2011/05/01 - 2011/05/05
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パンダ番長さん
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- 12,514アクセス
- フォロワー2人
韓国の世界遺産巡りの1日目。南の釜山から韓国に入り、慶州観光の1日目。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 2.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
-
<北ウイング1番ゲートで搭乗を待つ>
シャトル乗り場から北ウイングの中間駅行きのシャトルに乗り込む。
程なくシャトルの扉が閉まり、中間駅に移動する。シャトルにも然程人は乗っていない。そう言えば、いつも海外旅行の際に目立つ外国人も少ない。周りは日本人のみである。これも東日本大震災の影響か?
中間駅に到着したシャトルを降り、中間駅近くで珈琲でも飲める所を探すも、ちゃんとした席のあるカフェは無かった。珈琲を飲む事を諦め、時間には大分早いが1ゲートに向かう事にした。
1ゲート前はまだ人がいない。反対側の2ゲート付近には多くの搭乗客が椅子に座り、待っている。搭乗時間が近いのであろう。アナウンスも何回か行なっている。
我々は開いている椅子の一角に陣取る。そこで荷物を降ろし、時間を潰す。
やはりこの1ゲートに来て確信した。以前にここから搭乗した。それもやはりアモイへ行った時である。
その時もそうであったが、搭乗する機体がこの1ゲート前の待合場所からは半分くらいしか見えなかった事も思い出した。同じ様に今回も既に搭乗予定の機体はゲート脇に来ているが、半分程しか見えていない。
いつもの様にお決まりの写真を撮り、椅子で休憩をする。
冨田君と共に近くの自販機で飲物を購入し、今回の韓国旅行の為に作成した手作りの名所説明書を見せる。
今回は5日間でもあり、1日毎の名所の説明書に纏めて作って来た。
今日は、釜山から慶州に移動するので、慶州の名所、特に観光予定の場所の詳細な説明書を作成した。それを今手元に持っている。明日以降のものは旅行カバンの中である。毎日入れ替えるつもりで作った。
今日の目玉は何と言っても慶州の歴史地区である。
手作りの観光説明書を持って来た事を冨田君に説明すると冨田君は更にすごい物を持って来ている。
何と韓国語の電子辞書を持って来ている。ハングル文字を入力すると、日本語に変換され、また反対に日本語をハングル文字(韓国語)に変換する事も出来るのである。
また、この旅行までの2ヶ月間くらい韓国語を勉強したらしく、韓国語の母音と子音を基本的なものは覚えているらしい。持って来た電子辞書の扱いも中々慣れている。これはこの旅行の武器になるのではないか?
その電子辞書でトイレなどの簡単な韓国語の教えて貰うも、基本が判っていない私に取ってはどう見ても暗号にしか見えない。中国語などの漢字の略号などでは元が漢字であるので何とか意味を想像が出来るが、韓国語のハングル文字ではその想像も出来ない。
これからの旅行ではこの文字に悩まされそうだ。この電子辞書で中々時間が潰せた。 -
時刻は11時頃になっている。互いにトイレなどを済ませ、搭乗手続きが開始されるのを待っている。
11時過ぎになると搭乗口のカウンターに航空会社の人が現れ、搭乗手続きの準備を行なっている。搭乗口前には搭乗予定時間の看板が既に出されている。予定時刻通りの11時25分の表示である。
この時間になると搭乗口前の待合場所も多くの搭乗客で埋まり始めている。それでも然程多くの人はいない。
1ゲート前には既に搭乗する機体があるが、然程大きな機体ではないので、乗れる人が少ない為かも知れない。その様な事を考えながら、何をするでもなく、待っていると遂にアナウンスが始まった。
時刻は11時20分過ぎである。
アナウンスでは、まずビジネスクラスの人達から搭乗を開始する。そのアナウンスを繰り返していたが、その対象者も少なく、直ぐにすべての搭乗客の搭乗が始まった。
程なく我々も搭乗の列に並び、搭乗口から通路に移動する。 -
<アシアナ航空OZ143便の機内>
席は私が20Aで、冨田君が20Bである。私は真ん中の席でも良い。機内に入ると少し混んでいる。見ると通路が1つで、その両側に3席掛けシートが並ぶ1列6人掛けの機体である。
既に通路側に男性が座っている。その人に断り、我々2人が奥の席に入る。冨田君が窓側の席に、私が真ん中の席に着く。3人掛けの席ではあるが、然程狭くは感じない。前との間隔意外に広い。
機体はA320-200型である。
やはり通路が1本なので、搭乗客が全員席に着くのにかなりの時間を要していた。
また、ここでCAが韓国の入国カードと税関申告書を配っている。
それを配り終えたのか、11時35分頃には機体が徐々に動き出す。1番ゲートは離れ、ゆっくりと後退し始める。その後、空港内をかなりの時間移動する。1番ゲートは滑走路の離陸待機ポイントまで一番遠いのではないか?
