2019/04/05 - 2019/04/05
22位(同エリア370件中)
かっちんさん
津山の城下町は、大きく分けると三つの部分に分けることができます。
津山城を含む中心部、宮川以東の城東地区、藺田川(いだがわ)以西の城西地区になります。
城西地区は、明治・大正期に造られた橋、銀行、病院、学校等が残されており、城東地区の町家群とは異なる景観です。
今日はまだ訪れていない城下町の中心部と城西地区から町歩きを始め、桜が一気に満開になっている城東地区の千光寺枝垂れ桜、津山城桜の花見を楽しみます。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・津山瓦版「出雲街道城西まっぷ」「城西地区の歴史」「あけぼの旅館」「翁橋」「作州民芸館」「田町武家屋敷」「津山教会」「千代稲荷神社」「津山高等学校」「森本慶三記念館」「千光寺」
・津山市教育委員会「徳守神社社殿」
・現地案内板「翁橋」「作州民芸館」「旧中島病院本館」「津山郷土博物館」
・城西浪漫館パンフレット
・文化財建造物保存技術協会「用語集、構造・屋根形式」
・さんち~工芸と探訪~「岡山 津山民芸社の竹細工の龍を訪ねて」
・近代建築Watch「津山高等学校本館」
・あけぼの旅館HP、津山郷土博物館HP、つやま自然のふしぎ館HP
・津山市観光協会「千光寺」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
津山周辺の案内図(地図では下が北方向)
城下町の中心部は、宮川と藺田川に挟まれたところ。
城西地区は、藺田川の右側(西方向)の地域を指し、作州民芸館前の東西に旧出雲街道が通っています。
午前中に訪れる古い建築物は、戸川町のあけぼの旅館、西今町の作州民芸館、田町の中島病院旧本館、椿高下の津山高校旧本館、山下の津山郷土博物館・森本慶三記念館等です。
午後は城東地区林田の千光寺の枝垂れ桜、津山城で満開になっている桜の花見に行きます。 -
満開になった津山城の桜
宿のアルファワン津山を出発し、吉井川から眺める朝の津山城跡です。
昨日から気温が徐々に上がっており、鶴山公園の桜が一気に満開になりそうです。 -
津山市最古の「あけぼの旅館」(戸川町)
城下町の町並みに入ると、国の登録有形文化財に選ばれている「あけぼの旅館」があります。
江戸時代からの佇まいが残る、津山市最古の旅館です。
旅館の建物は、幕末に町年寄をしていた錦屋(山田家)の屋敷の本宅をそのまま引き継いだものといわれています。
HPの案内では、館内のいたるところに江戸中期の屏風絵や家具などの造形品が飾られているとのこと。
建物妻面の「曙」がシンボルになっていますね。 -
徳守神社(宮脇町)
津山藩総鎮守の神社です。
本殿、拝殿、幣殿は江戸初期(1664年)に2代藩主 森長継が再建したもので、本殿の組物や蟇股の彫刻など軒廻りに見事な装飾がなされています。 -
住吉神社(境内の摂末社)
正面入母屋造、背面切妻造の「隅木入春日造(すみぎいり かすがづくり)」と呼ばれる形式です。 -
独特の庇(住吉神社)
「隅木入春日造」は、切妻造・妻入り母屋の正面に庇を付けた春日造と、そのうち母屋と庇の軒の取合部に隅木が入ったものです。 -
北門(徳守神社)
北門の手前には旧出雲街道が通っています。 -
レトロな翁橋(宮脇町)
旧出雲街道を西へ向かうと、藺田川(いだがわ)に架かる「翁橋(おきなばし)」があります。
江戸時代には、城下町の西の入り口として橋の東詰に大番所が設けられていました。
現在の橋は大正15年(1926)にそれまでの木橋から鉄筋コンクリート造に架け替えたものです。
橋の四隅に位置する大型の欄干親柱に、当時日本で盛行(せいこう)したアールデコ様式が取り入れられています。 -
アールデコの親柱(翁橋)
橋名の由来は、藺田川が一時期「翁川」と呼ばれていたことによります。
翁橋は国の登録有形文化財に指定されています。 -
作州民芸館(西今町)
藺田川を渡り城西地区に入るとすぐに作州民芸館があります。
この建物は大正9年(1920)に土居銀行として建てられました。
その後、銀行の合併により作備銀行、山陽銀行、中国銀行へと変遷し、昭和27年より吉井川漁協に所有が移り、平成4年津山市が取得し、修理の上、作州民芸館として活用することになりました。
外観は正円アーチと直線で構成されるルネッサンス様式を基本としながらも、多彩なモチーフを用いています。
国の登録有形文化財に指定されています。 -
石造風の玄関(作州民芸館)
玄関周辺は、両翼を張り出すなど厳格な左右対称で、正面性の強い意匠となっています。
柱頭は1階がドリス式、2階がイオニア式の西洋古典様式風のオーダーが付く石造風の外観となっています。 -
2階の意匠(作州民芸館)
