2019/02/26 - 2019/02/26
19位(同エリア377件中)
and Relaxさん
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「チッタ・ヴェッキア(旧市街地)」「バーリ街歩き2」になります。
早起きなどまずすることのない自分が、朝食前にお出かけして路地歩き、それにバーリでは見逃せない、あの「サンタクロース」の発端となった聖二コラの眠るサン・ニコラ聖堂を訪れた時の写真を掲載します。
過去の旅行記ながら、これからの時期にぴったりの人物にちなむ題材になって良かったと満足です。 メリークリスマス!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
PR
-
バーリBariの旧市街地で、朝6時の散策中に出会った「ルーイン」廃墟
ピアッツァ・ディ・サンタマリア del Buonconsiglio
(後半読めなく・・続きの読み方は・デル・ブオンコンシリオだと思ったらデル・ブオンコンシーリョだそうです)
この教会の歴史は11世紀にさかのぼり、その後も建て増しを繰り返しながら18世紀くらいまであったということで、いくつかの部分は中世の古いオリジナルが残っているそうです -
床面には石をはめ込んだ細工が見られました
-
モザイク
ちょっと凝っている床のモザイク
この辺にあるのが中世から残るものでしょうか -
屋外に放置されているモニュメント的な空間でした
-
修正した箇所はやっつけ仕事で、残念ながらこれ以上崩れないようにするのが精一杯な程度
-
それでも細い路地の間から出てくると、ここにある空間がいい感じ
-
Ruderi di Santa Maria del Buonconsiglio - Puglia
ルデリ(伊) = ルーイン(英) 廃墟の教会跡は、横隣から急にきれいになって現代的になるコントラストが面白い
分からないイタリア語を調べてみても、教会の名前にしては
ブオンコンシーリョもしくはブオンコンシーリオは「有能な弁護士…? かしこい法律専門家」と謎の意味合い
ならば多分これでしょう
「良い提案」を意味する Buon consiglio -
そして隣には聖画と住居が建てられています
-
廃墟のピアッツァ隣に設置されていた聖母様
こういうものが誰からと言う訳でも無さそうなのに、あちらこちらの街角に備えられ手入れされていたのには、特殊な地元文化を感じざるを得ません
それはなんか素敵なことに思いました -
周辺の建物はきれいにしてあって、旧市街ながら暗い路地でなく開放的で日のあたる住まい
しかし太陽が強すぎるようで、このようにたくさんの窓が日除けのシートをつけていました
バルコニーの手すり部にかかっている色の付いた布がわかりますでしょうか
こんな風に外から掛けられている窓を完全に覆う布があるのを随所で見ました
部屋の中のカーテンではダメなのか、不思議 -
家の前がこんな広場でかっこいいなあ
イタリアの街を歩くと、いつも羨ましい気持ちを持つのです -
その先には現在使われている教会があったので近ずいて行きました
Chiesa di Santa Scolasticaという教会 -
サンタ・スコラティカ教会周辺のアパート風の建物もきれいにしてあって、観葉植物が整然と並ぶ姿はちょっとおしゃれな感じ
-
聖スコラスティカはウンブリア州出で、540年頃没のイタリア人修道女
カトリックや東方正教会の聖人だそうです
が、このドアの上に建っている像からは女性を思わせないかな
別の方でしょうか -
拡大して見てみましたが、画像はピクセル不足で伸ばしてここまでが限度
なんだかホラー映画のジェイソンみたいなマスクをしているように見える像 -
教会の正面の通りもサンタ・スコラスティカ通り
この裏あたりにも行って来ました -
もうこのあたりで岬の先の、周りはまるで線を引いたように何にもない、旧市街地を出たところになっていました
外枠をぐるりと歩いてみる事にして、何かありそうな所を探します -
何かいる
と思ったら、朝日を浴びる、いすに座ったネコちゃんでした
お年を召しているようで、遠くからそっとして置く事にします -
Piazza S. Pietroです ここでぴったり旧市街地の終わり
歴史を感じる旧市街地の光景から、その向かいに見えたのは・・ -
このようなジ・エンドな光景
でもおや何か向こうの港らしい景色の前に、なにかしらがありました -
柵が張り巡らされている中をのぞいたら、ローマ遺跡っぽいものが順回路と共に保存されている様子
-
何か面白い
この中はサンタ・スコラスティカ考古学博物館というものでした