15分くらい移動した後、一旦停止し、その後直ぐに再び動き出し、滑走路に出るとエンジン音が上がり、滑走路を走り、加速する。
11時50分過ぎ、ほぼ定刻に関西国際空港を無事に離陸した。かなり急上昇し、旋回をしている。15分くらい上昇をしていたが、その後水平になり、シートベルト着用ランプが消える。
前上方のモニターには高度や飛行時間などが表示されている。
それを見ると釜山までの飛行時間は1時間10分である。シートベルト着用ランプが消える前からCAが慌しく動き始めていた。
すると、機内食を配り始めた。離陸から20分程が経っている。
確かに飛行予定時間が1時間10分であるので、このタイミングで出さないと時間がないのであろう。
矢継ぎ早に配っている。寝ている人の席にはシールを張り、その人達は飛ばし、配っている。
偶々、冨田君が寝ていたので、私が貰おうとしたが、飛ばされてしまった。冨田君はその後直ぐに目を覚ましたので、遅れる事なく貰う事が出来た。配られた物は、メインがサンドウィッチである。
<OZ143便の機内食:関西国際空港→釜山金海空港>
①ハムチーズサンド(パンがフランスパンの様で少し柔らかい感じ)
②オレンジジュース(紙パックの)
③水(パックの)
④珈琲(CAが配っていた)
軽食が食べられると信じ、関西国際空港で食事を何も取らなかったので、これだけのものが出てくるのは有り難い。サンドウィッチも中々美味しい。
パンがフランスパンの様な形で、フランスパンよりは少し柔らかい感じで、しっとりした感じのパンである。中にはハム、チーズ、レタス、トマトが挟んであった。
これを食べていると、CAがお茶や珈琲を配りに来たので、その珈琲を貰う。この珈琲とオレンジジュースを飲みながら、美味しくサンドウィッチを食べ終える。
これでお腹も満たされ、ひと安心である。体調も食事を取ったせいか、少し良くなって来た感じである。
機内食が片付けられると、離陸前に配られた入国カードと税関申告書を書く事にした。
冨田君が持っていたガイド本を参考に、まず冨田君が書く。それを手本に今度は私がその2枚の用紙を書き上げた。この2枚の申告書を書き上げると時刻は11時40分過ぎである。
徐々に高度も下がっている感じがする。もうあと20分程で到着予定である。高度を下げているせいか、申告書を書いている時も小刻みに揺れていたが、今もその揺れが少し大きい。
先程、一瞬揺れが止まったが再び揺れ出した。
暫くすると耳がいつもの様に少し痛くなる。しかし、今回はいつもよりも痛みはマシである。その内、窓から下の景色が見え出したのか、冨田君が窓の外を指差す。
覗き込んで窓の外を見てみると、海岸線から河口の様な場所が見え、そして中洲の様な土地に田園が見えている。また、太陽の光で輝く様に見えるものが地上に沢山見えている。よく見るとビニルハウスである。中州の様な田園地帯の3分の1以上の土地にビニルハウスが点在している。その様な地上の風景が徐々に近づき、街並みもハッキリと見え始める。そして空港らしき場所が見えたかと思うと機体が着陸した。
時刻は12時前である。ほぼ定刻に無事釜山金海空港に着陸した。
ゆっくりと空港内を移動していると窓の外に大きなヘリポートが見えて来た。まだ新しいヘリポートの様である。ヘリが数台止まっているのが見える。
意外に早く、空港ターミナルに到着した様で、直ぐに機体が停止する。そして、これも非常に早く、止まって数分で乗客が降り始めた。時刻は12時5分過ぎである。 -
<釜山金海空港での時間>
我々も直ぐに降りる事が出来た。気温は日本と変らない?いや少し暑いか?
通路から空港ターミナル内に入り、直ぐに1階へのエスカレーターに乗る。その先には金属探知機の様な機械の前に係員が立って、何かの検査を行なっている。
何かとその近くに行くと、何と放射線の測定機である。今回の東日本大震災での福島の原発事故の為に日本からの乗客のうち希望者には放射線の測定を行なっている様である。
金属探知機の様な機械の前の看板には、日本語と韓国語で“希望する方は放射線検査を実施しています。”の説明が日本語で書かれている。別に希望者と書かれているので、その機械を通り抜ける必要もないが、律儀に全員、その機械を通り抜けているので、我々もその機械を通り抜ける事にした。
我々も含め、関西国際空港からの人は殆どが関西の人であろうから、この様な機械に引っ掛かる人がいるとは思えない。関東の人でもこの様な機械で感知される様な放射線を浴びている人はいないのではないか?
まあ、報道で聞いてはいたが、海外の人はこの福島の原発事故で日本中が汚染されている様に思っているのである。 -
韓国などもその傾向が強く、乾流スターなども続々来日予定を取り止めたり、延期したりしていると言う。
この放射線検査をパスし、その次に検疫所がある。
ここも何もなく通り抜け、通関所に移動する。通関所も然程混雑しておらず、各列に2、3人が待っている程度で、スムースに通り抜けた。
その後、手荷物受取所に移動する。ここまでスムースだったので、手荷物受取所のコンベアの上にはまだ手荷物が出て来ていない。
コンベアの上に荷物が出てくるまでにトイレに行きたかったが、荷物が出て来てしまった。
冨田君の荷物はなぜか最初の方で出てきたが、私の荷物は中々出てこない。
荷物が出てくる様子がないので、先にトイレに行く事にした。トイレの入口でハングル文字を確かめると、関西空港での待ち時間の時に覚えた、“トイレット”の方のハングル文字で案内されている。
ホテルや空港などは“便所や厠”を表すハングルではなく、“トイレットや洗面所”を表すハングル文字である。
トイレを済ませ、戻って来たが未だ荷物が出て来ていない。
その後、暫くしてやっと旅行カバンが出て来た。それをコンベアから取り上げ、冨田君と合流し、最後の税関へ移動する。ここでは何も申告する物はないので、機内で書いた申告書を提出するだけである。
そして出口を出て、JTBの看板か旗を探す。
出ると直ぐに左前方にJTBの看板を持った中年女性を発見する。その人に近づき、JTBのタグを見せると名前を聞かれ、答える。
通路を抜け、出口近くの椅子で少し待つ様に言われ、そこで、冨田君といっしょに待つ。
関西空港からは我々だけと聞いていたが、他にも参加者がいるのであろうか?
