2019/04/21 - 2019/05/08
34位(同エリア73件中)
JBさん
「足の裏以外を地面につけたら負け」
日本の相撲と同じルールのエジプト流レスリングを観た。ベニ・ハッサン(Beni Hasan)岩窟墳墓!
ピラミッドを造った古王国時代が終わり各地で州侯達が独立。その戦乱をメンチュヘテプ2世(11王朝)が再統一し中王国時代が始まった(4000年ほど前のBC2040年~)。ベニ・ハッサン岩窟墳墓はその頃の遺跡。ベニ・ハッサンとはハッサン族のこと、岩窟墳墓は山の中腹に横穴式に掘った墓だ。ギザにピラミッドが出来た頃から500年を経て墓の姿も変わった。
:写真はKHNUM HOTEPⅡ(ベニ・ハッサン岩窟墳墓 tomb 3)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 観光バス 船 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
ナイル川沿いに200段ほどの整備された階段を登る。管理人とは別にマシンガンを持った観光警察官が同行する。
-
ポーチの前庭の前に鉄格子。墳墓前には鉄扉。
写真はKHNUM HOTEPⅡ(tomb 3)
https://youtu.be/NWswgpo4qyk
*公開されている四か所の墓は全て四角形の一部屋だけで出入口は西側中央一か所。壁の左右表示は入り口から奥への「向かって左or右」。 -
BAQETⅢ(tomb15)11王朝
バケット3世は上下でエジプトが争った頃からの第16ノモス州侯。彼が同盟した上エジプト側(メンチュヘテプ2世)が国家統一した。本領安堵され子孫が州候を継ぐ。
奥壁(東) 壁一面を埋めるレスリングの決まり手。100、いや200かな。
*赤枠内と次頁赤枠内とがだいたい重なる。 -
右壁(南)奥 葬儀と狩りやスポーツ、壺振りゲームに興じる人々。
それにしても格闘技を墓に描く感性。現代人が想う格闘試合ではない。飛び道具が進歩する前の戦闘の姿。そういえば武器を持った兵士もいる。
*赤枠内と前ページ赤枠内、緑枠内と次頁緑枠内とがほぼ重なる。 -
右壁(南)手前 戦闘の技とは命をかけた一度限りの戦い。「足の裏以外を地面につけたら負け」では取っ組み合いになればどうする。たしかに現代感覚では荒っぽい。が、殺戮技術としては如何なものか。
*緑枠内が前頁緑枠内とほとんど重なる。 -
KHETY(tomb17)11王朝
ケイティはバケット3世の息子。セムセント3世治下の第16ノモス州侯。
画面左側が奥壁(東) やはり奥の壁一面にレスリングレリーフがいっぱい。私のイメージでは奥の壁は他より、上座。 -
左壁(北) 古代エジプトの奥方は旦那の半分ほどに描かれる。最愛を力説されたアブシンベル小神殿も大神殿の半分規模。日本じゃありえないし見たことない図、だよなあ。
現存のロータス柱は2.2本(1+1+0.2)。6本の柱跡が残る。 -
入口右横壁(西) 聖地アビドスへ向かう巡礼船(アビドスは第16ノモスよりも上流だから皆で漕ぐ。祈り終えた帰りには帆を上げのんびりだろう。
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右壁(南) 女性を小さく、か。「小さく描くことで守る」感覚かもなあ。
牛の種類が多い。数も。やはり豊かな様子を伝えたい絵、だろうなあ。 -
埋葬シャフト すべての墳墓にある。横穴に棒を差し込み梯子にする。深さは6-7mかなあ。途中に横穴を掘って埋葬する。ここへゴミ箱のように供物を投げ入れた。盗掘者へのカモフラージュ。
でもやはり作れば壊された。人でなければ自然に。自然が神だった時代。 -
AMENEMHAT(tomb 2)12王朝
アメンエムハトはセンウセレト1世治下で王から派遣された第16ノモス州侯。祭司長も勤めた。彼と在地勢力との関係は分からないが、王とは親密でしかも彼は有能だった。中央集権。王権が強くなっていたのは間違いない。
奥壁(東) バケット3世から200年経っても奥の壁一面にレスリングか。 -
至聖所(東) 像はここを造ったアメンエムハトとご家族。人が想う神ではない。
自身の像をみて、彼等は復活を想ったことだろう。何代もの子孫が彼等のために祈り、幾世代もの村人が参り祷りは3000年ほど続いた。そして邪教の神々として削られ、更にそれから1000年。我等が像をみている。 -
掘り抜き洞窟。天井までは10m以上ある。その壁面いっぱいがレリーフ。
この頃から王墓としてピラミッドが復活。ただし表面は大理石でも、芯は安近短の日干し煉瓦。硬い表面岩が剥がされれば日干し煉瓦じゃ直ぐに崩れピラミッド。それがメイドゥーム付近にポツポツ。 -
