2006/08/08 - 2006/08/11
11位(同エリア29件中)
ひらしまさん
北のモンサンミシェルにも南のコートダジュールにも行きたい、途中でロンドンにもちょこっと行ってこようかなどと、かなり支離滅裂な旅だった。
だから最後のコートダジュールで泊まれるのは2泊だけ。魅力的な町や村に目移りしながら選んだのは、欧州では有名なリゾート地らしいジュアンレパン。チャップリンやマレーネ・ディートリヒも滞在したとか。
すぐ隣のアンティーブは、古代ギリシャ人が交易地として開いたというなが~い歴史のある町で、ここの旧市街歩きもおもしろそうだ。
〈2006年の夏のフランス旅行記を、2019年に少し整理して載せます。フィルムカメラの時代で写真は少ないです〉
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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第7日
アヴィニョンからジュアンレパンに向かう。今日のTGVは1等なので空間に余裕があり、荷物を置きやすい。
マルセイユで少しだけ海が見えたと思ったら、そのあとはずっと、石灰岩だろうか白い山ばかりの土地を列車は行く。そして、サンラファエルから海水浴場が次々に見えるようになった。コートダジュールだ!
カンヌでローカル線に乗り換えるとジュアン・レ・パンはすぐだったが、しかし駅前にタクシーがいない。タクシー乗り場で待っていると、通りかかった女性が「タクシーは呼ばないと来ないけど、そのホテルならコミュニティバスに乗るか、歩いても行けるよ」と教えてくれた。
バスの運転手はホテルの場所が分からないというので、意を決して歩き出し、釣具店の店主に身振り手振りで道を教わったりしながら、無事たどり着いた。皆さん、ありがとう。
ホテルはレ・ストレリツィアとでも読むのだろうか。部屋は広いだけが取り柄のファミリータイプで、リノリウムのような床材、テラスがあるといっても1階で通路に面していて、リゾート気分ゼロでがっかり。子連れで海水浴を楽しむにはぴったりだろうけど。
明日はアンティーブ旧市街へ行く予定なので、バス停の下見に出てみた。逆のカンヌ方向のバス停はすぐ見つかったが、旧市街方向のバス停が見あたらない。カンヌ方向のバスを待っている若い女性に尋ねると、答えてくれるけれどフランス語なので全然分からない。何度も聞き直しているうちに、ルージュ・パラソルという言葉が耳にとまった。ルージュって赤、あの赤いパラソルのところか。私に分かるフランス語もあった。メルスィボクー。
ちょっと離れたそのバス停に行ってみると、なぜか時刻表らしきものがない。と、そこにいた女性が声をかけてくれた。彼女は日本人で、パリでピアノを勉強していて、今は夏の講習でニースに来ているそうで、観光案内所でもらった時刻表をもう使わないからと譲ってくれた。ありがとう。いつか日本で演奏会を開かれるかもしれないのだから、お名前を伺っておけばよかった。
それからビーチの下見に行くと、夜8時というのにまだ人はたくさんいた。
帰りに売れ残りのピザを買い、日本から持ってきたおかゆと煎餅も在庫処分で足して夕食にする。
いろんな人に親切にしていただいた一日だった。 -
第8日
朝一番に部屋の変更を申し入れる。眺望が悪いだけでなく、ドライヤーは動かない、なによりカーテンがレースだけというのには困る。ほかにも、ペダルを踏んでもごみ缶が開かない、洗面台の排水が悪いなどもあったが、そこまで英語で言えなかった。
しかし、答はノーだった。なんと、カーテンの外にシャッターがあるとのこと。思いもしなかった。ドライヤーは朝食の間に直っていた。2泊目をキャンセルして別のホテルを探すことも考えたが、費やす時間が惜しく我慢することにした。こんな部屋で143ユーロというのは納得しがたいが、バカンス期のコートダジュールではそうなのかもしれない。
朝食後に部屋に入ろうとしたら、カード型の鍵がない。部屋の中にあるのかなと思って清掃係にお願いして開けてもらったが、ない。バツの悪い思いでまたレセプションへ行くと、さっきとは違う人で、ノープロブレムと笑顔で新しい鍵を渡してくれた。よかった。
午前中は鷲の巣村エズへ行くつもりだったが、二人とも疲れ気味なのでとりやめて、バスで旧市街へ。趣味のいい店をのぞきながらレピュブリック通りを歩く。
市場は食材の多様さ、色彩の豊かさに見るだけで楽しい。 -
市場の一番奥でソッカを焼いていて、客が列をなしている。男性が窯で次から次へと焼き、女性がそれを切り分ける。二人とも汗だくで真っ黒だ。