もし先ほど聖スコラスティカ教会を右に曲がっていたら、ここに入るための博物館の入り口があったようです
ギリシャ、ローマの間に位置するこの地域の歴史は相当深いので掘ったらなんか出てくるってことで、もしかしたら旧市街の先も遺跡の上に町を作れないという理由で、広場と道からぴったり終わっているのかも
ちなみにプーリア州は古代ローマの土地柄なので、イタリアの「ブーツのかかと」の先に行くと、海沿いに放置されっぱなしの遺跡が、海水浴しながら背景に広がっているっていうスポットもあって、レンタカー等でさすらいの旅が出来たらすごーく面白そうでした -
(見どころが)何も無いながら、その先にも建物が
この建物はポリスらしいです -
おそらくこのあたりは車で来た人達が駐車する海沿いエリア
港も近く、主要の教会などの案内が観光者の為に建てられています
中にはCity Old Wallのサインもあって、昔は旧市街地を囲む壁があったのでしょうか、時間があれば見たい物の1つです -
数歩の階段の下には門とその向こうに海が見えました
バーリ旧市街地は岬の先っぽにあるので、両隣は海です
フェリーが夜行ながらクロアチアのドゥブロヴニクやギリシャのクレタ島?等に航海しているようで、いつかここでフェリーの旅に出たいなと思ってしまいました
おっと ここで
クロエーシァのドゥブロヴニク ですね、本国ではCroatiaと言っていないそうで英語名の国名 なので発音も英語寄りでなくては、でした 余談 -
海
向こうに倉庫かフェリーの乗り場かといった構えの建物が見えたりして観光気分にはならないけれど、便利そうな港という感じ -
町角ではこれからマーケットが開かれる様子で、やっていたら面白そうだったのに少々早すぎたかな
-
ヨーロッパのどこの旧市街地にも狭い道筋がありますが、バーリには特に通り抜けできる建物の下が迷路のように張り巡らされている所もあって面白いのです
-
いくつかを入ってみました
建物間を歩いて行くと曲がるまで視界になかった次の路地が開けて、このようなジグザグ感 -
トンネル風の建物下に飾られている聖画
-
街角の聖画と、よく見たら向こうの曲がり角にもまた聖画
ほこら なのかな -
この辺りはだいたい新しめのバルコニーが張り出した建物が多かったのですが、ふと現れるのが取り残された古い建物だったりしました
要塞みたいで、なんかかっこいい -
この時そろそろ時間は6時50分
学校に向かう子供を連れたお母さんや近所の早起きの方々がオープンしている地元の店に入って行きました
私も続いて入ってそこで見た品々に注目
なんとこれらの普段イタリアン食材の店々で売られているちょっとお高めのクッキーが驚きの1ユーロで棚に並べられておりました
これなら買える! -
一見サラダオイルに思える容器には白ワイン これもびっくり価格、1.30ユーロ
ただし、これらはスペインにはかなわない
あちらにはボトルにコルクが刺さって普通のワインのガラスの瓶でもっと安く売っている物もザラ、これが「え?」っていう安さで売っているのを見ました 90円とかそのくらいの怪しいと思うほどのプライスで
でもたぶんイタリアにもベネト州などには同じような売り方をしているはずです、偽コルクだけど
いやしかし
これはちなみに1.5リットルの大きさだし、比較したら同じレベルでは -
ワインは規制の思い込みをくつがえす容器に入って売られていて、5Lのプラ容器とか凄いです
通常ならミルクやフルーツジュースが入って売られている紙パックも ワインがお手軽にムダの少ない形で求める事ができるのが斬新
紙パックのイラストの女の子など軽い感じが誤解を招きそうですけど -
安くて驚きました
1.50… 1.60ユーロ … すごい今まで払い過ぎの気分
やっぱりイタリア製だけあってこれらのクッキーは美味しいそうです
棚の上の段にはNutellaやKinderといったワールドワイドクラスの会社のものが並んでいますが、それらも2,30や2,50です ま 常識的なプライスです、個人経営の店にしては格安なのかな
この時旅行者としては始まりの時期で、この後の旅で粉々に割れてしまう心配があったので買いませんでしたが、もし帰り際でスーツケースに多くの空きがあったらたっぷり買い込んでいたに違いありません
この銘柄のビスケットはイギリスの店で最低ライン2.50~3.99ポンドから
輸送が高いのか 税金か
店の家賃の違いなのか・・
ポンドはユーロよりずっと高いのに -
安くて良いものが大好きなのでお店を出ても興奮気味
この感覚が好きで旅行しているのもあります
その店を出てから、曲がった角には何か特殊な不思議ドアがあってふと足を止めてみました
