2019/07/14 - 2019/07/14
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samsoさん
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梅雨空の中、宮城県の松島方面に行ってみた。
東京駅から新幹線で仙台に行き、仙石線で松島海岸駅まで行って、松島を観光。
それからさらに、仙石線で東松山市の野蒜駅まで。
KIBOTCHA(キボッチャ)という防災体験施設で自転車を借り、震災の爪痕が残る辺りをサイクリングした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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東北新幹線。
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「はやぶさ」に乗車できたのは、発車5分前だった。
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車窓から見えた雨に濡れた田園風景。
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松島海岸に行くために、ちょっと離れた仙石線のホームに向かった。
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仙石線ホームは地下にあった。
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松島海岸まで行く電車はすぐに来ず、2本後にようやく乗車。
電車はしばらく地下を走り、地上に出た。
松島海岸駅に着くには、40分かかるので、うとうと。 -
気がついたら、大勢の人が降りてゾロゾロと歩いていく。あっと思ったら、電車が発車。終点の次の高城町駅で降りた。どうやって戻ろうかと思ってホームにいたが、乗ってきた電車に再び乗ればいいいと気がついた。
わりとすぐに電車が発車し、松島海岸駅へ。ロスタイムは15分ほどですんだ。 -
松島海岸駅を出ると、しっかり雨が降っていた。とりあえず、松島島巡り観光船の発着場に向かった。
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途中に海鮮の焼き物屋がいくつもあったが、素通り。
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観光船の発着場に到着。
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雨が降っていたので、島々は霞んで見えた。
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雨の中では島巡り観光船は楽しそうもなかった。
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向こうに五大堂らしき建物が見え、行ってみることにした。
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赤い橋が見えてきた。
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日本三景碑があった。
「陸奥松島・丹後天橋立・安芸厳島」。まだ「安芸厳島」には行ったことがない。 -
五大堂に到着。
立て看板に「瑞巌寺 五大堂」とあったので、瑞巌寺の一部の仏堂のようだった。五大堂 名所・史跡
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仏堂のある島へは2つの透かし橋を渡る。
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橋の隙間からわずかに海面が見える。
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松島湾を望む。
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仏堂は、東北地方最古の桃山建築らしい。
五大堂 名所・史跡
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戻って、福浦島に渡ってみようと思って歩いていくと、東日本大震災の慰霊碑があった。
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福浦橋が見えてきた。
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橋に近づいて、どこから渡るのかと思って、うろうろ。
建物の中に入らないといけないとわかって入ると、女性が通行券を買う必要があると。
券売機があった。 -
通行券は200円だった。
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赤い福浦橋を渡る。
福浦島 自然・景勝地
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とりあえず、展望台を目指して、緑が濃い歩道を登っていった。
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展望台に到着し、松島湾を望む。
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帰り道、ヤマユリが咲いていた。
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12時を過ぎていて、お腹が空いてきた。
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橋が見えてきた。
観光船の発着場に戻ったが、まだしっかり雨が降っていて、島巡りは諦めた。 -
お腹が空いていて、食べる場所を探したが、まともそうなところはどこも混んでいて、瑞巌寺に到着してしまった。
拝観料の券売機があり、700円だった。瑞巌寺 寺・神社・教会
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歩いていくと正面に本堂が見え、右に庫裡があった。
瑞巌寺 寺・神社・教会
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本堂へは庫裡から入場する。
庫裡に入ると、偉そうな下足番のおやじがいた。
堂内は撮影禁止。
本堂は、寺というより贅を尽くしたきらびやかな武家屋敷の部屋の数々。金箔がふんだんに使われていた。
https://www.zuiganji.or.jp/keidai/hondou.html瑞巌寺 寺・神社・教会
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渡り廊下から見えた庭の一部。
石庭もあった。 -
外に出ると、岩をくり抜いた「倉庫」のような部屋があった。
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岩をくり抜いた通路。
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庫裡の向かいの建物「青龍殿(宝物館)」に入った。地下の展示室も撮影禁止。
臨済宗妙心寺派の瑞巌寺は元々天台宗延福寺だった。天台宗延福寺は鎌倉中期に滅び、その後法身禅師が円福寺として開山。その円福寺は発展したが、妙心寺派に属するようになり、伊達政宗が規模拡大をはかり、その後瑞巌寺と改称されたというような寺の変遷がわかる展示物があった。
