戻り、交差している道を今度は下る。
少し下るとそこは倉庫街でレンガ造りの倉庫が通りの両側に並んでいる。 -
ここで気になったが、道路にあるマンホールである。日本では地域で殆ど同じ形状、模様であるが、ここのマンホールは形状こそ丸型で同じであるが、その模様が幾つか存在している様である。マンホールの古いものと新しいものが混在しているのかも知れない。
そう思い幾つかのマンホールを確かめながら、その辺りを歩き廻っていると、車がやって来た。
少し早いが、これからこの中華街での昼食場所に向かうと言う。
車に乗り込み、また坂を上がり始める。先程降りて来た坂の中腹辺りを進む。
暫く、狭い混雑した場所を走ると、多くの車が止まる一角に出た。
この辺りにレストランが集中しているのである。 -
<中華街での昼食:ジャージャー麺と餃子>
丁度、昼食時間どきで、車と人で通りを進むのに苦労をしている。今日は韓国では祝日ではなく、普通の日である。
その為にこの辺りで働いている人達が昼食を食べに来ているのである。
そこを抜け、少し行ったところで車が道路脇に止まる。その横に見えている店で昼食を取る様である。店の名前は“萬多福”と看板が掛かっている。
車を降り、その店の前に行くと、入口には兵馬俑が立っている。 -
店内に入ると、テーブル席が並び、2階にも席がある比較的大きな店である。
我々も入口近くのテーブルに案内される。今日の昼食は旅行日程表にはジャージャー麺とある。
まずお決まりの飲物を聞かれる。今日は、熱いお茶が席に着いた時に出されたので、それで充分である。今回は冨田君もビールを飲まない様である。
そして暫く、冨田君と私の体調について話をする。朝に比べれば、少しはマシになって来たが、それでもまだ体のだるさは取れないし、熱っぽい感じである。どうもスッキリしない。
話をしていると大きなラーメン椀が運ばれて来た。
テーブルに置かれたそのお椀の中には、ほぼ真っ黒な色の汁のかかった麺が出て来た。
これがここのジャージャー麺なのである。ちょっと、想像していた物と違うが、過去にジャージャー麺なるものを食べた事があったかどうか記憶が定かではない。初めてでは無い様な気はするが、確証はない。
それにしてもかなりの量である。
趙さんに、「底から良く混ぜてから食べて下さい!」と言われ、底から麺を良く混ぜる。すると少し色が薄まりこげ茶色になる。
それでもあまり食欲が湧いて来る色ではない。しかし、香りは食欲をそそる。
とろみのある汁の付いた麺を食べて見ると、甘辛い汁で辛さよりも甘さが上回っている。麺は少し太めの麺で、少しモッチリとしている。中々美味しい麺である。食べ切れるかなあと最初思っていたが、完食した。
その食事の途中で、趙さんが来て、「餃子を食べませんか?」と聞いて来る。
我々もこれだけでは食事にアクセントがないなぁと感じていたので、食べると答える。
しかし、この餃子は追加なので、料金がいるのであろうか?
何餃子が出て来るのかと冨田君と話していると富田君は焼餃子と言ってなかったか?と言う。私は餃子としか聞いていないと思うが、富田君は焼餃子と聞いたのか?私は揚げ餃子か水餃子ではないかと思うと言う。
中国では焼餃子などは珍しい。揚げ餃子か、蒸篭で蒸した餃子が多い。
暫くして、大きな皿が出て来る。それには揚げ餃子が10個乗っている。カリカリに揚げられた餃子を熱い内に、その餃子を頬張る。
野菜タップリの餃子は非常に美味しい。少し日本と香辛料が違うのか風味が違う。何が違うのかまでは良く判らない。しかし、美味しい事には変わりない。
それらを食べ終わり、店員が入れてくれるお茶を飲む。
食事を取り、少し元気が出て来た。お茶を飲んでいると、趙さんが来て、「どうでしたか?」と聞く。餃子が美味しかった事を話すと、「それは注文して良かった!」と言った。
運転手の方もこの店で食事を取っていた様で、みんなで店を出る。
結局、餃子の代金は請求されなかった。これは趙さんからのサービスなのか?