独特すぎてよくわかりませんでしが -
どうも聖ニクラウスにちなむ切り抜きを貼っ付けているドアなんですが、個人の家(まさかそれは…)かもB&B みたいに商業に関わる所なのかも全然わかりませんでしたが目立っていました
もしかしてサンニコラのグッズ屋さん 謎
サンニコラは町のアイドルだということですか -
やっぱり宿なのかな? インフォメーションセンターだったりして
サンニコラ教会ファンクラブだったらどうしよう
こんなたくさん入り口に貼られた聖ニクラウス像の写真は特殊でした
すぐのところにサンニコラ聖堂が建っています -
その先に行くとまわりは歴史のありそうな建物の様子
大きな窓がおしゃれ -
のぞく教会 Chiesa di San Gregorio のその先には、眠るサンタクロースの伝説、聖ニクラウスの寺院
-
ちょっとその前に
個人宅のようですが、こちらの屋根付バルコニーが珍しいので、いくつかのバーリの旅行記でもお見かけするもの
サンニコラ教会の前にあり、行くと目立っているのでつい写真に撮ってしまうお宅です -
古くからある建物を大事にしているのか、こんな外壁にコラムが付いている屋上部も見かけました
-
こちらが
サンニコラ教会
高い壁に囲まれているバジリカ教会です
壁の内側には教会や博物館の建物があり、メインであるバジリカはこの白亜のロマネスク建築 バーリの最重要スポットになりますサン ニコラ教会 寺院・教会
-
おごそかに入りました
「サン・ニコラ聖堂」Basilica di San Nicola
中に入るのは無料
朝の誰もいない時間に立ち寄るのは貴重な経験 -
ローマ風の半円アーチが特徴的なロマネスク様式の教会には、天井の方で切れるちょっと新しめのアーチとコラムが印象的な内部
-
工事は1087~1197年まで続いたそうですが、このもっと新しく見える天井の美しい装飾をちょっと邪魔しているような柱とアーチは、どうも古い聖堂が崩れ落ちないようにささえとして後に作られたものと聞きました
-
収められていると言われる遺物がどこにあるのかと探しながら
中には聖ニコラのアイコンなどがありましたが、聖遺物は地下のクリプトに祀られているとのこと
ところで
ヨーロッパ、というかイタリアのここやバルセロナにあった大聖堂内にはこんな風にケージで囲われた部屋がいくつかあるのです
なぜだろう 荒らされたり襲われた過去があるのかな -
天井部はこんな風にきれい
-
アップで撮ってみた写真
これらを隙間から見るようにして隠すアーチは、あると見づらいなどうしてだろうって必ず思ってしまう物なので残念
何故こんな風にあるのか不思議に思う物でしたが、支えが鉄筋などでなく、現代風な要素が無かった分良しとするでしょう -
天井画は聖ニコラの一生を描いたものと聞きました
この絵は舟を漕いでいる ?
なぜサンニコラの遺骨がバーリにあるかというのは、ここに来ると必ず耳にする話
アドリア海に面するバーリから漁師がトルコで永眠した聖ニコラの遺骨を盗んできたというもので、22日かけて遺骨とともに1087年の5月9日戻って来たと言うこと
そのため毎年5月9日にはサン・ニコラのお祭りが催されるそうですが、最近は改められて5月22日に戻ってきたとなったようです
ところで
私的には盗むってありなのかなって思うのでした
お祭りにまで発展するって、盗みをプロモートしてるとも取られたら…と心配してしまって
この誤解は後に詳しく調べてみて晴れたのですが、一般にこういう説明がなされるエピソードというのを感想も交えて記しておきます -
12世紀の天蓋におおわれた主祭壇、おそらく教会が建てられた当時からのオリジナルですね
-
主祭壇は素敵な感じ
とても清潔で美術品のよう -
屋根、12世紀の天蓋にはローマの文字
ではなく
ラテン文字と書きたかったのでした -
説教壇と呼ぶのか これがあるのがバジリカの特徴の1つと言われています
サンニコラ寺院は、ロマネスク教会として、ここプーリア地方で建てられたロマネスク様式の原型になっているものだそうです
他に建てられているロマネスク様式の教会がこの寺院とそっくりだと思うと、なぜ全部似ているのかわかって興味深い -
クリプトに続く階段
「お静かに」のサインは、私の行った朝7時には必要なく、訪問客はほぼ私だけ
普段は特別重要な聖堂ということで人混みが絶えないそうです
そういえば、この時間から教会が開いているとは、それまで考えてもいませんでした
通常私が教会に入りたい時間には開いていない事が多く、やはり聖職につく方々は早起きをモットーにして行動するのだなと思います -
まずは