天井は金と白との市松模様。黄金を求めた供物の盗掘者は天井も剥がした。それだけピカピカ輝いてたんだろうなあ。
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神殿を感じさせる重厚な16面柱。石灰岩の岩山を掘り抜いた土台に御影石の飾り柱を取り付けている。
硬く赤い花崗岩は高価。盗掘者は柱も持っていった。飾り柱と分かっていて残したのは崩壊を恐れたからか。それとも。おーい鬼太郎!gege。 -
奥壁(東) レスリングだけでなく戦争も描かれる。アメンエムハトは軍人でもあった。
殺戮の戦場を駆け回った日本の戦国武将にもエジプトレスリングと同じルール「足の裏以外を地面につけたら負け」の相撲を好んだ武将は多い。 -
左壁(北) 狩りの図。肉はたんぱく源。当時の狩りはスポーツだし社交の場。
人を殺傷する技術は社会秩序を乱すために使われる。秩序を乱した戦場から秩序を取り戻す。神事とされた相撲。 -
左壁(北) 王子は決して背中を曲げないらしい。
堂々と勝ち堂々と負ける。その雄々しさや力強さを競う姿が称賛され、周囲を鼓舞する、堂々たる姿。正義は社会秩序を回復させる。 -
左壁(北) その崇高な誇りを上段にあたる奥壁に描く。戦い守ることは誇るべき神の技だったということか。
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出入り口左壁(西) 金属精錬の様子。
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出入り口右壁上(西) 葡萄酒造り。葡萄を足で踏んでそれを詰めた袋に横たわり更に潰している。下ではそれを壺詰めにして売っている。
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出入り口右壁下(西) ハーブ演奏とその左下はガラガラを大きくしたようなシストラムという楽器。双方ともに神殿や宮殿での儀式に使われる。
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右壁(南) 供物(下)とその数量(上)という解説。供物は葬儀のお供えで香典リストという理解も。彼は凶作時に平時と同じ率(実質減税)で納税させ、それでも財政維持し称賛された記憶が。その時の成果なら、下はノモス全体の収穫物で上は収穫量だろうが、m(__)m分からない。
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KHNUM HOTEPⅡ(tomb 3)12王朝
クヌムホテプ2世はアメンエムハト2世,センウセレト2世下の第16ノモス州候。地方行政官だけでなく東方砂漠の監督という中央政権職も兼務したようだ。
壁(東) ①魚捕りの図。下が拡大。網ではなく2又のモリで眼を貫いている。 -
奥壁(東) ②鳥をブーメランで捕獲。 ③鳥を網で捕獲。
これらのレリーフは何故造られたのか。故人の思い出や来世への審判に向けたアピールか、それとも遺族からの称賛か。
復活を信じた彼らが今に残したものは資料。当時の生活を記した伝言。 -
左壁(北) クヌムホテプ2世にアブシャというヒクソス人(パレスチナ辺りの人)が供物を持ってきている。そのアブシャはなんと旧約聖書のアブラハムかもとガイド氏力説。
が今回の観光客は敬虔な仏教徒だけ、みたいだったなあ。 -
左壁(北) 狩りの図。弓矢を射る足元では大きな網で鳥を捕えている。
足元の黒犬の横で鴨が忙しなく首を振る様子を首二つで描いている。 -
右壁(南) クヌムホテプ2世(青)は王から許された殻竿(からざお:死者をオシリス神とみなす)を持つ。中間の男性(緑)は、夫婦領とは別に妻(赤)が持っていた領地を継いだ子かもしれない。同じ宴を囲む協力者の風情。
女は男の半分に描くんじゃなかったのかーー! -
奥壁(東) 鳥を捕まえた網の中を汚れ除き。
墓だよね此処。殺生場面だし、それもかなり華やか。所変われば○○。 -
で、でだ。これは帰国してから分かったのだがこの岩窟墳墓を守っていたのがパケト神殿。日本じゃ干支にも入れないのに、OH神さまー○o。.
パケト神(Pakhet)は鋭い爪でヘビをもバシッ!(増水時に枯れ谷を襲う鉄砲水。危険だが痩せた地にナイルの恵みをもたらす)。ご親戚で同じ顔つきだが少々邪悪なセクメト神(ルクソール博物館)。 -
ベニ・ハッサンが廃れた後、パケト神はみんなに母性を慕われハトホル神(牝牛)やバステト神(ネコ)へと進化するんだよ。ころころバシッっとね。
旅行中オリバーのお世話係をしてもらった娘に呈
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