車は店から少し離れた場所に止められており、そこまで行き、乗り込む。
次の目的地は江華島(カンファド)である。この仁川から1時間半程かかる予定である。 -
<江華島最初の観光スポット:江華廣城堡>
食事の後と体調が悪い為か、車に揺られると眠気が増す。そう感じていると何時の間にか寝てしまう。どれくらい寝ていたのか、目が覚めると辺りは田園地帯で、民家も少ない場所を走っている。
冨田君に聞くと、あと10分程で、次の目的地である江華廣城堡に到着すると言う。
それから少し走ると車は田園の中の道から外れる。すると前方に砦の様な建物が見えて来た。
その前の大きな駐車場横で車が止まり、我々を降ろす。
ここが江華廣城堡の入口門である按海門である。趙さんがどこかへ消える。趙さんが我々のところに戻り、この江華堡城のパンフレットを手渡してくれる。特にここの入場手続きなどはない様である。
門のところにも係員もいない。 -
我々以外の観光客がいないのではないかと思う程辺りは静かである。
その門を潜り、中に入る。すると左手に石積みの砦が見えている。この中にまずは目指す。
石積みの塀に造られた小さな入口を潜る。
砦内の中央には、大、中、小の大砲が設置されている。当時のものなのか?その周りは石積みの塀で、ところどころにその砦の上に上る階段と、大砲を設置する穴が見える。 -
その階段を上り砦の上に上がると、そこからは海が見えている。
丁度、海峡の様に島と陸との間に挟まれた狭い海が広がっている。この砦は海を見下ろす高台の上に造られている。
その海に面する方向には鉄砲穴が幾つも造られ、海からの侵入者を狙撃出来る様に造られている。
真ん中にある大砲はこの海を渡る船を砲撃する為に設置されたものである。
見ると海峡部分の幅は1km程で、その為か潮の流れが非常に速い。漁師が張った網のブイがところどころに見えるが、その速い潮の流れで大きく揺れている。
これだけの潮の流れがあれば、時間帯によってはこの海峡部分を通過するのは至難の業である。
その様な事を考えながら、眺めていたが、他に特に見る物もなく、この砦を出て、再び門の方向に歩き出す。
そして門を過ぎ、今度は反対側の丘の斜面を上り始める。然程急な斜面ではないが、長く上りが続く。
途中で他の観光客に出会い、我々だけではない事が判る。 -
そして丘を上り切ったところに記念碑が立っていた。また、その横には祠の様な物が建っており、その中には石碑が立っている。これは、この砦で活躍した兄弟の碑なのだそうだ。
それを見て、丘の尾根沿いの道を更に奥に進む。途中、斜面の下にあの盛り土の古墳の様なお墓も見えて来る。
その上を抜け、更に進むと少し下り、また上り坂に差し掛かる。
するとその先で道が二手に分かれ、ひとつは上に、もうひとつの道は下に続いている。
上の方の道を行くと、その先にはまた石造りの砦の建物が見えている。我々は下の道を行き、更に奥に進む。
途中に楯看板で“photo point”と書かれた場所で記念撮影を行う。どうしてここがphoto point”なのかは判らないが? -
そして道を行くと、石積みの壁の道に変り、海に突き出た砦が見えて来る。丁度、今通っている石積みの壁の道が龍の背の部分の様で、海に突き出た砦が龍の頭の部分になる。
その砦まで行くと、ここにも大砲とここでの激戦の様子を記した碑が立っていた。
海を見ると先程よりも更に狭い海峡が目の前にあり、潮の流れもすごく速い。丁度、満潮へ向けて潮が満ちている途中なのか、見ている間に海水が増していて、海岸沿いの木々が海水にみるみる浸る。
ここでも漁師が仕掛けた網のブイが大きく浮き沈みを繰り返している。
丁度、ここでも男性2人の観光客が居た。我々が漁師の網を見て、何が獲れるのかと趙さんに聞くと、趙さんも判らず、その観光客の男性に聞いていた。その観光客の男性によると、スズキなどが獲れるらしい。
その後、記念碑などの前で記念撮影を行い、この砦を出て、来た道を入口門に戻る。
ゆっくりと歩き、戻ったので門まで帰るのに少し時間がかかった。途中、道を門の外(駐車場方向)に道を変え、坂を下る。その途中に丘の下にある民家?の庭に大きな壷が並んでいた。
