2011/06/25 - 2011/06/29
562位(同エリア809件中)
パンダ番長さん
- パンダ番長さんTOP
- 旅行記55冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 12,443アクセス
- フォロワー2人
ベトナム旅行の2日目。フエの観光とホイアンまでの旅程。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
-
<フエの街の朝の散歩と朝食>
朝、5時過ぎに目が覚める。昨日は本当に長い1日であった。
そのせいか非常によく眠れた感じがする。
顔を洗い、カーテンを開けて、外の景色を見ると、天気も良く、暑い日になりそうである。
食事まで時間があるので、早朝のフエの街を散歩する事にした。
部屋を5時30分頃に出て、1階へエレベーターで下りる。ホテル玄関を出て、ホテルの左手にあるスーパーマーケットの方向にホテル前の通り沿いに歩く。 -
5時半という早朝にも関わらず、既に多くの人が通りを歩いている。
中には私と同じく散歩をしている人もいるのであろうが、他の人達は何かしらの仕事の為にこの様な早朝から街に出ているのである。
スーパーマーケットの前の交差点を右に道を渡り、その道沿いに歩く。
この道を歩いているのには、ひとつ目的場所がある。この道沿いにフエの大教会があるのである。その教会の建物を見に行くつもりで歩いている。 -
すると、その道を教会方向に歩いて行くと左手に大きな看板が見えて来た。その看板には世界遺産のマークが付いている。その看板の近くに大きな門があった。
まだ、その門は閉まっているが、その中には立派な庭園と庭園の奥に立派な建物が見える。
持って来たガイドブックの地図を見るが、そのガイドブックには何も書いてない。この辺りにある観光名所はこれから向かう大教会だけである。 -
その前を過ぎ、更に進むと道が二手に分かれたところにフエの大教会があった。丁度、こちらからは、大きなキリスト像がその二手に分かれる道のところに見えている。
その道を右手の道の方を、その教会沿いに進む。そして教会建物横まで来ると、丁度教会内では朝のミサが行われている様で、多くの人達が教会内に見える。
更にその道を行くと、教会の入口に到達した。入口を見ると、教会のミサに来た人達が教会の中に入れずに溢れ出ている。非常に熱心な信者が多い様である。
この教会入口付近で来た道を戻る事にした。そして二手に分かれるところまで戻ると、もうひとつの道で屋台の準備をしている店があった。
ベトナムの人達も朝食は外で食べる人が多いのであろうか?
こんなに早い時間に屋台が出ているとは驚きである。 -
その後、先程の世界遺産のマークの看板前まで戻る。そして、まだ開いていない門の隙間からこの敷地内の庭園や建物をカメラに収める。
更に道を戻り、スーパーマーケット前の交差点まで戻って来た。先程、ここの交差点は信号機のランプが点いていなかったが、今はその信号機も作動している。
ここで、どちらの方向に行くか迷っていると、自転車に乗ったおじさんが声をかけて来る。
現地の言葉で何か言っているが、判らない。それで判らない様なポーズをすると、おじさんもジェスチャーでご飯を食べる真似をしている。どうもご飯を食べさせろ!と言っている様である。
それが判り、無視する事にした。そのおじさんは暫らく私の後を何か言いながら付いて来ていたが、少し歩くと諦めたのか、逆の方向に自転車を進め始めた。
結局、どちらの方向に行こうか迷っていたが、ホテル方向に戻る事になってしまった。そこで、ホテル前を過ぎ、更に最初とは逆の方向にホテル前の道を行く。 -
ホテル横には教会らしき建物が改装工事中である。地図でそれを確かめると、これはカオダイ教寺院と書かれている。このカオダイ教とはどの様なものであろうか?
その前を過ぎ、更に道沿いに進むと、また屋台に出くわす。この屋台は若い女の子がやっている。
何を売っているのかと見て見ると、屋台の中に多くの棒状のパンらしきものと大量の卵、そしてもやしなどの野菜類があり、その屋台の中央に半球状の鍋が付いている。
この鍋で調理をして、パンに挟む物を売っている様である。どの様なものを売っているのか、興味があるが、まだ時間も早いせいか、誰もその屋台で食べる気配がない。
その屋台を過ぎ、更に進むと、公園らしきものが、道の奥に見えて来た。かなり大きな公園の様で、道から見ると、かなり奥に広がっている。道に面したところには池があるだけであるが、その池の奥には遊歩道なども見えている。 -
また、この公園の横には学校らしき古びた建物が見えて来た。この辺りで時計を見ると、時刻はもう6時を廻っている。この道の先には大きなロータリーが見えているが、この辺りでホテルに引き返す事にした。また、来た道を戻る。
ホテル前まで戻ると同じ様に朝の散歩に出て来た日本人観光客らしき老夫婦に出くわした。どこか目的地があるのであろうか? -
ホテル内に戻り、中庭を見ると、やはり南国のホテルである。中庭には立派なプールがある。
丁度、ホテルの従業員がプールサイドの掃除を行っている。
その後、一旦部屋に戻る。部屋に戻ったのが、6時15分頃である。少し部屋のソファで寛いでから、6時半過ぎに朝食の為に再び1階に下りる。
1階の右手奥にあるレストランでの朝食である。 -
入口でルームナンバーを提示し、レストランに入る。思いの外大きなレストランである。
まず、すいかジュースを取り、空いている席に置き、席を確保する。
そして、コックが卵料理を作っている所で、目玉焼をお願いし、それが焼ける間にパンを焼いたり、料理を取る。料理類はここも西洋式のバイキングでお決まりの料理が多い。
いつもの様に野菜サラダやハム、ソーセージなどを取り、目玉焼を貰いに行く。
そして、焼いていたパンを最後に取り、席で食べ始める。ひとつ変わったものとしては塩漬けのベーコンスライスがあったので、取って食べたが、生臭く、また非常に塩辛いものであった。
パンには合わない!お粥などのご飯なら合うかも知れない。
これらをすべて平らげ、再び席を立ち、もうひとつコックが作っていた麺料理を貰いに行く。 -
ここで作っているのは、ベトナム料理の代表的な麺であるフォーである。
ひとつはそのオーソドックスなフォーで牛肉を茹で具として入れた平たい米麺ものと、もうひとつはこれもフォーの代表的なものであろう茹でた鶏肉の入れた細い米麺(そうめんの様な麺)のフォー・ガーである。これからオーソドックスなフォーは食べる機会が多いだろうと思い、ここではフォー・ガーの方を作って貰う事にした。
そこでフォー・ガーを作って貰い、トッピングが並ぶが何も入れず、そのまま食べる事にした。それとデザートとして幾つかの果物を取り、席に戻る。
フォー・ガーは非常にあっさりとしたスープの麺である。
麺は少し頼りない感じの食感であったが、全体的には美味しい麺であった。私個人的には依然に食べたオーソドックスなフォーよりも好きである。
果物を食べ、パインジュースを飲み、最後に珈琲を貰い、食事を終える。時刻は7時15分頃になっていた。
部屋に戻り、出発の準備を整える。今回のベトナム旅行はどのホテルも豪華ホテルの予定であるが全て1泊のみである。今日も出発前にチェックアウトを行わなければならない。
今日の観光に必要な物のみをリュックに移し、あとは旅行カバンに詰める。準備が整い、身支度も済ませ、ソファで時間を潰す。
少し早いが、8時10分頃に部屋を出て、2階のフロント奥のソファに行く。
フロント奥のソファに荷物を置き、フロントを見ると、フロント前の椅子で携帯電話をかけている女性がいる。顔が見えないのでタヌンさんか確認が出来ない。
タヌンさんとの集合時間にはまだ15分以上あるので違うかも知れないので、ここで少し待つ事にしたが、その女性が椅子を立ち、フロントに移動した。
その際に顔が見えた。やはりタヌンさんである。
そこで私も荷物をソファに置いたままフロントに行く。
タヌンさんも私に気づいたが、携帯で話を続けている。どうも航空会社に電話をしている様である。
そう言えば、昨日別れ際に明日、Eチケットを見せて下さいと言っていた。それを思い出し、Eチケットを出し、タヌンさんに渡す。
タヌンさんが電話をしている間に私はホテルのチェックアウトを行う。
Eチケットの内容を確認しながら電話を続けていたが、暫らくするとその電話が終了し、Eチケットを私に返す。
タヌンさんが、『チェックアウトは済みましたか?』と聞かれたので、済んだ旨を伝え、ソファから荷物を運ぶ。そして、階段で1階に下り、ホテル玄関を出る。
まだ、フォンさんの運転する車は来ていない。暫らくここでタヌンさんと車を待つ。 -
<フエの観光開始!まずはフエの王宮見学>
その間に朝の散歩で見かけた世界遺産マークの建物について、タヌンさんに聞いてみる。
最初、タヌンさんもピンと来ない様であったが、場所などを詳しく説明すると、『ああ、それは皇太后の別荘です。』と言った。やはり、ベトナム最後の王朝に関わる建物であったので、世界遺産のマークが看板に付いていたのである。
その様な事を話していると、フォンさんの車が到着した。フォンさんが降りて来て、私の荷物を手早く、後の荷物台に乗せる。私とタヌンさんが乗り込むと車はホテル前の道を右手に進んだ。
ホテル前を出る時にタヌンさんが、ホテルの前に建つ建物の説明を行ってくれる。
散歩の時に気が付かなかったが、ホテル前の建物はベトナム最大の銀行の建物であった。今日は日曜日であるので、銀行も休みで建物を利用する人もいないので、その前は閑散としているが、平日は多くの人が出入りをしているそうだ。
ホテル前から道を右に進み、大きなロータリーのところで、左手に曲がる。
その道をひたすら真っ直ぐ進むと直ぐに橋に差し掛かる。この橋が架かる川がフエの街中を流れるフォーン川である。この川が雨季の時期に洪水を引き起こす川である。
その橋を渡る。橋の右手にも別の鉄橋の橋が見えている。
橋の先に城壁の様なものが見えて来た。
その城壁の様なところの隙間を抜け、更に進むと、今度は門が見えて来る。その門は車1台がやっと抜けられるくらいの幅しかない門である。この門はカン門と言う。
その門を車で抜けると、王宮の正門である午門が左手に見えて来た。また、このカン門を抜けたところの右手には大砲が4門並んでいる。
門を抜けた車は午門前の道に突き当り、その道を午門方向(左手)に曲がり、その午門を過ぎた辺りで停車する。そこでタヌンさんと私が車を降りる。8時30分過ぎである。
予定より出発時間が早かったので、ここでも少し早く到着した。
車を降りると、外はまだ朝早いが、既にかなり気温が上がっている。今日は本当に暑くなりそうである。こまめに水分を補給しないと脱水症状を起こしそうだ。
午門前は大きな広場になっており、その広場の先には“フラッグタワー”という建物がある。
この“フラッグタワー”は1809年のザーロン帝の時代に建てられた旗塔で、台座は三層式で高さが17.4mもある。建造当初は木製であったが、大嵐や戦争により、破壊され、現在あるものは1969年に建てられたもので鉄筋コンクリート製である。その旗塔には、何時でも国旗が掲げられていると言う。
午門前の道から内堀にかかる橋を渡り、午門前に行く。
