2019/06/22 - 2019/06/22
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montsaintmichelさん
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後ろ髪を引かれる思いで「あじさい苑」を後にし、釈迦堂や奥の院にある薬師堂、青蓮院親王御陵を目指しました。
釈迦堂は、本尊に石仏「合掌姿(おがむすがた)のお釈迦さま」を祀っており、腰痛や神経痛などの「当病悉除」や阪神淡路大震災で実証された「息災安穏」にご利益があるパワースポットです。また、本尊の縁起にも興味深いものがあります。
薬師堂は、本尊にかつて桂昌院が幼少の頃に両親と共に参詣・参籠した成就坊に祀られていた内仏 釈迦如来像を祀っています。桂昌院との所縁から「出世薬師如来」と呼ばれ、開運出世の信仰を集めています。また、境内一のパノラマビュースポットでもあり、京都盆地が一望できます。更には、7代目小川治兵衛が作庭した裏庭も見逃せません。
奥の院の中の奥の院には青蓮院親王御陵が鎮まり、歴代門跡の廟所が玉垣に囲まれています。百人一首の起源となる和歌の選定を藤原定家に依頼した宇都宮頼綱も出家して蓮生と号し、北尾往生院(現 三鈷寺)再建に尽力したことからこの地に五輪塔が祀られています。
一方、桂昌院から寄進された和歌色紙や豪華な道具類などを展示する文殊寺宝館も見所満載でした。空調が利いた展示室でしっかりとクーリングダウンできました。折角ですので、寺宝館が公開されている時期に訪ねられることをお勧めします。
善峯寺のHPです。
http://www.yoshiminedera.com/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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鎮守社
社殿は向かって左から十三仏堂・弁財天堂・毘沙門堂・護法堂と並んで4社あり、どれも覆屋に収まっています。全て1692(元禄5)年の建立です。妻飾りや六葉などの細部意匠がどれも同じなので、同時期に建立されたことが判ります。
左端の十三仏堂には善峯寺の諸守護神が祀られ、その隣の弁財天堂は明治維新までは善神竜王社と呼ばれていました。 -
高台をトラバースする際に木立の隙間から経堂を見下ろせます。
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釈迦堂
アナベルは、古来日本で親しまれている紫陽花とは少し趣きの異なる清楚な純白の紫陽花です。米国原産の野生種「ワイルドホワイトハイドランジア」を原種に園芸用に品種改良されたもので、「アメリカノリノキ」と呼ばれることもあります。
花言葉は、「神の信頼」「ひたむきな愛」「寛容な女性」。一般の紫陽花は色の変化から「冷淡」「移り気」というネガティブな花言葉を付けられていますが、こちらはイメージが異なるのが判ります。 -
釈迦堂 手水舎
西山三山のひとつである楊谷寺で大人気の「花手水」に刺激されたのか、控え目ですが釈迦堂前の手水に紫陽花を生けています。
こちらも本堂と同様に名産の生竹を利用した柄杓です。 -
釈迦堂
1885(明治18)年に石仏を祀るために建立されました。
本尊 石造仏 釈迦如来像は源算上人の作と伝わります。元々は釈迦岳(標高630m)の山頂に祀られていた石造仏ですが、堂宇が焼けて野晒しになったため、1880年に善峯寺に遷されました。
釈迦如来が往時の住職の夢枕に立ち、釈迦岳から下ろしてくれるように頼んだことから、釈迦堂が建立されるまではかつてこの地にあった薬師堂に合祀されていたそうです。 -