趙さんに聞くと、あれもキムチの壷だそうだ。慶州辺りで見たものよりも2倍くらいの大きさがある。
地方によりキムチの漬け方もその材料も違うと言う。この辺りのキムチ壷は少し大き目なのかも知れない。
坂を下り終え、門前の駐車場に到着した。時刻は14時40分前である。
駐車場脇に小さな売店がある。趙さんに断り、飲み物を購入する為に、売店に直行する。
売店奥の冷蔵庫からスポーツドリンクを取り、それを購入する。その際に3,000WONと言われ、高いなぁと思っていたら、同じ様に飲み物を冷蔵庫から取った冨田君のものと合わせた金額であった。そこで各々で支払うと手振りで説明し、個々で支払いを済ます。実際は1本1,500WON(約135円)である。
そして趙さんの待つ車に急ぎ、車に乗り込み、次の目的地に出発する。
次の目的地は江華島コインドルである。見学出来る様になっているコインドルへはここから30分程かかる様である。
先程購入したスポーツドリンクをがぶ飲みしたら、また眠気が遅い、寝てしまう。 -
<韓国青銅器時代のお墓(支石墓):コインドル>
今度は江華島コインドルに着く少し前に冨田君に起こされた。
あまりに私が寝てばかりなので、大丈夫かと心配される。
江華島コインドルに着くと、そこは広い公園の様な場所で、その広場の前には大きな近代的な建物が建っている。この江華島コインドルに関する展示館と思ったが、これが江華歴史博物館である。
その広場の道路沿いに車が止まり、我々が降りる。そして、入場口の門に行くが、入場券購入窓口は閉まっている。その為に開いている門の隙間からその広場に入る。
広場の四隅近くには竪穴式住居の復元されたものが見えている。また、広場には遊歩道の様に道が張り巡らされ、その道を歩くと広場のほぼ中央部分にポツンと石組みの遺跡が見えて来る。
これが江華島コインドルで、青銅器時代の支石墓(お墓)である。
長方形の大きな石が二つ並び、その上に平らなテーブル状の石が屋根の様に乗った形の遺跡である。各支石墓の大きさはまちまちだと言う。
日本ではこの様な形の石組みは見た事がない。日本で有名な石組みのお墓としては、わが奈良県の明日香村にある石舞台が有名であるが、それとも形や規模が違う(規模は石舞台の方が遥かに大きい)。
そして石舞台は時代がかなり後になる。飛鳥時代であるから、韓国の青銅器時代が、BC2000年からBC1500年頃までとされているので、2000年近い開きがある。
趙さんに貰ったこの江華島の地図ではこの様なコインドルはこの江華島に点在している様である。運が良ければ、道を走る車の中からでも見つける事が出来そうだ。
このコインドルは韓国の西部地域に点在し、特にこの江華島と高敞、和順にあるものが有名で、その各地にあるものが世界遺産登録されている。
高敞では狭い範囲に、コインドルが442基群集し、和順には10kmに渡り500基が点在し、江華島には島全体の約120基が散在している。形式も北方式と南方式に別れる。北方式はこの江華島の様に石柱にテーブル状の石を載せたもので、南方式は石柱に石を載せ、碁盤状に石を組んだものである。
ここにも世界遺産の記念碑だと思われるものは見つけられない。仕方なく、この前で記念撮影を行い、その場から入口門に戻る。
よく見るとこの広場内にもコインドルはひとつだけの様である。密集しては無い様である。
入口門を出て、前の建物に向かう。その建物は江華島コインドルに関するものだけでなく、韓国の歴史的な遺物の展示館の様である。
ここで趙さんが、「ここを見るよりソウルに戻り、ソウル歴史博物館を見る方が展示物も多く、良いのではないか?」と提案される。
我々が、「時間的に寄れるのですか?」と確認すると、「予定通りなら大丈夫!」と言うのでその話に乗る事にし、ここの見学はパスする事になった。
車に戻り、次の目的地に移動する。次は江華DMZ展望台である。 -
<北朝鮮との国境のDMZにある展望台:江華DMZ展望台>
ここから江華DMZ展望台までは30分程かかる予定である。畑が広がる島の中央部分を抜け、島の北部に向かう。途中でコインドルなどが見えるか探して見たが、やはりそう簡単には見つける事は出来ない。