到着便の掲示板を見ると、東京からの便が少し後に到着している。そこからの参加者なのかも知れない。そんな事を考えながら、到着通路を見ていると、一際目立つ人がいる。 -
韓国の民族衣装のピンクと白の“チマチョゴリ”を着た可愛らしい女性が何やらビニール袋を幾つも持って、通路出口でキョロキョロしている。我々がその通路を抜ける時にも、その女性が気になっていた。
その女性を観察していると通路から出てくる韓国人ガイドが付いた団体の観光客に、わざわざ韓国人ガイドに断わってから、そのビニール袋を手渡している。
その女性を観察していると、我々のガイドのところに来て何やら交渉をしている。我々のガイドの女性と同じ他の女性ガイド2人が、その女性に話しを聞いている。
そして、我々のガイド以外の2人はその女性からビニール袋を幾つか受け取っている。
その女性も持っているビニール袋が残り少なくなった為か、小走りにどこかに戻っていった。暫くして、再び多くのビニール袋を持ち現れ、我々のガイドにも何個か渡した。
その後も再び通路出口に戻り、熱心にそのビニール袋を渡していた。見ると、その女性以外にも数人同じ様に民族衣装を着て、袋を配っている。
もう椅子で待って10分以上が経っている。まだ、出口からは団体客らしき人達は出てこない。
15分を過ぎた頃に出口から日本人観光客らしき人達がぞろぞろと出て来た。
我々のガイドの女性が何人かの確認をしている。ここで5名の人が加わり、我々2人ともう2人が我々といっしょに待っていた様で合計9名となった。ここで先程女性から受け取ったビニール袋を全員に手渡す。どうも釜山の観光案内とちょっとした土産物が入っている様だ。
この9名が女性ガイドについて、釜山金海空港のターミナルを出て、前の駐車場に移動する。
空港ターミナルから出ると少し暑く感じた。そして何やら靄っている。
女性ガイドについて空港前の駐車場を移動し、前方にクリーム色のツートンのコミューターが見えて来た。
これに乗るのである。旅行カバンを運転手に渡しながら、みんながこの車に乗り込む。 -
<最初の観光地である慶州へ向かう車中>
全員が乗り込み、車は空港駐車場から出発する。それに合わせて、女性ガイドがマイクを持ち、話し始める。今回の中年女性ガイドは“趙”さんと言う。韓国のロッテ観光の方である。
趙さんの話によると、今日は黄砂が酷く、日本でもニュースになっていたのでないかと言う。
関西空港でテレビを見ていなかったので、日本でニュースになっていたのかどうかは判らないが、景色が靄って見えていたのは黄砂の為であった。改めて見ると、凄く視界が霞んでいる。かなり酷い黄砂である。
趙さんの話では韓国でも、こんなに酷い黄砂は久しぶりであるとの事だった。
空港駐車場から市街地の道路を抜けながら、趙さんの話が続く。
この釜山の空港は、金海(キムヘ)と言う所に造られた空港で、この金海から釜山の市街までは車で、まだ30分くらいかかると言う。この金海は、韓国で一番長い川である“洛東河”の河口に拓けた平野で、“金海平野”と呼ばれ、韓国でも有名な米どころなのだそうだ。
確かに機内から見えていた景色は河口に開けた田園地帯であった。
今、車が走る両脇にも田園地帯が広がっている。また、機内からも気になっていたが、やはりビニルハウスが非常に多い。車内から何をハウス内で栽培しているのかは判らないが、微かに見えているところからは、背の低い作物やら、菜の花らしき花などまちまちの物が見える。
その内に車は高速道路の入口に到達し、ここから高速道路を走り出す。 -
これから今日の観光スポットである慶州(キョンジュ)に移動するのである。
高速道路に入ると車はいきなりスピードを上げる。車が悪いのか、道路が悪いのか判らないが、非常に揺れが酷い。車に弱い人なら酔いそうな運転である。高速を走り出して暫くすると大きな川に差し掛かった。
これが先程説明にあった“洛東河”である。この川を渡り切ると、高速道路脇の景色が変る。
大きなビル群の見える一角に差し掛かった。マンション群である。韓国も中国に負けず劣らず、高層マンションラッシュのようだ。本当に高いマンションが林立している。
余りに高い為か、屋上部分にはヘリポートが付いているマンションも見える。
日本では余りお目にかかれない情景である。
高速を走る中で趙さんが、この高速道路についての説明を行なう。現在は釜山からソウルまで高速道路が繋がり、高速道路を使用すると釜山からソウルまでは、5時間くらいで行けると言う。
また最近、韓国でも新幹線が出来、それが釜山からソウルまで開通した。その新幹線で行くと2時間40分だそうだ。因みにこの新幹線は“KTX”と言うらしい。
その後、趙さんは韓国の自動車のナンバープレートについて説明を行なう。
韓国の自動車のナンバープレートは、緑と白と黄色である。緑と白が個人用の車、黄色が商用の車だと言う。
個人用のナンバープレートは元、緑であったが、丁度白に変えている過渡期で、両方の色のナンバープレートが混在しているのだと言う。
その様な話を聞いている内に高速道路は山間に差し掛かり、周りにも建物が少なくなって来た。この高速道路を1時間弱走り、予定よりも早く、今日の観光目的地である慶州に到着した。 -
<歴史の街~慶州~最初の観光地である大陵苑(天馬塚)>
高速道路の慶州の料金所は歴史の街らしく、その建物も凝っている。
高速道路を下りると、遠くに古墳の様な小山が薄っすらと見えている。ここでまた、趙さんが慶州の町について説明を始める。
この慶州は日本の奈良と同様に四方を山に囲まれた盆地である。
この慶州は紀元前57年頃朴赫居世(パクヒョコセ)が、ソラボルという新羅の前身にあたる国を建てた時に都となり、その後三国時代から統一新羅時代にかけての約千年間(正確には992年間)、新羅の都のあった場所で、その時代の多くの遺構が街の至る所に点在している。その多くが今見えている小山の様な古墳である。 -
その数は慶州市内では約300基、慶州郊外も合わせると600基以上の古墳が点在している。その事から、この慶州の別名は“屋根のない博物館”と呼ばれている。
また、古墳は塚と王陵に分けられる。塚と呼ばれるものは埋葬されている人が特定されていない古墳、王陵は名前の通りに埋葬された王が特定されているものである。