1階の出口近くにテレビ画面が置いてあり、2008年12月から約10年に及んだ「平成の大修理」の模様をビデオ上映していた。
「屋根葺替え工事では、5万枚以上ある大屋根瓦のうち約3万枚を新たに製作し、創建期の古い瓦なども利用し、年代別に瓦を並べ替え葺いた」「新たにコンクリート基礎の構築と本堂壁の耐震補強工事が行われ、耐震補強のため、ポリカーボネート板を特殊穴あけ加工してパネル化したものを壁内に仕込んだ」など、興味深い内容だった。震災時も工事中であったが、重い瓦は降ろしてあり、浸水が参道の途中で止まったため、被害はなかったようだ。 -
鬼瓦。
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宝物館から庫裡を望む。
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「平成の大修理」のビデオを見たので、本堂の大屋根を見に行った。
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古い瓦と新しい瓦が混ざっているようには見えなかった。
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出口に向かうと、右側に岩窟が見えた。
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「格子戸の嵌まった岩窟は鎌倉時代半ば、宋より帰朝し、この岩窟に遁世していた法身禅師と執権北条時頼が出会ったところと伝えられている」らしい。
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雨に濡れた参道は綺麗だった。
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参道のそばに「鉄道殉職者慰霊碑」があった。
「碑が建立された当時、仙台鉄道局管下での鉄道敷設以来の殉職者数が750名を数えていて、この碑はこれらの殉職者の慰霊のために建立されたもの」だそうだ。 -
「鉄道殉職者慰霊碑」の近くには、洞窟遺跡群があった。
「松島を形成している第三紀凝灰岩層を掘った洞窟は松島のいたるところに見られる。地上の洞窟群は地下の洞窟より先行する事は考えにくく、天台宗徒が掘ったと言われているが、江戸時代以降の供養塔しかない事から江戸期に掘られた洞窟群と考えられる。洞窟内は塔婆・五輪塔・戒名等が無数に刻まれ、供養場として使用されていたことがわかる」らしい。 -
参道の横には、「復興地蔵堂」があった。
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東日本大震災の犠牲者を供養する悲母地蔵。
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庭が綺麗らしい隣の円通院に行った。
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拝観料200円を払って、境内に入ると、石庭があった。
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石庭「雲外天地の庭」
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東屋。
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雨に濡れた苔が見事。
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ヘタレた階段があった。
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19歳の若さでこの世を去った伊達光宗公の霊廟三慧殿に行くと人だかり。
ガイドの説明に聞き入って人たちだった。 -
宮殿型厨子におさまる馬上束帯光宗像。
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大きなフキ。
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支倉常長が持ち帰った日本最古の薔薇があった薔薇園。
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円通院は、バラ寺とも呼ばれるらしい。
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「中門をくぐると本堂の前に心字の池で構成された歴史を感じさせる遠州の庭」があった。
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「この庭は伊達藩江戸屋敷にあった小堀遠州作の庭を移設した」らしい。
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本堂でガイドさんの説明に聞き入る人たち。
映画「蜩ノ記」の撮影で岡田准一が円通院に来てそこに座ったから、まだ匂いが残っていると女性に伝えていた。 -
「本堂大悲亭は光宗君の江戸納涼の亭で、愛息の早逝を悼んだ忠宗公が解体移築したもの」
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桔梗が咲いていた。
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蓮池弁財尊天の池に蓮の花が咲いていた。
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お腹が空いていたので、「松島さかな市場」に行ってみた。
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食券売り場は長蛇の列で、諦めた。
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市場の中は、ほとんど干物売り場だった。
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2階の食堂はそれほど混んでいなかった。
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「松島さかな市場」のすぐ近くにあった「みちのく伊達政宗歴史館」の前を素通り。
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船の発着場近くの店で、お昼すぎには待ち行列ができていた店の前に人がいなかったので、入ってみた。カウンター席には、一組しかいなかった。
適当に座ったら、端の席に移動してと言われた。
隣にいた客が生ビールを注文してなかなか出さないので、「ビール入ってます?」とオヤジに聞くと、「え~と」と言いながら、客の目の前のビールサーバーでビールをジョッキーに入れ、だまって客に差し出した。 -
千四百円ぐらいの刺身定食を注文した。
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松島海岸駅に向かう途中で、まだ時間があったので、土産物店に入った。
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小腹空いていたので、ずんだ団子を買った。
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団子をデザートにコーヒーを飲みたいと思い、団子スタンドの向かいにあったコーヒースタンドでドリップコーヒーを頼んだ。「少し時間がかかりますけど」と言われ、「どれぐらい?」と聞くと、「え~と」と言って、紙を見せられた。5分ほどあった。客に断るほどの時間じゃなかった。