ここで今日のオプショナルツアーについて趙さんに相談する。冨田君がこの韓国ツアーに参加するのが決まった際に是非行きたいと言っていたところである。
それは韓国式サウナのチムジルバンである。チムジルバンとは黄土や麦飯石などで造られた部屋を高温の空気で熱し、その中で熱さよけに麻布を被り、汗を出す韓国独特のサウナである。
そのチムジルバンに行きたいと趙さんに相談する。
趙さんも、「是非体験して帰ってほしい!」と言うので、夕食後に連れて行って貰う様にお願いした。その後、車は海が見えるところを走り出す。
すると車が突然止まった。何かと外を見ると、軍服を着た人が運転手に話かけている。
検問である。やはり北朝鮮との国境近辺なのである。
ここは一般車両がこの検問を抜けないと江華DMZ展望台には行けないのである。
趙さんも加わり、軍人と話をしている。話がついたのか、検問を通して貰える。
検問を過ぎても民家は見える。この軍事境界線近くにも多くの人が住んでいるのである。
検問から少し走ると高台に車が上り始める。その高台の途中に駐車場がある。高台の上には、これから行く展望台が見えている。
この駐車場から高台上の展望台には歩いて行くのである。車を降り、駐車場から続く道を上り始める。その上り口に、またバーが道を遮っている。そこで入場の手続きを趙さんが行う。
その手続きを終え、坂道を上る。
非常に急な坂道で、上るのにひと苦労である。その坂道を5分程上ると江華DMZ展望台に到着する。
このDMZとは、DeMilitarized Zoneの略である。意味は「非武装区域」である。
その前まで来ると大きな拡声器から音楽が北朝鮮側に向けて流れている。どの様な曲なのかは判らないが、民族統一を題材にした曲なのだろうか?
建物は非常に新しく、まだ数年しか経っていない。2008年9月にこの展望台が完成したのである。
建物前は広いロータリーになっている。建物は展望台らしい建物で4階建て?である。 -
建物入口から1階に入ると、1階入口脇には食堂施設があるが、誰もいない。
この建物自体に人気が無い。そのまま階段を使い2階へ上がる。
2階部分に展示室などがある。ここには朝鮮半島が2つの国に分かれた歴史が年表などで掲示されている。また、38度線の国境付近の様子などの説明もある。
我々日本人が見ても正直なところ余り良く判らないものが多い。
その展示室を出て、2階外の展望場に行く。
外に出ると大きな拡声器からの音楽が聞こえるだけであとは非常に静かである。
前に見える川?は漢江の河口である。この川を挟み、北朝鮮側の農村がかすかに見えている。それでもここから対岸の北朝鮮までは3km弱である。
暫く、趙さんと3人で何気なく対岸を眺めていたが、私が、「建物内の展望室へ移動しましょう!」と言い、建物内に移動する。そこには数人の観光客がいた。
また、この展望室には多くの双眼鏡が北朝鮮側に向いて、設置されている。
見ると、有料で500の文字が書かれてあるので、1回500WON(約45円)である。何分くらい見る事が出来るのか判らないが、500WON硬貨を入れる。
さすがに双眼鏡は良く見える。対岸の農村に肉眼では人は確認出来なかったが、双眼鏡を覗くと畑で働く人達が見えた。また、バイクなども走っている。さすがに自動車などはない、暫く私が覗き、冨田君に交代する。
冨田君も少し覗き、その後また私に交代する。
すると時間切れになる。2、3分で終わりなのである。
趙さんが、「どうでしたか?何か見えましたか?」と聞くので、意外に人が多く、畑や家も立派なものであったと話すと、「宣伝村ですから!」と言う。
韓国の人達は今、ここから見えている村などは北朝鮮も問題なく生活出来る国である事を敢えて強調する為に作られた村だと言う。
その証拠にこの展望台が造られるのと時を同じくして、対岸に村が作られたそうである。
もう一度、500WONを入れ、双眼鏡を覗く。
また、その村の奥には少し大きな建物が肉眼でも確認出来たが、双眼鏡で確かめると、3階建てのアパートの様な建物である。それが数棟集まり建っている。
このアパート風の建物も宣伝の為か?