屋根は急勾配で棟飾りが頂部を引き締めています。
外壁のおさげ髪のようなモチーフは素敵です。 -
元銀行のカウンター(作州民芸館)
入館は無料で、内部に作州地方の民芸品や郷土玩具が展示されています。 -
お洒落なアーチ状の入口(作州民芸館)
カウンターの内側では、お茶などが飲めるようになっています。 -
珍しい「大名櫓時計」(作州民芸館)
-
街道沿いの町並み(西今町)
旧出雲街道沿いに並ぶ、旧岡本商店(現、囲碁クラブ岡輝)、作州紐工芸館です。
袖壁が残されています。 -
街道沿いの町並み(西今町)
出格子に、なまこ壁、袖壁の残る町家です。 -
中島病院旧本館(田町)
城下町中心部の西側(藺田川の東)に来ています。
ここは大正6年(1917)に建てたられた、津山で最も古い病院建築です。
木造2階建て、基礎は御影石、外壁は小豆色のモルタル掻き落とし、人造石の柱や窓の枠飾りを配します。
建物正面にはポーチが張り出し、その屋根はドーム状につくられています。
ポーチの円柱にあるコリント式の柱頭飾りや窓の飾り枠などに、凝った洋風意匠が見られます。 -
窓の飾り枠とドーム状の屋根(中島病院)
現在は「城西浪漫館」として一般に公開されています。
そして、国の登録有形文化財に指定されています。 -
院長室(中島病院)
大理石を用いた贅沢な暖炉です。
他の部屋にもそれぞれ色が異なった暖炉があります。 -
院長室の天井(中島病院)
洋風意匠の中に和風建築の格天井を用いることで趣があり、この建物の中で1番格の高い部屋になるそうです。
中島啄之先生は東京帝国大学医科大学を卒業し附属病院の内科部長として活躍していましたが、郷土の熱望に応えて大正3年に帰郷し中島病院を開設しました。
その後研究のため再度上京する予定でしたが、地元の名士たちが引き止め、銀行家の妹尾順平氏がレントゲンなど当時の最新機器を備えた病院を造ったのです。
さらに医学会での活躍ばかりでなく、政治家として活躍され、津山市長などを歴任されました。 -
城下町の枝垂れ桜(田町武家屋敷)
津山城の西側に広がる田町には武家屋敷が点在しています。 -
二つの門構え(田町武家屋敷)
この地に武家屋敷ができたのは、慶長9年(1604)に津山城が築城され始めた時期からです。 -
広大な武家屋敷(田町武家屋敷)
上中級藩士を中心とした武士の屋敷として使われ、江戸時代中期には100を超える武家屋敷があったといいます。
内部の見学はできません。 -
津山民芸社(田町)
ここは竹細工の工房です。
大正末期に、地場産業として竹細工が推奨され、昭和初期にかけて、大分とともに2大産地といわれました。
特に作州牛の作品は、戦後生まれの郷土玩具として昭和60年に年賀切手に採用され、世の中に広く知られるようになり、今では津山の代表的な郷土玩具です。 -
三好湯(山下)
現在はライブ処「High & Low」。
元銭湯だったので、音響効果が抜群かも・・・
裁判所へ向かって南北に通る道で見つけました。 -
日本キリスト教団津山教会(田町)
明治37年(1904)に建てられた大きな屋根の木造2階建です。
ロケットが飛び立つような窓のデザインが素敵です。 -
イチオシ
風格のある校舎「岡山県立津山高等学校旧本館」(椿高下)
明治28年(1895)に津山尋常中学校として開校、同32年に津山中学校と改称、昭和23年に新制の高等学校となりました。
この建物は明治33年、現在地に移転した際に新校舎として建てられた旧本館です。
下見板張りの木造2階建、寄棟造。和風の桟瓦を葺いたこの時代に典型的な学校建築です。
上げ下げ式の縦長窓、中央屋根頂部の小さな時計塔、その後ろに鉄板葺きの灯屋がのせられています。
国の登録有形文化財に指定されています。
平成9年にはNHKの朝の連続ドラマ「あぐり」のロケ撮影地になりました。
では、津山城近く(山下)を通り、城東地区の千光寺へ向かいます。 -
旧津山市庁舎(山下)
建物は、津山市政施行に伴い、昭和8年(1933)に建てられたものです。
外観はアール・デコ様式で、中央部分に塔屋を配し、シンメトリーな形態をなしています。
市内では鉄筋コンクリート造の草分け的存在で、昭和初期の典型的な官庁建築の特徴をよく表しています。
現在は津山郷土博物館として利用され、国の登録有形文化財に指定されています。 -
旧庁舎を飾る桜の花
現在は耐震改修工事のため休館中です。 -
ギリシャのイオニア様式の建物(山下)
昭和元年(1926)に施工された「旧津山基督教図書館」(現、森本慶三記念館)で、国の登録有形文化財に指定されています。
建物は大正末期の洋風建築の流れを汲んだデザインで、後方には時計塔と十字架が配置されています。 -
時計塔(旧津山基督教図書館)
現在、図書館業務は終了し、歴史民俗館として資料を展示・公開しています。 -