自分でも出来るところまで調べて訳したのをコメントしますが、詳しい説明が書かれていてキリスト教の専門的な言葉など理解しづらいので、お好きな方のため説明文も写真に撮ったものをアップしておきます
こういう説明文って、もっと簡単に書かれないのかな
短い文で全部を表現するのは専門用語なしでは不可能なことなのでしょうね -
地下のクリプトに入る手前には1105年に亡くなった、このバジリカを建設したイライジャのお墓があり、「サルコファガス」という呼び名の、棺を入れるための尊師装飾のついた石棺の表面部が壁に飾られています
エジプトのファラオのお棺が幾つもの箱に入っている、あの箱のことです
12世紀の建設当時からすでにアンティークだったというこのサルコファガス石棺はアジアの3世紀のもの
アジアといってもあの時代トルコもアジア、聖ニクラウスが居た地も今のトルコのアンタルヤ方面で、当時はギリシャの属国として場所的にはアジアでもキリスト教の、実質ギリシャだったということ
そして
Wall Stoupというのは、クリスチャンの使用する古風な飲み物を入れる器で(聖水入れ?)、この場合は壁にかかったキリスト磔の十字架です これは14世紀の物ということ
そしてEpigraphエピグラフとは碑文(ひぶん)とか碑銘(ひめい)と訳され、墓碑銘という事で、字が彫られている壁のこれは12世紀の中頃の物だそうなので、きっとお亡くなりの際作られたのでしょう -
Sarcophagus
石棺ということなので、元々は立体的に、おそらく通常なら四角い入れ物だったと思われるのですが、壁に埋め込むよう一面だけを貼ってあるのではと思います
これが1105年に亡くなられた教会の創設者のお墓ですが、サルコファガスは当時の聖ニコラウスが葬られていた現トルコの当時ローマの領土だったマイラの教会から一緒に持って来たものなのでしょうか -
地下のクリプトに入りました
全体にシンプルですね
柱の上のヴォールトが印象的
ちなみにこのクリプト、Pope Urban II (ウルバヌス2世)という当時のバチカンのローマ大司教が1089年に聖ニコラの聖遺物(亡骸ですが朽ちらないもの)を受けて聖別を与え、教会を建てる際、ここ地下のクリプトから建設が始まったということ -
カメラの機能を使用しないと、薄暗い場所で必ずこういった褪せたような色になってしまう
淡くて良いなとは思うのですが -
これは暗い所を撮る機能を使った状態の写真
それでも色が良くないけれど、ずっとはっきりします
ただし極力使わないようにしているもの 使うとストロボにも匹敵する赤い光線がレンズ横からビームのように発光するからなんです -
階段の石に感動
大理石に次ぐ大理石
とにかくイタリアでは大理石に心を動かされずにいられない -
イタリア語でサンニコラは、聖ニコラオス(ロシア語では聖ニコライ)
英語のセント・ニクラウスが聴き覚えやすいと思います
そしてオランダ語ではシント・ニコラース
発音したらシンタクラースです
17世紀に米国に植民したオランダ人が、聖ニコラオスが亡くなった日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習を持ち込み、それがサンタクロースの語源になり、サンタクロースが全米中に広まったのは、1823年12月23日にニューヨークのセンティネル紙に掲載された、8頭のトナカイが引くそりに乗ったサンタクロースが贈り物を持ってやって来るという詩、現在では「クリスマス前の夜 "The Night Before Christmas"」として知られる「聖ニコラウスの訪問」からと言う事です
元々ヨーロッパにあったものながら、近年行なわれるハロウィーンと同じく、クリスマスを今のように祝う、もしくは楽しむのはアメリカから広まったのでしょうね -
聖ニコラスの祭壇は柵で覆われていて、中に見えるのはサン・ニコラのアイコンです
聖ニコラスは冤罪者の守護聖人でもあります
不当に中傷された立場の擁護者としての聖人と言われ、「悪い市長から無実の3人を死から救った」事や、「公会議で学問の事で異端と信じる宗教論に激昂して破門されるが、イエスとマリアが幻で現れニコラスの潔白を証し破門が解かれた話から」のようです
学者の守護聖人なのはこの逸話からで、加えて船員の守護聖人にもなっています
それはエルサレムへの巡礼の際に、溺れている人々を救出したのと、荒れ狂う海を沈めた事から、船員や旅人の危険を回避するため祀られているという事
幸せに結婚し、愛する配偶者と一緒に暮らすためにも聖ニコラウスは尊いことをしており、伝説のサンタクロースの発端となった、煙突(窓とも)から3度に渡って、お金の為に身売りしなければならない娘たちのために、入り用のお金をその家に投げ入れて救ったという逸話があります