この午門前で、タヌンさんが、この阮王朝についての説明を始める。
この阮王朝は、1802年~1945年にかけて存在したベトナム最後の王朝で、13人の皇帝が即位をした。この王朝の中で1887年~1945年3月10日の間はフランス領インドシナとしてフランスの植民地であった。
西山朝に敗れて滅亡した広南阮氏の生き残り阮福暎(ザーロン帝:1802~1820)が、フランスの支援を受けて西山朝を打倒してベトナムを統一して樹立した王朝で、都をこのフエに置いた。 -
そして、この午門は丁度、正午になると、この建物の真上に太陽が差し掛かる事から午門と呼ばれる様になったのである。正式な門の名前は、王宮門である。
この午門はミンマン帝(第2代皇帝:1820~1841)後期に創建され、カイディン帝期に再建された。高さは約17mで石畳上に2層式の中国風の楼閣を有する。3つの扉があり、この門の真ん中の扉は皇帝の専用の扉で、皇帝の外出時にしか、使用されなかった。
また、この扉のみ鳳凰が描かれている。
扉は開けられているが、現在もこの扉は通り抜けて王宮内に入る事は出来ない。
その左右の扉が臣下の通る扉である。現在、観光客はこの扉を抜けて、王宮内に入るのである。
また、午門は中国に倣った科挙の登用試験の合格発表や閲覧式など、宮廷の公式非公式な式典の舞台としても使われた。
その楼閣は五鳳楼の造りと成っており、屋根を見ると中央部分の屋根のみに黄色い瓦が敷かれ、その左右の両翼部の屋根には緑の瓦が敷かれている。これは中央の黄色い瓦の楼閣に皇帝が座し、その両翼部の楼閣に臣下が座した事を意味する。 -
そして、タヌンさんが、その皇帝の通る扉に向かう。
その扉や石畳、その壁には生々しく、弾痕が残る。
この弾痕はフランス軍との戦争の際に出来た弾痕で、その戦闘の激しさを物語る。この弾痕を補修する事なく、そのまま残しているのである。
その後、左手の扉から王宮内に入る。この門にも多くの弾痕が残る。
扉を抜け、王宮内に入ると、前には鳥居の様な門がある。この門は韓国で見た紅箭門に似ている。
そして、その奥に左右の池が配されている。池には丁度、綺麗に蓮の花が咲いている。 -
その門内に進むと思っていたが、午門沿いに左に進み、この午門の端から午門の楼閣に上る階段があった。その階段を上る。午門上の楼閣には多くの観光客がいた。
午門の楼閣内の左端から楼閣内に入る。その入口付近の柱は傾きかけているのか、鉄柱で補強が施されている。
また、その楼閣の左端内には、大きな太鼓が残されている。水牛の皮を張った太鼓である。 -
楼閣内の床は綺麗なタイルで覆われている。
このタイルはフランスから輸入されたタイルなのだと言う。綺麗な幾何学模様のタイルである。
楼閣内の中央の部屋の左隅には大きな記念碑らしきものが置かれ、右手の壁には当時の様子を描いた絵らしきものが展示されている。
その中央の部屋からの景色は絶景である。
午門前の広場やその後に建つフラッグタワーが良く見える。
この楼閣中央の外にもタイルがあるが、ここのタイルは楼閣内のタイルとは少し違う。タヌンさんに聞くと、『これはバッチャン焼のタイルです。』と言う。濃い山吹色のタイルである。
見れば、楼閣の欄干の上も瓦の様な陶器で覆われ、また、欄干の柱の間にも陶器の柱がはめ込まれている。これらもすべてバッチャン焼である。
この楼閣の中と外で、タイルの種類が違うのは、この王朝の歴史を物語っている。
元々は、楼閣内の床もバッチャン焼のタイルで覆われていたが、フランス植民地時代にフランスの意向に合わせ、楼閣内の床はフランス製のタイルに敷き変えたのである。 -
また、この中央の部屋にある記念碑らしきものは、王朝時代にあった登用試験に合格した人達の名前が記録されているものであった。この登用試験は中国の科挙に習い、行っていた試験である。
ベトナムの人はここに祖先の名前があれば、非常に光栄なのだと言う。
タヌンさんが、『この碑を良く見て下さい!この登用試験が行われた年代とその年に合格した人達が記されていますが、面白い事に気がつきませんか?』と言う。
そこで良くその碑をみると、確かに登用試験を行っている年代の間隔も一定していないし、その年に合格した人数もまちまちである。
1人の時もあれば、十数人の合格者を出している年もある。
この事はその時代の状況を鮮明に物語っている。この登用試験の間隔が短い程、国が不安定な時期で、優秀な人材を多く必要とした時代である。
その為に、皇帝は多くの合格者が出れば喜び、合格者が少なければ皇帝は残念がったと言う。
中国の科挙試験は4年に一度と決められていたと言うので、基本はこの4年間隔で登用試験を行っていたのである。
また、右手の壁に掲げられた絵はその登用試験の合格発表の様子を描いたものであると言う。
その絵では、この午門の中央のこの部屋で皇帝が椅子に座り、描かれている。左右には高官が並ぶ。また、この午門の前には登用試験に合格した人達が2列に並んでいる。
その後方には、試験に受からなかった人達が描かれ、またその人達の周りには試験を受けた人達の親族がその様子を見守る姿が描かれている。そして、絵の端には、この合格発表の様子を見守る民衆が描かれている。
また、午門横には、馬とこれまた役人達が並んでいる。この役人達は登用試験に受かった人達を故郷に送る際に随行する人達で、象は登用試験合格者の乗り物である。象は当時、皇帝の乗り物であったが、その象を用いて送る事は、登用試験の合格者が如何にすごかったが良く判る。
また、更に絵の横隅には大砲が描かれている。右に4門、左に5門が描かれている。これは中国の思想を入れたもので、右の4門は四季を表し、左の五門は五行思想が反映されており、超自然的な霊力が王宮を守護しているとされている。現在もこの大砲は、カン門を抜けた右手に4門の大砲が置かれていた。
左手の5門の大砲はここからは見えない。
この絵は、当時の登用試験の合格発表の様子を忠実に描かれているのである。
また、タヌンさんが、「この絵にはもうひとつ意味があります。この絵には7つのものが描かれていて、その7という数字がベトナムでは重要なのです。
ベトナムでは7という数字は縁起の良い数字なのです。」と言う。いわゆる“ラッキー7”である。
絵の中の7つのものとは、
①中央の皇帝、②その両脇の臣下、③午門下に並ぶ登用試験合格者、④合格発表を待つ試験者とその親族、⑤合格発表を見に来た聴衆、⑥合格者を故郷まで送る臣下と象や馬、⑦大砲である。
この絵の説明を聞き終えて、中央の部屋から右手の部屋に移る。 -
その部屋の中央には、鐘が置かれているが、撞く為の鐘ではない。なぜなら撞く場所がない。前面に装飾が施されている。飾り物の鐘である。
しかし、この楼閣は非常に傷みが激しく、もう少し専門家の修復が必要な場所が非常に多い様に感じる。今は簡易に崩壊(倒れない様に)を防いでいる程度の補修が施されているだけである。 -
この楼閣の右端の外の階段を下り、再び午門内中央に、先程の鳥居の様な門の前まで戻る。
ここで、タヌンさんからこの門の説明が行われる。
タヌンさんによると、『この門は日精門と言い、午門と同様に3つの入口に分かれています。真ん中が皇帝の入口、その両脇が臣下の入口です。』、更に『中央入口の両側の縦柱に注目して下さい。その柱には唐草文様と皇帝の象徴である龍が柱に彫刻されています。
その外の縦柱には唐草模様のみの彫刻です。また、中央の横柱の上には太陽を象った装飾が見えます。これも皇帝を象徴したものです。
そして、どの縦柱の上にも蓮の花の蕾を象った彫刻が施されています。これはこの阮王朝の歴代皇帝が仏教を深く信仰した事を表しています。』と言う。
なるほど、言われた様な彫刻などが、柱には見える。 -
両脇の入口を潜ろうとすると、タヌンさんが、『パンダ番長さんは、真ん中の皇帝の入口からお入り下さい!』と言う。そう進められたので、真ん中の皇帝専用の入口を潜る。
その門を潜ると、両側に四角く、囲まれた池がある。どちらの池も丁度、蓮の花が満開である。ピンク色の蓮の花が非常に綺麗だ。 -
更にこの池を過ぎるとまた、先程と同じ様に鳥居の様な門が現れ、その奥には、2段程高いところに宮殿が見える。これが太和殿である。初期の阮王朝は中国の清王朝の影響を受けており、この宮殿も北京にある紫禁城の縮小版になっている。
先程の午門が紫禁城での天安門(または午門)に当たり、その前の広場が天安門広場(または午門前の広場)に相当する。
短い階段の前まで来ると、左右に狛犬の石像がある。
しかし、日本の神社などの狛犬は“阿”、“運”の口の形をしているが、ここの狛犬は両方とも口を開けた“阿”のみである。なぜなのか? -
その短い階段を上り、一段高いところへ。その一段高いところには、整然と石畳が敷き詰められている。また、その左右の端には小さな碑の様なものが見える。
左手のその碑の様に見えるものの前まで行くと、これはこの前に臣下が整列する際の位による整列場所を示す目印であった。
同じものを5月の韓国旅行の際にソウルの昌徳宮の仁政殿前などで見かけた。 -
更に少し行くとまた短い階段が現れ、もう一段高いところに出る。この段に太和殿が建っている。
この太和殿は左手が入口となっている。
入る前にタヌンさんから、『この中はカメラ撮影禁止ですので、宜しくお願いします。』と言われる。
私が、『フラッシュを使用しなくてもダメなのですか?』と聞くと、『カメラやビデオ撮影が全面禁止です。』と言う。非常に残念である。
左端の入口から太和殿内に入る。中に入ると、思いの外広く、また天井が非常に高い!天井が高いと言うよりは、殿内に立つ柱がどれも天井付近まで達している。
また、この殿内の中央前に太和殿の文字が書かれた大額が掲げられている。一般に中国などでは、この殿外中央に掲げられている。これもベトナム風である。 -
中国を模して造ってはいるが、少し中国と違う。
柱は朱色を基調とした彩色が施されて、龍や仏教色を感じる図柄が施されている。
ここで、タヌンさんが、この柱について説明を行なう。「この太和殿の柱はすべて黒檀の木で、この宮殿を支える主柱は全て樹齢千年以上の木が使用されています。
また、この黒檀の木は当時阮王朝の重要な輸出品でありましたが、現在はその数も激減している事からベトナムから持ち出す事が禁止されています。この黒檀の木は非常に成長が遅い為に木目が詰まり、非常に硬い木となります。」と言う。
また、続けて太和殿についてタヌンさんが説明を始める。そのタヌンさんの説明をまとめると大体以下の様な内容である。
この太和殿には玉座が置かれ、即位式や外国使節の引見、元旦の朝賀など宮廷儀式の舞台となった宮殿である。「大朝の正殿」つまり王宮の正殿である。
柱間9間、2つの棟を連結する形で梁行き7間、ほぼ正方形の平面の平屋の建物になっている。
最高級の黒檀の木を使った80本に及ぶ朱塗りの柱には皇帝の象徴である金の龍が描かれ、玉座の天蓋には精巧な彫刻がなされている。大棟や降棟の上には漆喰とモザイクの色鮮やかな龍が載り、樋先にはガーゴイルならぬ怪魚の装飾が施されている。
前後の階段にもまた龍が彫られ、かつては皇帝専用を示すために丹に塗られていた。
殿前の大朝儀と呼ばれる拝庭には正一品から従九品までの官位の記された石碑が並び、朝儀の際には百官が各々その定められた位置に整列した。