釈迦堂
向拝の手挟(たばさみ)には迫力のある阿吽形の龍が彫られています。 -
釈迦堂
230年以上も前の彫刻とは思えないほど、生き生きとしています。 -
釈迦堂
内陣に掲げられた豪華な扁額は、237世天台座主 石室孝暢師の揮毫になります。 -
釈迦堂
石造仏の姿は、日本では類を見ない「合掌姿(おがむすがた)のお釈迦さま」です。 -
釈迦堂
石造仏は上半身、下半身、台座の3ピースに分かれており、その間にはお賽銭が挟まっています。
あまり知られていないのですが、このように石仏の脇まで立ち入ることができ、触れることもできます。
腰痛や神経痛などの「当病悉除」や「息災安穏」に霊験あらたかです。 -
釈迦堂 薬湯場
善峰寺は伝説の霊湯「釈迦の薬湯」でも知られています。
釈迦岳から石造像を遷そうとした際、仏像から玉の汗が流れました。住職はこれを霊液だと直感し、御堂の脇に浴室を設けて薬草を混ぜて参詣者に提供しました。その薬湯は神経痛や腰痛に薬効があったそうです。
薬師堂の右側にある「釈迦の薬湯」は、かつては夏の縁日に善峯で取れる百草湯で沸かされて一般参詣者も入浴でき、神経痛や腰痛平癒をはじめ諸病に効能があったそうです。しかし、2008年に惜しまれながら閉湯したそうです。 -
高野槙
薬師堂への参道は坂道になっており、その取り付き右手に「祝 悠仁親王さま お印の高野槙」が植えられています。
高野槇がお印となった理由は、高野槇は巨木となることから、ゆったりとした気持ちで大きくまっすぐ育って欲しいという思いからだそうです。誕生されたのは2006年のことですから、植樹から13年目を迎えます。 -
出世薬師如来の石柱
奥の院への入口には鄙びた狛犬が睨みを利かせています。
奥にある朱色の鳥居は稲荷社のものです。正一位稲荷大明神を祀っています。
正一位とは、律令制下、朝廷より諸臣に授けられた位階のことで、官人の地位を表す等級として一位から初位の位階があります。奈良時代中期以降、この位階が人に対してだけでなく、神にも授位されるようになりました。
稲荷神社は、827(天長4)年に淳和天皇より従五位下が授けられましたが、その後進階を重ね、942(天慶5)年に朱雀天皇より正一位に叙せられました。 -
参道には紫色系の紫陽花が咲き乱れ、エールを送ってくれます。
借景となる整然とした杉林との対比に心癒されます。 -
ナンテン
メギ科ナンテン属で、中国や日本が原産の常緑低木です。初夏に咲く淡い黄色をした花が徐々に赤色になり、冬になると真っ赤な果実を実らせます。漢名「南天燭」から、「ナンテン」と呼ばれます。
魔除けや火災除けの効果がある植物とされ、江戸時代には玄関先に植えられ、鬼門となる南西の方角に置くのがよいとされています。その他にも、「難を転ずる→難転→ナンテン」という意味合いから、お年寄りが転んだ時に寄りかかれるようにトイレの近くに植えられたそうです。
花言葉は、「幸せ」「私の愛は増すばかり」「よき家庭」。
「私の愛は増すばかり」という花言葉は、花を付けた後に真っ赤な実が成る様子が愛情の高まりを彷彿とさせることに因みます。 -
ホタルブクロ
キキョウ科ホタルブクロ属で、中国や日本原産の多年草です。
和名は「蛍袋」「火垂る袋」「穂垂る袋」などと表記されます。昔、子どもたちが蛍を捕まえてこの花の中に入れて遊んだことに因むという説、また、提灯の古い言葉「火垂(花の形が提灯に似るため)」が語源など諸説あります。
花色には赤紫のものと白とがあり、関東では赤紫、関西では白が多いそうです。
白いホタルブクロは外側は純白ですが、ホタルブクロ独特の模様は花の内側に秘められています。