そしてすぐ気がつく事は、煙突からプレゼントを持ってやってくるサンタクロースは、ここから来ているんだなと思いますよね
そのお金は暖炉に吊るして干していた靴下に入りこんだと聞くと、いよいよ馴染みのお話しになってきます
付け足すと、靴下にプレゼントを入れたり、クリスマスまでプレゼントをツリーの下に置いたりするのは、シンタクロース祭のオランダの人々の習慣からだそうです -
柵の中の聖人のアイコン
ロシアでは、どの教会に行ってもあると言われるほど聖ニコライは慕われているそうです
歴史では遺物とイメージに触れた後に起こった何千もの癒しと奇跡の事例があるという事で、 アイコンを通して助けを必要とする人々は本当に助かったと言われ、特にロシア正教では大切に扱われています -
教会の地下にある遺物を納めたところの全体像
とても神聖
ローマ帝国リュキア属州のミラ(マイラ)に老衰で安らかに亡くなった後、ミラの堂に納められた聖ニコラオスの不朽体からは芳膏が香っていたそうです
その不朽体(ふきゅうたい)が横たわるお堂は柵に囲まれています -
全体をバシャバシャ撮影しない方がいいかなと思うムードで、上の方だけ撮ってきました
-
こちらが遺骨を祀っているものの上部
ウィキペディアを後に見たら、この下部にお墓があるそうです
見た目は普通に床のようでした -
木の柵で覆われたエリア内部の横
プーリア州の白い感じが出ています
小アジア(現トルコ)のローマ帝国リュキア属州のミラ/マイラ又はミュラ、ミールの町の司教だったミラのニコラオス
幼少の頃から敬虔な両親を驚かす良い子だったと言う事です
彼の母と父の自然死の後、ニコラスは貧しい人々にすべての財産を与え、天使のお告げによりミラ/ミールの司教になりました
今日、この都市はデムレと呼ばれ、この場所はアンタルヤのトルコの地域にあるのですが、キリスト教の発祥の地の1つで、岩をくりぬいて作られた墓地などローマ遺跡などが残り、美しい海岸が呼び物の観光スポットで、よくパンフレットで見ていました
行った事がないのでトルコへ旅行したい!と、この機会に思った次第です
歴史の深いバーリではビザンティン帝国に属していたこともあり、1087年にヴェネツィアの商人の発案で、リュキア地方の領土を征服していたイスラム勢力から様々なキリスト教関係の物が繰り返し襲撃され破壊されている時期、リュキアのマイラにある教会に聖ニコラスが埋葬されているのを重じて、教会側は反対したものの奪うように持って帰り、事実上、聖なる長老の遺物を救ったと言うことです
ニコラスの遺物を持ち去ったその後ヴェネツィア側は自分たちの土地に移したかった所を強行でバーリに再埋葬、それらの経過が「盗難」と表現される理由のようです
遺物はヴェネツィアにも納められていて、リド島(リード)に一部があるという事 -
聖人の不朽体のある場所に居られて、ありがたくって感動です
ここにいられたのは最高の良い思い出 心に刻みます
クリプトの中を見渡すと、コラムの大理石も見たことのない模様でイタリアの石の豊富な採掘にまた感動 -
石に書かれた聖ニコラの祭壇の横にあった説明
読めませんが1984とあり、年号だと思うので、比較的最近に設置されています
Papa Giovanni Paolo II と記されているので、私も大好きだったヨハネ・パウロ2世ローマ教皇に関するものであるよう
そしてクリプトには他にも聖人のイコンがありました -
手前は2人の後光さす聖人
向こうにはイエスやマリアと、救い主にまつわる最後の晩餐などの物語が描かれています
345年と言われている聖ニコラスの死の正確な日付は不明ながら、歴史家は341-351年頃だと指摘しています
色々はっきりしないので、亡くなられたのは12月6日とも12月19日ともあり、一般には2回両方とも祀られているそうです これに5月の聖遺物がバーリに着いた日も合わせて年に3回のお祝い日(記憶日)がある聖ニコラスは稀少な存在と言うことです -
そろそろクリプトを出ます
地下のクリプト出口付近
絵も飾られ、天井の形、ヴォールトの感じも良かったです -
サン・ニコラ寺院の地上部に上がって来ました
-
上のメインの教会内部には、最もこれがサンニコラのイメージだという代表的な像があります リアルです
でも自分はこれがなんだか苦手で遠巻きに写真を撮りました
とても活き活きとした、きっと良い像だとはわかるのですが、まぶたがないタイプの像で暗いところにあり、そのきっとにらむ感じがすごく怖いと思ってしまいました -
様々な奇跡で知られる聖人ニコラの不朽体を祭るために設立した聖堂
最後に見たのは、このレリーフ -
外に出て
そろそろブレックファーストのため宿に戻ります