この太和殿もまた午門と同じく北京の紫禁城のミニチュア版ではあるが、登り梁による二棟造りの屋根架構と木彫やモザイク・漆喰細工による華麗な装飾というベトナム中部独特の建築様式で造られている点も注目に値する。
フエの宮殿建築はみな太和殿と同様の構成を持つが、装飾天井には殿毎に様々な趣向が凝らされている。この太和殿は1804年(嘉隆三年)建造された。
この様な説明を太和殿中央にある玉座の前で話を聞いていた。
玉座は北京の紫禁城などのものとは少し違い、かなり質素な感じである。
そこから太和殿内の右側を通り、裏に抜けるが、その途中に無造作に床に黒く変色した様な柱が横たわっている。この太和殿修復の際に交換した柱なのか、一部が黒く焼け焦げている。
タヌンさんが、「この木が黒檀の木で、この太和殿に使用されていた柱のひとつです。」と言う。また、触ってみる様に促され、触ると確かに非常に硬い、感触は鉄の柱の様な感触である。
柱の切口のところを見ても年輪らしきものは黒く変色している事もあるが、全く見えない。
そこから、この太和殿の裏の部屋に入ると、その入口の横には近代的な薄型の大きなテレビ(ディスプレイ?)が置かれ、何かの映象が流れている。奥を見ると、反対側の同じ様な場所にもテレビが置かれている。そのテレビ下にはLGの文字が大きく記されているので、LG(韓国の大手家電メーカー)の宣伝用ものなのかも知れないが、少し興ざめする様なものでもある。
また、その部屋の中央には透明なケースに覆われた大きなこの王宮の模型が置かれている。
その模型の前には多くの観光客がその模型を覗き込む様に見ている。
我々もその前まで行き、ここで再びタヌンさんから説明が始まる。
「この模型は、この王宮の最盛期の様子を再現したものです。この王宮の最盛期には、東西 642m、南北568mの敷地内に大小合わせて、400近い建物がひしめき合う様に建てられていました。
しかし、火災や戦争などで、現在残っている建物は修復されたものも含め、72です。」と言う。
しかし、現在もまだ修復が続いており、これからも再現される建物は増える可能性がある。日本もこのフエの王宮の修復には非常に貢献しているとタヌンさんが言っていた。
それから、この裏手から太和殿を出る。
太和殿の裏手は広場の様になっていて、正面には金色の大きな龍の像の様なものが見える。
この広場に進む。 -
現在は広場になっているが、最盛期にはこの辺りにも多くの建物があったのであろう。
その事を証明するかの様にタヌンさんが歩きながら、「正面奥に見えている壁のところにも太和殿の様な宮殿が建っていましたが、戦争の際に焼けてしまったのです。」と言う。
また、正面に見えている龍の像の様なものについて、「この龍の像は最近置かれたもので、当時の皇帝が愛用していた印鑑をモチーフにしたモニュメントの様なものです。
但し、当時の印鑑は象牙で出来ていたので、この様な金色はしていません。」と説明をしてくれた。様は印鑑の彫刻部分を強調したモニュメントである。
私が、「その皇帝の印鑑はここに展示されているのですか?」と尋ねると、「いいえ!ここには展示されていません。別の博物館に展示されています。」と言う。
旅行日程では、フエで博物館に立寄る日程ではないので、それを見る事は出来ない様である。あとで調べるとフエ宮廷美術博物館なるものが、この宮殿の東側にある。
その龍の像の右手に回廊がある。その回廊に進む。この回廊は最近再現されたものらしく、非常に新しい。タヌンさんに聞くとやはり最近修復されたとの事である。材料は紫檀の木が使われている。
太和殿内のものに比べ、装飾などは殆ど施されていない。
その回廊の先にはこれも一部が修復された建物がある。これが右廡という建物である。王宮の迎賓館である。この迎賓館はもうひとつ反対側に左廡がある。
ここで外国の賓客を迎えてはパーティが開かれていたのである。今は、売店や展示室になっている。
この右廡の中に入ると、少し暗い。天井が高いせいか?
中の展示物は当時使用された生活用品などや当時の写真などが展示されているが、重要なものはここには展示されていない。重要なものは先程書いたフエ宮廷美術博物館に展示されているのである。
出口付近には多くの写真が展示されているが、皇帝の写真などはなく、皇太子や当時駐在していたフランス高官などの写真などである。また、天井などの一部がすすけている。ここも火災で一部が焼けたのである。
出口を出た正面には、反対側に対を成す様に左廡がある。
この左廡には今、当時の服装を着て記念撮影を行う施設があるのだそうだ。時刻は9時10分過ぎである。ここから更に宮殿の奥に行くのかと思ったら、再び太和殿の方にタヌンさんが戻り始める。 -
再び、太和殿内を通り、入口から出る。そして、ゆっくりと午門に向かう。
それにしてもこの時間になると更に暑くなって来た。
午門を抜ける時は、左端のトンネルの様な通路から出る。あまりの暑さからか、この出口通路にいる係員の男性が寝ている。
午門を抜け、道路脇で車を待つ。この午門前の道は駐停車禁止らしく、警官が止まる車に注意をしている。何台かの車が停車している後に我々の乗る車が止まる。素早く、私とタヌンさんが乗り込み、直ぐに出発する。
ここでタヌンさんが、「ここは駐停車禁止で、2分も停車していると違反で捕まるんです。何時も警官が見廻りをしています。」と言う。
確かに我々の前に止まっている車に注意をしている。時刻は9時25分である。
ほぼ1時間弱の阮王朝王宮の見学であった。もう少し広範囲に見たかったが、次の予定もあるので仕方がない。
次はこのフエの最も有名なお寺のティエンムー寺である。午門前からフォーン川沿いに車は走る。 -
<フエの有名な天姥のお寺~ティエンムー寺~>
その間も右手には宮殿の外堀と宮殿の塀が見えている。
少し走ると、その塀内に新しい家が見えて来る。
そこでタヌンさんに私が、「王宮の敷地内に民家があるのですか?」と尋ねると、「基本的には民家はありませんが、当時から高官の一部は王宮内で生活をしていましたので、その子孫の方々の家がある可能性はあります。」と言う。見えていた家はその様な家なのであろうか?
城壁が曲がり、方向を変えた辺りで、前方に踏切が見えて来た。列車の線路である。
線路は単線で、踏切には踏切番の男性が大きな手振り旗を持って立っている。
その踏切を過ぎると、景色が少し変る。フォーン川沿いの岸辺は今工事がところどころで行われている。
タヌンさんが、「この岸辺は現在公園に整備をしています。もう数年すれば、その整備も終わり、綺麗な公園になります。」と言う。
フォーン川には遊覧船の様な船も見える。また、桟橋の様な場所も見えている。
それから少し走ると、大きな川沿いの道から離れ、その道に並行して走る道に入り、少しずつ丘を上る。
その右手には新しい家が建っている。建造中のものもある。この辺りは新興住宅地なのである。
その先に店が並ぶ一角が現れ、道が細くなり、ほぼ行き止まりになっている。その前で車が止まる。
そこで車を降りるとその前に階段があり、その奥に聳え立つ塔が見える。
ここがティエンムー寺(天姥寺)である。そして、見えている塔がここで最も有名な建物であるトゥニャン塔(慈悲の塔)である。
階段の脇には石碑の様な塔が階段両側に立っている。
その階段を上り、左手に進む。ここからの眺めは絶景である。フォーン川が一望出来る。一番良い時間は夕日が沈む時間帯で、フォーン川の対岸奥に見えている山々に沈む夕日は非常に美しい光景であると言う。 -
ここでタヌンさんから、このティエンムー寺の説明が始まる。説明は以下の様な内容であった。
この寺院は1601年に創建された寺院で、伝説によれば昔、この丘に毎晩現われる不思議な老女がいた。その老女は、若く見える顔つきながら、白髪と白い眉で赤い服と緑のズボンをはいて、この丘の上に座っていた。彼女は地元の人達に、「間もなくここに支配者がやって来て、国家の繁栄のために、この丘の上に仏寺を建てるだろう。」と予言し、どこへともなく消えていった。
そして、その老女こそが天女であったと言う。それを伝え聞いた初代阮朝のザローン帝が、早速寺と言う寺院を建立したと言われている。
以来この寺は歴代の阮朝の皇帝により修築増築を繰り返えされて現在に至る。その為にこの寺院は別名が“天女の寺”とも言われている。
この寺院で最も有名な建物が、フォーン川に乗り出す様に建つ七層八角形のトゥニャン塔である。
このトゥニャン塔はフエのシンボル的な塔で、各層には仏像が安置されている。このトゥニャン塔は「幸福と天の恵み」を意味している。
寺院の中心的な建物はダイフン寺と言い、釈迦を祀っている。
ここの青銅の仏像はタイソン党を破り、ザーロン帝を助けたポルトガル人のジーン・デ・ラ・クロイスによって造られた物であると言う。 -
この様な説明が済み、境内を進むとトゥニャン塔の前に記念碑を保護する様にお堂があり、その横にこれも大きな鐘を保護する様に鐘堂がある。記念碑にはこの寺院の歴史が漢字で記されている。
その横の鐘は約2トンもあり、現在も大晦日には除夜の鐘として撞かれるそうだ。
その前を過ぎ、トゥニャン塔の横に至る。塔の下には地元の観光客が丁度、塔の下の大きな木々の木陰で休憩を取っている。陽射しが強いのと、暑いので、木陰に居ないと日射病や熱中症にでもなりそうである。
それにしても高い塔である約21mもある。近づくと首が痛くなるほど見上げなくてはならない。少し離れて見る方が綺麗に見える。近くで見ると塔はレンガを積み上げて造られているのが判る。
その塔の横を抜けると、寺院の門に至る。その門は比較的新しい様に見える。門には仁王の像が壁に浮き彫りで描かれているというか、半分像が壁に埋まった様になっている。 -
その門を入ると、大きな中庭に出る。門から左右の回廊が延び、その左右には、仏像が並ぶ。何の仏像かは判らないが、武将像の様な仏像である。左右に3体ずつ置かれている。
門から中庭の中央の石畳の道を通り、このテゥエンムー寺の本殿であるタイソン寺に向かう。
この本殿には先程も書いたが、青銅のお釈迦様が祀られている。本殿には入らず、外から本殿内を覗く。少し暗い本殿内中央に釈迦像が見えている。 -
本殿左手から更に奥に進むと、本殿左横に噴水を配した池があり、その奥にも建物がある。その建物でまず目に付くのは、錆付いた古い水色の車である。
タヌンさんによると、ベトナム戦争中に当時のサイゴン政府(アメリカ指導下の)による仏教弾圧に抗議し、ここの住職がサイゴン(今のホーチミン)で焼身自殺した。その際に住職がサイゴンまで乗って行った車だと言う。車はイギリスの自動車でオースチンである。
そして、本殿の裏の庭に行くと、多くの大きな盆栽が置かれている。ベトナムでもこれは盆栽と言うそうだ、日本語がそのまま使われている。
その盆栽の庭の奥にも建物が見えるが、ここでもこの庭までで引き返す様である。この庭を本殿沿いに横切り、本殿横にある門から境内を出る。 -
そして寺院沿いの下り坂を下りる。その途中には大きなピーコックフラワーの木々が赤い(またはオレンジ色か?)花を付けている。この花は丁度花弁が、孔雀が羽を広げた様な形をしている事から名前が付けられている。花が高いところに咲いているので、その形を肉眼では確認できないが?