今でも脱北の為にこの川を渡ろうとして命を落とす人があとを絶たない様である。
2回目の時間も終わり、少しその展望室で休憩の後、そこを後にする。
3階へ上がれるのかと思ったが、3、4階は関係者以外立ち入り禁止の様である。
再び、1階に今度はエレベーターで下りる。
1階奥には、小さな部屋があり、中央に大きな木の模型が置かれている。
何が展示されているのかと思ったら、この朝鮮民族統一の願いを書いた緑の短冊が木の葉っぱ様に貼り付けられている。この木に貼られた葉っぱのコメントはハングル文字で書かれているので意味は判らないが、韓国の人達の民族統一の願いはこの木に貼られた葉っぱの数で分かる。木を中心に部屋の壁にも貼られている。
この様な平和展望台はソウルの郊外の板門店のDMZが有名で、その手前の漢江沿いにもオドゥサン統一展望台がある。このオドゥサン統一展望台も観光スポットになっている。
その後、この展望台を出て、再び坂を下る。途中、韓国軍のジープが坂を上って来た。
この展望台にも軍が駐屯しているのであろうか?
駐車場でトイレを済ませ、車に乗り込む。これで江華島の観光は終了である。これからソウルに戻るのである。時刻は16時40分過ぎである。旅行日程表ではここから2時間程かかる予定である。
この時間でもソウル歴史博物館による事が出来るのであろうか?
趙さんに聞くと、21時まで博物館は開いているそうだ。それなら、まだ寄る事が出来る。 -
<北朝鮮名物料理の夕食:御腹お盆鍋>
先程の展望台までの坂上りで、また体がだるい。やはり熱がまだ引かないようである。そこで、ソウルまでは寝る事にした。先程車を止められた検問所辺りまでは起きていたが、その後の記憶が殆どない。
そして、冨田君に起こされた時はもう直ぐ、夕食場所に到着する時であった。
時刻は見ると、20時前である。聞くと、ソウルまで帰る途中で大渋滞に巻き込まれ、予定よりも2時間以上かかり、ソウル歴史博物館に寄る時間がなくなってしまったそうだ。
私が起きると趙さんに、「大きなイビキをかいて、良く寝ていましたよ!今晩寝られないのではないですか?」とからかわれた。
すると車は大きな駐車場のあるレストランに到着した。ここが今日の夕食場所である。
今日の夕食は北朝鮮の名物料理の御腹お盆鍋(オボッチェンバン)である。店の名前は“ナムポ”である。
店内に入ると、テーブル席と奥に座敷席のある店である。既に時刻が20時と言う事もあり、店に人は疎らである。我々はテーブル席に案内される。
テーブルの真ん中には、銅製の皿の上に小さな銅製の皿状の器が乗り、その中に何やら液体が入っている。
これはコンロであるから、この液体は燃料か?