趙さんがその様な話をしている間にも、道路脇には、古墳群が見えている。
本当に見通しの良い平らな土地に多くの小山の様な古墳が点在しているのが、車の中からでも判る。この慶州は日本ともつながりがあった場所である。奈良とは、姉妹都市の関係にある。
もう少し詳しくこの慶州を説明すると、新羅の時代は金城という首都として栄えた。
この慶州の街の歴史地区が世界遺産に登録されている。
この歴史地区は、仏教の聖地である南山地区、新羅の王宮があった月城地区、王族の古墳群がある大陵苑地区、新羅最大の寺院だった皇龍寺の跡地が残る皇龍寺地区、首都防衛の東の拠点・明活山城がある山城地区の5つに分けられる。 -
今回の旅行で訪れる事が出来るのは、これから行く大陵苑地区と月城地区である。
趙さんの説明が続いていたが、車の右手の道路脇に塀に囲まれた一画が見えて来た。この塀に囲まれたところが、今日最初の観光地である“大陵苑”である。
車はその塀沿いの道路を右に曲がると前方に大きな看板が見え、大きな石碑も見えて来る。その場所がこの大陵苑の大きな駐車場である。その場所に車が入る。
大きな駐車場ではあるが、かなり多くの車が止まっている。駐車場奥の方にこの大陵苑の入口らしきものが見えている。その近くまで車が入り、停車する。ここで車を降りる。
この入口付近で趙さんの入場手続きを待つ。
入口の門の両脇にはなぜか大きな男女の民族衣装を着た人形が置かれている。趙さんの手続きも終わり、全員でこの門を潜る。 -
この大陵苑は、約12万5,400坪の敷地に23基の古墳が保存されている。
昔、この土地には180余棟の民家があったが、1970年代浄化作業後、今の様な綺麗な公園として整備された。
この公園の中には、古墳群の中で最も大きい規模の23基の古墳が保存されているが、被葬者が判っているのは新羅第13代味鄒王陵(在位262年~284年)の古墳だけではある。
古墳はどれも大きく、新羅時代の王もしくは王族の古墳と見られている。夫婦で合葬された双子山型の古墳(瓢箪型の夫婦墓である皇南大塚)もある。
門を潜り、中に入ると中は普通の公園の様である。まだ、出来て余り年月が経っていない公園の割には、木々が鬱蒼と茂る部分もあり、木陰も非常に多い公園である -
門から公園の塀沿いに左手奥に向かい、歩き始める。時刻は15時過ぎで、丁度観光時間どきなのか、または今日が日曜日である為が、多くの人達がこの公園に来ている。
この公園内の小路を歩くと左右に小山の様な古墳が幾つも見えて来る。
更に少し歩くと一際大きな古墳が木立の奥に見えて来る。その前には立派な門もあり、この古墳だけが門から柵に囲まれている。
その古墳に行くのかと思ったが、その方向には向かわず、そのまま、更に左奥に進む。
この柵に囲まれた古墳が、この大陵苑で唯一埋葬者の判っている新羅第13代味鄒王陵である。
少し歩くと、広場に出た。この広場の左奥にあるのが、この大陵苑の目的地である“天馬塚”である。 -
ここで趙さんが天馬塚の説明を始める。
天馬塚は、155号古墳とも呼ばれ、内部には発掘された遺物を直接展示している大陵苑の古墳の中でも、最も観覧客に人気のある古墳である。
この天馬塚の発掘作業は1973年4月から12月まで行なわれた。
最初は皇南大塚を発掘する予定になっていたが、その前に試し掘りをこの天馬塚で行なう事となったのである。
その発掘で予想外の大きな収穫を得られ、当時たいへん大騒ぎになったという。
発掘の結果、この墓は5世紀末から6世紀の初頃に作られた積石木槨墳で、この古墳からは金冠を始め、各種の装身具、武器、馬具など何と11,526点もの遺物が出土したそうだ。
また、この古墳からは白樺の皮に画かれた天馬図も発掘された事から天馬塚と呼ばれる様になった。 -
しかし、現在この中に展示されている遺物は全てレプリカで、ここで出土した遺物はこの後に訪れる国立慶州博物館に展示されているという。
この様な説明が終わり、この天馬塚の入口に向かう。さすがに人気で多くの観光客が出入りをしている。
余りに入口付近に観光客が多いので、少し待って観光客が少なくなってから、趙さんに付いて入る。
入口部分の壁は石積みの壁が見えている。
通路は一方通行になっており、その通路を進むと直ぐに大きな空間に出る。ここが古墳内である。
その空間の壁沿いに展示窓が造られ、その中にこの古墳からの出土品のレプリカが展示されている。
展示品には馬具や土器、または金製品などが展示されている。 -
そして丁度、この空間の中央部分奥に大きなガラス張りの部屋がある。ここが木槨内の発掘状態を再現した場所である。ここに埋葬されていたのである。
しかし、日本とは違い、この古墳の埋葬室が木の部屋で出来ているのである。日本の古墳時代の古墳では私が知っている限り、その埋葬室は石室である。
また、その木室の上には5m以上の石が積まれ、またその上には土層がまた1m程ある。
よくこの部屋が壊れずに持ったものである。但し、発掘時には、この部屋は土の満たされていたと言うので、この古墳が出来て早い段階で、この木室は土で満たされたのではないか?
趙さんに聞くかぎり、他の古墳もこの様式のものが殆どだと考えられているという。
この事を疑問に思いながら、残りの展示品を見て廻る。本当に多くの出土品が発掘されている。
また、日本では見た事もない様な出土品もあれば、日本の古墳と全く同じ様な出土品もある。
特に珍しかったのは、腰飾りである。日本の古墳からも腰飾りは出土しているが、ここの物は非常に煌びやかで、その装飾品も非常に多い。
趙さんによれば、ひとつひとつの装飾品には意味があり、殆どが子孫繁栄などを意味するものだそうだ。
この様な展示品を一通り見終えて、この古墳を出る。そして、この前で記念撮影を行い、再び広場に戻り、ここでトイレ休憩を取る事になった。 -
広場からは公園らしく、天馬塚の横には池も配されている。また、天馬塚と広場を挟み、この大陵苑最大の古墳がある。これが瓢箪型の夫婦墓である皇南大塚である。
この古墳は二つの円墳が重なる様に造られた古墳で、高い北側の古墳は23mの高さで、先程の天馬塚の倍以上の高さがある。
飲物が飲みたいが、周りには自販機しかない。自販機を見ると1,000WON札しか使えない。今持っているのは、10,000WON紙幣が最低紙幣である。これでは買えない。暫く我慢するしかない。