花言葉は、「正義」「貞節」「忠誠を尽くす心」「感謝の気持ち」「愛らしさ」「忠実」「誠実」。「忠実」「正義」は、教会の鐘を連想させるホタルブクロの花姿に因むとも言われます。 -
話し声が聞こえるので見上げると、「けいしょう殿」が見えました。
皆さんここで暫しの休憩を取られているようです。 -
薬師堂
石段は、薬師堂への表参道です。
この石段を登るのかと思うと挫けそうになりますが、心配ご無用です。
左側にある「けいしょう殿」への坂道を登り詰めれば、薬師堂の裏庭に出られます。
長い人生、時には迂回することも必要です! -
けいしょう殿
1987年、花山法皇西国三十三箇所札所中興一千年を記念して建立された見晴台にある四阿風の六角堂です。
ここは、桂昌院を祀っています。奇しくも本日6月22日は桂昌院の命日でもあります。(旧暦ですので新暦では7月24日になります。)桂昌院忌法要は、毎年6月22日の前の日曜日に本坊で行なわれています。 -
けいしょう殿
ひらがなの「けいしょう」は、「景勝」と「桂昌」を掛けているのでしょう。
幼い日に寝食を共にした思い出の寺に幾度も足を運ぶことは叶わなかった桂昌院ですが、今は薬師堂の傍に桂昌院のブロンズ像が合掌姿で寡黙に鎮座しています。その下方には、往時はなかった1万株もの紫陽花が、彼女を偲ぶこの地を彩るかのように美しく咲き誇っています。 -
けいしょう殿
「犬将軍」と呼ばれた綱吉の生母ということから、足元には可愛らしい子犬が寄り添っています。桂昌院の膝に前足を載せて甘える姿がキュートです。
こちらの像も、螺形鋳金作家 小泉武寛氏が制作されています。
制作風景は次のサイトにあります。
http://kyotoawg.web.fc2.com/koizumi/keisyoin/seisaku.htm -
けいしょう殿
境内を俯瞰することができます。
中央に見えるのが桂昌院廟です。
手前の瓦屋根が白山 桜・あじさい苑にある幸福地藏です。 -
蓮華寿院旧跡庭
薬師堂の裏側(西)には、秋には紅葉が映える池庭「蓮華寿院庭」があります。この庭もそうですが、境内全体の庭園は、明治~昭和時代に活躍したカリスマ作庭家7代目小川治兵衛(植治:うえじ)が大正~昭和時代初期にかけて整備したものです。
錦雲が広がる極楽浄土をイメージし、境内に500本もの楓を植えたそうです。因みに、植治は、明治時代の総理大臣 山縣有朋の別荘「無隣庵」によってその才能を見出され、平安神宮の神苑や円山公園などを手がけています。 -
蓮華寿院旧跡庭
源算がこの辺りで写経したと伝えられ、その後、源算によって蓮華寿院が建立されたようです。歴代青蓮院の法親王が住まわれた場所ゆえ「御所屋敷」とも呼ばれます。観性法橋や慈鎮和尚が住して以降、道覚、慈道、尊円、尊道各親王が住されています。
味わい深い雪見燈籠などを幾つか点在させ、見事な石組みの滝に中島を配した池泉です。 -
薬師堂
境内の最上部には、奥の院に当たる薬師堂が鎮まります。
1701(元禄14)年に釈迦堂の西に建立され、1988年に現在地の中尾にある蓮華寿院跡に移築されました。本尊 薬師如来像は、桂昌院の両親が薬師如来像に祈願して子を授かり、その子が将軍の生母を経て従一位にまで昇り詰めたことから「出世薬師如来」と呼ばれ、「開運出世」の信仰を集めています。
薬師如来の開運出世守りは、本堂(観音堂)で領布されています。 -
薬師堂
こんなに高い位置にある堂宇ながら、このように参詣者が絶えません。
商家に生まれ育った女性が、将軍の生母となり、最終的に息子 綱吉の計らいで従一位という女性最高位に就けたのは、身に余る光栄だったことでしょう。
勝ち組・負け組と層別する格差社会が蔓延る現代社会では、出世といえば「他人を踏み台にして」など、ダートなイメージがつきまといます。しかし、母親としての桂昌院の生き様に着目すると、後ろ指をさされないまっとうな人として成長することが本来の出世とは言えまいか・・・。 -
