2018/05/28 - 2018/05/28
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frau.himmelさん
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千年の都プラハ、世界で最も美しい街とも言われ、その歴史地区は世界遺産にも登録されています。
この街に繁栄をもたらしたのは、前編のカレル橋でも取り上げましたカレル4世。彼は神聖ローマ皇帝に即位すると同時に都をプラハに移し、街の大改造を始めました。
丘の上に美しい姿で佇むプラハ城。
プラハのシンボルでもあるプラハ城は9世紀に建てられました。14世紀になり、ここまで大きくしたのもカレル4世です。
シニア3人旅、プラハ2日目はまずプラハ城を訪れました。
そして次の日も飽きずにプラハ城を訪れました。旅行記は前後2編に分けてアップいたします。
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今回3泊するホテル・ベルヴェデーレの朝食会場。
明るくて広々としてとても雰囲気がいい。
しっかり朝食を摂って、今日も元気に1日プラハ観光に出かけましょう。
ところが、K氏が昨夜からお腹の調子がおかしいとかで、朝食少な目なのが気になります。
旅も中盤、そろそろみんな疲れが出るころですね。
齢のことを考えて無理をしないでぼちぼちと参りましょう。 -
今日は、まず混雑しない朝のうちにプラハ城の見学を。
ホテル前の停留所から22番のトラムで、プラハ城北門の停留所で降りました。
ホテル前の大通りから、何本ものトラム路線が走っているのは助かります。
70歳以上は交通費無料の恩恵を受けてあちこち移動することができて、私たちシニアには大変便利な場所でした。 -
トラムの停留所を降りたら、みんなが向かう方に付いていきます。
すぐにお城が見えてきました。 -
北門入り口では手荷物検査をやっています。
リュックとバッグを開けて見せ、その後X線検査も受ける。
係員が二人で立ってみている。厳重な警戒態勢です。
前方には聖ヴィート教会の塔が見えます。
やはり間近にこの塔を見るとテンションが上がります。 -
そして橋を渡り、お城の前に行くと・・・
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門の両脇にはイケメンの衛兵さんが立っています。
衛兵の横には不測の事態に備えてか、銃を持った警備兵の姿も。
衛兵さんは観光客に大人気。
ツーショットで写りたがる観光客が引きも切りません。 -
我らがI女史もようやく順番が回って、はいポーズ!
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それでは中に入ります。
「地球の歩き方」にお城の見取り図がありましたのでご覧になってください。
画像が粗くて見にくいですけど、ご容赦ください。 -
まず私たちがやってきたところは「第二の中庭」です。
右側の噴水は「コール噴水」。17世紀に造られたものだそうです。
奥に見える白い円形の建物は「聖十字架礼拝堂」。
手前の鳥かごみたいなものは井戸。ヨーロッパの古い城では良く見かけます。 -
チケット売り場。
混雑すると聞いていたので少し早く出てきました。少し並んだだけですぐ買えました。
私たちはBコース、それもシニア割引、大人250コルナのところシニアは半額の125コルナ。ここでもシニアに優しいチェコです。 -
Bコースで見学可能な施設は、
①聖ヴィート教会、②旧王宮、③聖イジー教会、④黄金の小路、⑤ダリボリカ塔 など。
それに写真撮影料として50コルナ別途支払います。 -
アーチをくぐって第三の中庭に入ると、まず目に飛び込んできたのは聖ヴィート大聖堂。
大きいですね~。
大聖堂の鐘楼の高さは99m、それに建物の奥行きは124mもある巨大なもの。
全体を写真に収めるのは無理。 -
かわいい~~!
目の前を、お揃いのグリーンのTシャツを着たおしゃまなチビッ子たちが通っていきます。
その後ろの大聖堂の入り口には長蛇の列。 -
聖ヴィート大聖堂の見物は後回しにして次に行こう!
広場の中央には「聖イジー騎馬像」。
龍(悪)を退治している聖人って聖ゲオルクではありませんでしたっけ?