どんなものかと買って食べてみると、しょっぱいだけ。名物にうまいものなし。もっとも、妻に言わせると豆の味が素朴でおいしいとか。 -
門をくぐると海。
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右にアンティーブ岬、左手遠くに見えるのはニースだろうか。青い海に無数の小さな波が太陽にきらめく。これが地中海だ。
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ピカソ美術館が改修閉館中なのが残念。
教会から雰囲気のある静かな小路を旧港に向かって歩くと、突き当たりは海水浴場だった。 -
きれいに半円の弧を描く遠浅の砂浜で、たくさんの人が寝そべっている。
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水着を持っていればと思うほど、泳ぎたくなるビーチだった。
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港はヨットの帆柱が林立する。
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ペイネ美術館はあいにく昼休みで、絵の垂れ幕をバックに記念写真だけ。美術館が昼休みって、さすが南フランスだね。
ぶらぶら歩いてドゴール広場に戻ると、噴水が大きくなったり小さくなったり突然噴き出したりする中に、子どもたちが飛び込んでびしょぬれになって遊んでいる。楽しそうで思わずシャッターを切る。
帰路のスーパーで買ったマカロニサラダなどで遅い昼食をすませて、さあコートダジュールで海水浴だと水着に着替えホテルを出ようとした時、突然大粒の雨が…。ああ無情! 曇りがちの北フランスでも傘は差さずにすんできたのに、なぜ今ここで!
がっくりきてベッドに倒れ込み、そのままふて寝してしまったのだった。 -
7時半。気を取り直して夕食に出る。この旅最後のディナーは海の幸を食べたい。海沿いに並ぶ店をのぞいて歩き、L'Horizonという店へ。
海の幸のパエリア17.5ユーロとハイネケン。
水はいらないと言ったら青い大瓶の無料の水がきた。見回すとミネラルウォーターなんぞ頼んでるテーブルは一組だけで、残りはみんな青い大瓶。やっぱりこういう気取らない店がいいなあ。 -
熱々の鍋にはいったパエリアが出てきた。ムール貝、やりいか、海老、白身魚がごろごろ入って、野菜もたっぷり。海の幸の旨味がいっぱいの料理に、食いしん坊の妻も満足だった。
この夜は10時から花火がある。海外で花火を見たことがないので、とても楽しみにしていた。
9時頃から海岸通りは人がふえて花火を待つ気配が高まってきたが、まだ時間はあるので、私は紅茶、妻はアイスクリームを頼んだ。ところが紅茶はすぐ来たものの、アイスクリームがなかなか出てこない。そのうち、花火が始まった。残念なことに我々の席からは花火の下半分しか見えないのだ。
花火見たさにやきもきしていると、後から頼んだ隣のテーブルに先にデザートが出てきた。これにカチンときて、すぐに仏頂面で会計を頼むと、女主人が当惑した顔で「アイスクリームが…」と言う。妻が「急いでください」と言うとさすがにすぐ出てきた。
妻が食べている間に伝票を見ると、アイスクリーム代が入ってない。女主人に目で問うと、お代は結構ですとのこと。長く待たされたのには腹が立ったけどその後の対応は誠意が感じられたので、気持ちよくアイスクリーム代はチップとして置いた。 -
ポスターによれば、この日の花火はイタリアチームが上げている。日本で見るのとはちょっと違うデザインもあるが、夏の夜空に上がる花火は、だれもが平等に味わえる庶民の楽しみ、それは日本でもフランスでも変わらない。
おいしい海の幸に花火と、幸せな気分でホテルへの道を歩いた。
第9日(これ以降写真は撮ってません)
現地最終日。やはり地中海で泳がないと心残りになる気がして、朝食後すぐに海へ向かう。まだ9時前なので人はいるかなあなんて思っていたが、ビーチにはすでにたくさんの人がいた。
若いカップル、家族連れ、そして意外に多かったのが老人。朝だったからということもあるだろうが、日本の海水浴場ではあまり見ない光景のような気がする。退職後をコートダジュールで過ごす人たちなのだろうか。水着姿の老人、日本でもっとふえてもいいな。