薬師堂
蟇股は獅子の彫刻です。 -
薬師堂
薬師三尊は、左右脇侍に日光・月光菩薩立像を安置しています。 -
薬師堂
他の寺院の薬師如来像に比べ、薬指の曲げ方が控え目な感じです。
「薬指(くすりゆび)」の名の由来に「薬師如来像が右の第四指(薬指)を曲げているから」という説があります。薬師如来像は、通常は左手に薬壷を持ち、右手は施無畏(せむい)印相を結んでいます。その印相の特徴が薬指を少し前方に曲げていることです。そこから「薬師」を「クスシ」と呼び、「クスシ指」となり、
それが転化して「くすり指」になったと言います。
そんな訳で、薬師如来像が薬指を曲げていることに因み、多くの人がご利益を願って薬指を使って薬を混ぜたり、塗ったりするようになったとも伝わります。これは、指の使用頻度を考えると、薬指は汚れる機会が比較的少なく、一番清潔な指と言えるのが由来とされます。
因みに、中指を前に曲げているのが釈迦如来像です。 -
薬師堂
蟇股や飾り瓦など、堂宇のテーマは獅子のようです。
しかし、飾り瓦の阿吽形の獅子は少々風変わりでユーモラスな表情を湛え、思わず頬が弛みます。 -
薬師堂
「玉の輿」に乗った桂昌院の人生が幸せだったか否かは不明ですが、庶民より悩みも多く深く、責任も重かっただろうと察します。結局、幸せになったのは彼女の回りの人たちだけだったのではないでしょうか?
改めて桂昌院の生涯を辿ってみると、しみじみとさせるものがあります。 -
薬師堂
幼い日の桂昌院が両親と参詣した成就坊、現 薬師堂は、昔から境内一のパノラマビュースポットとされ、北方の鞍馬山~東山三十六峰~大和葛城山~近隣の山崎天王山までが一望できます。山城の平野集落洛中を一目で見渡せることから、「絶無の勝地」と謳われてきました。
生憎の霞空で、「布団着て 寝たる姿や 東山」(服部嵐雪)も影が薄いのが残念です。
幼少時に参詣の途中で見た朝日に輝く京の街並は、江戸で女性最高位に昇り詰めた暮らしぶりの中にあっても度々思い出されたことでしょう。 -
薬師堂
JR京都駅近くの京都タワーも見えます。
建築家 山田守氏と京都大学 棚橋諒教授による共同設計です。東本願寺の近くに立つという場所柄、仏教的な「ロウソク」や「筆」といったイメージが強いのですが、本来の設計コンセプトは京都の街を照らす「灯台」です。 -
薬師堂
1698(元禄11)年に桂昌院が薬師如来に献詠した和歌があります。
桂昌院自筆の謹写です。
「たらちをの 願をこめし 寺なれば 我もわすれじ 南無やくし仏」
「たらちを」とは父親の意で、将軍の生母となってからも実父の薬師信仰を忘れずに過ごしていたことが窺えます。
しかし、本来善峯寺の本尊は千手観世音菩薩です。この薬師如来像は、現在は薬師堂の本尊ですが、元々は善峯寺の住房のひとつの「成就坊」に祀られていた内仏でした。桂昌院が成就坊を改修し、外部から直接お参りできる薬師堂に改築したことが史料に残されています。恐らく、お玉さんが両親と共に参詣・参籠したのは、成就坊だったと思われます。 -
十三重石塔
裏庭の片隅にある塔の傍らには、苔生した無数の小仏塔が黙して語りかけてきます。
秋には、この辺りに白やピンクのシュウメイギク(秋明菊)が咲き誇るそうです。 -
十三重石塔
十三重石塔とは、「石造りで十三重構造の層塔」もしくは「石造りで十三層構造の塔婆」を言います。仏塔の一種とされ、元々は仏舎利(釈迦の遺体や遺骨、またはその代替物)を安置した仏教建築を言いますが、供養塔とされるものが大半です。石造の十三重層塔としては奈良市長谷町の塔の森十三重石塔(奈良時代後期)が最古とされますが、この塔は比較的新しいように思えます。 -