また、テーブルには既にミッバンチャンが数種並んでいる。ミッバンチャンは白菜キムチ、ニラキムチ、大根の漬物、茹で青菜である。
また、お碗の中に大根ときゅうりが入った冷スープの様なものが出て来た。
趙さんが、「これは水キムチです。」と説明してくれた。「水キムチ?」、今回の旅行では初めて出てくるキムチである。少し飲んでみると冷麺の汁の様な味である。その中に大根ときゅうりなどが入っている。あっさりとした酸っぱい汁である。これを汁ごと食べるのである。
それを少しずつ飲んでいると、コンロの上に多くの具材が入った浅い鍋が置かれる。 -
そして、先程の液体燃料らしきものに火を点ける。これが今日のメイン料理の御腹お盆鍋である。
お盆は“チェンバン”と言い、北朝鮮式牛肉鍋が元である。それが、この様な韓国でもレストラン出されている。
具には、牛肉鍋なので勿論、牛肉(薄くスライスされた物)、松茸、えのき茸、椎茸などのキノコ類に、たっぷりの菊菜が入っている比較的シンプルな鍋である。それにトッピングとしてゆで卵が乗っている。
少し煮たったところで、鍋から具を取り皿に取り、食べる。少し濃い目のスープで、塩辛い。牛肉は前もって湯煎されているのか、火は充分に通っていた。
体調が良くない事と先程まで寝ていた事で、あまり食欲もない。また、先程少し飲んだ水キムチで、少し気分も悪い。しかし、日本に帰り、この水キムチの事を調べると、この水キムチの汁は冷麺には欠かせない材料なのだそうだ。これが冷麺のスープのベースになっている。
しかし、食べなければ余計に体調が悪くなると思い、無理にでもご飯と鍋のおかずを食べる。
食が進まないまま、時間が過ぎる。鍋の火ももう消えているが、まだ具はたくさん残っている。冨田君も思いの外、食べていないのではないか?
ここで冨田君からこの後のオプションツアーの韓国式サウナのチムジルバンについて話が出る。私の体調が悪いので、どうするか?と聞いて来た。私は勿論行くつもりである。旅行最後の夜である。これで更に体調が悪くなったところで、明日は帰国日であるので、少しの我慢で済む。
趙さんが席にやって来て、食事について感想を聞かれる。心の中では今ひとつではあったが、美味しかったと言う。
そこで、私が水キムチを残しているのを見つけ、「口に合いませんでしたか?」と聞く。
これについては正直に少し酸っぱかった旨を答える。
そして、この後のオプションツアーの韓国式サウナのチムジルバンに話が移る。
冨田君はここから一旦ホテルへ戻り、再度韓国式サウナのチムジルバンの店に行く事を考えていた様であるが、時刻は既に20時50分頃である。これからホテルに戻り、また出かけるとなるとかなり遅くなる。
趙さんも自宅がソウル郊外である為にあまり遅くなりたくない様で、ここから直接、韓国式サウナの店に行く事を提案してくる。
私はそれで良かったので、冨田君もそれに同意する。 -
<韓国式サウナ“チムジルバン”体験!>
店を出て、車に乗り込み、韓国式サウナの店を目指す。車は夜のソウル市内を走り、20分程でかなり賑わう通りの脇に止まった。この前が韓国式サウナの店である。
店の入口上には漢字で、“火汗蒸幕”と、そしてその下にはカタカナで“エステ”の文字が見える。店の名前は、その横に縦書きで“漢江”とある。日本人が良く来る店なのであろう。
店の入口は重厚な扉で、階段が地下に続いている。その階段を趙さんについて下りる。
階段を下り、突き当たりを左に曲がると、そこが店の待合室である。その待合室のカウンターで趙さんが話をしている。そして、話が終わると我々に、「これから奥の部屋に案内され、説明をしてくれます。私はここで今日は失礼させて貰います。ここからホテルまではこの店から車を出して貰い、送って貰えます。」と言う。
「また、明日は朝食を食べずに、集合時間は8時20分にします。それから朝食の鮑粥を食べに行きます。」と告げ、我々とここで別れる。
我々は店の男性について、店の奥に進む。