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発車時刻の5分ほど前に、松島海岸駅に到着した。
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小雨の中、トンネルから電車がやってきた。
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電車は空いていた。
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6駅で野蒜駅に到着した。
電車を降りたのは、私だけだった。 -
シンプルな改札口だった。
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東日本大震災の後に、被災した旧野蒜駅と違う場所にできた駅なので、駅舎はまだ真新しかった。
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駅の近くには、震災後に新築された住宅が並んでいた。
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まっすぐ進んでいくと、宿泊先の「KIBOTCHA」の非常に小さな標識があった。
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左に行くと、右手に降りる階段があった。
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仙石線の下のトンネルを越えて進むと、「KIBOTCHA」の文字が見えてきた。
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「KIBOTCHA」は罹災した旧野蒜小学校を改築した三階建の防災体験施設。
受付に行って名前を告げると、予約がないと言われた。仕方なく、予約完了メールを見せると、しばらくして「ありました」。次は「支払いは現金ですか?」と聞かれた。「クレジットカードですが…」と告げると、「支払い済みでした」と。KIBOTCHA 宿・ホテル
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部屋のカギをもらい、2階に行くと、子どもたちの遊戯施設があった。
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震災時の様子を見せるシアタールームもあった。
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部屋番号が「205」だったのに、3階にあった二人部屋はシンプルなものだった。
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部屋の外は小学校の廊下を思わせる通路。
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部屋を出て、2階の防災体験部屋を覗いた。
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受付で、自転車をレンタルし、近くを散歩することにした。
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少し行くと、工事中の土地があちこちにあった。
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向こうに旧野蒜駅が見えてきた。
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駅近くに行くと、「震災復興メモリアルパーク(東日本大震災復興祈念公園)」の碑があった。
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震災でなくなられた方の名前があった。
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「東松山市の人的被害:死者数1109人、行方不明者数24名」とあった。
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旧野蒜駅。
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駅に併設された震災復興伝承館に入った。
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2階に行くと、震災当時使われていた乗車券販売機があった。
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2階の部屋に入ると、震災関連の展示物があった。
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震災時の様子を見せるビデオ。
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震災復興伝承館を出て、野蒜海岸に行ってみることにした。
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海近くに行くと、震災で津波の影響を受けたと思われるひょろっとした木が何本もあった。
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海岸の前には、巨大な防潮堤があった。
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防潮堤の上に登った。
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すぐ近くに「鳴瀬川」の河口があった。
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海岸では何人か釣りをやっていた。
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借りた自転車。
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海岸を離れると、すべての石碑がまだ新しくみえる墓地があった。
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復旧・復興の概要を伝える標識。
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ここまで水位上昇「787cm」とあった。
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あちこちに東日本大震災の最高水位の標識があった。
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ここにも。
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ここにも。
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「KIBOTCHA」に戻り、風呂場に行くと、ヒノキの湯船だった。誰もおらず、気持ちよく、入浴できた。
入浴後、レストランに行った。 -
思ったほどメニューの品数が少なく、悩んで牡蠣フライにした。
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