十三重石塔
元々の伽藍にあった四方仏石でしょうか? -
一之橋
参道に架けられた一之橋の傍らには、モリアオガエルの卵塊が産み付けられています。モリアオガエルは希少種であることから地域によっては天然記念物に指定されていますが、京都市や京都府ではそうではないようです。 -
慈母観音菩薩像
納経塚には、柔和なお顔をなされた慈母観音菩薩像が佇みます。
白衣を身に纏い、蓮の台座に佇み、柳の枝を片手に、水瓶をもう片方の手にする観音菩薩像です。水瓶には不老不死の妙薬とされる甘露水が入っており、これを人々に注ぐことで煩悩の炎を消し去ってくれます。
慈母観音菩薩像が「マリア観音」とも呼ばれる理由は、豊臣秀吉のバテレン追放令や江戸時代のキリシタン禁止令で弾圧を受けた信徒が聖母マリアの代わりに慈母観音を礼拝偶像に代用したからです。
石像も台座等の整地状態も、比較的新しいもののようです。 -
青蓮院親王御陵(宮内庁管轄)
雰囲気のある苔生した参道が続きます。 -
青蓮院親王御陵
手入れが行き届いた聖域には、幹肌が赤い樹木が目立ちます。霊木とされる高野槙の若木は、このように幹肌が赤く見えるのが特徴です。
コウヤマキ科コウヤマキ属の日本固有種です。太古には世界中に分布していたそうですが、洪積紀( 170万年~1万年前)に滅んでしまい、唯一日本で生き残った種です。
名の由来は「高野山に多く自生することに因む」とされていますが、腑に落ちません。調べてみると、高野山とコウヤマキとの関わりは意外に深く、寺院造営の材料に使用されてきた他、樹皮は船の浸水防止剤として全国に普及していたようです。これがコウヤマキの名を全国区に押し上げた最大の理由と思われます。と言うのは、木曽五木のひとつに同種の木がありましたが、江戸時代初期~中期にかけて尾張藩の政策で伐採が禁じられ「停止木」となり、世の中に普及しなかったからです。
また、コウヤマキは香木でもあり、邪気払いや悪霊退散など宗教儀式と密接な関係があります。特に真言宗総本山の高野山では独特の芳香により珍重されたものと類推できます。
一方、『日本書紀』には「棺桶材に好適」と記されており、油分が多く耐水性に優れた性質から、地中に埋めても腐り難いため重宝されました。 -
青蓮院親王御陵
境内の最高所に「御陵」はひっそりと鎮まり、善峯寺の住職を務めて1181~1403年までに亡くなった歴代門跡の廟所が石の玉垣に囲まれています。
平安時代末期に境内にあった蓮華寿院が青蓮院門跡の隠居所となったことから、青蓮院初の門跡 覚快法親王(鳥羽天皇皇子)が1181(養和元)年に薨去された際、法親王を善峯寺に葬りました。これが「御所墓」と呼ばれる親王御陵の始まりです。 -
青蓮院親王御陵
5柱の宝塔が見えます。
右端から「尊道法親王(後伏見天皇皇子)御墓」、「慈道法親王(後鳥羽天皇皇子)御墓」、「尊圓法親王(伏見天皇皇子)御墓」の文字が刻まれています。 -
青蓮院親王御陵
左端にある2柱、覚快親王(鳥羽天皇皇子)や道覚親王(後鳥羽天皇皇子)の墓標は五輪塔です。
覚快親王は、13歳で比叡山にて出家、密教等を学びました。権律師、法印を経て43歳で天台座主に就任、また法性寺座主も兼任しました。しかし、病を患い就任後3年目にして座主を辞し、青蓮院にて余生を過ごしたといいます。享年47歳。
道覚親王は、4歳で親王宣下を受け、12歳で出家しました。43歳で天台座主を任ぜられ、翌年には青蓮院門跡も継承しました。享年46歳。 -
青蓮院親王御陵
御陵の右側の並びには治定外(宮内庁管理外)の5柱の墓標があります。
江戸時代以降4代の法親王の墓標(左端から尊真、尊寶、尊證、尊祐)が並らび、その右にあるのが百人一首でも知られる3祖 慈円(慈鎮)和尚の宝塔墓です。