サン・ニコラ寺院の正面エントランスの上には
顔は人間
羽のある猫科の脚
スフィンクス? -
牛と思われる2頭の動物が支えている柱
ウシで違いないよう見えます
でもツノ無いですね
これきっと悪魔のツノに似ているとかそういう連想イメージのためですよ -
教会角に貼られていたバナーには現ローマ法王のお姿
この年の数ヶ月後にお見えになるということ -
朝は影に隠れますが、向こうに小さく見える像はサンニコラ
ピースサインが人気
手前に立っているのは本物の人間、そろそろ8時になるので観光客も集まり始めました -
8時ちょっと前に宿に戻って来ました
この聖画のある建物です -
時間をあらかじめ聞かれていたので、指定した8時に朝食をトップフロアーに上がって食べに行きます
階段は上に行くにつれ狭く細くなって、こんな感じ -
トップフロアー/屋上部の踊り場で
誰も居なかったけれど、見た時これが私のために用意していただいているブレックファーストだとわかりました
なんかとても良い感じ -
泊まり客はこの時私だけらしい
予約の時のレビューに「朝ごはんは屋上で」と皆が書いていて、それは冬の寒い時でも屋上なのだろうかと思ったのですけど、この2月でも屋上で、でした
雨の場合はお部屋で とチェックイン時に説明を、今日は晴れているのでお外で朝食です -
でも屋上にもガラス窓の雨風防げる席もありましたね
-
宿の方が来て、屋上を見学する?となり、短い階段があったので登りました
-
ちょっとモロッコかな、このノリ と回想してしまう
サテライトディッシュの大群はなくてもTVのアンテナは印象的で、眼下に見えるのはとにかく屋上という流れ -
TVアンテナの向こうにアドリア海が見えました
-
もっと見渡すと・・
-
近くの海が見え、望遠にしてみたらハーバー発見
-
もっと他もランダムにレンズをフォーカスしたら、岩場に作りかけ(?)の壁が
海が見れるって言うのは、この程度でも何かうれしいのでした -
バーリの岬を代表している、近くに見える教会と塔
多分バーリ大聖堂だと思うのですが・・ -
下を見ると生活の場
おもちゃの町みたい -
食事にします
バラエティに富んだ食べ物が乗っているテーブルは可愛くて嬉しい -
予約のサイトを通じてリクエストしておいたブレザオラ(ドライビーフ)を出していただきました
聞いてくれたんですね
感動します
その他もヨーグルト、チーズ、ジャム、数種のパンにプチトマトや殻ごとのクルミ、オレンジやストロベリーとたくさんの美味しいものが並んでいました -
晴天の中で小さな贅沢
バーリ大聖堂とサンニコラ寺院が目の前で
なんと言っても冬の朝に、外でブレックファーストするなんて… 南イタリア以外に考えつくでしょうかと思いました -
このバターはめっちゃ美味しい
非常に繊細な塩味が更に素晴らしかった -
宿をチェックアウトの際「ブッキング.comでいい評価をよろしく」と言われ、ああ、それだからこのエリアの宿はどれも凄い高評価が付いているんだなと直感しました
もちろん朝食も含め、大変良いホスピタリティーがあったので5段回評価中の5にしときましたけど、お願いされると微妙な気分
その後すぐバーリに旅行したお友達も高評価のお願いされたと言っていました
これは当初私が泊まるはずだったシングルルームの入り口
ここからトンネルをくぐって探検してみます -
道路に直接あるシングルルーム用のドアの横
こういう突起がしばしば路地にあるのは車よけ等の理由なのだろうか
あると道路も可愛くなって良いけれど、存在の意味をいつも不思議に思う -
とても楽しいトンネルくぐり
-
聖画がここにも
-
建物下トンネル内にはドアもあり、出入り口にしている家もあります
こぜまそうだけど
こういうアイデアが住まいにあるって楽しくなるなあ -
トンネルをくぐるとそこにはパティオ
その中庭を拝見 -
みんなでシェアする空間
きれいにしていますね -
南国風のプラントがエキゾチック
これが共同のパティオ
ちら見でした -
小冒険を終えて元の所に戻りますが、建物下をくぐる白いトンネル道から聖画を見る図は、この地の特別絵的な場所だと思いました
-
サンニコラ寺院の壁をつたう道を南下して行きます
-
まもなくにぎやかな界隈に到着
-
可愛いおみやげ店がありました
ここはバーリの観光写真でそそる所
今見るとこのカゴ類欲しいです -
みんな地元民のお手製かな
夏らしいグッズがいっぱい ほんと欲しくなります -
お土産品で
使えそうなもの
アルベロベッロのトゥルッリの貯金箱
これだけ集まると可愛い
この夜行くアルベロベッロ、本物のトゥルッリに泊まります -
バーリは港町