まず、着替えの為のロッカーキーと我々の順番札を渡され、裸になり、備え付けの短パンに履き替える様に言われ、ロッカールームに入る。短パンのみ着替え、ロッカールーム横の大きなソファの置かれた部屋で少し待つ様に言われ、そこで少し待つ事になる。
待っていると番号札の番号が呼ばれ、店員の男性と小さな部屋に入る。
ここでこの店の料金システムの説明が行われる。
様々なエステやマッサージの組合せで料金が決まるシステムになっている様で、我々は①お風呂とサウナ(チムジルバン)に入り、②あかすりを行なう。次に③オイルマッサージを受け、④洗髪を行い、風呂を出てから⑥全身のマッサージを受け、⑦蛸壺吸引を行なうという基本的なコースをお願いする。
途中説明の中で我々がオイルマッサージは要らないとか、色々要らないものを言うので、本当の金額に比べ、かなり安くしてくれた様である。
結局、このコースで、1人当り122,000WON(約11,000円)である。ここで支払いを行なう。
コースも決まり、再びソファの部屋で待つ。少しすると男性に案内されて、階段で1階に上がる。
階段を上がったところが脱衣所で、そこの壁のロッカー番号と同じフックに履いている短パンを脱ぐ、掛ける。そして、その奥に広がる浴室に入る。
まず、入口付近に並ぶシャワーで体を洗い、その後20分程好きなサウナや風呂に入り、体をほぐす様に言われる。20分程経ったら、あかすりを開始すると言う。
まず、簡単にシャワーを浴び、浴槽へ入る。少し温まったところで、浴槽前のサウナへ。
ここは日本と同じ様なサウナ室である。そこで5分程サウナに入り、水風呂で体を冷やす。チムジルバンがどこにあるのかと思ったら、この浴室の入口横にあった。
冨田君といっしょにそのチムジルバンに行く。入口で麻布を頭に載せられる。そして小さな入口からドーム状の中に入る。中は蒸し風呂状態で、その奥に二人で麻布を頭から被り、座る。
少し経つと全身に汗が吹き出て来る。熱さは感じないが、汗が吹き出る。
そこに5分程入ったところで、呼び出しがかかり、チムジルバンを出て、あかすりのコーナーに入る。
そこには5台のベッドが並び、男性が待機している。あかすりは男性が行なってくれるのである。
女性ではなかった。さすがに全裸であるので女性はないか?
最初仰向けに寝て、首筋から手、胸、お腹、足と力強く全身を擦られる。仰向けの状態で全身を擦り終え、今度は横向きになり、手などや脇などを中心に上から下へ擦る。そして、反対に横向きになり、同様にあかを擦られる。最後にうつぶせになり、また首筋から徐々に下の方へ移動し、あかを擦る。
最初は少し痛かったが、段々気持ち良くなって来た。
そしてうつぶせ状態での擦りが終了すると、何やらかかとを触っている。
そして、私に「かかとにこれだけの角質が溜まっています。角質を落とした方が健康に良いですよ!」と角質取りを勧める。最初のコース設定の時に断わったオプションである。
しかし、気持ち良かった事で、「いくらかかりますか?」と聞いてしまう。
「20,000WON(約1,800円)です。」と言う。合計としてもあまり変らないと思い、やって貰う事にした。
そして、かかとを中心に角質を取って貰う。これがまた気持ち良かった。
充分に、お湯で全身を流された後、オイルマッサージを受けた。
しかし、このオイルマッサージはアロマオイルで全身を撫でる程度のものである。マッサージとは言いがたい。それが終わると、うつぶせ状態で洗髪を行なって貰う。
しかし、これが苦しかった。首から上のみをベッドから出して洗って貰うのであるが、お湯を間髪入れずに連続でかけられた為に危うく窒息するところであった。
洗髪終了後に頭をタオルで拭いて貰い、ここでのコースは終了である。
この後、少しまた浴槽で温まった後、再度地下のソファのある部屋に戻る。その部屋に戻ると直ぐにその部屋の隣にあるマッサージ室に案内される。
この部屋はかなり広く、ベッドが20以上並んでいる。そのベッドにまずは仰向けになり、マッサージを受ける。その後、うつぶせになったりして、足裏までマッサージを受ける。