慈円を除いて全て皇族の墓標ですが、御陵と一括治定ではありません。これらの法親王が青蓮院への住山がなかったためかもしれません。 -
青蓮院親王御陵
御陵の左側にある治定外のご廟所です。
中央の五輪塔は善峯寺4祖 証空上人、その右に宇都宮頼綱(宇都宮連生房)、左に2祖 観性法橋と並びます。五輪塔はさほど古いものではなさそうですので、三鈷寺が独立した際に建てられたものかもしれません。
因みに、証空は善慧上人とも呼ばれ、法然上人の下で出家した際には善慧坊と呼ばれました。
宇都宮頼綱は、法然上人やその高弟として活躍して浄土宗西山派の祖師となった証空上人に帰依した鎌倉時代初期の第5代 宇都宮城主(関東武士)です。
頼綱の姑に当たる牧の方と北条時政が3代将軍 源実朝の殺害を謀った「牧氏の変」が発生し、その後、頼綱に謀反の疑いがかけられると潔く権力の地位を降り、出家して蓮生と号し、北尾往生院(現 三鈷寺)の再建に尽力した人物です。
因みに、頼綱は襖絵に貼る和歌の選定を藤原定家に依頼しましたが、それがかの有名な百人一首です。 -
青蓮院親王御陵
最高所にある御陵を後にし、ひたすら下ります。
ここが御陵への正式の入口のようです。
阿吽形の獅子は、ライオンそのものです。
流石に、宮家は特別扱いのようです。 -
参道
青もみじからの木漏れ日が創作した、絵になる情景です。 -
参道
この青もみじが秋には錦秋の情景を描きあげます。 -
青蓮の滝
下りの参道脇にある池には「青蓮の滝」と呼ばれる小滝が架けられています。
この滝は清水寺の音羽の滝のように竿石を池に突き出し、そこから1本の細い水筋を引いて落としています。
この滝の竿石は、青蓮院門跡より拝受したものと伝わります。 -
青蓮の滝
対岸には石仏 不動明王を祀っています。
水が池に落ちる付近まで飛石が伸ばされていることから、不動明王を間近で拝むための所作か、あるいはここで滝行をしていたのかもしれません。
因みに、不動明王のすぐ前には池の周りに設けられた細い径からも行けます。 -
阿弥陀堂
右手にある阿弥陀堂は、現在屋根の改修工事中(2019年12月までの予定)のためホロを纏っています。
本尊には宝冠阿弥陀如来像を祀り、一通妙愚禅師を願主として1673(寛文13)年に建立されました。その後、1693(元禄6)年に桂昌院によって改修されています。
常行三昧(阿弥陀仏を讃えて極楽往生を願う勤行)道場のため、常行堂とも呼ばれます。堂内には、徳川家代々と善峯寺の信者の位牌が安置されているそうです。 -
大書院 玄関
阿弥陀堂の左側は大書院(瑞松庵)になり、玄関は、白壁が美しい茶室風の佇まいです。
ここからは対面する山並みに善峯寺随一の錦秋の絶景が眺められます。方角から推測すると、午前中は逆光になるため、午後3時頃がよさそうです。大書院の南側はシュウメイギクで知られる池庭のある本坊になります。 -
参道
本坊門から阿弥陀堂の正面に至る白壁沿いの敷石の参道に青もみじが風情を湛えます。 -
本坊門
本坊には、片岡鶴太郎氏が描いた『游鯉龍門圖』という襖絵があります。
百畳の座敷に、襖25面、延べ長さ26mに250匹の鯉を描いた大作です。 -
本坊門
門の傍らに法語が記されています。
「人の短を云ふこと勿れ、己の長を説くこと勿れ、
人に施して思うこと勿れ、施を受けて忘るること勿れ」
つとにそうありたいと願ってはきたのですが・・・。
弘法大師 空海が座右の銘として真筆した後漢時代の崔子玉という書家の言葉であり、前段の言葉は松尾芭蕉の名句「物いへば 唇寒し 秋の風」の前書きにもあります。
因みに、「座右の銘」は、『文選』に収められた崔子玉による文章「座右銘」に由来します。 -