ここでタヌンさんが、「この木は日本にありませんか?」と聞く。
私が、「こんな木を見たのは初めてですので、日本にはないと思います。」と答えた。当然、南国の木々であるので、沖縄辺りには生育するのかも知れないが?
坂を下り終えると、寺院前の店が並ぶ一画に出る。その道を渡ったところで車を待つ。時刻は丁度、10時である。ここにも30分程しか居なかった。
少しすると車が到着し、乗り込む。再び、フォーン川沿いに先程来た道を戻る。次は歴代皇帝の廟である。まずは第4代皇帝のトゥドゥック帝の廟である。 -
踏切を過ぎると、再び王宮の塀が見えて来る。その外堀とフォーン川の間の道を進み、カン門前を過ぎ、今朝渡って来た橋を渡る。そして、橋を渡ると今度は右手の道を曲がる。
ここから街を外れ、郊外に車は向かう。
暫く郊外を行くと、丘陵地帯に変る。時折、道端に店が見える。
何を売っているのかと身を乗り出して、前方を見ているとタヌンさんが、「線香を作って売っているのです。」と教えてくれる。
見るとまだ作る途中のものも置かれている。置かれている線香は赤、黄、緑、紫など彩り取りで、まるで花火の様である。 -
<阮朝第4代皇帝~トゥドゥック帝廟~>
ティエンムー寺を出て、15分程でトゥドゥック帝廟の入口門に到着した。その前にも多くの店が並ぶ。
殆どが土産物屋である。その店前で車を降りる。そして廟の入口門前でタヌンさんの入場手続きを待つ。
手続きを終えたタヌンさんが戻り、一緒に入口門を入る。 -
入口門を入ると廟内は一段低い!この辺りの丘陵地形を有効に利用した造りになっている。
少し歩くと、右手に池が見えて来る。その池の中に小島がある。
池を囲む塀沿いに道が造られている。その道を進む。池沿いの道を200m程歩くと、池に迫り出す形で舟着場の様な建物があり、その後には階段が見える。また、その舟着場の様な建物の更に奥にも池に迫り出す様に建物が造られている。
この舟着場の様な建物は愈謙榭という。この愈謙榭には現在は入れない。
今にも崩れそうな建物で、支柱で何とか建っている感じである。しかし、タヌンさんによると少し前までは、この中にも入れたそうだ。また、奥に見える池に迫り出す建物は釣り殿と言われている。
その舟着場の様な手前の建物近くの木陰でタヌンさんが、このトゥドゥック帝廟について説明を始める。
「阮朝の歴代皇帝の殆どが生前から自分で自分の陵墓を建設しました。トゥドゥック帝は第4代皇帝で、この皇帝も1864年からの約3年間でこの廟を建設しました。この池も人口的な池で、この池を掘った際の土砂を盛って造ったのが、池の中の小島です。
建設当時、この小島には数々の動物が放し飼いで飼われていた。所謂、動物園の様なものだったそうです。そして、皇帝はこの池に舟を浮かべ、遊んだそうです。」と言う。 -
更に続ける。「この廟は他の廟とは大きく違います。他の廟に比べ、非常に質素に造られています。」と言う。
そして、階段の前まで移動し、再び説明を始める。「この階段を見て下さい!太和殿などの前の階段の様に皇帝の通る道と臣下の通る道が分けられていません。」と言う。
「トゥドゥック帝は平等と平和を愛した皇帝なのです。」と付け加える。そして階段を上る。 -
階段を上ると2階建ての門がある。この門が謙宮門である。この門は中央が皇帝の扉で、この扉は、さすがに開いていない。その左右の扉から門内に入る。
門を抜けると広い中庭に出て、中央に石畳の道があり、またその道の中央に鼎が置かれている。その先に宮殿が見える。この宮殿が和謙殿と言う。
ここでタヌンさんが、「気が付づかれたかも知れませんが、トゥドゥック帝はこの“謙”という字が非常に好きで良く建物に使われています。この“謙”は“慎む”と言う意味です。」と言う。
つまり、トゥドゥック帝は非常に質素倹約を旨としていた皇帝なのである。
この和謙殿内に左手から入ると、殿内もその質素な感じが伝わる。殿内の柱は阮朝王宮の太和殿と同じ黒檀が使用されてはいるが、装飾は全然施されていない。朱色さえも塗られていない。こういうところに“謙”の文字の意味が表れている。
この廟内の宮殿は、この皇帝の生前に完成した事もあり、トゥドゥック帝はこの宮殿で過ごす事が非常に多かったと言う。
このトゥドゥック帝について、ここでタヌンさんが更に詳しく説明をしてくれる。
「トゥドゥック帝は幼少の頃に水疱瘡に罹り、非常に病弱な皇帝で、101人の后妃がいましたが、子供が生まれなかったのです。また、この皇帝の時代にフランスの植民地化が進み始めました。その為に平和を愛し、健康を愛した皇帝であったのです。また、他の皇帝に比べ、質素倹約を旨とし、多くの施設でその様子が伺えます。」と言う。
この和謙殿は、当時その皇帝と王妃が生活をした場所で、現在はその皇帝と王妃の位牌が祀られている。
そしてタヌンさんが、「このトゥドゥック帝廟の奥には石棺などもあるのでお墓はここにあると言われているのですが、未だにどこに埋葬されたのか判っていません。
遺跡復元などの外国の協力者などが、近代的な機械で調査を行う事を推奨していますが、ベトナム政府がこれを許可していないのです。」と言う。
その様な話をしながら、この和謙殿を抜ける。 -
更に奥に進むと、同じ様な中庭があり、その奥に先程の和謙殿と同じ様な宮殿がまた建っている。
この建物が鳴謙殿である。ここは当時、皇帝の寝所として使用されていた。今は皇太后の位牌が祀られている。中の造りや装飾などは和謙殿とほぼ同じである。
また、その建物の右手に離れの様な部屋がある。その部屋は皇帝が劇や音楽を観賞する為の部屋で、皇帝の玉座の前が広間になり、玉座に対面する壁が中2階の舞台になっている。
現在この部屋では、皇帝の衣装を着て、この玉座に座り、記念撮影が出来る様になっている。
丁度、観光客が皇帝の衣装で玉座に座り、記念撮影を行っていた。勿論これは有料であるらしい。
また、10名以上の観光客が集まり、希望があれば、当時の宮廷音楽保存会の楽団がここの舞台で演奏を行ってくれると言う。
しかし、この楽団の演奏には多額の料金がかかる為に今は殆ど行われていないそうだ。
その部屋から再び中庭に出ると、この中庭にも多くの盆栽が置かれている。ベトナム人は思いの外、盆栽好きなのか? -
和謙殿を抜け、再び謙宮門まで戻る。この謙宮門の上にも望楼があり、ここから池方向の眺めは絶景であろうと思うが、望楼には上れない。
階段を下り、更に釣り殿の方に行くのかと思ったが、ここもこれで終了の様で入口に向かい、タヌンさんが歩き出す。このまだ奥に皇帝のお墓があるのだが、そこには行かないのである。少し残念である。時刻は10時50分前である。
ここにも30分程居ただけであるが、暑いせいか、もう汗だくである。
入口門まで戻り、そこで暫く車がくるのを待つ。程なく車が我々の前に到着し、乗り込む。
車の中は軽く冷房が効いていて、汗が徐々に引いて行く。午前の観光はこれで終了し、これからこの近くのレストランに向かうそうだ。
この丘陵地帯の道は迷路の様になっているのか、走っている方向がまるで判らない。とにかく真直ぐな道が殆どない。10分程走り、郊外の店が何軒か並ぶ一画のレストラン前で車が止まる。 -
<フエ料理の昼食>
とにかく暑いので、少しでも涼しい場所に入れるのは嬉しいと思い、車を降りたが、残念な事に昼食のレストランはオープンレストランで殆ど店内は冷房が効いていない。
天井が高い店内は各所に扇風機が設置され、席に向けて風を送れる様になっている。その扇風機だけでも日陰の店内では涼しい。レストランの名前は“La Ghong”である。 -
店内にはお客は誰もいない。私が最初の客である。店の奥中央のテーブルに案内され、そこに座る。
タヌンさんから今日の昼食は、フエ料理のコース料理で、そのメニューを見せられる。
そして、そのメニューを基に料理の説明を受ける。コース料理は以下の料理である。
<平成23年6月26日(日)の昼食:La Ghong>
①ボンバーフエ(牛肉などの具の入った米麺)
②揚げ春巻(小さな春巻を揚げたもの)
③ホワイトローズ(もち米粉で作った薄い餃子皮状のものを蒸して干し海老を乗せた物)
④温野菜
⑤ベトナム風木綿豆腐
⑥豚肉の焼き肉
⑦ベトナム風チャーハン(蓮の実入りチャーハン)
⑧デザート(ベトナム風葛餅)
その説明の後、飲物を聞かれる。飲物のメニューを貰い、その中からすいかジュースを注文する。
これでタヌンさんが、『ゆっくり食事をして下さい!』と言い、席を離れる。
その後、暫らくするとすいかジュースと最初の料理のボンバーフエが運ばれてくる。
このボンバーフエは名前の通り、このフエの名物料理である。料理は軽く湯通しした牛肉と香草などの野菜が入った麺類で、ベトナムの代表的な麺類であるフォーの様な平打ち麺ではなく、日本のそうめんの様な細麺である。麺は米麺である。
次に小さな揚げた春巻が出て来た。中の具は中華などの春巻とは違い、茸の子などはなく、人参や香草などの野菜がメインであった。その為に少し味も中華春巻とは違う。
そして、小さな皿に白い薄い餅の様なものが運ばれて来た。これはフエの名物料理というよりはホイアン名物のホワイトローズである。食べると本当に薄いお餅の様な食感で、少し甘みがある。少し醤油を垂らし、食べると丁度良い。
その後、続けて料理が出て来て、テーブルが料理で一杯になる。 -
その料理を少し食べ始めるといきなり店内が停電になる。店内の照明や扇風機が消える。それでも誰も店の人が来ない。扇風機が消えたせいか、暑くなって来た。
暫らく暗い中で食事を続けていると、店内の照明が消えているのに店員がやっと気が付いた様で、慌てて復旧を行っていた。
その後暫らくすると、照明も扇風機も復旧したが、数分でまた消えてしまう。
ここで店員が私の席に謝りに来た。
その後、5分程消えたまま、食事を行っていたが、結局店内の照明は復旧せず、扇風機だけが何とか復旧して点いた。扇風機だけで十分である。
この停電で、暑くなったせいで、すいかジュースを飲みほしてしまい、店員を呼んで再び飲物メニューを貰い、何か飲物を注文する事にした。私が考えていると、店員が片言の日本語でマンゴージュースを推奨するので、そのマンゴージュースを注文した。
料理は温野菜、ベトナム風豆腐、豚肉の焼き肉、ベトナム風チャーハンなどを食べてみたが、ベトナム風豆腐は少し固めの木綿豆腐の様なもので、醤油を付けて食べる。
また、ベトナム風チャーハンには蓮の実が入っている。この蓮の実を食べると少し甘みがあり、栗の様な食感である。
あとで聞いたが、この蓮の実はベトナムでは高級食材なのだそうだ。