聖ゲオルクのことをボヘミアでは聖イジーと言うそうです。 -
私たちは旧王宮から見学します。
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中に入るとすぐに「ヴラディスラフホール」。
このホールは縦62m、横16m、高さ13mもある大ホールです。
昔は宮廷の儀式の場として使われていました。
また、公式行事がない時は一般市民にも開放され、様々なお店が並び、多くの人で賑わったそうです。
近年は、大統領選挙にも利用されています。
ここも人が多いですね。
何も考えないで人の流れに付いていきます。
それが後から後悔する羽目になるのです。 -
旅行記を書くために調べていましたら、なんとここは、歴史的に重大な事件の現場でもあったのです。
随分前のことになりますが、NHKラジオドイツ語講座で、プラハ城の窓から放り投げられた人物の話をやっていました。
あの頃は、それが物語なのか実際の出来事なのか深く考えないで聴いておりましたが、実は、たいへんな出来事だったのです。
これが歴史的に名高い「30年戦争」のきっかけとなった事件だった。
このホールの奥の方の右側にその部屋が残っていたのですって。
人の流れに付いて行ったので、見逃してしまいました。 -
この歴史ある城で大事件が起きたのは17世紀のこと。
カレル4世の死後、混迷の時代が続いたボヘミアは、カトリックの腐敗を訴えて処刑されたヤン・フスの影響を受け、プロテスタントが広く根付いていきます。
1617年、敬虔なカトリック教徒であるハプスブルク家のフェルディナント2世がボヘミア王に選出された際、プラハの貴族たちに信仰の自由を約束したものの、徐々にプロテスタントの迫害を始めます。
弾圧に怒ったプロテスタントの貴族がプラハ城を襲撃し、フェルディナントの書記官3人をこの窓から投げ落としてしまいました。
(挿絵はwikiよりコピーしました。) -
3人は16m下の地面に落下。
幸いなことに窓の下にたまっていた大量のごみの上に落ちたため、大した怪我もなく助かりました。
書記らはすぐさまウィーンに帰り、事の次第をフェルディナントに報告しました。そして、ヨーロッパ中を巻き込んだ宗教戦争である30年戦争へと発展していきました。
歴史に名高い30年戦争はこのプラハ城がきっかけだった・・・。
あ~~もう少し勉強していれば、その部屋を見逃すことはなかったのに・・。 -
王宮のテラスから見えるチェコの街並み。
赤い屋根の連なりが印象的です。
でも百塔の街って言うほどには塔は見えません。 -
下はヴルタヴァ川方面。
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遠くに見える変わった形の高層ビル(矢印)は、新市街側です。
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さて、王宮内をもう少し見学します。
王冠を戴いているライオン像。重厚なボヘミアの紋章の入り口を入ります。 -
広間の左側には「国会議場」。
玉座の間などもあり、豪華な調度品で設えてあります。
この場所にかつて裁判所や国会が置かれていました。 -
国会議場の壁には、ボヘミア王となったハプスブルグ家の肖像画が飾ってあります。
マリア・テレジアとフランツ1世、それにもうお一人はどなたでしょう。 -
2階へ上がると、天井いっぱいに紋章が描かれた「新国事録の間」。
土地台帳などが保管されていたそうです。 -
みなさん、熱心に見学していますね。
さて、では次へ。 -
次に向かったところは色鮮やかな聖イジー教会。
新しく見えますが、920年に完成したプラハ城内最古の教会とか。
このファサードは17世紀の初めに造り直されたもの。
現在の教会は1142年に火災の後に再建されたものなんです。
ここも大勢の観光客。 -
聖イジー教会はチェコの中で最も美しいロマネスク建築の一つに数えられています。
向かって右側の建物には、頭に5つの星の輪が光り輝く、お馴染み聖ネポムクの像。
ここは聖ルドミラの聖遺物が納められている礼拝堂です。
ルドミラ? -
ファサード文字は「SANCTE GEORGI]。
聖ゲオルクのことですね。
チェコでは聖イジー教会です。 -
これは帰りに見つけた聖イジー教会の建物の彫像。
龍を退治している聖ゲオルク。
私は今まで「龍=悪」、病気や災害、戦争など大儀での悪、と考えていましたが、こちらでは「龍=異教徒」なのですね。
カトリックの聖人である聖ゲオルク(こちらでは聖イジー)が退治しているのは異教徒。
こういう像をみても、ヨーロッパで宗教対立が起きる理由が判るような気がします。 -
中に入るとここにも狭い空間に大勢の人。
プラハ城はほんとにどこも人が多い。 -
人をかき分け前に進みます。
鉄細工の手すりが素敵な2本の階段、その奥は聖歌隊席へと続いています。
ここには入場禁止の張縄があり、上へ登ることができません。 -
天井のフレスコ画は色褪せているし、壁なども古色蒼然としている。
確かにここが古い教会だと納得。
でも、なんだか煌びやかでないところがほっとすると言うか、心安らげる空間です。 -
その中にあって一番華やかなのは、このバロック式の階段。