休憩も終わり、再び公園内の小路を歩き始める。今度は、公園の中央を抜け、入口に戻る。 -
その途中でも多くの古墳が見えている。さすがに古墳公園であるので、設置されているゴミ箱もこの風景にあったデザインのものになっている。土器形状のゴミ箱である。
再び、木立の中の小路を進むと、右手奥に先程の柵で囲まれた古墳が見えて来た。
これが先程も説明したが、この大陵苑で唯一埋葬者の判っている新羅第13代味鄒王陵である。
ここで、この王陵について少し説明を行う。
ここに埋葬された味鄒王は「三国史記」の中では、「民に対する精誠が高く、五人の臣下を各地に派遺し、民の哀歓を聞く様にした。」と書かれている。在位23年で亡くなると、『大陵に葬式を執り行った』と記録がある事から、この古墳公園が大陵苑という名前が付いたと言われている。 -
鶏林で誕生した金氏の姓の初めての王様であり、金閼智の7世の孫である味鄒王の陵である。この古墳は、別名竹長陵とも言われている。
この古墳の横を抜けると、入口に戻って来た。入った側の反対側から出る。その出口付近には、大きなツツジの木が綺麗に花を咲かせている。
時刻は15時45分過ぎである。再び、車に乗り込み、ここから国立慶州博物館に向かう予定である。 -
ここで車に乗る前に趙さんに、是非見て見たい遺跡があるので、途中で寄れないかを聞いて見る。
見て見たいのは“瞻星台(チョムソンデ)”である。
趙さんに相談すると、その近くを通り、次の国立慶州博物館に行くと言うので、車からは見えるらしい。それで我慢するしかないか?団体行動なので、これ以上無理は言えない。
車に乗り込み、この大陵苑の駐車場を後にする。駐車場へ向かう道から大通りに出て、車が少し走ると、見えて来た。公園の様な一角にポツンと立つ石造りの塔の様なものが見える。これが“瞻星台”である。道路から50m程先に見えている。趙さんもそこ事を運転手から聞いたのか我々に教えてくれる。
車の中から何とか写真を撮ろうとしていると、車を止めてくれた。そして、写真を撮りに行って良いと言われる。慌てて私は車を降り、その場所に走り、近づく。
近くまで行くと、その場所は柵に囲まれている。この中は有料なのか?入口がどこかにある様である。
その柵近くに行き、写真を撮り、再び走り、車に戻り、趙さんと他のツアー客に礼を言い、席に戻る。
冨田君は結局、写真を撮らなかった様である。冨田君も是非見たいと言っていた遺跡であるが、何か裏切られた様な感じである。私だけが夢中で写真を撮りに言っただけである。
私が戻ると車が走り出すと思ったら、もう一人私と同じ様に写真を撮りに降りた様である。その人を待って車が再び動き出した。
ここで、この瞻星台について説明を加えると、この瞻星台は7世紀に善徳女王により造られた。
瞻星台は、徳利型の愛らしい形をした天文台である。高さは約9.5m、土台の直径が5.17m、上層部の直径が2.5mである。1962年には国宝第31号にも指定された。
上にゆくに従ってゆるやかな曲線を描く瞻星台は、非常にユニークな形をしているが、その構造は実に複雑である。
機能的かつ科学的に作られており、過去1300年以上も人々とともに慶州の夜空を見上げて来た東洋最古の天文台である。
また、この瞻星台を造った善徳女王は、韓国の新羅時代に女でありながら始めて王の座についた女王で、第27代の王として国を治めた人物である。韓国ではテレビドラマ『善徳女王』として放送され、その後日本でも昨年から今年の始め頃まで放送されていた。東アジアで2例目の女帝(最初の例は日本の推古天皇である)でもある。
瞻星台はその善徳女王によって霊廟寺(ヨンミョウサ)と言うお寺と同じ時期に建設された。
瞻星台のあるこの公園の辺りから月城地区である。車が走り出し、この公園らしきところを横に見ながら、進む。咲き揃った菜の花が黄色い絨毯の様に辺り一面に広がっている。本当に綺麗である。
その菜の花畑で結婚記念写真を撮っている人達も見える。多くの観光客がその菜の花を愛でている。
その菜の花畑を過ぎると、景色が広がった。そして左手に楼閣の様な建物が見えている。その右手奥にもう次の目的地である国立慶州博物館が見えて来た。車がその駐車場へ繋がる道に入る。 -
<慶州歴史の宝物庫~国立慶州博物館~>
駐車場入口で車が止まり、その場所で車を降りる。その奥には国立慶州博物館の入口門が建っている。その門の前まで行き、ここでまた趙さんの入場手続きを待つ。
ここも人気のスポットなのか、非常に大きな駐車場である。
入場手続きも済み、みんなで門を潜り、博物館の敷地内に入る。少し敷地内の道を上ると、その先に大きな建物が見えて来る。これがこの国立慶州博物館のメイン館である“考古館”である。 -
そのまま、考古館に入るのかと思っていたら、その前から右手に道を更に進む。その先には小さな屋根の下に大きな鐘が釣るされている。
この梵鐘が、この国立慶州博物館で、考古館の次に有名な“聖徳大王神鐘”、別名“エミレーの鐘”である。近くまで行くと非常に大きな梵鐘である。
この梵鐘は、高さ 3.64m、口径2.25m、重さは19トンもあり、現存する韓国最大の梵鐘である。
胴体には、華麗な宝相唐草文と蓮華文が彫刻されている。肩帯下(鐘上部)に連珠文で4ケ所の区画を作り、その中に連珠蓮華で表現された乳が入っている。
その下に撞座・飛仙・銘文などが陽刻(浮き上がる様に彫刻されている)されている。鐘の上部には音管(音を響かせる構造)と龍紐(龍の頭をした釣り下げる部分)があり、音管は上部に仰蓮(花びらの先端が上を向いた蓮の花模様)と伏華(華を敷き詰めた模様)で3段の装飾を彫刻し、下部は同じ様式の仰蓮を巡らしている。
龍紐は龍の体と4本の足が音管に密着している。
鐘の胴部には向かい合った2対の飛天像があり、その間に撞座と銘文がある。
飛天は蓮華の上にひざまずいて仏に供養する姿で陽刻されている。その周囲には宝相華が湧き上がる雲のように彫刻され、天衣・瓔珞(珠玉を連ねた飾り)などが翻っている。
撞座は大きな房を持った複弁の蓮華で表現され、銘文は2ケ所に1000字あまりの長文が陽刻されている。
この銘文によれば、景徳王が父の聖徳王のために12万斤の銅で大鐘を鋳造しようとしたが、完成を見ることなく死に、恵恭王がその遺志を継いで771年(恵恭王7)に完成させたとある。
