
2017/05/13 - 2017/05/13
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nomadic dreamさん
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1966年に姫路で開催されていた大博覧会。
それもあの大阪万博より4年前に。
姫路の人たちがみていた未来のかたちは何だったのでしょうか、高度成長期のさなかで人々が描こうとしていた未来とは…
ふと2年前に歩いた道を思い返していました。
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ここは姫路博覧会の会場、手柄山駅のプラットフォーム。
まもなくベルが鳴って、姫路駅行きのモノレールが動き出すところ…。ひめじ手柄山遊園 テーマパーク
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隅々まで清掃が行き届いたプラットフォームで出発を待つのは丸みを帯びたかたちの2両。
1966年から1974年の休止までのわずか8年間、ここ「手柄山駅」と「姫路駅」を結びました。 -
高度経済成長期にはこの小さい島国の隅々まで開発の波が沸き立っていたのでしょう。明日はもっと明るい日になることをだれもが夢を見ていたのだと思います。
当時のサボもどこまでも路線が伸びていくことを夢見ていたのでしょう。 -
観光地へ来た雰囲気が車内には漂います。
山陽新幹線が姫路まで開通したのが1972年。
新幹線で姫路駅まで来て、モノレールに乗り換えてこの手柄山まではるばるやってきた旅人たち。 -
シートはふわふわ。
ここから眺める姫路の景色はさぞかし驚きだったのでしょう。 -
姫路駅へ向けて出発。
このシステムはロッキード製の跨座式(こざしき)モノレールでした。
ロッキード製は小田急向ヶ丘遊園のものと同様だったとのことです。
ちなみに東京モノレールが走り出したのが1964年。当時のモータリゼーションにより道路が渋滞する中で解決方法の1つとして推奨されたのがモノレールでした。 -
手柄山から姫路市内まで約1.6KM。
右上に見えるのが世界遺産である姫路城。 -
手柄山駅の次は大将軍駅。
姫路駅との間には大将軍駅がありました。 -
手柄山駅を出発したモノレールは一路姫路駅へ向かいます。
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モノレールの建設関係者は、姫路駅を中心に北は鳥取まで南北にレールを敷くという大構想を描いていたようです。
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車が増え、渋滞が慢性化する中で、モノレールは交通渋滞を気にせず走る優れものとして評価されていました。
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東京モノレールができてその2年後にここ姫路でもモノレールが動き出したというのは、ここ姫路にはエネルギーがあふれていたのでしょう。
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姫路市は将来の大構想(鳥取と姫路を結ぶ)を描きながら、取っ掛かりとしてこの市内1.6KMを敷設したということになっていました。
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手柄山を出発した列車が停車する次の駅は「大将軍駅」です。
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大将軍駅は建物の3階と4階にモノレールの駅が造られて、その上には住居がありました。
別名高尾アパートと呼ばれていました。
今は更地になっています。 -
しかし、1.6KMという距離でコストがかかることと利用者が伸びずに姫路市はモノレール休止に追い込まれることになりました。
1974年に休止後、1979年に廃止されました。 -
大将軍駅を出発したモノレールは姫路駅へ向かいます。
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手前を走るのが山陽新幹線。
新幹線の新大阪ー岡山開通は1972年。 -
姫路駅に到着しました。
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姫路駅を北側から眺めたところです。
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手柄山で博覧会が開催された場所は「中央公園」となっています。
手柄山中央公園 公園・植物園
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この公園は博覧会開催よりも少し前の昭和31年にオープンしたようです。
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公園の全体図です。
モノレールは右側にあります。 -
山の中腹に遊園地のように建物が存在します。
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現在は子供たちの遊び場になっています。
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子供たちの遊び声が聞こえました。
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モノレールが鎮座する建物です。
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モノレールの仕組みが記載されていました。
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公園内には植物園もあります。
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博覧会の名残がところどころに。
しかし子供たちの声だけが寂しく聞こえていました。 -
そして配線跡を歩いてみました。
手柄山駅からモノレールが走っていたと思われるあたりを歩いてみました。 -
このあたりかな。
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この川沿いに走っていたのでしょう。
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今は線路が撤去されていました。
姫路市は毎年予算を使って徐々にモノレールの線路を解体しています。 -
今でも残る当時の線路。
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このあたりは解体費も高いのでしょう。まだ線路が残っています。
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確かに、撤去に手間がかかりそうです。
この線路の上をモノレールが走っていたのです。 -
残っている、残ってる。
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当時モノレールの建設は川沿いを選んぶことになったのでしょう。
川沿いに線路が残っていました。 -
2年間に「大将軍駅」が解体されているところでした。
もう少し早ければ建物を見られたのですが。
すでに解体が進んでいました。 -
「大将軍駅」(高尾アパート)を過ぎて姫路駅に向かいます。
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左側の建物の上をモノレールが走っていたようです。
正面には山陽電鉄の線路があり、線路はその上を超えてJR姫路駅方面に向かっていました。 -
右に見えるのがモノレールの「脚」です。
建物の中に埋め込まれています。 -
この辺りはモノレールと建物と完全に一体。
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モノレールが走るたびに、建物に住んでいた方はさぞかし煩かったのでしょうね。
建物も揺れたのでしょうね。 -
このあたりの建物も人気がありませんでした。
モノレールの足と一体になったビル群。
当時は賑やかだったのでしょうが、今や人気もなく静かにたたずむ町
近いうちに取り壊されていきそうです。 -
モノレールの姫路駅があった周辺と思われます。
今や「脚」が残っているだけです。 -
姫路城はイベントでにぎわっていました。
モノレールの跡地とは対照的に。 -
しらさぎ城といわれる雄姿。
多くの観光客を惹きつける「ひかり輝くかたち」。
その片隅で忘れ去られていくモノレールと姫路市が夢見ていた未来。
ものごとには必ず「ひかりとかげ」があることを肌で感じた一日でした。
そして「かげ」は近いうちに消し去られていくということを。
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