18世紀に増設されたものだそうです。
手すりの鉄細工の美しさに魅せられます。 -
繊細な鉄細工の階段手摺
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そしてこの階段を登ると(登れませんので、手を伸ばして撮りました)、聖ルドミラ礼拝堂。
聖ルドミラと言えば、カレル橋に彫像があったあの聖ヴァーツラフの祖母でしたね。
この聖イジー教会は、聖ルドミラの聖遺物を納めるために、息子であるヴラチスラフ1世が建てさせたものだそうです。ヴラチスラフ1世は聖ヴァーツラフの父になります。 -
階段の手前には、その聖ルドミラの息子、ヴラチスラフ1世のお墓もあります。聖イジー教会の設立者です。
この家の形をしたお棺の中に彼の遺骸が安置されています。
棺の横にはヴラチスラフの肖像画。 -
その他にも教会にはいろんな貴重な芸術品も。
これは「聖ウルスラの殉教」。 -
「マリアの被昇天」
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みんなが写真を撮っているところは、バロック様式の「聖ネポムツキー礼拝堂」。
聖ネポムク、ここにも登場しますね。 -
祭壇の中には「聖母子像」が飾られています。
天使がいっぱい。
だけどこの天使たちかわいくな~い、ちょっと不気味。
ごめんなさい。 -
聖イジー教会を出て次にやってきたところは「黄金の小路」。
ここも狭い路地に観光客がごった返しています。
小さなカラフルな家が並んでいて、まるでメルヘンの国のようです。 -
この様子では人がいなくなることはないでしょうから、絵葉書で街の雰囲気を見てください。
ここはかって国王が錬金術師を住まわせて、なにやら実験を繰り返して黄金を造らせていたなどと言う噂があり、この名で呼ばれていたようですが、実際はお城の衛兵や召使の住居だったようです。 -
現在は、工芸品や手作り品などを扱う土産物屋や博物館になっています。
お店の前は可愛く飾ってあります。 -
確かにこんなのや、あんなのが並んでいたら、錬金術師が住んでいたと思いたくなるような小路ですよね。
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何やら妖しい雰囲気のオーガニック屋さんとか、
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真っ赤な家の2階から顔を出して笑っているかわい子ちゃんは?
と思ったら、ちょっと目をそむけたくなるリアルな顔だったり・・・(笑) -
「おいおい、ちょっと見ろよ、入り口が低くて頭ぶつかるよ!」
中は可愛い雑貨屋さん。
カラフルな家の前では写真を撮る人が絶えません。 -
黄金の小路で一番の人気は、No.22のフランツ・カフカが仕事部屋にしていた家。
ここも薄いブルーでインスタ映えする家です。 -
この家は、チェコの有名な詩人で作家のフランツ・カフカ(1883~1924年)が、2年間ほど仕事場にしていました。
そのことがプレートに書かれています。 -
現在は、本屋さんになっており、カフカの書籍や、プラハの地図などの土産物も置かれています。
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カフカは保険局に勤めながら作家活動を続けていましたが、1924年、40歳の若さでなくなりました。
カフカはプラハについてこんな言葉を残しています。
プラハは私を離さない、
プラハなる街が私を支配する。 -
私が興味を持ったのはこのNo.14の家。
観光客も家の説明文を真剣に読んでいます。 -
家の入り口には奇妙な絵が飾られています。
目だけを出した黒装束姿、その前には勾玉が置かれています。
ここは当時プラハの有名な女占い師テーベ夫人の家でした。 -
部屋には、第一次世界大戦で戦死した一人息子の写真が飾ってあります。
有名な占い師である彼女の元には、国の内外から大勢の顧客が訪れていました。 -
彼女の仕事場には、頭蓋骨や占星術の本、タロットカード、それに地球儀など飾られています。
時はチェコスロヴァキア(当時)がヒトラー率いるナチスに支配されていたころです。
第三帝国の崩壊を予言した彼女は、ゲシュタポ(秘密警察)に捕らえられ、拷問を受け、亡くなりました。 -
I女史と私の女子組は、美しいもの、可愛いものに目を奪われ、あちこち引っかかりながら歩いています。
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そんなのに付き合っていられないK氏は、上階の武器博物館に行っていました。
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黄金の小路の突き当りの家No.12に住んでいたのは、映画史家で撮影技師であったヨーゼフ・カズター氏。
第二次大戦中、ナチスに支配されていたチェコスロヴァキア、当時は娯楽映画を撮るどころか映画館で上演することも許されませんでした。何しろ、ヒトラーの意に沿わない絵画や本までもが「退廃芸術」として焼かれていた時代ですから。