最初に鐘を鋳造した際、どうしても音が響かない為、幼い女の子を人柱として作り直した。
出来上がった鐘は美しい音色を響かせたが、その音は「エミレー、エミレー(お母さんの古語)」と叫ぶ子供の声の様だったと伝えられている。その為に別名“エミレーの鐘”、又は奉徳寺鐘として有名になった。
この梵鐘は、初めは聖大王の願刹である奉徳寺に架かっていたが、その後、霊廟寺、慶州邑城の南門、東部洞の昔の博物館をたどり、1975年この博物館に移された。
美しく余韻の長い鐘音、その優雅な形など、韓國の鐘を代表する傑作であり、仏文化を代表する優秀な工藝品である。 -
この様な説明を趙さんが行い、また日本の梵鐘との違いが判るか聞いてくる。何が違うのかと考えていたが、良く判らない。
趙さんの答えは鐘の釣られている高さが違うのだそうだ。韓国の梵鐘は地面までの高さが数十cm程度しかない。鐘の構造上、その高さで音が反響する様に造られていると言う。
確かに日本の鐘は鐘の下に潜れるくらいの高さに釣り下げられている。
この梵鐘の前でみんなが記念撮影を行い、再び考古館前に戻る。
考古館の展示階は2階で中央から2階へ幅広の階段がある。その階段を昇ったところには、壁画のレプリカがあり、その上には電光掲示板がハングル文字を映し出している。
その前から左手に2階の回廊を進み、左手側に廻る。その左手側に入口がある。
中に入る前に集合し、この国立慶州博物館の展示館の構成が趙さんから説明される。
この国立慶州博物館は、この考古館と我々の左手前に見えている特別展示館、そしてその奥に位置する美術館、そして考古館の右手奥にある雁鴨池館から成っている。
すべてを見て廻る事が出来ないので、この考古館を見た後は自由見学にするそうだ。 -
因みに特別展示館は今、ベトナム王国の歴史に関する展示を行なっていると言う。韓国とは関係のない展示である。その後、みんなでこの考古館に入る。
考古館は大きく、4つの展示室に分かれている。最初の部屋は先史/原三国室、2つ目が新新羅Ⅰ、3つ目が新新羅Ⅱ、最後の部屋が菊隠記念室である。
まずは先史/原三国室へ入る。最初に目に付いたのは長い年表である。ここにこの慶州の歴史的出来事が時代毎に書かれている。また、この部屋には慶州とその周辺で出土した先史時代から原三国時代(紀元前108年頃~4世紀頃まで)までの遺物を時代別、種類別に展示されている -
カメラで写真を撮って良いかが判らなかったので、この部屋では写真を撮るのは控えていた。そして、何かの映象を行なっているブースを挟み、次の部屋である新新羅Ⅰに入る。
ここに来てフラッシュを使わなければ写真OKである事が判り、展示物の写真を撮り出す。
新新羅Ⅰ室には、先程大陵苑で見て来た皇南大塚や天馬塚などといった三国時代新羅の独特な積石木槨墳から出土した金冠等の金製装身具と金属製品や土器などを材質別、種類別に展示されている。
天馬塚で出土した本物もここに展示されている。考古館でもやはりメインの部屋であるので、多くの人が熱心にガラスケースに張り付いて見ている。
この部屋で最も目を引いたのが、やはり天馬塚で発見された金冠である。天馬塚にもレプリカは展示されていたが、やはり本物は綺麗である。今も昔と変らぬ黄金の輝きを放っている。
また、細かな勾玉の装飾も綺麗である。少し緑がかった乳白色の勾玉が綺麗に残っている。その他にも王冠、首飾り、腰飾りや杯など非常に多くの金製品が出土している。この部屋を見るだけでも価値がある。
これらを見終え、次の部屋である新新羅Ⅱ室に入る。
この新新羅Ⅱ室は、積石木槨墳から出土した武具類や馬具類、土偶の他、統一新羅時代の石室から出土した土俑、十二支像、甕棺、火葬墓の骨壷などを始め、土器・鉄器・青銅器などの生産に関わる遺物を展示されている。
どちらかというと新新羅Ⅰ室に比べ、地味な感じの展示物が多い。 -
しかし、当時の人の生活が判る貴重な遺物が多い。特に目を引いたのが、十二支像などのレリーフで、人型に表された各動物は、神格化されている。昔の十二支に対する考え方が偲ばれる。また、小さな土俑も多く展示され、当時の服装などが伺える。
そして最後の部屋である菊隠記念室に入るのかと思っていたら、ここで趙さんから集合する様に言われる。
考古館の中央広場に集まり、これから自由時間にし、各自見学とする旨が伝えられる。
時刻は16時40分頃である。これから40分間自由見学で17時20分に再度、この場所に集合となった。直ぐに冨田君は、その場所にあった土産物店を見に行っている。
私は最後の菊隠記念室を少し見学し、再び土産物店にいる冨田君と合流し、一旦考古館の南口から、中庭部分に出る。ここでどこに行くかを相談する。
しかし、時間的には全てを廻る事は出来ない。見られても後1つ、どれかの館内を見て廻るだけである。私はどこでも良い旨を伝え、相談の上、考古館の右手奥にある雁鴨池館に入る事にした。 -
中庭の端を抜け、雁鴨池館に向かう。中庭には明日行く予定の仏国寺の石塔のレプリカが展示されている。
それらを見ながら、雁鴨池館へ行く。
月城と雁鴨池は元、新羅の王宮があった場所である。大陵苑からこの国立慶州博物館へ来る途中に車の左手に見えていた楼閣の様な建物が雁鴨池に復元された王宮の一部である。
その雁鴨池からの遺物が展示されているのが、この雁鴨池館である。 -
中に入ると、長方形の展示館は中央が吹き抜けの構造になっている。入口が中2階部分の様になっており、そこから階段で階下の展示ホールに下りて行く様になっている。
展示品は新羅時代の宮中生活が窺える多様な種類の実生活用品で、土器、建築材、文字関連遺物、金属工芸品、仏教彫刻品などをテーマ別に展示され、統一新羅文化、とりわけ当時の王宮生活文化全般が窺える様な展示構成になっている。
1階部分と中2階部分には主に建築関連の遺物の展示や当時の様式の説明などが中心である。
また、木管などの文字に対する遺物も多く展示されている。当時はまだハングル文字が発明されていない時代なので、文書は全て漢字である。この点では、奈良の平城宮跡などで発見された木管や竹管などと変りはない。
2階に上がると目を引いたのが、これも建築に関するものではあるが、当時の柱などに施された装飾金具などである。それらを見て思い出したのが、昨年行なわれた平城遷都1300年祭で復元された太極殿の柱装飾である。 -