経堂と多宝塔を眺めながらゆっくりと降りていきます。
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遊龍の松
こうして下から見上げる松の姿にも味があります。 -
本堂(観音堂)の左側にある庭の石垣が芸術的です。
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本坊
本堂の左側から高台に佇む本坊を望むことができます。
本坊にも錦鯉が泳ぐ池を中心とした美しい桃山風の池泉築山式庭園があるそうです。
以前は本坊の一部を特別公開していたようですが、現在公開予定はないそうです。今後については未定だそうです。 -
本堂と文殊寺宝館の間にある建物には大きなスズメバチの巣があります。
ハチの姿はありませんが、寺院では殺生を忌み嫌うことから放置されているのかもしれません。 -
文殊寺宝館
本堂の左手奥に広いテラスが設けられ、そこに本堂と並ぶように建てられています。
2000年に建立され、山門の楼上に安置されていた文殊菩薩と脇侍二天が修復されて遷座しています。運慶作と伝わる文殊菩薩は、定番の獅子に載る姿ではなく、蓮華座に載った大きな美しい像です。
また、桂昌院所縁の遺品として、和歌色紙や豪華な道具類などが展示されています。阿弥陀堂の落慶時に張られた三つ葉葵紋が入った幡も展示されています。
更には、三鈷寺の本尊のものではありませんが、江戸時代に描かれた『如法仏眼曼荼羅』もあります。1辺2.3mある正方形の紙本に着色したもので、台密や東密で重視されていたものです。遺例が希少で貴重なものだそうです。
春と秋のみの限定公開(期間によっては土日のみ開館)ですが、重文『大元帥明王図』や徳川家由来の品々、明治時代の文人画家 富岡鉄斎筆『金地彩色屏風』や京焼(古清水)『色絵牡丹唐草文七宝繋透彫六角壺』・『色絵金彩七宝繋文透彫重鉢』など、約300点に及ぶ仏像・絵画・書跡・染織・陶器など貴重な文化財を収蔵しています。 -
紙本著色善峯寺参詣曼荼羅(桃山時代:京都府指定文化財)
善峯寺には2幅の参詣曼荼羅が伝来しています。参詣曼荼羅は参詣者の勧誘と霊場案内を目的として霊場を描いた宗教絵画を指します。この曼荼羅は、大幅の画面に泥絵具で彩色し、善峯寺を中心とした周辺の景観を俯瞰的に描いたものです。高野聖や琵琶法師など、様々な姿をした巡礼者で賑わう参詣風景が描かれています。
しかし善峯寺に伝来している2幅は、全く別の風景と思われます。
こちらは善峯寺およびその参道と読み取れ、本堂の右側にある三重塔は白河天皇が建立したものと思われます。しかし、三重塔は応仁の乱で焼失しており時代が合いません。尚、右上にある伽藍は三鈷寺のものとされ、そこにある多宝塔は三鈷寺のものとされています。
この画像は次のサイトから引用させていただきました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/社寺参詣曼荼羅#/media/ファイル:Yoshiminedera_Sankei_Mandala.jpg -
三鈷寺参詣曼荼羅(京都府指定文化財)
こちらも善峰寺に伝来したものですが、『三鈷寺参詣曼荼羅』と説明されています。本堂及び附属堂宇は古の三鈷寺に類似しているとされます。しかし、これを三鈷寺とすると、下部の景観は全く説明できません。
下部には伊勢内宮と外宮が描かれており、寺院は「朝熊山金剛證寺」との異説を唱えているのが大阪市立大学 谷直樹教授です 。その論拠は『伊勢参詣曼荼羅』の図柄と一致するというものです。確かに社殿や五十鈴川に架かる宇治橋は似ています。
もしそうであれば、何故『朝熊山参詣曼荼羅』が善峯寺に伝来したのでしょうか?