満開になっている桜(津山城)
津山城の近くを通ると桜が満開なので、後ほど訪れます。 -
関貫小路の坂道(勝間田町)
城東地区の旧出雲街道から上之町、林田へ通じる関貫小路に入ります。
この先には裏通りの上之町「寺下通り」があります。 -
イチオシ
枝垂れ桜の咲き誇る千光寺(林田)
かつて武家地だった「寺下通り」を歩き、家並みが途切れたところで突然視界が開け、千光寺の見事な枝垂れ桜が現れます。
山門脇に佇む枝垂れ桜は、推定樹齢150年といわれています。 -
イチオシ
枝垂れ桜のお出迎え(千光寺)
拝観者を枝垂れ桜が出迎えてくれます。 -
青空に伸びる枝垂れ桜(千光寺)
高さ約15m、枝張り幅約18mもあり、その姿は壮観です。 -
長い歴史を見守ってきた古木(千光寺)
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狸が涼むのに最適な枝垂れ桜(千光寺)
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入道坂(上之町)
「寺下通り」に戻り、「入道坂(にゅうどうざか)」を下ると宮川です。
坂の名前の由来は、森藩時代に刀工山本土佐守正信入道の屋敷があったからとも、見越入道と呼ばれる妖怪が出没したからだとともいわれています。 -
鋼製の太鼓橋
木製または石造りの太鼓橋はよく見かけますが、鋼製のものは珍しいです。
宮川に架かる太鼓橋を渡ると、千代稲荷神社(せんだい いなりじんじゃ)があります。 -
千代稲荷神社の拝殿
城の守護神である千代稲荷神社は、神祠が城郭の北隅の石垣の下に祀られています。 -
拝殿の般若(千代稲荷神社)
何を意味しているのでしょうか。 -
桜が満開になった津山城
今日の最後のスポットは、津山城(鶴山公園)の花見です。 -
鮮やかな「神代あけぼの」(津山城)
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桜に囲まれる備中櫓(津山城)
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二の丸から続く桜並木(津山城)
満開宣言がTVニュースで放映されたので、花見客がどっと増えています。 -
イチオシ
石塁に佇む枝垂れ桜(津山城)
本丸東側の石塁です。 -
青空に映える枝垂れ桜(津山城)
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花見を楽しむ人たち(津山城)
本丸南側から二の丸東側の櫓跡を眺めています。 -
千光寺の枝垂れ桜と町並み(津山城から)
昔、武家屋敷のあった城東地区です。 -
青空に雲と桜(津山城)
二の丸から見上げる備中櫓。 -
津山高校旧本館(津山城から)
津山城から校舎の全景が見渡せます。 -
イチオシ
青空に羽ばたくような「エドヒガン」(津山城)
色付櫓跡に佇むエドヒガン。
時刻は16時前。斜光線で一段と美しく輝いています。 -
三の丸並木道(津山城)
-
菜の花と桜の競演(津山城)
-
春の花に囲まれる城壁(津山城外)
津山城を出て、城の周囲を歩いています。 -
菜の花と桜の斜面(津山城外)
-
イチオシ
赤く染まるエドヒガン(津山城外)
時刻は17:30。夕陽で赤く染まりかけています。
昨日から津山めぐりを始めていますが、今日は城西地区の古い建物、満開になった桜などを楽しむことができました。
今晩の宿も津山です。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- kiyoさん 2019/06/05 06:31:50
- 興味が湧きました
- かっちんさん、はじめまして。
私の旅行記にいいねしていただき、ありがとうございます。
津山は、私の両親の実家があるので、
子供の頃、夏休みになると、祖父母を訪ねて何度も訪れました。
でも、歴史的なことには一切、興味もなく、
作州民芸館や翁橋など、その歴史や謂れは知らなかったので
すごく勉強になりました。
それから、津山には桜の季節には行ったことがなかったので、
こんなに美しい景色が見れるとは(@@)
「青空に羽ばたくようなエドヒガン」と書かれたお写真も
見事な一枚ですね。
kiyo
- かっちんさん からの返信 2019/06/09 16:05:49
- RE: 興味が湧きました
- kiyoさん
こんにちは。
北海道へ行ってたので返事が遅くなりました。
津山にご両親の実家があったのですね。
桜と城下町の景色は津山の宝です。
大人になると今まで生きてきた経験などから、見る目が変わってきますよね。
かっちん
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