同じ様な装飾金具などが多く展示されている。ここに展示されている物も、もしかすると太極殿復元の際に参考にされた物があるのではないかと感じるものばかりであった。
また、仏教関連のものも、日本の飛鳥時代のものに類似している。この様なものを見ると改めて日本との繋がりの強さを感じる。
また、丁度、2階からは中2階に造られた当時の王宮の模型の全容が良く見える。王宮の規模は然程大きな物ではないが、池を配した大きな庭を持つその造りは、非常に立派な王宮である。
これらの展示を見終え、この雁鴨池館を出る。時刻は17時過ぎである。
どうするか2人で悩んでいたが、取り敢えず一旦、先程の土産物店まで戻る事にした。土産物店まで戻るとツアーの数人の人達が既に土産物店で土産物を見ている。
我々も何かここでしか買えない様な土産物はないかを探す。その内に趙さんも現れ、我々に話かけてくる。
そこで趙さんにここでしか買えない物があるのか聞いてみたが、趙さんが土産物を見る限り、ここでしか買えない様な物はない様である。
それでもお金(紙幣)を細かくしたいのと、何か記念になる物を購入したく、ここの展示物の写真を丸いマグネットにしたものを10個と更にこの考古館の形のステンレス製の栞を購入した。合わせて14,000WON(約1,300円)である。
我々が土産物を見ている内にツアー全員が既に集合していた。思い思いに土産物を見ている。
集合予定時間よりも早く、全員が集合し、この考古館を出て、再び門を潜り、駐車場へ移動する事になった。
駐車場内を歩き、車を探し、全員が乗り込み、この国立慶州博物館をあとにする。時刻は17時20分過ぎである。
これで今日の観光は終了である。ここで趙さんからこれからの予定が告げられる。
これから我々の泊まる慶州コーロンホテルに向かう。ここで2人のツアー客をピックアップし、夕食場所に移動する予定であると言う。今日の夕食は“韓定食”である。 -
<本日の夕食~韓国の代表料理:韓定食>
車は慶州の街中を抜け、少し山間に入り、道を折れる。そして少し上り道に差し掛かった所で左手に大きなホテルが見えて来た。これが慶州コーロンホテルである。
車が慶州コーロンホテルに到着したのが、17時40分頃である。
ここでこのホテルに宿泊する我々を含めた4名が旅行カバンを下ろす。チェックインを行う様である。
パスポートを趙さんに渡し、チェックインを行って貰う。そして、そのチェックインが終了し、部屋のルームキーと明日の朝食券を受け取る。荷物はホテルのサービスカウンターに預け、そしてロビーのソファにいた2人の新たなツアー客と共に再び車に乗り込む。
慌しくチェックインだけを済ませ、車に乗り込み、再び慶州の街を目指す。
山間の道路を下り、そして街に繋がる幹線道路を進む。街に入る手間で右手に曲がり、この慶州の観光ホテルが立ち並ぶ普門観光団地に入る。
その入口には新羅ミレニアムパークというテーマパークらしきものが右手に見えている。ここでは新羅時代の生活様式や文化が再現されている。また、ここで趙さんが、奈良の智弁学園の話をする。
毎年、智弁学園の修学旅行は韓国で、この慶州にも必ず立寄るらしい。その際の宿泊所になるのが、前方に見えて来た慶州TEMFホテルなのだと言う。また智弁和歌山も1週間違いで、同じコースの修学旅行を行なうそうだ。
その慶州TEMFホテルの前を通り、更にこの普門観光団地内を進む。どの辺りまで来たのか判らないが、車は左に折れ、直ぐにその脇の店の駐車場に入る。ここが今日の夕食場所の様だ。
店は長方形の平屋で、店の名前は“太湖”である。我々は道路近くの入口からこの店に入る。 -
内には整然と長いテーブルが並んでいるが、誰もいない。この時間帯では客は我々だけの様である。店の奥の席にグループ毎にテーブルを挟み対面する形で座る。
既にテーブルには金属製の箸とスプーンと、小さめ皿に乗って数種のおかずが出ている。
各自が席に着き、趙さんが飲物を聞いて廻る。私は烏龍茶で、冨田君は地ビールを注文する。
趙さんの説明によるとここの韓定食は田舎風の家庭的な韓定食なのだと言う。
また、ここで更に2人が食事を共にするらしい。その人達はまだ到着していない。別のガイドの人がこの店まで連れて来るのだそうだ。先に注文した飲物が来て、それで乾杯をする。 -
テーブルにはまだ最初に置かれていたおかずのみである。後で知ったが、今テーブルに置かれているキムチなどのおかずは、韓国ではミッバンチャンと言うらしい。
韓定食は、陰陽五行の思想にのっとり、五味(甘、辛、酸、苦、塩)五色(赤、緑、黄、白、黒)五法(焼く、煮る、蒸す、炒める、生)をバランスよく献立に取り入れられている料理で、このミッバンチャンもそのひとつである。
ミッバンチャンとして出てきているものは、次の6種類である。
①茹でたもやし・・・・・白
②白菜キムチ・・・・・白と赤
③大根の漬物・・・・・赤
④茹でた三つ葉・・・・・緑
⑤牛蒡の煮物・・・・・黒
⑥大豆の甘露煮・・・・・黄
それぞれ先の陰陽五色に合わせたものである。この中では白菜キムチが楽しみにしていたものの一つであったが、日本のキムチに比べ、非常に酸味が強い、酸っぱいのである。その後、料理が次々に出て来た。 -
まずは、かぼちゃの冷スープである。しかし、スープというよりはお餅を溶かした様なとろみがあり、味は甘い食べ物である。
それから、野菜サラダ、茹でた豚肉と白菜の浅漬けなど料理が出て来た。出て来た料理は以下である。
①かぼちゃの冷スープ
②野菜サラダ
③茹でた豚肉と白菜の浅漬け
④チヂミ(いか入り)
⑤ひらめの刺身
⑥春雨と野菜と金糸卵の炒め合え
⑦韓国風つくねの甘酢あんかけ
⑧韓国風大根と豚肉の煮付け
⑨韓国風天ぷら(海老とさつまいも)
⑩魚(イシモチ)の揚げ物
⑪味噌チゲ(豆腐、長葱、瓜などが入っていた)
⑫ご飯
料理ばかりが、次から次と出てくるので途中でご飯が欲しくなった。
しかし、テーブル上のおかずを片付けないと次のおかずが出てこないので、冨田君と必死になって出てくるものを食べ切る。
途中で気づいたが、最初に置かれていたミッバンチャンはおかわり自由なのである。少なくなるとつぎ足してくれる。 -
また、この夕食から加わる人達も少し前に到着したが、我々の食事はかなり進んでいる。追い付くのであろうか?