カズダ氏は収集していた多くのフィルムを処分するようにと、ゲシュタポから命令されました。 -
しかし、彼はそれらを危険を犯してそっと隠し持っていたのです。
ゲシュタポに見つかれば処刑だけではすみません。命がけの行為でした。
貴重な大量のフィルム。 -
これらのフィルムはなくなったと思われていましたが、戦後何年も経ってから見つかりました。
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仕事部屋
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大量のフィルムも、古い映写機も・・・。
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古い映画のポスターも・・・。
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マニアにとっては垂涎ものでしょうね。
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次はダリボルカ塔。
ここは中世時代は牢獄として使われていたそう。
そして拷問用具などが展示してあるそうです。
どうりで展示物も暗~~い。 -
I女史とK氏は中に入っていきましたが、私はパス。
と言ってもお二人ともすぐ出てきましたけど。 -
この場所からも、プラハの美しい景色が見えます。
さて、まだ聖ヴィート教会は列が短くなっていないかしら?
そろそろ引き返しましょう。
次号へ続く。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ペコリーノさん 2019/08/18 10:04:30
- プラハ城、黄金の小路
- frau.himmelさん、こんにちは
黄金の小路の説明、本当に分かりやすくしていただいてありがとうございました。
占い師の家や映画の資料が沢山あるところも、写真には撮っていたのですが、なぜなのかはわからなかったのです。
それからプラハ城の3人が投げ落とされたところもあそこだったのですね。
いろいろ教えていただいて、また行きたくなってしまいました。
ありがとうございました。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2019/08/18 10:35:43
- RE: プラハ城、黄金の小路
- ペコリーノさん、おはようございます。
早速のコメントありがとうございました。
>プラハ城の3人が投げ落とされたところもあそこだったのですね。
ペコリーノさんは反応してくださると思っていました(笑)。
ラジオドイツ語講座の「黒猫イクラ」で出てきましたよね。
あの時は森の中と言う設定や、イクラとのやり取りが面白く、現実にあったことか物語なのか深く考えませんでした。でもなぜか私の頭の中に残っておりました。
あれが30年戦争の契機となった重大な事件とは・・・。
あの部屋に入らなかったなんて、ほんとに残念!
またあのメルヘンチックな小路に、占い師の家や映画資料の家など、ナチスが絡んだ家があるなんて、オマエもか、と思いました。
またウィーン旅行記、拝見させてくださいね。
himmel
-
- norisaさん 2019/08/18 06:14:41
- 百塔の街!
- frau himmelさん
おはようございます。
いよいよプラハですか!
プラハに行ったのは何年前でしたか。
とても美しく、確かに塔が多いのに驚いたものです。
もっとも想像よりは低いものが多いですね。
相変わらず衛兵さんは表情も変えず身動きもせず偉いものです。
(エコノミークラス症候群にならないものだと感心します(笑))
前回はツアーでしたのでお城の内部には入れませんでしたが、今回のご旅行記で良く分かりました。
美しい部屋の数々は栄華を彷彿とさせるものですね。
その他見どころの多いお城です。
聖ヴィート教会は相変わらずの人気のようですね。
また訪れたい中央の宝石のような街ですーーー。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2019/08/18 10:18:51
- RE: 百塔の街!
- norisaさん、おはようございます。
早速ご覧になっていただきありがとうございます。
それにしても毎日暑いですね〜〜。この暑さに負けて旅行記も停滞気味、全く先が見えません(泣)。
プラハって世界で一番美しい街って言われるようにほんとに美しい街ですね。それと共に当然ですが歴史的にも凄い。
齢を取って、歴史的なことも考えながら深く観光するようになったのはいいことなのですが、待っているのは産み苦しみ、旅行記の(笑)。
>相変わらず衛兵さんは表情も変えず身動きもせず偉いものです。
衛兵さん2人いますね。どうしても写真撮影は一方に偏る。I女史が言っていました。もう一人の人気がない衛兵さんが可哀想って。
まだまだ暑い日が続きます。どうかお身体ご自愛ください。
himmel
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