マンゴージュースが来て飲むと、さすがに店員が進める様に非常に甘みが強く美味しい。いっきに飲み干し、デザートが来るのを待つ。
デザートを持った店員が現れ、『美味しかったですか?』と日本語で聞いて来る。私が、『美味しかった!』と言うと満足そうな顔で、戻って行った。
デザートは葛餅の様な饅頭で、中にあずき餡の入ったものであった。
それを食べ終わり、暫らくお茶を飲んでいると、立て続けに客が店に入って来た。
最初に入って来たのは日本人のOL風女性、そして年配に夫婦、それと私より少し年配の男性の2人組で、全員が日本人である。各々ガイドと共に店に現れ、バラバラの席に着く。
最初に入って来たOL風女性は、ガイドとは日本語で話していたが、ガイドがテーブルを離れ、店員だけになると、何と店員とベトナム語で流暢に話をしている。その後も料理などが来ると何やら店員と話をしていた。
その様な店内の様子を眺めていると、店員が飲物の精算に来た。私はすいかジュースとマンゴージュースと注文したので料金は合計で130,000ドン(約570円)である。
私がお茶を飲んでいると、タヌンさんが現れた。「食事はどうでしたか?量は満足いくものでしたか?」と聞く。「美味しく、量も十分でした。」と私が答える。
時刻は丁度12時である。これでタヌンさんと一緒に店を出る。車は店横の駐車場に止まっていた。そこで車に乗り込む。これから午後の観光開始である。
車で再び丘陵地帯の道を走る。再び、迷路の様な道を走り、その内に山間の道に入る。その道を上り始め、左手に曲がったところで車が停車する。
ここが、午後の観光目的地であるカイディン帝廟である。昼食場所から車で15分程であった。 -
<阮朝第12代皇帝~カイディン帝廟~>
タヌンさんが車を降り、何かをカバンから出している。見るとサングラスと肘部分まである手袋である。
午後になり、更に陽射しが強くなって来た。それを身に付け、廟の階段前を横切り、入場手続き場所まで移動する。確かにこの廟内には木陰が殆ど見えない。
入場手続きは、その階段の右端に日除けの大きなパラソルが置かれたところである。
数人の男性がそのパラソルの下で気怠そうに椅子に座っている。その1人が入場手続きを行うもこれも気怠そうに行っている。
その入場手続きが終わり、タヌンさんと前の階段をゆっくりと上る。 -
タヌンさんが、「この廟は非常に階段が多いのでゆっくりと上りましょう!」と言う。
この階段の中央部分は龍の装飾で皇帝の階段部分は左右と区切られているが、その左右の端にも同じ様な装飾が施されている。
その装飾を良く見ると、表面が剥げているところがある。どうもセメントの様なものでその装飾は出来ている様である。今迄の宮殿や廟では石を彫刻したものが多かったが、ここは違う様である。
この階段の上り切ると一段目の広場に出る。この階段を上り切ったところに王宮で見た日精門に似た門がこれもセメントで造られている。真ん中付近には龍の装飾が見える。
二段目の広場に出ると、そこの両脇には石像が並んでいる。当時の武官や文官、そして馬や象などである。これらも石像と書いたが、どうもセメントで造られている様に見える。 -
また、その奥には西洋風の尖塔が建っている。そして中央には八角二層の建物が建っている。その中には石碑が見える。これはカイディン帝の功績を讃えた碑文である。
陽射しを避け、この建物の中に入り、ここでタヌンさんが、このカイディン帝廟についての説明を始める。
このカイディン帝廟も他の帝廟と同じく、皇帝の生前の1920年からこの廟を造り始めたもので、この場所もカイディン帝が自分の帝廟地を探していた中で、偶々この近くに狩りに来た時にこの場所が気に入り、この場所に帝廟を建てる事を決めた。
結局、この帝廟が出来上がったのは、カイディン帝の死後6年経過した1931年で、12年かけて造られた。
しかし、この場所には中国支配の時代からのお墓があったが、そのお墓を移してまで、ここに帝廟を造り始めた。
他の帝廟は石で造られているが、この帝廟は石だけではなく、当時の建築で使われ始めたセメントなどもふんだんに使用されている。また、西洋風の建築様式を随所に取り入れ、芸術性を高めている為、他の帝廟とは異なった趣がある。
この様な説明を終え、この八角二層の建物を出て、更に上への階段を上る。
その階段脇にも大きな蝋燭台の様な装飾が見える。そして上の段の広場の奥に宮殿が建っている。
宮殿の正面屋根には、皇帝の象徴である龍や蓮の蕾の装飾が見える。 -
宮殿正面には両側に龍の装飾が施された階段があるが、ここからは上れない。宮殿右手の階段から上がり、宮殿内に入る。
宮殿に入った最初の部屋には、掛け軸の様に壁一面にタイルやガラスで山水画の様な装飾が施されている。それらを良く見ると、タイルと思っていたのは、陶器のかけらである。
ここでまた、タヌンさんが説明を始める。
「カイディン帝は何かに付け、外国の物が好きでした。その為にタイルや陶器、ガラス、大理石まで外国から輸入をして、この帝廟を完成させました。勿論、ここで使われているセメントなどもフランスから輸入したものである。」
そして、壁際に行き、タヌンさんが、その装飾を近くで見る様に薦める。 -
その装飾を見ると、ガラスは何かの欠片の様である。
タヌンさんが、「何の欠片か判りますか?」と言うが、何なのか判らないので私が首を傾げていると、「これは麦酒瓶の欠片です。それも日本の麦酒瓶の欠片ですよ。良く見て下さい。ここにサクラビールと書かれた部分が見えます。こちらにはキリンの文字が見えます。」と指差しながら説明をしてくれる。
タヌンさんが指差すところを見ると、確かに言われた文字が見える。
その他の部分も陶器やガラスの欠片を用いて絵に仕上げている。同じ様なものは、タイのバンコクの曙寺院の塔の装飾でも見た。前室の天井は全面龍の絵で覆われている。
宮殿の前室の壁一面にこの様な絵で埋め尽くされている。その奥の部屋の中央には金色に輝く皇帝が椅子に座った皇帝像が見える。その部屋に行くと、三段高い台の上にその像がある。
しかし、部屋を良く見ると、黄金の皇帝よりもその上の天上部分の装飾や柱の装飾がまた豪華である。同じ様に皇帝が座る椅子の台座も細かな装飾が各面に施されている。
ここでまたタヌンさんが、この皇帝の説明を始まる。 -
『カイディン帝は第12代の皇帝で、非常にハイカラな皇帝でありました。また、先程から見て頂いたものからも判る様に外国の物が非常に好きで、国内にあるものでも海外から品物を取り寄せるものが、非常に多く、その為に非常に国費を浪費した皇帝です。
特に陶器などは当時からベトナムのバッチャン焼が有名でしたが、それを使用せず、中国や日本からわざわざ取り寄せたのです。また、この皇帝はホモであったと言われています。
その為に第13代皇帝はこの皇帝の子供かどうか疑われています。』と言う。続けて『今見えている椅子に座った像の下がお墓で、この下に棺桶が埋葬されています。』
ここは写真がOKとの事で、その像を写真に収める。
しかし、タヌンさんの口から“ホモ”という日本語が出るとは思わなかった。
どこでその様な言葉を憶えたのだろう?その事については聞かなかったが、多分その言葉は日本の観光客が教えたものと推測出来る。その前までは“バイセクシャル”とでも説明をしていたのであろう。再び、前室に戻り、その奥の左の部屋に向かう。 -
その部屋の壁も先程の部屋と同様に陶器やガラスで絵が描かれ、その部屋の中央には小さな皇帝の銅像がある。軍服姿にカイディン帝である。
タヌンさんが、『この像は等身大の像です。』と言う。「等身大ですか?」と私が言うと、『そうです。カイディン帝は非常に小さかったのです。』と言う。
本当に小さく、150cmくらいしかないのでは?と感じる像である。しかし、フランス軍の軍服なのか、外国の軍服姿である。胸には勲章らしきものが幾つか付いている。その奥にもこちら側には小さな部屋があり、そこには皇帝が使用した生活用品などが展示されている。
食器類や椅子、時計などが見える。椅子などは皇帝が小さなかった為に少し小さな椅子である。
時計は西洋風のからくり時計で、高級そうな時計である。食器類もすべて外国製である。
タヌンさんが、『このカイディン帝はベトナム人にはあまり人気がない皇帝です。この皇帝の時代に国が傾きかけたので、あまり尊敬されていません。』と言う。
この皇帝の葬儀の際の写真なども多く飾られているが、写っている人の多くが、当時の占領国であるフランス人である。その写真のひとつに、この宮殿前の写真がある。 -
その写真で、タヌンさんが、『ベトナムの皇帝はすべて仏教徒ですが、この廟には可笑しな事に十字架も装飾で使用されています。』と言い、宮殿前の階段脇のある蝋燭台の様に見えていたものを指す。
これは十字架をモチーフにしたものだったのだ。確かに言われて見れば十字架に見える。
写真はモノクロであるが、その十字架は白く写っている。建築当時は白かった様である。これもやはりセメントで造られていたのである。今は、汚れて黒くなっている。
その後、入口から宮殿を出て、上って来た反対側から下りる。廟内は左右対称に造られているので、上って来た右側とほぼ同じものが左側にも並んでいる。
この廟内は日陰が少なく、歩くだけで汗が噴出す。左側を通り、廟内の階段を下りる。
暑い中やっと、入口に戻り、このカイディン帝をあとにする。 -
<フエ~ランコー村休憩所及び休憩所での買物>
車がカイディン帝前に到着するまで、その前の木陰で体を休める。暫くすると、車が到着し、それに乗り込む。まだ、車内は冷房が効いておらず、汗が引くには時間がかかりそうだ。
タヌンさんが、「これでフエとはお別れです。これからホイアンに向かいます。ここから4時間近くかかります。」と告げる。その間、疲れていれば寝るであろう。
山間の道を戻り、再び丘陵地帯の道までは戻ったが、そこからフエの街までは戻る事なく、郊外の道をまずはダナンに向けて走り始める。時刻は13時前である。
ここから暫くの間は郊外の道を走る。景色はカンボジアに行った時と非常に似ている。郊外に出ると道の両脇には大きな田園地帯が広がる。また、ところどころには蓮の畑も見えている。
畑などもその合間に見えるが、何の作物が作られているのかまで判らない。
それにしても郊外の比較的見通しの良い道に出ても、運転手のフォンさんは、スピードを出す事がない。殆ど、丘陵地帯を走る速度と変らず、時速60kmを越える事がない。
大体、40~50kmで走っている。前後の車も同じ様に走っている。
我々の車を追い抜く車もない。
偶に大きなトラックなどが前方に現れるとそれを抜く為に加速はするが、そのトラックを抜くと再び40~50kmに戻る。