サンニコラは、舟や安全な旅の守護聖人でもあります
船乗りや漁師と言われていますが、商人のふりをした司祭たちとも言われていて(多分全部)、彼らがギリシャ領の今はトルコのアンタルヤに眠る聖人サンニコラの遺物を持って来たのも舟でした
巡礼で来たなら絶対買って帰りたい、サンニコラ教会前のお土産屋さんに売っている壁の飾り
それにしても盗むっていうのは、守るために奪って来たのをヴェネツィアと取り合った背景を思うと、ニュアンス的にそんな感じだったんだ と思う
ヴェネツィアもエジプトからサンマルコの遺物を盗んできたと言うし同じ流れで -
ちょっと前までおすすめ出来ないガラの悪い都市だったらしいのですが、今ではその評判だけが残るせいか、人混みのない穴場の観光地に変化したバーリ
旧市街などこんなに清潔にしていて、食べ物も美味しい、物価良しで今度はゆっくり来たい所となりました -
きれいに晴れた日でした
窓のお洗濯物もナポリのように名物 -
この向こうにあるプレゼぺPresepeを見に行きます
-
めっちゃかわいい ここ
Presepeプレゼペは、Presepioプレゼピオといわれる方がメジャーかな -
かわいいと言っては失礼なくらい壮大な作り物
-
これはすごい …!
-
すごーく凝っています
水も流れる、古代は.. おそらくイスラエル -
キリストが生まれた時代のベツレヘムだとしたら、結構な都会だったと連想しますがどうでしょう
-
このすぐ隣奥に質素な製作場所がありました
製作者の方がいるようです -
こちらで小物を作っていらっしゃるようでした
ただいま十字軍の帆船を製作中
腕利き職人の技
しかも愛想がとっても良い方 -
細かい
それに芸術的 -
人物も程良く居て、町の楽しい様子が伺えます
-
街並み最高!
これなら旅行しに行きたいです
と・・・
「プレゼペ」なのでイエスの降誕場面
ここに産まれた赤ちゃんがいて、みんな見に来ている設定みたいですが、あれ家畜小屋または洞窟でひっそりじゃなかったの? と気がついても固い事は言いっこなしで
プレゼペは地方によってそれぞれなのだそうです
これはナポリ風かな -
この今いる建物そのものがすでにプレゼぺの中のもののよう
無料なのが驚くくらいですが、お金を置いていく場所が用意されているので、ここにいくらか置かずにいられませんでした
もうすぐクリスマス、たくさんのX'mas関係の美しい飾りを目にする季節
こうして見てみると、こういったものは年中でも見ていたいなって思います
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この旅行記へのコメント (4)
-
- マリアンヌさん 2021/12/10 13:40:35
- サン・二コラ教会
- and Relaxさん こんにちは。
海外旅行に行けなくなって2年あまり。バーリ懐かしくて涙が出そうです。
私はいつもせわしない旅が多くバーリも2度訪れているものの旧市街滞在時間も短くてand Relaxさんのおかげで色んな路地を垣間見れました。
移動の便利さから駅に近い新市街のB&Bだったのですが、やっぱり旧市街に泊まるといいですね。
そしてサン・二コラのクリプト、ミサで入れなかったんです(涙)
サルコファガスのところの説明もありがとうございます、英語は出来ないし、イタリア語でもほんの少しだし・・・仰る通り、ローマの領土だったマイラの教会から持ってきたのでしょうね。サン・二コラのお話、とても興味深く拝見しました。
先日、四国の大塚国際美術館でレプリカの聖二コラオス・オルファノス聖堂(テッサロニキ)を見たのですが、壁画の中にサンタクロースの靴下にプレゼントを入れてもらうのルーツとなった貧しい3人の娘の救済の絵がありました。
私はまだトルコもギリシャも行ってなくて、いつか行けるといいのですが。
そもそもイタリアのクリスマスといえばepifania & befana。
三賢王の礼拝と魔女がプレゼントを配る日(悪い子には炭を靴下にとか(笑)と聞いています。Babbo Natale(サンタクロース)は北方文化で後からきたと伺いました。
そして三賢王といえば、ミラノのサンテウストルジョ教会。殉死後、コンンスタンティノープルに葬られていた三博士の遺骨が祀られているそうですが、ササッと訪れたのでリベンジしたいです。
サン・ニコラ教会といえばロマネスク。プーリアにはまだまだ訪れたいプーリアロマネスクの教会がたくさんあります。自由に訪れることが出来る日、そんな日は来るのでしょうか。
マリアンヌ
- and Relaxさん からの返信 2021/12/11 05:00:09
- Re: サン・二コラ教会
- マリアンヌさん、こんにちは!