どれくらいの時間マッサージを受けたかは判らないが、かなりの時間マッサージをして貰っていた。
それが終わるとうつぶせになる様に言われ、蛸壺吸引が始める。
背中の肩から腰にかけて10個程の蛸壺吸引器を着けられる。最初はあまり吸引される感じはないが、徐々にその吸引されている感じが実感出来、また気持ち良くなって来る。
最初の説明では、悪い成分を蒸気状に吸い出す効果があり、悪いところは、この蛸壺吸引器を取った後が紫色に変色すると言っていた。この後の背中がどうなっているか楽しみである。
どれくらい、その吸引器を着けていたのかは判らないが、寝てしまいそうな時にその吸引器を外し始まる。それを全て外し終え、少し背中をマッサージして貰い、これでコースは全て終了である。
再び、ソファのある部屋に戻る。時刻は23時になっている。
ここに到着してから2時間弱が経っている。最後に角質取りの追加料金を日本円で1,800円を支払う。
店員の男性にこれで終了した事を告げられ、着替えを行なう様に言われ、ロッカールームへ行く。
着替えを終え、ソファの部屋に戻ると店員の男性からホテルに送るので少しここで待って貰う様に言われる。
店は非常に繁盛している様で、我々以外にもひっきり無しに客が出入りしている。
このソファの部屋にも既に日本人が5人以上、ホテルへ送って貰うのを待っている様である。
それからなかなか声がかからず、結局店を出る事になったのは、23時40分頃であった。
店入口で、少し待つ様に言われる。この間にこの店の入口横にあったコンビニでお茶を購入する。
店の入口に戻り、店の店員の説明を聞く。我々は店の車では送ってもらえず、ここからタクシーで帰る様に言われ、店の店員から、10,000WON札を受け取る。
店員が、「ここからソウルパレスホテルまでは6,000WON(約545円)程で行けるので、おつりの分貴方はラッキーね!」と言い、我々をタクシーに乗せる。 -
この店前の通りは趙さんが、“外人通り”と呼ばれていると言っていた。もう24時前であるが、未だ多くの人達で、賑わっている。また、道も渋滞をしている。
渋滞の為にこの通りにいる人達を観察出来た。趙さんが言っていた様に外国人(欧米人)が多い。
また、この通りに並ぶ店を見ても、ショットバーやカフェなど、欧米人が好みそうな店が多い様だ。この通りの渋滞を抜けるのに10分程要した。
その後タクシーは順調に進み、漢江の橋を渡る。ホテルに到着したのは、24時10分頃であった。
メーターを見ると、6,120の数字が出ていた。サウナ店の店員から貰った10,000WON札を出し、渡されたおつりを握り締めて、タクシーを降りる。
降りた後にドアを閉めるのを忘れ、タクシー運転手に怒られ、慌てて戻り、ドアを閉める。日本での習慣が出てしまった!そしておつりで貰ったお金を確かめると、紙幣で3,000WONしかない。小銭が何もない!
自分のお金でもないので、チップ代だと思い諦める。
それにしても、今後韓国に来た時には気を付けなければならない。韓国のタクシーは運転が荒く、この様なごまかしも行なう様である。注意が必要だ!しかし、後日冷静になり考えると、24時を過ぎていたので深夜割増料金になっていたのかも知れない。
冨田君と部屋に戻る。今日は本当に長い1日であった。体調が悪いのによく持ったものである。
しかし、もう限界である。
部屋に着くと早々に明日の為の荷物の整理にかかり、出来る限り旅行カバンに荷物を詰め込む。明日は帰国日である。今回は土産物の購入も少ないので、殆どの物は旅行カバンに詰める事が出来た。
明日の朝は別のホテルのレストランで、名物の鮑粥を食べた後、宗廟を見学して終わりである。
荷物の整理も済み、早々にベッドに潜り込む。もう体も限界である。
明日の起きる時間を冨田君と7時に決め、寝る体制に入る。すると何時の間にか寝てしまっていた。
今回はここまで! 明日はソウルの世界遺産宗廟を観光後に帰国。
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