しかし、これもバイクが多いせいか?車と平行する様にバイクが走っている事が多く、非常に危ない感じである。郊外の景色も変り、比較的大きな道に出る。
この道がダナンに繋がる道の様で、この道から他の道に逸れる事がなかった。
走り始めてから既に1時間近くが経過しているが、時折道の両側に広い田園地帯が見えて来るだけで -
景色はあまり変らない。その内、右手に線路が見えて来る。
タヌンさんに聞くと、この線路はホーチミンまで続く線路であると言う。しかし、前にも書いたが、電車ではなく、未だに列車なのだ。しかも殆どが夜行列車なのだそうだ。その線路沿いに道が続く。
その内道は山間に差し掛かる。ゆっくりと坂道を上り始める。暫く走ると峠に達し、山間を抜ける。
そして、またゆっくりと今度は坂を下り始める。少し下ると視界が開ける。
左手には、南シナ海の海が見えて来る。そして右手には、大きな湖らしきものが見えて来た。 -
その湖の湖岸沿いには、養殖施設であろうか、大きな四角い池が並ぶ。
ここでタヌンさんが、「ここは湖ではなく、海が陸地に入り込んだ入り江の様なところですが、淡水の水が混ざった汽水域なのです。しかし、長い砂洲で海の部分が狭まっているのです。」と言う。
その坂を下ったところで小さな村に差し掛かる。
ここでタヌンさんが、「この村で休憩を取ります。休憩場所はもう直ぐです。」と言う。
この村はランコー村と言うところで、ベトナムでも有名な観光地である。美しい砂洲が広がるビーチが人気なのだそうだ。大きな砂洲で陸地の様である。
ヤシの木々が生い茂る村の中を暫く車は走る。するといきなり車は道を離れ、路地に入る。車一台がやっと走れる路地を抜けると湖岸沿いの大きな駐車場に出る。時刻は14時30分である。
この駐車場に車を止め、車を降りると駐車場の前にはレストランがある。このレストランで休憩するのである。まず、ここでトイレを借りる事にし、そのレストランの奥に行く。
レストランの奥は土産物店になっている。トイレを借りて、出て来ると、その土産物店でタヌンさんが、土産物を見ている。
タヌンさんに合流し、土産物を見る。土産物はこの汽水湖で採れる天然の淡水真珠のネックレスなどのアクセサリー類が並んでいる。店の人3人にこの真珠を勧められる。
真珠を採る貝なども見せてくれ、熱心に勧められる。非常に大きな真珠であるが、やはり天然物である為か、全てが真球状のものではなく、少し形が歪なものもある。
店の人が本物の真珠である事を証明する為に、ネックレスそのものをショーケースから取り出して、ライターの火で真珠を焙る。しかし、本物であるので、真珠は何の変化も示さない。
代表的な大きさの真珠のネックレスを見せて貰う。色も白、ピンク、黒などを出して来る。
因みに値段を聞くと、やはりベトナムと言っても真珠である。かなりの高額である。
しかし、非常に大粒で綺麗な真珠である。土産物には最高のものである。ネックレスを見ていると今度はブレスレットを出して来る。これも同じ様な粒の真珠で作られている。
私が悩んでいると、タヌンさんが首にしている真珠のネックレスを見せてくれる。それもここで購入した物だと言う。ものは問題ない様だ。
散々考えたが、少し奮発して購入する事にした。それもどうせ購入するならと、白とピンクの2本のネックレスと同じ色のブレスレットをセットで購入する事にした。
勿論、そんなお金を持っていないので、カードで購入した。この購入金額だけで安い海外旅行が行ける程の金額であった。ちょっと思い切り過ぎたか?
その後もこのランコー村には関係がないが、ベトナムでは大理石なども有名なので、その石の土産物を勧められるが、もうこれ以上は購入出来ない。
タヌンさんに、「あちらでお茶でも飲んで下さい!」と言われ、レストランに移動する。
しかし、暑いので、冷たい物が飲みたい。それで有料ではあるが、ペットボトルのお茶(砂糖入り)を20,000ドン(約90円)で購入し、テーブルに座る。
そこで休憩をしながら、お茶を飲んでいると、タヌンさんに誘われて、レストラン入口付近に置かれた大きなタライの中のものを見に行く。
大きなタライが4つ並んで、空気がビニールチューブで送り込まれている。
タライの中には、渡り蟹の様な中型の蟹、大きな蛤の様な貝のタライが2つ、そして少し小さなアサリの様な貝が生きたままで売られている。
これらは購入すると、このレストランに調理し、食べる事が出来るそうだ。値段と聞くと1kgが20,000ドン(約90円)と非常に安い!
ここで暫く休憩の後、車に戻り、再びダナンを目指す。 -
<ランコー村~ハイヴァン峠~ダナンの海岸へ>
時刻は15時過ぎである。ここに30分程居た事になる。
路地を抜け、道に戻る。ここでタヌンさんが、「この村は海老の養殖でも有名で、もうひとつの名物は海老の塩付けです。この道沿いの店でも日焼け止めのオイルと共に売られています。」と言う。
道沿いの店を見ていると確かに小さなショーケースの様なガラス戸の棚に小さな赤い瓶が、これまた細長い瓶に入ったオリーブ色の液体と共に並んでいる。
これらの店が暫く続いていたが、それらの店が無くなると、道が2つに分かれる。
左手の道に車は進む。
この道の左手には大きなホテルらしき建物や海岸線が見えて来た。
すると道は上り坂に差し掛かり、前方に大きな橋が見えて来た。この橋の上からは砂洲の様子や港の風景が良く見える。
そして、その橋を過ぎると、前方に近代的なトンネルが見えて来る。
トンネルは一方通行になっている。トンネルの前には記念碑がある。
トンネルの中に入ると、トンネル内の照明は日本と同じ淡い黄色の照明で、またトンネル内の大きな空気循環機も少し前の日本の長いトンネルで使われていたものと同じである。ここでタヌンさんが、このトンネルの説明を始める。
「この峠はハイヴァン峠と言い、ベトナムで最も高い峠で、標高は約500mと標高的には高くはないのですが、フエもダナンも海抜0m地帯なので、ベトナムでは難所の峠でありました。また、このハイヴァン峠はベトナムのほぼ中央に位置し、ベトナムを南北に分ける峠で気候もこの峠を境に変化します。その峠に2005年6月に日本のODAにより、このトンネルが開通しました。
このトンネルは全長が約6.3kmで、東南アジア最長のトンネルで、それまで峠越えに1時間以上要していたところが、10分程で峠を抜ける事が出来る様になりました。
現在は危険物などを運ぶ車両以外はこのトンネルを使用できます。」と言う。
また、タヌンさんは、「日本のトンネルと似ていますか?」と尋ねたので、私が、「日本のトンネルにそっくりですよ!」と答えると、「このトンネルは日本の熊谷組が造りました。」と言う。
しかし、今日は片方のトンネルが点検中で、通常2車線の道が、今日は対面通行になっている為に少し渋滞をしている。通過に15分くらいを要した。
このハイヴァントンネルを抜けると、再び下り坂が始まり、左手にかすかにダナンの街が見えて来る。トンネルを抜けてから、ゆるやかな坂が続き、徐々にダナンの街が近づいて来る。 -
トンネルを出て、10分程で、ダナンの街の入口まで下りて来た。
街に入ると、直ぐに車は海岸沿いの新しく出来た道を走り始める。
その海岸線沿いの道は殺風景ではあるが、海岸は砂浜が続き、海水浴客がちらほら見える。
タヌンさんが、「この道沿いには木々が植えられていましたが、塩害で殆どの木々が枯れてしまったのです。今は少しの木々しか残っていません。」と言う。
道沿いはまだ開発中のところも多く、空き地が点在している。その道を10分程走ると前方に大きな橋が見えて来る。このまま道を行くとその橋を渡ると思っていたら、その手前で車が方向を右手に取り、街中に入って行く。少し街中を走り、再び方向を変える。前方に橋が見える。
この橋はダナンの街中を流れるハン川に架かる橋である。その橋を渡り、街中を走ると再び、海岸線に突き当たり、その海岸線の道を走り始める。
海岸線は海水浴場で、多くの人達で賑わっている。「この辺りはダナンでも有名なビーチで、ミーケービーチと言います。」とタヌンさんが教えてくれた。 -
かなりの距離砂浜が続いている。その砂浜の反対側、道路の右手には大きなリゾートホテルやマンションなどが見えている。
暫くこのビーチ沿いの道を南に進むと、今度は右手に何かが見えて来る。何かと思えば、ホーチミンのタニソンニャット国際空港内でも見た古い軍事用のドーム状格納庫の様な建物が幾つも見えて来る。
私が、「あれは何ですか?」とタヌンさんに尋ねると、「ベトナム戦争時の米軍基地跡です。」とタヌンさんが答えてくれた。
そして更に、「今はその一部のみを残し、戦争を忘れない様にしています。」と言う。
また、その後で何やら運転手のフォンさんに言っている。
すると、運転手のフォンさんが、その格納庫に近づいた辺りで車のスピードを落としてくれる。どうやら、じっくり見れる様に配慮してくれている様である。
そこで私は車窓から写真を撮らせて貰う。その格納庫を過ぎると、再び速度を上げ、車は南に走る。
海岸線から少し離れたのか、左手の海岸側には、空き地などが多くなり、時より塀で囲まれた別荘らしき建物が密集する場所が見えて来る。 -
<ノンヌォック村での休憩所>
そこを過ぎると、今度は小さな村の様なところに差し掛かるが、両側の建物の多くは半壊した様なものが多い。それを疑問に思っていると、タヌンさんがその疑問に答えてくれた。
「この辺りは観光開発の為に村人に移住を勧めているのですが、まだ一部の人が残っている状態なのです。この辺りにも大型のリゾートホテルを造る計画が進んでいます。」と言う。
その村を抜けると、海岸線は見えないが、その海岸線側に大型のリゾートホテルが立ち並ぶエリアに差し掛かる。本当に大きなホテルが幾つも並んでいる。
また、タヌンさんが、右手の奥の平野の先に見えて来る山を指して、「あれらの山々が五行山です。」と教えてくれる。そして、大体以下の様な五行山の説明を始める。
この五行山はトゥイーソン、モックソン、キムソン、トーソン、ホアソンの五山からなる連山で、それぞれの山は色の違う大理石から出来ている事から別名がマーブルマウンテンと呼ばれていると言う。
五行とは、中国から伝わった思想で、木、火、土、金、水からなり、それぞれ色を持っている。
木は緑(または青)、火は赤、土は黄(または金)、金は白、水は黒である。また、季節も表しており、木は春、火は夏、土は季節の変わり目、金は秋、水は冬である。
五行山はこの様な色の大理石を産する山で、この山から切り出した大理石で、地元の村では昔から工芸品(彫刻品)を造る事が盛んに行われて来た。