日焼けがいやだからと結局水着にならなかった妻を浜に残し、水の中へ。朝なのに冷たくない。背泳ぎを足だけでゆっくり泳ぐのがいい。青い空を見ながら海に浮かぶ。浜に戻って砂の上に横になるのも暖かくて気持ちよかった。トップレスの女性が寝転がってるのもヨーロッパらしくていい。
このビーチはシャワーが完備しているのがうれしい。さっと砂を流してホテルへ戻る。途中、折りたたみパラソルを抱えたグループとたくさんすれ違った。車で来て路上駐車してビーチへという人たちも多いようだ。このあたりは庶民の海水浴場という感じ。
ホテルでシャワーを浴びてチェックアウト。飛行機はニース16:25発なので、それまでニースでお土産でも見ることにした。
バスの運賃はアンティーブまでが1ユーロだったので、距離からして6ユーロくらいかと札を用意していたら1.3ユーロと言われ、あわてて小銭を出した。安い! 混んでいたが、荷物はなんとか中央のスペースに置くことができた。
ニースに近づくと渋滞がひどい。でも、おかげでかのプロムナード・デザングレを涼しいバスの窓からゆっくり見られる。右手はどこまでも続く白いビーチに人々が遊び、左手は堂々たるホテルや有名ブランド店が並ぶ、これぞ世界的観光地!という感じ。
着いたバスターミナルにはコインロッカーがなく、食事して預けるにもおなかが空いてなくて、仕方なくスーツケースを引っ張って歩き始めた。ニースを歩く予定はなかったので地理も頭に入っていない。旧市街のごちゃごちゃした通りをなんとなく進む。
こういうところは写真を撮りたくなるけれど、荷物を全部持っての歩きで不安なので、カメラはバッグにしまったまま。妻はブラウスを見つけ、私はマルセイユ石けんを土産に買ってバスターミナルに戻った。
空港へ行くバスは、さっき乗ってきた200番でいいはずだが、妻が窓口で聞いたら別の路線を教えられ、運賃はなんと4ユーロだという。ずっと遠いジュアンレパンが1.3ユーロだったのに、今度はまたずいぶんと高い。しかし不安なので、教えられたバスに乗った。さぞや豪華なリムジンバスかと期待していたら、なんの変哲もないバスが来た。地元住民の路線は安くして、空港利用者には多めに負担してもらおうということか。なら仕方ないな。
空港で、妻が化粧用はさみを持込みバッグに入れてしまっていたことに気づき、入れ直そうとスーツケースを預けたカウンターに急いで戻ったが、もう遅いと相手にされなかった。以前にシドニーで同じポカをやった時は入れ替えできたのに。
セキュリティチェックが厳しかった。白人女性でも靴を脱がせられている人がいた。私もバッグを開けさせられた。初めての経験だった。
ニース空港を立った飛行機はしばらく海岸線を飛び、アンティーブ岬の上空で右旋回しパリに向かった。運よく窓際だった私は、空からもコートダジュールを楽しみ別れを告げることができた。
パリでの乗り継ぎは、大事をとって遅い便にしていたので出発まで5時間以上もある。だからレストランで夕食をと思っていたのに、空港の構造がよく分からず、空港職員の言葉を信じて出発ロビーに進んだら、あるのはコンビニのレンジでチンするレストラン(?!)だけ。フランス最後の夕食はわびしかったな。
成田行きの便で隣席になった人は、ローマからのエールフランス便が大幅に遅れ、予定していた名古屋行きに乗り継げず成田まで行く羽目になってしまったとのこと。まだ出発時刻前で一生懸命走ったのに乗せてもらえなかったというお話に、エールフランスはひどいと我々もおおいに同情したものだった。
しかし、日本に戻るまで知らなかったが、その日英国で大規模な航空機テロ計画が摘発されていたのだ。あとから思えば、ニース空港の厳しさもエールフランスの対応も、やむを得なかった。それ以後、液体の機内持込が禁止されて今に至っている。
第10日
そして、帰国後の日暮里駅で、この旅最大の失敗をする。京成からJRへの乗換口で、まずパスネットを通して次にスイカをタッチする(当時はそうだった!)時に、うっかりしてパスネットを取り忘れてしまった。まだ3千円以上入っていたのに(涙)。旅も終盤は集中力が落ちる。体力も落ちてるし、次からは少し短めの日程にしようかな。
フランス再訪。長距離移動で効率はとても悪かったけれど、北と南、対照的なフランスを感じられて面白かった。サンマロやアンティーブなど超有名ではない町のよさを感じることもできた。
そして、毎日いろんな人に助けてもらった。フランスの普通の人たちの温かさを今回も感じた旅だった。
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