謎が謎を呼びます。
この画像は次のサイトから引用させていただきました。
http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2007to_0//yosimineb1.jpg -
文殊寺宝館のテラスから勇壮な山門を見納めです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。 -
おまけ1
我家のベランダにある紫陽花です。
ガクアジサイの一品種で、「墨田の花火」と言います。
星形の八重の装飾花が飛び出す姿を「隅田川の花火大会」に喩えたネーミングです。
装飾花は、純白から次第に青味がさしてきます。 -
おまけ2
普段見る機会のない「墨田の花火」の両性花のズームアップです。
アジサイ科アジサイ属です。少し前まではユキノシタ科でしたが、花形の違いからアジサイ科として独立しました。
両性花は、小さく目立ちませんが、ガク、花弁、雄しべ、雌しべが揃った立派な花であり、種子を実らせます。
こうして観ると、確かにユキノシタ科のヤマアジサイの両性花とは華やかさが違います。 -
おまけ3
同じ株ですが、このように大小の装飾花だけが集まった変種も咲いています。
装飾花は大きく目立ちますが、雌しべが退化しており種子はできません。この大きく目立つガク片は、花粉を運ぶ昆虫を誘い込むために発達したと言われます。 -
おまけ4
古くからこの種は好まれていたらしく、『万葉集』にもガクアジサイを詠んだ歌が2首あります。
「言問はぬ 木すら紫陽花 諸弟らが 練りのむらとに あざむかえけり」 (大伴家持)
この歌は大伴家持が婚約者の坂上大嬢におどけて贈ったものです。
恋を語らない木ですら、紫陽花のように移ろい易いものもある。ましてや使者の諸弟の巧みな言葉であれば、私を騙すのは容易いことです。
紫陽花を人を欺く不実なものの喩えに使っています。色の移ろい易さ、並びに実を結ばない花ゆえのことでしょう。
正岡子規はこの歌の影響を受けたのか、次のように詠んでいます。
「紫陽花や きのふの誠 けふの嘘」 -
おまけ5
こちらは両性花に装飾花のようなガク片のようなものが混ざる変種です。
「紫陽花の 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ」 (橘諸兄)
この歌は丹比国人真人という官人の慶事を祝う宴席で、作者がおどけて女性の立場で詠ったものです。
紫陽花が八重に咲くように、いつまでも健やかでいてください。これからも紫陽花を見る度にあなたを思い出します。
ここでは八重咲きの紫陽花をめでたい花として取り上げています。雨に打たれて色を濃くするその姿にどこか儚い健気さを感じ、憂鬱な季節を慰めてくれるという、現在の我々の紫陽花に対する感覚に近いものかもしれません。 -
おまけ6
ペンタス(グラフィティー・レッド)のズームアップです。
アカネ科クササンタンカ属の多年草で、熱帯アフリカからアラビア半島が原産です。星のようなチャーミングな花を咲かせるのが特徴です。
花言葉は、「希望が叶う」「願い事」。星を彷彿とさせる花の姿から付けられたそうです。
「星に願いを…」といったところでしょうか?
皆さまの願い事が叶いますように!!
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