しかし、近年はこの五行山を保護する目的から大理石の切り出しが禁止され、地元の村の人達の生計を脅かしているとの事であった。
そして、「あと少しで2回目の休憩場所に到着します。その場所は先程説明した大理石の工芸品を造っている場所です。」と言い、説明を終わる。
左手の海岸側には砂浜が見えて来た。また、その合間には大きなホテルが続いている。
この辺りがダナンのもうひとつの有名なビーチであるノンヌォックビーチである。
それから暫く行くとタヌンさんが、「休憩所に着きました。」と言い、車が右手に入る。そこが、大理石の工芸品工場である。車が中に入ると、屋外に大きな大理石の像や置物が並んでいる。
その前辺りで車が止まり、タヌンさんと降りる。時刻は16時5分頃である。
そして建物前で少し待った後、タヌンさんが、「今日は日曜日で加工工場はお休みの様ですので、建物内で土産物を見て下さい。」と言い、この土産物屋の店員を紹介される。
その女性はタヌンさんと同じくらい日本語が上手である。タヌンさんは何処かへ消え、その女性に付いて店内に入る。店内にはところ狭しと大理石の工芸品が並べられている。手のひらに乗るくらいの小さな物から非常に大きな物まで各種揃えられている。
その女性が色々な土産物を説明してくれるが、今日は真珠でかなりのお金を使ったので、ここでは土産物は買わないつもりである。展示されている物を見て廻るだけのつもりであったが、中には気になる物もあるので、一応値段などを聞いて見る。意外に安い物も多く、興味が湧いてくる。
その中で、緑や茶色の大理石で造られた南部、中部、北部のベトナム独特の衣装を着た女性像の20cm程の置物が気に入った。3つで400,000ドン(約1,760円)と高くはないが、一応値切って見ると350,000ドン(約1,540円)にしてくれた。これをまず購入する。
その後、これも装飾を施された小さな香炉をこれも値切り、350,000ドン(約1,540円)で購入、そして更にブレスレット2本をこれも値切り200,000ドン(約880円)で購入した。
もうこれ以上購入しないと店員に言ったが、今度は螺鈿細工のものを勧める。
まず勧められたのは、小さな手鏡で、鏡の裏面に螺鈿細工でベトナムの風景が描かれている。
これが最初5枚で200,000ドン(約880円)だったものを、これも値切るがこれは値段を下げてくれないので、もう1枚追加して貰い、6枚を200,000ドンで購入した。
また、同じ様な螺鈿細工のコースターのセットを出して来た。
これも中々綺麗である。これは250,000ドン(約1,100円)であった。これも2つ購入する事で、2つを450,000ドン(約1,980円)で購入した。
ここでも合計1,550,000ドン(約6,820円)もお金を使ってしまった。
もう真珠を購入した段階で金銭感覚が麻痺した様である。
その後タヌンさんが合流したが、もうこれ以上は購入しないと店員に念を押し、その他の大理石を見て廻る。その中でボウリングのボールの様なものがあるが、その石がまた変っている。
透明な石に薄っすらと赤みを帯びた部分が一部に混ざっている。これはさすがに天然石ではないのでは?と思い、タヌンさんに言い、店員に聞いて貰うと天然石だと言う。本当か?
タヌンさんに日本には人口大理石と言うものがある事を言い、それに非常に似ていると言ったがベトナムの人には人工大理石なるものがどんなものか想像が出来ない様である。
店員が言う様にその石が本当に天然の大理石なら非常に珍しい石である。この様な話をしていると、時間になったのか店を出る。
店の駐車場には観光バスや乗用車が何台も並んでいる。その車の中に我々の車を見つけ、乗り込む。
時刻は16時30分前である。30分弱ここに居た事になる。 -
<ホイアンへの道程とホイアンの刺繍工場>
再び道に戻り、南に走り始める。ホイアンまではあと30分程だと言う。
日程表によれば、今日はホイアンで夕食を取れば、今日の予定は終了であるが、ここでタヌンさんから、「順調に移動が出来、時間が少しありますので、明日の観光に時間を取る為に今日のうちに明日の予定に入っているホイアンの刺繍工場でのランタン作りを今日行いたいと思いますが、良いですか?」と尋ねられる。私が、「タヌンさんにお任せします。」と答える。
結果、今日これからホイアンで刺繍工場に立寄る事になった。
休憩所を出て暫らくは海岸線に建つホテル群が続いたが、その後小さな村に差し掛かる。
ここも多くの家が半壊状態で、立ち退きが行われている様である。この村に入り、少し走ると車が幹線道路から外れ、右に曲がる。そして村を抜けると道の両側は田園風景に変わる。
タヌンさんが、「この当たりは米の二毛作が行われています。」と言う。二毛作?
私が、「それは1年に2回お米を収穫するのですか?」と聞くと、「そうです。」と答える。
「それは二期作と言うのです。二毛作は米と他の作物を作る場合に使います。」と私が教えてあげる。
「二期作と言うのですか?今まで二毛作と言うと思っていました。」とタヌンさんが答える。
誰か日本の観光客に間違って教えられたのだろう。
稲は二回目の田植えを終え、少し大きくなっている。
また、ここでタヌンさん達は、今日どこに宿泊するのか?気になって来た。
そこで、私が、「タヌンさんの今日の宿泊先は、私と同じホテルですか?」と尋ねると、「いいえ!今日はダナンの親戚の家に泊まります。」と言う。
私をホテルに送った後、またダナンに戻るのだと言う。
この様な話をしながら、この田園地帯を15分程車が走ると街に入る。 -
この街がホイアンの街である。
街に入ると車が殆ど走っていない。道は対向車が交せるくらいの道幅しかない。
しかし、この街のメイン通りに入ると、道幅が広がった。また、車も見かける様になる。
その街中を少し走ると、目的地に近付いたのか、路地道に入る。ここが目的地の刺繍工場である。
刺繍工場の敷地内で車が止まり、タヌンさんと車を降りる。
タヌンさんにここで少し待つ様に言われる。時刻は17時過ぎである。
暫らくすると1人の小さな女性を連れてタヌンさんが戻って来た。
そして、タヌンさんが、『この刺繍工場を案内してくれるリエンさんです。』と紹介される。
また、『リエンさんは私よりも日本語が上手なので安心して任せられます。』と言い、ここでガイドをバトンタッチする。
リエンさんはおでこが広く、賢そうな顔の女性である。そのリエンさんに付いて工場内に入る。
まず、見せてくれたのは、蚕の飼育の様子である。ここで蚕の飼育も行っているとの事で、たくさんの蚕が棚に並ぶ大きな竹籠の中にいる。 -
そして次にその蚕が繭になったものを見学する。その繭の色は2種類あり、白と黄色である。
ここで私が、『この色の違いは餌の違いですか?』と尋ねると、リエンさんが、『いいえ!これは蚕の種類が違うのです。食べている餌は同じです。』と言う。
確か中国の西安の同じ様なシルク工場では蚕に餌の種類を変えて、その蚕が作る繭の色を変えていた。しかし、ここの繭は違うらしい。
その後、この繭から糸を紡ぐ工程を見て、メインの刺繍を行っている場所に移動した。
さすがに刺繍工場と言うだけあって、そこには30人くらいの若い女性が横見もせず、黙々と刺繍を行っている。リエンさんも若いがここの女性達は更に若い。
近づいて見せて貰うと本当に細かい作業を行っている。目が良くなければ出来ない作業である。
何を参考にこの刺繍をしているかと言うと写真を基に刺繍を行っている。
但し、写真を基に大体の輪郭の下書きを行い、その下書きと写真で刺繍を行っている。染糸の種類もその人の感性で選んでいる様で、美的なセンスもないと出来ない仕事である。
リエンさんに、『幾つくらいの年齢の女性が働いているのですか?』と尋ねると、『18歳から30歳くらいまでの女性がこの仕事をしています。』と教えてくれる。
『30歳を超えるとだめなのですか?』と尋ねると、『30歳を超えるとだめと言う事はありませんが、目が衰えると出来ない仕事なので、若いうちにしか出来ません。私なんかは若い頃でも出来ませんでしたが?』と答えてくれた。
その後、この刺繍で出来上がった作品を見て廻る。非常に大きな作品から色紙くらいの大きさの物まであり、そのモチーフも様々である。
中でもベトナムの風景やアオザイを着たベトナム女性などのモチーフなどが多い。
大きなものでどのくらいの時間が掛かるのかをリエンさんに問うと、『この大きさのもので、1人の女工員が2カ月半掛けてやっと完成するものです。』と言う。その大きさは縦が1m程で、横が50cm程のものである。
また、女工員は1日8時間労働(昼に1時間の休憩を挟み)で、その間ずっと刺繍を行っていると言う。作業に力がいる訳ではないが、非常に目には重労働である。
これだけの作業をしているので、その給料が気になった。これをリエンさんに聞くと教えて良いのかどうか悩んでいるが、『ここの工場で働いている人達の平均的な給料は約120ドル/月です。』とこの工場の平均的な給料を答えてくれた。
この刺繍作業を行っている人達と言う事ではないようだ。
これらのものもみんな売り物で、ひとつひとつ値札が付いている。
しかし、さすがにみんな高価ではあるが、この作業を見ればむしろ安い様に思える。
これらは買えないと思い、リエンさんに、『他のお土産物はありますか?』と尋ねると、刺繍を施したテーブルクロスやコースターなどを見せてくれる。
テーブルクロスも綺麗であるが、嵩張る事もあり、コースターのものを購入する事にした。
このコースターは1セット350,000ドンであったが、2セットで、675,000ドン(約2,970円)にして貰う。さすがに刺繍品は高価である。
その後、別の部屋に移動すると、その部屋にも様々な絹製品が並ぶ。代表的なものはベトナムの民族衣装であるアオザイで、色も豊富に揃えてある。その他にもネクタイやシャツなどもある。
リエンさんからネクタイなどを勧められるが、ネクタイは要らない。それよりもシャツに興味があり、そのシャツを見て廻る。
アロハシャツ風のものからカジュアルなものまで様々な種類があり、その中でもアロハシャツなどは独特の柄で、ここでしか買えない様なものである。
これは買わなければと思い、そのシャツともう1枚気に入った柄のものを選び、購入した。
これらの値札は米ドル表示で、その価格は2枚で50ドル(約4,100円)である。これはクレジットカードで購入した。
これで買物と工場見学を終え、リエンさんにランタン工房に連れて行かれる。 -
日程表ではここでランタン作りを体験する事になっているが、リエンさんが、『ランタンを作りたいですか?もし、作るのが、面倒であれば、ここにあるランタンの中から好きなものを選んでも良いです。』と言う。