そして最後に金属製のお碗に入ったご飯が出て来た。
しかし、もうご飯のおかずになりそうな料理は残っていない。ミッバンチャンで少しそのご飯を食べる程度であった。日本人としては、もう少し早くご飯を出して欲しかった。
中々量も多く、韓国最初の食事としては満足のいくものであった。
店員が各々の飲物代金の請求にテーブルを廻っている。我々も各自飲物代を支払う。
烏龍茶は3,000WON(約270円)であった。
まだ、途中から加わった人達は食事をしている。その人達が食事を終えるのを待っている状態である。先に食べ終わった人達は退屈なのか、席を立ち、店外に出ている人もいる。
我々は比較的最後までテーブルに座り、水を飲んでいた。
やっと全員の食事も終わり、店を出る。時刻は19時30分頃になろうとしているのに未だ少し明るい。緯度的には日本の関東と同じくらいの所ではあるが、日本よりもかなり日が長い。
やはり時差がないとは言え、日本列島の西端に近い経度であるからであろう。
みんなで車に乗り込み、これでホテルに戻るだけである。 -
<コンビニと慶州コーロンホテルの温泉施設>
趙さんが気を利かせてくれて、ホテル内叉はホテル近くにコンビニがないかも知れないので、途中でコンビニに立寄って貰える事になった。
食事場所から数分車が走ったところで、コンビニに到着した。
日本のコンビニのイメージであったが少し違い、食料品しか置かれていない。
ここで全員が飲物などを購入した。私は飲物としてお茶(日本の緑茶の様な)と何か判らないが果物ジュース、そしてスナック菓子とのど飴を購入した。のど飴はカップ型の紙箱に入ったものを購入した。日本では見ない箱である。合計で9,000WON(約810円)と少し買い過ぎた。
再び車に乗り込み、各々のホテルを目指す。
まずは今回のツアーのもうひとつのホテルである慶州ヒルトンホテルに立寄る。
ここで半分の人達が車を降りる。そして我々はチェックインなどの手続きを行う趙さんを待つ。
10分強待って趙さんが戻り、車が再び動き出す。
慶州ヒルトンホテルから更に10分程で慶州コーロンホテルに到着した。ホテルのロビーに入り、明日の予定を趙さんから告げられる。
明日の朝食は、ロビー横のレストランでバイキングである。また、出発時間は8時20分でこのロビー集合である。
そして、ホテルのサービスカウンターで先程預けた旅行カバンを受け取り、ここで趙さんにお礼を言い、今日は別れる。
我々の部屋は7階である。ロビー奥のエレベーターで7階に上がる。
7階で降りるとエレベーターホールに数人の欧米人らしき若者が寝転んで寛いでいる。そ
う言えば、趙さんが丁度今、慶州でテコンドウの世界選手権が開催されていると言っていた。その選手がこのホテルにも宿泊しているのである。
しかし、なぜこんなところに屯しているのか?その若者の前を通り、部屋を探す。
部屋に到着し、中に入ると先程の若者達がエレベーターホール前で屯している理由が判った。
部屋は少し狭い感じで、どちらかと言うと日本のホテルに似た感じの部屋で、ダブルとシングルのベッドが並べられているが、無理やり、ダブルベッドのシングルの部屋にシングルベッドを入れた様な部屋である。
欧米人にはさすがにこの部屋は狭いのであろう。また、部屋が暑く、廊下の方が快適である。 -
今日は私がダブルベッドを使わせて貰う事になった。荷物を整理し、ラフな格好を使用としたが、考えるとしまった!部屋着を忘れて来た。部屋が少し暑いので、下着姿でも問題ないか、少し体調が悪いのが気になる。
少し休憩した後に、この慶州コーロンホテルの温泉施設に行くかどうかを冨田君と話合う。
折角なので、行ってみる事にする。何も持たずに3階の温泉施設に向かう。3階でエレベーターを下り、廊下を抜ける。3階からは吹き抜けのロビー階も見えている。そして3階廊下の奥から別棟にある温泉施設に入る。
丁度、温泉施設は中2階に位置する様に出来ている。
温泉施設の受付横には、簡単な売店がある。温泉受付では若い女性が受付を行なっていた。
この受付奥に温泉施設がある様である。この受付で再び、冨田君と入るかどうか相談し、入る事にし、受付の女性に日本語が出来ますか?と日本語で話しかけるが、顔の前で手を振る。日本語は話せない様である。
仕方なく、手振りで温泉施設に入りたい旨を伝えると、料金表を提示してくれた。ルームキーを提示するが、料金は現金で支払う必要がある様だ。
宿泊者の料金は5,400WON(約490円)である。2人合わせて払おうとすると、冨田君にややこしくなると怒られ、個別で支払いを済ます。料金を支払うとロッカーキーを渡された。
衣服を入れるロッカーキーである。タオルがないので、どこにあるかと片言の英語で聞くと、私の英語が判らない様で、日本語でタオルと言うと中にある様な仕草をするので、温泉施設内に置いてあるのだろう。
貴重品などは、受付に預ける様に日本語で書かれているので、ルームキーや財布などをこの受付で預け、小さな金庫に入れて貰い、そのキーを受け取る。
そして受付奥から男性と女性の場所が分かれる。男性は奥の階段を下りる。1階下がロッカー室になっており、ここで服を脱ぐ。ここにタオルなどは置かれていた。
ここで服を脱ぎ、ロッカーに入れ、ここから更に階下に階段で下りる。その場所に化粧室があり、その奥に温泉施設があった。
温泉施設は大きく分かれた浴槽が3つある。そして洗い場が並び、その横にサウナ室が2つある。然程大きくはないが、日本のスーパー銭湯くらいの大きさはあるか?
意外に人が多い。殆どがこのホテルに宿泊しているテコンドウの世界選手権の選手であろう。
一番入口付近の浴槽が中温の浴槽、真ん中が高温の浴槽、そして一番奥が水風呂である。
温泉の泉質は重炭酸ナトリウム泉である。無色透明のさらさらのお湯は肌触りが非常に良く、なかなか快適である。長湯しても湯あたりしない湯である。
最初に、高温の浴槽に入ったが少し熱い程度で我慢出来ない程ではない。
冨田君も知らずに入るも熱かった様で、中温の浴槽に入り直していた。私も高温の浴槽と中温の浴槽の交互に入る。
そして、サウナに入り、置いてあった砂時計(何分計か判らないが)で時間を計る。その砂時計の終了とともにサウナを出て水風呂に入り、また高温の浴槽に入るなどを繰り返し、そして体を洗う。
冨田君は先に出た様である。体調も悪いので、ゆっくりと体を温めてから温泉施設を出る。
冨田君は化粧室にいた。化粧室で再びゆっくりし、ロッカー室に戻り、服を着て受付に戻る。
ロッカーキーを返し、また貴重品のキーを渡し、財布などを返却して貰う。結局、1時間弱温泉施設に入っていた。
温泉施設の棟の階段を下り、ロビー階に出る。
この階のサービスカウンターで、このホテルのパンフレットや慶州の観光地図、観光ガイドなどを貰う。そして、レストランの横にある土産物店に立寄る。
意外に多くの土産物が置かれていた。この慶州独自の土産などもあり、この店で土産を購入しようかと考えたが、まだ初日でもあり、今晩は見るだけにした。
それに何が名産品なのかも良く判っていない。土産に買うなら他で買えない物にしたい。
その他のホテル施設も探索するも、これと言った場所はなく、部屋に戻る事にした。
時刻は10時過ぎである。
冨田君は今日の旅行内容の整理を行なっている。今日の使用金額などをチェックしている様である。
私も明日の準備を行い、今日の使用金額などをチェックする。
明日の起床時間を相談し、朝食を取れるのが6時からなので6時に起床する事にした。
今日は初日でもあり、また体調も芳しくないので、それ以上は何もせず、早めにベッドに入る。
ベッドの中でうとうとしていたら、冨田君も寝るのか部屋の電気を消した。今日はこれで就寝する。
今回はここまで! 明日は朝鮮半島を北上し、世界遺産を巡る。
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