バーリで撮ってきた写真を喜んでくれて、とっても嬉しいです。
なかなか一般受けしない街のようですがひそかに人気があるようで、私も思いきって1日過ごして良さを知った感じです。
クリプトはバーリ大聖堂の方が見どころだと言われていますが、確かにあちらの方が比較すると見るものが多いので、シンプルなサンニコラ寺院の方は注目度が低く思いましたが、サンタクロース伝説を考慮すると断然サンニコラの方ですね。ミサが行われていたなんて又是非出直さないと。早くその日が来ますよう。
私は聖ニコラの癒しの奇跡、お話の中だとしてもその力を必要としている時で、信じるものは救われる と思いながら作った旅行記でした。
記憶にあるのはマリアンヌさん、以前旅行記でビトンドですか?バーリの近くの街に教会を訊ねていらしたのをお見かけしたと思うのですが、その時私も「バーリの空港からバーリ市内行きの反対側の最終駅に見どころある街が存在しているんだ、すごいなー南イタリアはどこに行っても」と驚きと感動を持って読ませて頂いたのを覚えています。
サンニコラの石棺の部分は恐る恐るコメントしてみて、間違っていたら広めちゃう事になるから後に消してしまおうかと思いながら書いたもので、ふと思ってその現トルコのミュラの聖ニコラオス聖堂(アギオス・ニコラオス聖堂)に残る元来の聖ニコラオスの石棺の写真を見たんですね、そうしたら一面ぽっかり穴が空いたような状態になっていて、あり得る事だからコメント残してみちゃおうか となったのです。
でもあの壁のレリーフがサルコファガスにぴったりはまるかとは言い切れないので(足元は一致しそうなんですけど・・・)、まあ想像の範囲にしても旅行記のいちコメントですので面白いと思いました。
その写真が貼れないかと探したら、このURLに載っていたのでよかったらご覧になってみてください。
https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9
ギリシャ、トルコにも行きたいですね。私も行った事が無いのです。
それにしても手軽にバーリにひとっ飛び出来る土地に住んでいるので、週末ちょっと海鮮手打ちパスタを食べて干しトマトを買いに寄りたいです!近くて遠い所となりました。
and relaxより
- and Relaxさん からの返信 2021/12/11 05:36:26
- Re: サン・二コラ教会
- 訂正事項です。
マリアンヌさん、上に(アギオス・ニコラオス聖堂)とウィキを間に受けて書いたのですがアギオス・ニコラオス・オルファノス聖堂と言うのはテサロニキにある方のニコラウス聖堂のようでした。
マリアンヌさんが行ってらした大塚国際美術館の方です。wikiwandでは不朽体が運ばれたのもバーリ大聖堂になってしまっているので、「あれ?」と思い見返したらこれでした。
調べ物は集中心と確認が要りますね。何卒。
- マリアンヌさん からの返信 2021/12/13 11:47:15
- RE: Re: サン・二コラ教会
- ご丁寧にお知らせくださり、ありがとうございました。
でもミュラ(デムレ)の St. Nicholas Churchの写真をグーグルマップで検索すると
確かにサルコファガスの一面が切り取られていて・・・
歴史は楽しいです♪
マリアンヌ
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