2005/10/14 - 2005/10/16
6位(同エリア409件中)
GATさん
2005年10月、今は撤退した関空発着のオーストリア航空でボスニアとクロアチア9日間の一人旅。
日程は10月14日、関空発→ウィーン経由→サラエボ夜着。
15日、午前サラエボ観光、午後モスタルへ(バス)、到着後観光。
16日、午前ドブロヴニクへ(バス)、午後ドブロヴニク観光。
17日、ドブロヴニク観光。
18日、ドブロヴニク観光(ダイビング)
19日、午前スプリットへ(バス)、午後スプリット観光。
20日、午前スプリット観光、午後トロギール観光。
21日、午後スプリット発→ウィーン着
22日、昼頃ウィーン発→翌23日、関空着
本編はボスニアのサラエボとモスタルを纏めた旅行記です。
内戦終了後10年経っていましたが復興はまだまだ。バスで移動の道中はあちこちに廃墟の村々が見え、また頻繁に平和維持軍として駐留するNATO軍の車両とすれ違いました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
サラエボ空港に到着したのは夜10時。ネットで予約した宿のオーナーに迎えを頼み無事合流しホテルへ。
-
通貨コンヴェルティビルナ・マルカ。
-
イチオシ
翌朝は宿に荷物を預けサラッとサラエボ観光。
まずは旧市街のバシュチャルシヤへ、思ったより観光客がいてビックリ。バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
-
旧市街のモスク。
-
旧市街のお土産物屋さん。
-
30分ほどブラブラして散歩してラテン橋へ。
-
サラエボ事件の現場となったラテン橋。
ユーゴスラビア連邦時代は事件の犯人に因んでプリンツィプ橋と呼ばれていましたが、ユーゴスラビア連邦崩壊後に改名されました。ラテン橋 建造物
-
内戦時に損傷したがいち早く復旧したイエスの聖心大聖堂。
-
新市街は復興のスペースが早いようです。
-
サラエボの番犬。
-
ホテル近くの高台から見る墓地。
ほとんどがボスニア内戦中で亡くなられた方々だそうです。
宿で荷物を受取り路面電車に乗ってバスターミナルへ。 -
バスに乗って約2時間半でモスタルに到着。バスターミナルはボスニア人側にあり宿は橋を渡りクロアチア人側のホテルで1泊。
見た目は平和ですが民族間の対立は残っている感じで橋を渡る人は観光客のみ...。
クロアチア人居住エリアの廃墟。 -
壁には無数の小銃弾跡が...。
しかしこの建物は住人が住んでいます。 -
廃墟と化したビル。
屋上付近にはロケット弾が命中した丸い穴が開いています。 -
ここも廃墟。
-
そしてここも...。
-
地方は復興から取り残されている感じでした。
次訪れるときは綺麗な街並みになっているかな? -
モスタルのハイライト、スタリ・モスト。
内戦で破壊されました2004年に復旧しています。スターリモスト橋 建造物
-
川沿いから見るスタリ・モスト。
橋の上から飛び込む地元民で賑わっていました。 -
イチオシ
スタリ・モストの夜景。
三脚なしで何とかブレずに撮影成功。 -
夜のモスク。
夜の町はとても静かでした。 -
朝一番のバスに乗ってドゥブロヴニクへ移動です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の人気ホテル
ボスニア・ヘルツェゴビナで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ボスニア・ヘルツェゴビナ最安
625円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 2005年秋の旅
0
22