2019/08/18 - 2019/08/18
611位(同エリア1914件中)
風待ちさん
高校の同級会に参加するため高知を訪れた。一日目はレンタカーで仁淀川沿いに走り、2日目は前回行けなかった寺田寅彦記念館に行こうと計画。12時から同級会が始まるまでの半日の町歩きだったが、記念館のボランティアガイドの方とゆっくり話が出来て、楽しい時を過ごすことが出来た。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この日は日曜日。ホテルのすぐ脇の追手筋では日曜市の開催中。ここを通らなければ、寺田寅彦記念館に行けません。通っていると何かと気を引かれ、一度は買った物をホテルに置きに行き、二度目は紙袋をもらいそのまま同級会まで持っていく羽目になりました。一度目の買い物は、小夏とはなニラ。二度目は骨董品のお皿二枚と縞柄の着物の古着。
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追手筋の突き当たりが高知城。この裏手に寺田寅彦の記念館があります。
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記念館。入り口だと思ったのですが、裏口のようでした。
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母屋から何やら琴の音が聞こえてきました。
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離れの一室。ここが少年時代の勉強部屋だったようです
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寅彦の科学論文や随筆集、写真などの資料が並んでいる部屋。
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寅彦が買い求めたオルガン。」奥の部屋では高知の「一弦琴」のサークルが練習会をしていました。この屋敷と一弦琴の音色はとても似つかわしく、落ち着いた時間と空間を作り出していました。
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中庭を臨む縁側。ここに座って、ボランティアガイドのご婦人の話を聞きました。落ちた椿の花を拾い上げ、「ねえ君 ふしぎだと思いませんか」というエピソード、そしてそれが追手筋の高知科学未来館の前に立っているということ。先ほど通ってきたのに、不覚にも気づかなかったのでした。
他にも「茶碗の湯」のはなし、それが絵本になったことなどいろいろと話してくださいました。 -
記念館でいただいたパンフと寺田寅彦の随筆を載せた豆読本。「団栗」、「わが中学時代の勉強法」、「科学者とあたま」の三冊。
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随筆「庭の追憶」の中に、「ほとんど数え切れないさまざまの追憶の場面を映しだす」と書いた跳び石。
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江の口川沿いに並んでいた武家屋敷。ほとんど戦災で焼失してしまい、今はこの先に一軒を残すだけとなったそうですが、復元されたとはいえ、この記念館も武家屋敷らしい簡素でうつくしいたたずまいです。
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復元された母屋。
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玄関のアプローチに一輪の玉すだれが。
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寅彦は1878年、東京の麹町平河で生まれ、4才から19才までの多感な時期をこの旧邸(現記念館)ですごしました。この旧邸やその周辺に関する随筆を多く残しています。
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庭の小道。
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こちらが正面。敷地の西北端にあった居室以外は戦災にあい消失してしまったが、その後復元し、現在は高知市が管理している。
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寅彦が幼い頃遊んだという江の口川をはさんで、こんもりした木々が見えるのが記念館です。
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城西公園の道。時間がないため高知文学館はあきらめ、電車通りに向かいます。
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電車通りにでて、土佐電で同級会会場のある菜園場まで移動。アンパンマンのやなせたかしは高知出身。
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同級会が終わった後、追手筋にあった寺田寅彦の銅像を見に行った。右手には落ちた椿の花を持っている。「ねえ君 不思議だと思いませんか」は、学生達にいつもいっていた言葉だといいます。人柄を表していて、とてもいい言葉だなと感じます。わざわざ写真を撮りに来て良かった思いました。
ちなみに、横にはもう一つ寺田寅彦の言葉が彫られています。「天災は忘れた頃にやってくる」と。 -
寅彦が通った旧制中学。今の追手前高校です。旧制高校は高知にはなかったため、熊本の第五高等学校に進学し、夏目漱石に英語や俳句の指導を受けています。
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高知文学記念館。もう閉館していました。
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文学館の中には、その一角に寺田寅彦記念室と宮尾文学の世界というコーナーが設けられています。
またの機会にと宿題を残し、明日は高知を去ります。
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