私が、『もうランタン作りはいいです。』と言い、その工房の外に飾られているランタンの中から好きなものを選ぶ事にした。
その中から赤い細長のランタンを選び、工房内で持ち帰り安い様に折りたたんで貰い、袋に入れて貰う。
丁度、この工房の外でランタン選びをしていると、先程刺繍工場で刺繍の作業をしていた女工員達が一斉にこの工房前に現れた。就業時間が終了したのである。時計を見ると時刻は17時半である。
その女工員達はランタン工房前のバイクの駐車場から各々自分のバイクを押し出し、工場の入口に急いでいる。リエンさんに聞くと、殆どの女工員がバイクで通勤していると言う。
リエンさんも帰る時間なのだろう。その前で少しランタンの見ていると、タヌンさんがやって来た。
タヌンさんがリエンと何か話をしている。
そして、私に、『ランタンは好きなものを選びましたか?』と尋ね、私が選んだランタンを見せると、『それではそろそろ夕食場所に移動しましょう!』と言う。
このランタン工房の前で、リエンさんに礼を言い、別れ、車の駐車場に移動する。
車に乗り込み、この刺繍工場を後にする。 -
<ホイアンでの夕食>
ここからホイアンの街の路地を走り、今日の夕食場所に向かう。ある路地道脇に車が止まる。
ここで車を降りる。夕食場所はこの路地沿いかと思ったら、タヌンさんが、『ここから少し歩きます。』と言い、更に車の通る路地から更に細い路地道に入る。
その路地口には、屋台があり、その周りには多くの人がその屋台で売っているものを食べている。タヌンさんが、『ホイアンの名物料理のカオラウの屋台です。』と教えてくれる。
カオラウは明日の昼食で食べる予定になっているホイアン名物である。
細い生活路を歩き、どんどん民家の間の路地を奥に入って行く。少し行くと、右手に曲がり、更に奥に進む。その途中右手に大きな庭の洒落たレストランが現れた。
そのレストランの入口に看板があり、『シークレットガーデン』と英語で書かれている。本当に隠れ家的なレストランである。地元の人しか判らない様なレストランである。 -
時刻は18時前であるが、少し暗くなり始めている。昨日のホーチミンよりもかなり北で、少し東でもあるので、日の入りもかなり日本に近い。
レストランにはまだ時間帯が早いせいか、誰もお客はいない。ここも私だけである。
レストラン中央のテーブルに案内され、席に着く。
タヌンさんから、『ここのレストランもコース料理です。メニューはこれです。』とテーブルに置かれたメニューを見せてくれる。
そして、それぞれの料理を説明してくれる。今日の夕食の料理は、
<平成23年6月26日(日)の夕食:シークレットガーデン>
①キムチライスペーパー
②野菜スープ
③豚肉の煮付け
④蒸し魚(ピリ辛の野菜たっぷりソースがけ)
⑤野菜と海老の炒め物(中国菜、白菜、海老の炒め物)
⑥豚肉と冬瓜のスープ
⑦ごはん
⑧デザート(さつまいも餡の胡麻餅風のお菓子)
である。まずはお決まりの飲物を聞かれる。飲物のメニューからパッションフルーツジュースを注文する。そしてタヌンさんが、『ゆっくり食事をして下さい。』と言い、テーブルを離れる。
その後、料理が来るのを待つ。
このレストランの中央には中庭があり、南国らしい木々が茂る。その中庭にも多くのテーブルが置かれ、そこでも食事が出来る様になっている。
最初の料理とパンションフルーツジュースが出て来た。
最初の料理は、キムチライスペーパーである。
ライスペーパーは軽く揚げられたもので、キムチはキャベツのキムチで、キムチと言うよりは唐辛子の効いた浅漬けの様なキムチである。それをパリパリのライスペーパーに乗せて食べる。
中々これは美味しい。特にキムチがあっさりして美味しい。
それを食べ終わると、次の料理が出て来る。
次の出てきたのが野菜スープで、様々な野菜が細かく刻まれ、スープの中に入っている。非常にヘルシーなスープである。これも非常に美味しい。
その後、続けて料理が出て来る。どの料理も量が丁度良く、味も美味しい。今日の料理はベトナム料理と日程表には書いてあるが、どちらかと言うと中華風である。
最後に出て来たのが、デザートである。
果物を想像していたが、全然イメージと違うものが出て来た。
中華のゴマ団子の様なお菓子である。食べると中に黄色い餡が入っている。さつまいもの餡の様である。甘さ抑えめの餡で口直しには良いお菓子である。
そして、これを食べていると熱いお茶を出してくれた。
お茶を飲んで、食事を終え、パッションフルーツジュースの支払いを行なう。金額は60,000ドン(約260円)で少し高めである。 -
依然、レストランには誰も来ない。料理は非常に食べ易い料理ばかりで人気が出ても良いと思うが、やはり入り組んだ民家の中にある為に、この場所を知っている人しか来ないのかも知れない。
外国の観光客には人気が出そうなレストランである。
その内にタヌンさんが、席に現れる。タヌンさんが、『どうでしたか?』と尋ねられ、『美味しかったです。』と私が答え、席を立つ。時刻は18時50分頃である。
再び、路地道を戻る。その途中でタヌンさんに、『飲物を購入したいのでホテルへ向かう途中にコンビニの様なところに立ち寄って貰えませんか?』とお願いする。「良いですよ!」と言われ、路地道を抜け、車を降りた道に出た。その路地の入口のカオラウの屋台は多くの人で賑わっている。
通って来た路地にも座り込んでカオラウを食べている人が民家の壁沿いに並んでいた。 -
<ホイアンの街からゴールデン・サンド・リゾートへの移動とホテルでの時間>
道に出て、暫らく車が来るのを待つ。車が来て、乗り込む。これからコンビニに立ち寄って貰い、ホテルに向かう。タヌンさんが運転手のフォンさんに私の要望を伝えている。
少し車が走ったところで、車が停車する。その横に小さな店が見える。ここで飲物が購入出来る様である。車を降り、店前に行くと、店の入口付近に冷蔵ケースがあり、飲物が並んでいる。
その中からペットボトルのお茶とジュースらしきものを取り、購入する。合計で20,000ドン(約88円)を支払う。
車に戻り、乗り込み、再びホテルを目指し、ホイアンの街を進む。
ホイアンの街はここに到着した時よりも賑わっており、多くの地元の人や観光客が街を歩いている。
やはり日中は暑過ぎて出歩く人が少ない様である。
通りの店も活気があり、様々なものを売っている。
特に目に付くのは、ランタンを売る店で色とりどりのランタンが店前に並んで、非常に綺麗である。
ホイアンの街中の道はバイクも多く、ゆっくりとしか進まない。やっと街を抜け、郊外に差し掛かり、少しスピードが出るが、それでも50kmを超える事はない。
郊外には小さなホテルなどが幾つか見える。夜で街灯がない道なので、それ以外の景色は暗くて判らない。その内前方が渋滞し、車が止まる。
タヌンさんに聞くと、前方に橋があると言う。その橋のところで混んでいる様だ。
のろのろと車が進み、やっとの事橋が見えるところまで来たが、ここで車が止まり動かなくなる。
対抗車線にはバイクが続々と前方から走って来る。
タヌンさんが、『みんなビーチに海水浴に行った帰りです。』と言う。
今日は日曜日で、ベトナムの人達が近くのビーチに海水浴に出かけ、ホイアンの街に帰る集団である。それにしても次から次へとバイクが来る。
やっと少し進み、橋の入口に来た。しかし、またここで動かなくなる。橋が余りにも細く、車2台が通れるかどうかの橋で、我々の前にも大きな車が走っていて、その車が橋の上で動かない。
対抗車線はバイクの集団で埋め尽くされている。
このバイクの集団が少なくならなければ、橋を通れないのでないかと諦めていると、車が動き出し、やっと橋を抜ける事が出来た。
しかし、この橋の出口の道がまた更に狭く、ここで渋滞を起こしていた様である。
強引にこの場所を運転手のフォンさんが抜ける。対抗のバイクが本当に近くをすれ違い、気になってしようがない。
しかし、対抗車線のバイクの数は減る事がなく、この橋の出口付近に屯している。
橋を抜け、小さな村の様な場所を走り、海岸線の大きな道に出る。暗くなっているが、まだ多くの人がビーチで遊んでいるのか、この道沿いにはまだ多くのバイクが駐車されている。
海沿いには、大きなホテルが並んでいる。その道を少し走ると今日の宿泊先であるゴールデン・サンド・リゾートに到着した。
タヌンさんと車を降り、フォンさんから旅行カバンを受け取り、ホテル内に入る。
ホテルは南国のリゾートホテルらしい造りで、フロントロビーの天井も高い。 -
入口左手に小さなフロントがある。その前のソファで待つ様に言われ、タヌンさんにパスポートを渡し、チェックインをお願いする。
チェックインが済んだタヌンさんが、ソファに来て、カードキーを渡される。
そして、明日の集合時間が9時と決め、明日の朝食場所を確認する。
朝食は6時半から出来るそうだ。
そしてタヌンさんが、ホテルのボーイに私を部屋まで案内する様に頼み、今日は別れる。
時刻は19時25分である。これからタヌンさんはダナンに戻るのである。
私はホテルボーイに部屋に案内して貰う。このホテルはフロントのあるホテルの本館部分とホテル敷地内に点在する幾つかの宿泊棟で構成されている。
私の部屋は1118番で、宿泊棟のA2棟の3階にある部屋であった。
部屋まで行き、ホテルボーイが旅行カバンなどを部屋に入れてくれる。ここで部屋を開けると、既に部屋内にカードキーが置かれている。
ホテルボーイにそのカードキーを渡すがそのまま使う様に言われ、チップを20,000ドン(約88円)渡す。部屋は非常に広く、1人では本当に勿体無い部屋である。
部屋で落ち着いたところで部屋着に着替えるが、先に風呂に入る事にした。お風呂も大きく、お湯を溜める事も出来、お湯を溜めて入る事にする。
お湯が溜まり、風呂に入っていると部屋をノックする音が聞こえるが、出る事も出来ない。
暫く、ノックを続けていたが、諦めて帰った様である。
多分先程のカードキーを回収しに来たのであろう。
ゆっくりと風呂に入り、寛ぐ。風呂を出て、テレビを点け、先程このホテルへ来る途中にコンビニで購入した飲物を飲みながら、今日の出来事をまとめる。
今日は暑い中での観光と意外と歩く時間が多かったので、少し疲れた。
今日は早めに就寝する事にした。
それでも明日の準備などをしていると、ベッドに入ったのは23時を廻っていた。
明日は少し早起きをして、このホテル内を散策する事にしよう!
今回はここまで!
次はミーソン遺跡とホイアン観光、ダナンからハノイへの旅程!
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